本年もよろしくお願いいたします。引き続き毎週日曜日に、西日本新聞朝刊とオンライン版で現代日本を代表する著者の小説について論じていきます。今週の「現代ブンガク風土記」(第190回 2022年1月9日)では、森博嗣『工学部・水柿助教授の日常』を取り上げました。担当デスクが付した表題は「理工大描くミステリ私小説」です。
森博嗣は『スカイ・クロラ』などの作品で売れっ子となりましたが、名古屋大学工学部で「生コン」の研究を行い、助教授のまま作家となった異色の経歴を持ちます。本作は、森博嗣の「私小説」と言える自伝的な作品で、森の分身と言える「水柿君」が三重大学と思しき大学の助手に採用され、名古屋大学と思しき大学の工学部に助教授として赴任する30代前半までを描いています。
ミステリ小説に登場する饒舌な探偵について「犯人なんかよりもずっと不自然ではないか」などと批判している点も森博嗣らしくて面白いです。筒井康隆の『文学部唯野教授』や奥泉光の『桑潟幸一准教授のスタイリッシュな生活』のように、大学の世界の裏側を描いた系譜の小説です。
https://www.nishinippon.co.jp/item/n/858949/
森博嗣『工学部・水柿助教授の日常』あらすじ
のちに作家となった、33歳のN大学工学部助教授・水柿小次郎の日常を描いた作品。「奈良の大仏が立ち上がって近鉄電車で通っているのではないか」と思わせる妙な先輩のエピソードなど、風変わりな理系の研究者を描く。ミステリ小説とは何かを考えさせる森博嗣の自伝的小説。
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年のはじめに米国のメディア分析を少々。日本ではオミクロン株への不安が高まっていますが、アメリカではフットボールシーズンの真っ只中です。NCAAのOrange BowlやCotton Bowl、NFLのSuper Bowlを視野に入れた終盤戦が、(寒い中)8万人規模のスタジアムを満員にして行われています。年末のNew York Timesの国際版に「Colleges fear a mental health crisis」という記事が掲載されていましたが、大学教員として悲しくなる記事で、下のオンライン版の写真の「YOU don't have to be perfect to be AMAZING」という言葉が印象に残ります。マーチングバンドの音楽や観客の声援と共にBowl Gamesで躍動する学生たちの姿は、新型コロナ禍で孤独を感じている他の学生たちの心の支えになったと思います(客席のマスク着用は義務付けてほしいですが)。
https://www.nytimes.com/2021/12/22/us/covid-college-mental-health-suicide.html
こういう状況下で行われたBowl Gamesについて、相対的に安全な側から分かりやすい批判をすることは容易です。ただNCAAやNFLはその程度の批判は織り込んでるわけで、各大学がキャンパスを有する、地域に根差したフットボール文化を守り、「コミュニティを回す」ことを優先し、学生を勇気付けることを優先したわけです。日本のメディア(翻訳報道も含む)がアメリカの大衆文化が反映する価値観をフォローできていない点については、2016年に中西部に2週間ほど滞在し、トランプの当選を事前予想した「新潮45」の原稿でも書きました。トランプの支持・不支持に関係なく「悪を引き受けて大義を成す」ことを選好したがる価値観が「他者としてのアメリカ」にあることが、日本ではほとんど理解されていません。アメリカに限らず、良い意味では山本周五郎の名作『樅ノ木は残った』や江藤淳の『成熟と喪失』にも通じる価値観です。
新型コロナ禍で、日本でもメンタルの不調に起因する(と思われる)事件が頻発しています。しかし当事者をコミュニティに包摂し、痛ましい事件を未然に防ぐ方途に関する議論は脆弱で、「現場任せの対応」か「お役所対応」に留まっているのが現状です。私は1996年に、当時としては珍しかった臨床心理学を専攻できる学科に入学していますが(卒業は社会系)、臨床心理学者の東畑開人さんが書かれているとおり、「心の問題」は平成年間を通して一般にほとんど理解されず(その兆候が看過され続け)、新型コロナ禍の時代に深刻化したという印象が拭えません。
近年はプロのフットボールの世界でもカレッジ時代に、精神的に苦労し、その後飛躍したQBの活躍が顕著です。ドラフト6巡199番目から這い上がり、20年近くトップ選手として踏ん張っている、同い年のトム・ブレディや、Ohio StateでスターターになれずLSUに転校して全勝優勝し、ドラフト1巡1位で入団したジョー・バロウ、ADHDを克服し、マイナーなブリガム・ヤング大(BYU)から、NYJにドラフト1巡2位の評価を受けたザック・ウィルソンなど、努力して才能を開花させたQBの繊細なプレイが光ります。
個人的にオールタイムで最も好きなQBはスティーブ・ヤング(ブリガム・ヤングの子孫で、クイズ番組でも難問を即答するなど、瞬時の判断に秀でる)で、BYU=モルモン教系のQBの「修業感」のある我慢強いフットボールが好みです。ヤングは長い間、ジョー・モンタナの控えでしたが、彼のキャリアに目を向けると、どんな状況下でもプロとしての矜持を保ち、どのチーム・コーチの下でも通用する力を磨くことの重要性を教えてくれます。BYUはアメリカの大学で突出して学費が安い大学としても有名です。
BYUといえば、モルモン教の首都=ソルトレイクシティを起点とした「ブック・オブ・モルモン」が近年のトニー賞で一番面白かったです。5年ぐらい前にソルトレイクに立ち寄った時、空港のレンタカー屋の受付のマダムに、この作品とスティーブ・ヤングのBYU時代の話をしたら、トヨタのYarisをFordの高級SUVに無料アップグレードしてくれたのが、いい思い出です。禁欲的な現代のモルモン教への批判は色々ありますが、米国の6大宗派ながら公然と原爆投下を批判していますし(ユタ州はトリニティ実験が行われたニューメキシコ州に近い)、ソルトレイクシティは街中でも路上生活者に優しく声をかけたり、食べ物や小銭を渡す人が多く、クリスチャンが多い長崎やナポリに雰囲気が似ています。
「ソーシャル・ディスタンス」という言葉が未だに使われ、紋切り型の正義が日本的な価値観やメディア報道に根差していますが、「コミュニティを回す」「埋もれた才能を引き出す」という観点からは不味い部分が多いと思います。新型コロナ禍が続いていますが、不確かな情報や極端な意見、他人や自身の「盛られた自己像」に踊らされず、また炎上やクレーム、キャンセル・カルチャー、マウンティングなど、「村社会的ないじめの変種」に加担して溜飲を下げるのでもなく、オープンなマインドで「コミュニティを回す」ことを心がけたいものです。この点は今週の新聞取材でも触れます。「(時間性を伴う)配慮的な気遣い(ハイデガー)」を忘れないようにしたいものです。
今週は秋学期の教育活動の締めくくりとして、西日本新聞の直木賞対談(西田藍さんとの対談)を、学生に公開の上、明治大学中野キャンパスで実施します。今回の直木賞の候補作にも、出版不況を潜り抜けてきた、実力ある書き手の光る作品があります。