2021/08/02

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第169回 奥田英朗『オリンピックの身代金』

 「現代ブンガク風土記」(第169回 2021年8月1日)は、奥田英朗『オリンピックの身代金』を取り上げています。表題は「1964年五輪と「戦前の影」」です。

 戦後日本が20歳に達していない「身の回りのすべてが青春」だった時代に開催された東京オリンピックを巡るサスペンスです。「なんて言うが、東京は、祝福を独り占めしでいるようなとごろがありますねえ」と呟く、秋田の出稼ぎ労働者の未亡人の言葉が、本作の基調低音を成しています。1964年のオリンピックは、戦後日本が国際的な信用を取り戻すためのイベントであり、東京大空襲と関東大震災で二度焼け野原になった東京が、戦災と震災から復興したことを国内外に示す行事でした。

 本作の主人公の島崎国男は「飛行機があったら開会式に特攻するんじゃないかな」と公安警察に揶揄われる人物で、秋田の大曲近くの架空の熊沢村で生まれ育ち、東京大学でマルクス主義経済学を研究する大学院生です。彼は親の脛をかじって学生運動に加わり、モラトリアムを謳歌する他の学生に馴染めず、東京の豊かさより郷里の農村の貧しさを実感しています。地方の窮状を知る島崎にとって特需に沸く「東京の特権」は耐えがたいもので、彼は東京オリンピックの安全な開催を「人質」に、戦後日本に対して身代金を要求する決意を固めます。

 東京オリンピックを題材とした代表的な現代小説で、対照的な二つの東京オリンピックの価値について改めて考えさせる「時代小説」だと思います。

https://www.nishinippon.co.jp/item/n/778937/

奥田英朗『オリンピックの身代金』あらすじ

 秋田の農村で生まれ育った東大院生の島崎国男と、警視監の息子でテレビ局社員の須賀忠の人生を対照的に描く。1964年のオリンピック特需に東京が湧く中、「東京と東北はたった一字ちがいでなんもかんも不公平だ」と感じさせる差別や搾取が、出稼ぎの飯場で横行している。人事異動か退職のように出稼ぎの人々の死が受け入れられる状況を打破すべく、島崎は東京オリンピックを「人質」にとる決意をする。