西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」(第157回 2021年5月9日)は、ここ数か月、日本の本格推理小説を読み込んでいることもあり、中村文則のミステリー作品で、2018年に映画化された『去年の冬、きみと別れ』を取り上げました。表題は「犯罪者への安堵と共感」です。
異様な事件を引き起こした犯罪者の心理に人々が関心を持つのは、不可解な人間の振る舞いに、悪のラベルを貼り、安堵したいからでしょうか。それとも退屈な日常に風穴を開ける犯罪者の言動に、少しでも人間性を見出し、無意識的に共感したいからでしょうか。本作で描かれる犯罪は、名前が付けがたく、安堵も共感もしにくいものです。
トルーマン・カポーティの「冷血」について、作中で繰り返し言及されています。ニュージャーナリズムの源流とされる作品で、カポーティはカンザス州の惨殺事件を取材し、ノンフィクション小説の原型となる筆致で記しました。ただ本作はカポーティの「冷血」のように、書き手の存在を消去した作品ではなく、登場人物たちのバイアスも描き、そこに込み入った謎が存在することも明していきます。「信用できない語り手」が物語を展開するカズオ・イシグロの小説にも近いです。
カポーティは「冷血」を書いたのち心に変調をきたしましたが、彼は「冷血」を書くことで、殺人犯が体現する人間の欲望の臨界と向き合いました。本作は、中村文則が犯罪者への安堵と共感という、一般の人々が抱く「冷血な感情」と向き合った本格推理小説です。
西日本新聞 meへのリンク
https://www.nishinippon.co.jp/item/n/735712/
中村文則『去年の冬、きみと別れ』あらすじ
二人の女性が殺害された猟奇的な焼殺事件の謎を、ライターの僕が犯人や関係者を取材しながら明らかにしていく作品。写真家・木原坂雄大と姉・朱里のきな臭い関係と、事件の真相とは。複雑に織り込まれた謎が、物語を二転三転させる構成が巧みで、ミステリー作家としての中村文則の評価を高めた作品。