2024/12/22

「松本清張がゆく 西日本の旅路」第11回 『父系の指』 矢戸(鳥取県)

 西日本新聞の連載「松本清張がゆく 西日本の旅路」第11回(2024年12月22日)は、鳥取県の矢戸を舞台にした「父系の指」を取り上げました。担当デスクが付けた表題は「愛憎半ばする父の故郷」です。「父系の指」は1955年に文芸誌「新潮」に掲載された2作目の小説(1作目は時代小説の「特技」)です。大手出版社の文芸誌では「文學界」よりも「新潮」の掲載が早く、「三田文学」「別冊文藝春秋」「小説公園」に寄稿した作品も「私小説」とは言い難いので、本作が松本清張にとって「最初の私小説」になると私は考えています。鳥取県の矢戸で生まれた父親の人生を通して、清張自身の「生い立ちの謎」を記した秀作です。
 
 松本清張と「父系」の親族の関係や、清張作品における「私小説」の位置付けについては、慎重な解釈が必要で、いくつかの「私小説」の記載と、清張の長男・陽一の「父を語る(4)」を参考にしつつ、藤井康栄さんや清張記念館の学芸員の方とお話した内容も踏まえて、新しい解釈を記しています。なお本連載は、新聞連載ということもあり、出典の記載は最小限に留めていますが、毎回の引用・参照箇所は担当記者と共有し、校正にかけており、『松本清張はよみがえる』と同様に、書籍にする際に明記します。「松本清張研究」でほとんど参照されて来なかった資料も、相応に使用しています。

 今年の連載はこれが最後で、次回は2025年1月26日の朝刊に掲載予定です。思えば、18歳から原稿料をもらって文章を書いてきたので、そろそろもの書きとして30年の節目を迎えます。最初は、筆記試験で受かった某教育系出版社の小論文の解答例の執筆でした。就職氷河期や、人口の多い団塊ジュニア世代との競争を、大学院に通い、文筆と塾講師・家庭教師で収入を確保しつつ、無難に乗り切れたのは有難かったです。大学教員の公募でも、メディア・ジャーナリズム研究の分野で、書籍や文筆の業績をご評価頂き、2010年の文教大学着任時は内定が3校(2校は辞退)、2020年の明治大学着任時も、3校から面接のお声がけを頂くことができました。先日亡くなられた猪口孝先生にも、若手の枠で一度面接を頂いたことがあり、君は論壇誌に書いているけど、政治学ではないよね(笑)と、和やかに詰められ、おっしゃる通りです、これから頑張ります(笑)と答えた記憶があります。

 今年は『松本清張はよみがえる』の売れ行きも上々で、新連載も清張作品について深掘りできて好評でした。福田和也先生が亡くなったことは非常に残念でしたが、批評の書き手としては充実した一年でした。年末に良いお仕事のご依頼を頂いたこともあり、来年も楽しく仕事に取り組みたいと思います。

2024/12/16

北海道新聞・西日本新聞 円城塔『コード・ブッダ』書評

 北海道新聞(2024年12月15日)に円城塔さんの『コード・ブッダ』の書評を寄稿しました。担当記者が付けたタイトルは「AIと信仰 禍々しい魅力」です。本作は、チャットボットを模した文体で、信仰の起源と未来を同時に問いながら、作品の全体が「機械仏教の教典」のようになっている点が良いと思いました。作品の外部性に着目した内容です。文芸誌連載の「純文学」らしい作品で、「現代的な信仰」をテーマとした小説が、個人的に好きなのだと思います。

https://www.hokkaido-np.co.jp/article/1101102/


 直木賞の候補作が発表になり、過去の直木賞対談(西日本新聞)で高く評価した作家では、伊与原新さんと朝倉かすみさんの新作がノミネートされています。家族で長崎に帰省しながら、5作を読むのを楽しみにしています(娘が電車が好きなので、片道8時間、途中下車の旅)。

