西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」の第24回(2018年9月9日)は、村田沙耶香「コンビニ人間」について論じています。表題は「店員視点で描く『文明論』」です。
現代日本の風景を特徴付けるものとしてコンビニエンスストアを挙げることができると思います。調べてみると、昭和の終わり頃には一万店に満たなかったコンビニの店舗数は、九〇年代から急速に増加し、二〇一六年には約五万八千店にまで増加しています。どんな田舎町でもコンビニに立ち寄れば、生活に必要な商品を買い、標準化されたサービスを受けることができるようになりました。その一方でコンビニの仕事は、「失われた一〇年」に定着した非正規の仕事の代表的なものとなり、現在に至ります。
村田沙耶香の「コンビニ人間」は「私は人間である以上にコンビニ店員なんです」と述べる三六歳の「私」を描いた作品で、「私」は店長が八人目になっても同じコンビニで働き続けています。三六歳の「私」は友人や家族から結婚や就職を心配されていますが、「皆、変なものには土足で踏み入って、その原因を解明する権利があると思っている」と、うんざりしています。「コンビニ人間」は一見すると、作者の個性が際立った奇妙な作品に見えますが、「私」がコンビニの店員として、「時代精神」を背負っているかのように働く姿は社会風刺的で、奥が深い表現だと思います。
村田沙耶香の「コンビニ人間」は、コンビニを中心として回っている現代日本を、ベテランのコンビニ店員の視点からユーモラスに捉えた「芥川賞の見本のような小説」だと思います。
現代日本の風景を特徴付けるものとしてコンビニエンスストアを挙げることができると思います。調べてみると、昭和の終わり頃には一万店に満たなかったコンビニの店舗数は、九〇年代から急速に増加し、二〇一六年には約五万八千店にまで増加しています。どんな田舎町でもコンビニに立ち寄れば、生活に必要な商品を買い、標準化されたサービスを受けることができるようになりました。その一方でコンビニの仕事は、「失われた一〇年」に定着した非正規の仕事の代表的なものとなり、現在に至ります。
村田沙耶香の「コンビニ人間」は「私は人間である以上にコンビニ店員なんです」と述べる三六歳の「私」を描いた作品で、「私」は店長が八人目になっても同じコンビニで働き続けています。三六歳の「私」は友人や家族から結婚や就職を心配されていますが、「皆、変なものには土足で踏み入って、その原因を解明する権利があると思っている」と、うんざりしています。「コンビニ人間」は一見すると、作者の個性が際立った奇妙な作品に見えますが、「私」がコンビニの店員として、「時代精神」を背負っているかのように働く姿は社会風刺的で、奥が深い表現だと思います。
村田沙耶香の「コンビニ人間」は、コンビニを中心として回っている現代日本を、ベテランのコンビニ店員の視点からユーモラスに捉えた「芥川賞の見本のような小説」だと思います。