「現代ブンガク風土記」(第196回 2022年2月20日)では、田辺聖子の『ジョゼと虎と魚たち』を取り上げました。担当デスクが付した表題は「『箱庭細工』のような恋愛小説」です。田辺聖子は好きな作家の一人で、間があり、情があり、繊細さがあり、バイタリティがあります。富岡多恵子も大阪出身ですが、何れの作家も多作で、戦後の女性文学と呼ばれた文学の芯の強さを、俗にまみれ気高く体現した一流の作家でした。
「人生というものは、芥川がその知性と神経のピンセットの先でつくりあげた箱庭細工のように出来上がっていない」と江藤淳は述べています。言い換えれば、芥川の作品が「高い知性」と「繊細な神経」の間で築かれたことを物語る秀逸な表現です。この言葉を借りれば、田辺聖子の『ジョゼと虎と魚たち』は「情愛と神経のピンセット」で人生を積み上げた「箱庭細工」のような作品と言えます。
びくびくと臆病にしか世間と関われないジョゼが口にする、恒夫に動物園に連れて行ってもらった時の言葉が、読後の印象として強く残ります。「一ばん怖いものを見たかったんや。好きな男の人が出来たときに。怖うてもすがれるから。……そんな人が出来たら虎見たい、と思てた。もし出来へんかったら一生、ほんものの虎は見られへん、それでもしょうない、思うてたんや」。
現代文学は、同時代の社会の中に埋もれた切実な感情や情景を、生き生きと描きとることができます。『ジョゼと虎と魚たち』が映画やアニメになり、今でも多くの人々に愛読されているのは、「虎と魚の情景」の豊かさに象徴されるのだと思います。
4月に刊行予定の単行本には、この連載の180回分(加筆・修正で約800枚ほど)を収録します。ここ3カ月ほどで4年間かけて書いてきた原稿を繰り返し読み返しましたが、それぞれの小説・原稿と向き合っていた時の記憶が蘇り、懐かしく感じました。表紙も優しい雰囲気の素晴らしいイラストを頂き、見本を手に取るのを楽しみにしています。次週は、あさま山荘事件から50年ということもあり、連合赤軍事件に関連する小説を取り上げる予定です。
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田辺聖子『ジョゼと虎と魚たち』あらすじ
関西の町を主な舞台とした短編9本を収録。表題作は、下肢が麻痺しているため車椅子で生活し、世間を知らずに生きてきた25歳のジョゼを描いた作品。彼女は悪意を持った通行人に坂道で車椅子を突き落とされ、それを助けた「管理人」こと恒夫と親しくなる。ジョゼと恒夫は動物園で虎を見るデートをしたり、海底水族館で魚を見るための旅に出る。