2021/08/16

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第171回 宮本輝『螢川・泥の河』

 「現代ブンガク風土記」(第171回 2021年8月15日)は、戦争の影が色濃く残る富山と大阪を舞台にした宮本輝『螢川・泥の河』を取り上げています。表題は「生死や運をめぐる哲学」です。

 戦争という人間の悪意が凝縮された時代を通過してなお残る、人間の逞しさや優しさに触れたいと思う時があります。逆境に立ち向かう人間の感情を描いた「戦後小説」こそ、八月に読むのに相応しいと私は思います。宮本輝の初期の代表作「蛍川・泥の河」は、戦争の傷跡が街の景色や人々の外見や心の中に残る時代の記憶をひも解いた「戦後小説」の秀作です。

「わしかて、いっぺん死んだ体や」「いままでに何遍も何遍も死んできたような気がしたんや」という父の言葉には、後に「五千回の生死」などの作品で描かれる「日常の中で繰り返される生死」のモチーフが表れています。「運というもんを考えると、ぞっとするちゃ。あんたにはまだようわかるまいが、この運というもんこそが、人間を馬鹿にも賢こうにもするがやちゃ」と語る父の親友の姿を通して、戦争と敗戦後のどさくさを潜り抜けた人間らしい、訛りを帯びた「哲学」と揺るぎない「友情」が表現されます。

 芥川賞と太宰賞を受賞した宮本輝『螢川・泥の河』は、大都市・大阪の中心地を流れる「河」と地方都市の市街地を流れる「川」の周辺で暮らす人々の戦後の日常を描いた作品で、市街地の中心部を流れる大小の川とその近くの歓楽街の風景が、現代文学にとって故郷と言える場所であることを実感させる作品です。

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宮本輝『螢川・泥の河』あらすじ

 大阪と富山を舞台に、戦争の傷跡が残る土地と、戦後のどさくさが人生に影響を及ぼした人々を描いた作品。役所から立ち退き勧告を受けた舟の家で、売春をして二人の子を養う女や、進駐軍の払い下げ品の転売で財を成した父親など、戦前・戦後の日常を生き抜いてきた人々の記憶がひも解かれる。太宰賞受賞作「泥の河」と芥川賞受賞作「蛍川」を収録。

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日本マス・コミュニケーション学会・編集・発行の「マス・コミュニケーション研究」第99号の特集(「分断される社会」とメディア)に「COVID-19と社会的な分断に関する報道分析とその方法論の研究」というタイトルの論文を寄稿しました。2年任期の編集委員の仕事もひと区切りで、編集作業を通じて、もうすぐ70周年を迎え、「日本メディア学会」への改称を控えてい同学会の歴史の重みを感じました。今期は国際委員に戻り、メディア研究の国際化に関わる仕事に継続的に関わっています。