「現代ブンガク風土記」(第191回 2022年1月16日)では、高樹のぶ子の自伝的な代表作『マイマイ新子』を取り上げました。担当デスクが付した表題は「子供の感情通し描く『戦後』」です。
子供の感情(大人が抱く子供のような感情も含む)は現代文学や現代思想にとって重要なものです。例えばドゥルーズ=ガタリが『アンチ・オイディプス』で、幼児性と資本主義社会の関係について、ベケットの遊戯的な短編や、アルトーの「器官なき身体」や、フロイトの「口唇期」の概念を引きながら、現代小説のような対話(哲学)を展開しました。ただ、生身の存在者である「私」を括弧に入れ、双数的に「私」と社会を地続きにとらえるポスト構造主義的な手法には限界もあります(この手法を先どった良作としてジョイスの『若い芸術家の肖像』などもありますが)。高樹のぶ子は自伝的な物語と歴史性を程よく融合し、長く読まれ得る「寓話」として本作を成立させています。
『マイマイ新子』はかつて周防の国の都だった国衙(現・山口県防府市)を舞台に、9歳の新子の成長を描いた作品です。北に多々良の山を擁し、南に穏やかな瀬戸内海を有する国衙には史跡が残り、かつて都だった時代の繫栄の跡が残ります。小説で描かれる時代は「もはや戦後ではない」と言われた昭和30年で、洞穴で暮らす満州帰りの傷痍軍人の生活や、ガダルカナル島から戻って来た遺骨、原爆症を患う叔母の姿など、戦争の影が社会の隅々に色濃く残っています。出来たばかりの広島の平和記念資料館、空手チョップに「冒険王」「鞍馬天狗」など、当時の社会風俗を感じさせる描写も読み所です。
この作品は日本版の「赤毛のアン」を企図して書かれた作品らしいです。被爆した広島を訪れた新子が「戦争が悪いって言うけど、原爆落としたのはアメリカだし、どうしてみんな、アメリカに文句を言わないんだろう」と子供らしく思う一節が、当時の大人たちが押し殺してきた思いを代弁しています。
https://www.nishinippon.co.jp/item/n/862280/
高樹のぶ子『マイマイ新子』あらすじ
昭和三十年の時代を背景に、著者の分身である9歳の新子の成長を描く。周防の国衙で生まれ育った新子は、単身赴任の大学教員の父を持ち、祖父母と母親の長子、妹の光子と暮らしている。戦争を経験し、復興の途上にある日本を逞しく生きる人々の姿を、子どもの視点を通して描いた高樹のぶ子の代表作。
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新型コロナ禍ですが、「研究活動のリハビリ」のため、先週は広島に滞在していました。個人的な意見ですが、新型コロナ禍であっても、平和記念資料館は閉めないでほしかったです(近年は毎年来ていますが、リニューアルされた展示を、少人数でじっくり見るいい機会だったと考えることもできます)。長崎も含めて原爆資料館は「元旦も閉めない」というのが基本方針です。
今週は火曜にも西田藍さんとの直木賞対談の記事が出ます(とても楽しい対談でした)。先日受けた取材記事は、来週の月曜の掲載予定です。
あと西日本新聞とも関係の深い、東京新聞の連載:吉田戦車「かわうそセブン」が、新型コロナ禍で「伝染るんです。」の続編というお洒落な企画で、楽しんで読んでいます。かわうそがSDGsを皮肉る回など、ビゴーのように、時事的な風刺の効いた回が面白いです。