2022/03/27

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第201回 金城一紀『フライ、ダティ、フライ』

 「現代ブンガク風土記」(第201回 2022年3月27日)では、金城一紀の『フライ、ダティ、フライ』を取り上げました。担当デスクが付した表題は「父権なき父描く復讐小説」です。連載開始から4年目を終えましたが、この連載は5年目に入り、4月も続きます。単行本の帯文もご快諾を頂き(!)表紙から最後の年表のページまで、充実した内容になりそうです(ご協力を頂いた皆様に、心より感謝申し上げます)。

「高いところへは他人によって運ばれてはならない。ひとの背中や頭に乗ってはならない」というニーチェの言葉が印象に残る作品です。一般論として、人は誰かの助力やコネさえあれば、人生の成功を手にすることができると考える傾向がありますが、「高いところ」に立つためには、そこに自力で登る努力と、その過程で身に着けた実力が不可欠です。

 この小説の主人公は某大手家電メーカーの子会社で働く47歳の鈴木一です。この年代の男性が主人公になる小説は珍しい。「どんな人間だって、闘う時は孤独なんだ。<中略>本当に強くなりたかったら、孤独や不安や悩みをねじ伏せる方法を想像して、学んでいくんだ」という朴舜臣の言葉が、読後の印象に残ります。

 本作で金城一紀が問いかけるのは、家族を守り、「高いところ」を目指すために行使される「暴力」の意味です。大げさに言えば、かつてジョルジュ・ソレルが『暴力論』で記した、支配階級の権力に歯向かう、被支配階級の「創造的な暴力」の価値です。本作でこのような暴力は、鈴木一が「自分の弱さ」を引き受け、「暴力の連鎖」に終止符を打とうとする孤独な姿を通して描かれます。金城一紀の『フライ、ダティ、フライ』は、既存の社会秩序を「飛ぶ」ように乗り越える必要に迫られる「父権なき父」の姿を描いた、ユーモラスな作品です。

https://www.nishinippon.co.jp/item/n/897455/

金城一紀『フライ、ダティ、フライ』あらすじ

 大手家電メーカーの子会社で経理部長を務める鈴木一が、17歳の娘が暴行を受けたことで復讐を遂げるべく、トレーニングに励む姿を描いた小説。喧嘩の達人・朴舜臣が、休職した鈴木を鍛え上げ、ゾンビーズの面々が、復讐の舞台を整える。「レヴォリューションNo.3」に続く、ゾンビーズ・シリーズ第二作。

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 立教大学の福嶋亮大さんに『感染症としての文学と哲学』 (光文社新書)をご恵投頂きました。オリジナリティの高い良書で、確かにパンデミックは「時間の感受性に関わる問題」だと思いました。福嶋さんとは経験や文脈を共有できる部分が多く、これからも大学の垣根を超えた交流を楽しみにしています。2022年度から私も立教大学の文芸・思想専修で演習を担当します。考えてみれば、私は文学部との関りが薄く(食えなそうというイメージから受験したこともなく)、早稲田の一文で16単位、慶應の英文学専攻(修士)で8単位分の授業は履修しましたが、文学部と関わるのは教員生活17年目ではじめてです。

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 ウィル・スミスのアカデミー賞での一件は、暴力は議論の余地なくアウトですが、侮辱罪や名誉毀損に関わる言動が認められると、大きな問題になりそう。ジム・キャリーなど、スタンダップ・コメディアンはクリスを擁護していますが、近年のクリス・ロックがトレヴァー・ノアなど下の世代のコメディアンに比して、生彩を欠いていたのは確か。サタデーナイトライブを観てきた感じでも、復帰した回ではクリスよりもエディ・マーフィーの「一回りしたジョーク」の方が振り切れていて面白かった。ただアカデミー賞で言えば、セス・マクファーレンが司会の時のジョークが、色々な意味でひどかったので(その後、彼が「TED2」を撮れたのがすごい)、歴史的にみると微妙なのかも。デンゼル・ワシントンがウィルを宥めて株を上げていましたが、映画「フライト」の時の機長のイメージが強すぎて、名言が頭に入ってこないのが、残念。ウィル・スミスの映画だとMIBの「ミラクル・メッツ」のシーンが、昔のシェイ・スタジアムを愛する人間としては面白かった。