2021/05/03

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第156回 岡田利規『わたしたちに許された特別な時間の終わり』

 西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」(第156回 2021年5月2日)は、新型コロナ禍で平穏な日常の意味が問われていることもあり、岡田利規『わたしたちに許された特別な時間の終わり』を取り上げました。表題は「間延びした日常に風穴」です。

 演劇に関わる人々の時間の流れ方は、スマホで動画を視聴することに慣れた現代人のそれとは、大きく異なると思います。役者たちは自らの身体を客の前にさらしながら、内的に消化した時間を繰り返し舞台の上で現前化させます。観客も劇場へと足を運び、狭い空間に拘束され、舞台上で展開される時間にシンクロし、それを楽しみます。ウェブ上で様々な動画が視聴できる時代に、演劇が役者たちと観客の双方に求めるハードルは高いです。

 ただ人間が、他の人間が演じる物事を、同じ時空間で一緒に経験したいという欲求は、群れることで文明を築いてきた人間らしい根源的なものなのだとも思います。フロイトが言うように、人間は他人の欲望を模倣することで成長し、社会的な存在となります。生身の人間から得られる時間は、感情の通った欲望を伴う、取り換えのきかないもので、オンライン上の情報やコミュニケーションでは代替できません。

 岡田利規の「わたしたちに許された特別な時間の終わり」は、劇作家らしい時間に関する感度の高さが感じられる良作だと思います。これといった出来事が起こらない筋書きや、ため口の場面説明や台詞回し、現代文学のような飛躍した場面展開など、個性的な作風が際立っています。本作は、私たちの日常の中に横たわる、取り留めもない「特別な時間」の意味の重さを問いかける作品です。

西日本新聞 meの掲載記事



岡田利規『わたしたちに許された特別な時間の終わり』あらすじ

 イラク戦争の足音が聞こえる中、偶然出会った男女が渋谷のラブホテルに5日間滞在する「三月の5日間」と、フリーターの夫婦のすれ違う時間を描いた「わたしの場所の複数」を収録。劇団チェルフィッチュを主宰する岡田利規の初めての小説で、第二回大江健三郎賞受賞作。