2022/02/28

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第197回 大江健三郎『河馬に噛まれる』

「現代ブンガク風土記」(第197回 2022年2月27日)では、連合赤軍事件を題材とした大江健三郎らしい問題作『河馬に噛まれる』を取り上げました。担当デスクが付した表題は「『勇士』に私情を重ね」です。

 あさま山荘事件は、長野県軽井沢町で1972年(ちょうど50年前)に起きた、連合赤軍のメンバー5人による立てこもり殺人事件です。警察との銃撃戦が生中継され、民放とNHKの合算視聴率で89.7%となり、日本の報道史上、最高視聴率を記録しました。その後、連合赤軍が軍事訓練を行っていた「山岳ベース」でリンチ殺人事件が起きていたことが判明し、一連の連合赤軍事件は、犯罪事件の枠を超えて社会問題となります。

 大江健三郎の「河馬に噛まれる」が出版されたのは、事件から約13年後の、日本がバブル経済に足を踏み入れた1985年です。大江が連合赤軍事件に文学的な関心を持ったのは、彼らの思想や心理状態、リンチ殺人や立てこもり発砲事件に至る経緯ではなく、「河馬の勇士」という、山岳ベースで末端の立場で「便所掃除」を担当していた若者と、事件後に私的な交流を持ったからです。「河馬の勇士」というあだ名は、事件後、30歳となった彼がウガンダのマーチソン・フォールズ国立公園で、若い河馬に噛まれて報道されたことによります。

 大江健三郎の作品は、読者と巧みに共犯的な関係を築きながら、創作的に自己の考えを示す傾向が強いため、末端の立場とはいえ、連合赤軍事件に関わった「河馬の勇士」を、過大評価するのは危険だと思います。河馬に噛まれたからといって「河馬の勇士」を何かを悟った人物であると考える「僕」は、どこか狂っています。ただ「自分の河馬に噛まれているのじゃないか?」という作中の自己批判は、私たちも引き受けて考えるべき、鋭いものです。

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大江健三郎『河馬に噛まれる』あらすじ

 作家である「僕」と、ウガンダで河馬に噛まれて小さく報道された「河馬の勇士」の交流を描く。「河馬の勇士」は「穴ぼこに落ちる」ように17歳で連合赤軍事件に関与した人物で、「僕」の若い頃の知り合いのマダムの息子であった。集団リンチ事件が起きた山岳ベースでの思い出を、糞便処理という実務的な行為を通して綴る。川端康成賞の受賞作を含む短編集。