西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」(第135回 2020年11月22日)は、姫野カオルコの直木賞受賞作『昭和の犬』を取り上げています。表題は「シベリア帰りの父 激動の昭和」です。
姫野カオルコの出身地・滋賀県にある架空の「香良市」を舞台にした自伝的な小説です。表題は、旧日本陸軍の武官だったいかつい父親が、軍用犬の扱いに慣れていたこともあり、犬たちをイクと同じ子供のように一緒に育てたことによります。
父親の口からは戦時中のことや戦後の抑留のことは詳しく語られないですが、終戦から帰国までの約10年間に大変な経験をしてきた様子です。例えば彼は「赤いウインナーはカンガルーの肉で作ってあるという噂や」と述べ、「子供たちの弁当を豪華にしてくれる真っ赤なソーセージ」を決して口にします。イクはそれがシベリアで鼠を原料とした肉を食べたためだと推測している様子です。
当時、戦争の影は色濃く、例えば軽食屋「有馬殿」の親父は戦争神経症を患っており、「人の肉はな、鼠より酸いいんや。そら、大きい鼠のほうがうんとごっつぉ〈ごちそう〉やったがな。オイカワもな、鼠食うて、ばば垂れっぱなしで生きたらよかったんや」などとつぶやきます。この作品は、戦時中の生死を分けた経験が「地中に埋もれた不発弾」のように日常のそこかしこに転がっていた時代の記憶を伝える「市井の歴史小説」と言えます。