「現代ブンガク風土記」(第195回 2022年2月13日)では、急逝した西村賢太の『どうで死ぬ身の一踊り』を取り上げました。担当デスクが付した表題は「不器用かつ繊細に『私』を模索」です。西村賢太の作品について、本連載でとりあげるのは3作目です。紙面の写真は、石川県七尾市の「藤澤清造の墓」の隣に建てられた生前墓で、中日新聞社からご提供頂きました。
何のそのどうで死ぬ身の一踊り、という私小説家・藤澤清造の晩年の詠句から表題を採った表題作を含む、西村賢太の最初の作品集です。彼は藤澤の「死後弟子」を自称し、名だたる私小説家たちの、自らを笑うと同時に世の中を笑い飛ばすような作風を、現代文学として蘇らせました。「この世にはその個性がどうしてか人に容れられず、相手を意味なく不愉快にさせたり、陰で首をひねられたりしてしまう、悲しい要素を持って生まれた人がいる」と、西村は藤澤清三について記していますが、それは自分自身の姿だったのだと思います。
結果として西村賢太は長らく文学史に埋もれていた藤澤清三の「根津権現裏」などの主要作を復刊させ、「死後弟子」としての面目を果たしました。ビートたけしなどの芸能人にも愛される作家となりましたが、豪放磊落な外見に比して、小説で描かれる内面は繊細でした。42歳で凍死した藤澤清造や、若くして没した葛西善三、牧野信一や嘉村礒多など「破滅型の私小説家」の人生に寄り添うように、西村賢太は2022年の「清造忌」を終えたのち、54歳の若さで亡くなりました。「どうで死ぬ身の一踊り」は、「破滅型の死ぬ身の一踊り」を体現した作家が、「私」の存在理由を、「師匠」の藤澤清造と共に、不器用かつ繊細に模索した、瑞々しくも老成したデビュー作です。
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西村賢太『どうで死ぬ身の一踊り』あらすじ
芝公園六角堂で凍死した藤澤清造に、自己の境遇を重ね、作家になる前に墓まで並べて建ててた西村賢太の最初期の作品集。中卒で働きに出た「私」が、母親と姉に迷惑をかけ、「祖母の家系の男運の悪さ」の「最たる権化」という自己認識を持ちながら、他人と不器用に関わっていく。現代的な私小説の代表的な作家・西村賢太の原点となった作品集。
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西村さんの訃報に接し、残念でなりません。「文學界」の新人小説月評(2005年上期に担当)で半期のベスト10に「一夜」(文芸誌初登場作)を選んだ縁もあり、作品を批評する機会を楽しみにしてきました。「破滅型の私小説家」のハードコアな文芸表現を、現代文学として継承した貴重な作家だったと思います。