西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」(第134回 2020年11月15日)は、古川日出男の傑作『ベルカ、吠えないのか?』を取り上げています。表題は「軍用犬でひも解く20世紀史」です。
この作品は北海道犬で、第二次世界大戦時に海軍の軍用犬となった「北」とその末裔の犬たちを中心とした物語です。北は「発達した筋肉と寒さに対する強い耐性を備えた北海道犬(旧称アイヌ犬)」で、日本海軍の侵攻に従って島に自生している野草の毒見を任務としています。
物語は当時、日本軍が占領したアリョーシャン列島の2つの島の1つ、鳴神島(キスカ島)からはじります。史実として20世紀にアメリカ合衆国の領土が占領されたのは、1942年の鳴神島と熱田島(アッツ島)の二島の占領以外にないらしい。日本列島から遠く離れたこれらの島々の占領はミッドウェーへの攻撃から米軍の目をそらすための陽動作戦でしたが、藤田嗣治の戦争画でも知られる通り、1943年の5月に熱田島の守備隊は全滅しています。その約一か月後に鳴神島にいた5200名の守備隊はケ号作戦で撤退を余儀なくされ、日本軍による米国領・アリョーシャン列島の占領はわずか一年ほどで終了します。
著者が記しているように、20世紀は戦争の世紀であり、軍用犬が戦争の最前線で活躍した世紀でもあります。人間に最も慣れ親しんだ動物である犬が、人間が引き起こした戦争を通して世界各地へと分散したことで、20世紀に犬のグローバル化と軍事化も進行したわけです。この作品は、史実としてキスカ島に残された軍用犬の物語を、著者らしい想像力を付与してフィクションとして展開した一流の偽史小説です。
古川日出男『ベルカ、吠えないのか?』あらすじ
1943年にアリョーシャン列島に残された四頭の軍用犬、北、正勇、勝、エクスプロージョンとその末裔の犬をめぐる長編小説。軍用犬の歴史を通して、第二次世界大戦、朝鮮戦争、ベトナム戦争、ペレストロイカなど現代史がひも解かれる。日本軍の軍用犬の末裔たちが、アメリカ合衆国やソ連に渡り、冷戦構造の中で異なる人生を歩む大スペクタクル。2005年刊行の古川日出男の代表作。