「松本清張がゆく 西日本の旅路」は年内はあと一回(第11回)の掲載で、松本清張記念館の「松本清張研究」にも25枚ほど寄稿しました。「ユリイカ」の総特集・福田和也は12月27日発売で、論考30枚、解題20枚、著作一覧15枚を寄稿しました。3080円の分厚さで、他の著者の原稿を読むのを楽しみにしています。(私は福田和也の「信仰」について書きました。「文學界」の追悼文から、もう一歩、際どいところに踏み込んだ内容です)

http://www.seidosha.co.jp/book/index.php?id=3999

 書籍の企画が無事通り、半年ほどかけてゆっくりと取り組むのですが、年内に一章を書き切れるかどうか。今年の仕事のたな卸しをしながら、来年の仕事の見通しを付けたいところ。

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 西日本新聞朝刊(2025年1月11日)にも、北海道新聞に寄稿した円城塔さんの『コード・ブッダ』の書評が掲載されました。北海道新聞と西日本新聞の契約に基づく転載です。

2024/12/04

三田評論に福田和也先生の追悼文を寄稿しました

 三田評論(2024年12月号)に「平成を代表する批評家――福田和也先生を偲ぶ」という記事を寄稿しました。「追想」欄に、安西祐一郎先生、山内慶太先生の記事と共にご掲載を頂いています。福田和也先生の慶應SFCでの面影について綴った文章です。

 福田先生は保守の論客というイメージが強いですが、大学の授業では政治的な偏りを示すことはありませんでした。大学院生だった私が「はじめてのお使い」で「CD-ROM版 マルクス=エンゲルス全集」(当時34万円)を、代々木の日本共産党近くの書店に買いに行った時の思い出などを記しています。

 ご推薦を頂いた先生方、編集部の皆さま、福田和也研究会の活動にご助力を頂いた皆さまに、心より感謝申し上げます。

三田評論 明治31年から続く慶應義塾の機関誌

https://www.keio-up.co.jp/mita/

2024/11/24

「松本清張がゆく 西日本の旅路」第10回 啾啾吟 佐賀城跡

 西日本新聞の連載「松本清張がゆく 西日本の旅路」第10回(2024年11月24日)は、文藝春秋の「オール讀物」の新人盃で佳作となった、初期の代表作の一つ「啾啾吟」を取り上げました。担当デスクが付けた表題は「「2度目のデビュー作」の舞台」です。

 幕末に「鍋島藩」の家老の息子として生れた松枝慶一郎が、明治維新を経て、イギリスで民政と法制の調査に派遣され、政府内で出世していく姿を描いた作品です。表題は、維新の志士が好んだ王陽明の詩から採られています。

 松本清張の最初の書籍は、「啾啾吟」を含む『戦国権謀』でした。この単行本は発行部数が少なく、現在も古書店で、高値で販売されています。

 年内の連載はあと一回の掲載です。12月は「三田評論」と「ユリイカ」に寄稿しています。新聞書評も一本。松本清張については、本連載と同時進行で、大きめの仕事を準備しています。

https://www.nishinippon.co.jp/item/n/1285430/

 中央公論の2024年12月号「書苑周遊 新刊この一冊」に寄稿した、先崎彰容さんの新刊『批評回帰宣言——安吾と漱石、そして江藤淳』の書評が、中央公論のオンライン版とYahoo!ニュースにも掲載されました。

中央公論.jp

https://chuokoron.jp/culture/125954.html

Yahoo!ニュース

https://news.yahoo.co.jp/articles/b3a33c898fa29b66238fd800b0659d9b3b2096bb

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 次のスーパーボウルのハーフタイムショーはKendrick Lamarです。新曲のNot Like Usにレフリーのような人が出ていたので、妙に納得。2022年は、BLM運動のテーマソングのAlrightを歌い、サプライズでした。Dr.Dreは音楽とヘッドフォン事業で成功しつつ、プロデューサーとしてKendrickやEminemを育てたのが偉いです。

Kendrick Lamar. Super Bowl LIX Halftime Show

https://www.youtube.com/watch?v=oIEKK_j0fss

Dr. Dre, Snoop Dogg, Eminem, Mary J. Blige, Kendrick Lamar & 50 Cent FULL Pepsi SB LVI Halftime Show

https://www.youtube.com/watch?v=gdsUKphmB3Y

 New Orleansでは、「Beyonceと停電」以来の開催。今年もMahomesのKansas Cityが強いかな、と思いますが、足の調子がいまいち。「幽霊が見える」と言ってJetsを出て、修行を重ねたDalnoldのMinnesotaが調子よく、シーズン全敗で財政破綻もしたDetroitも、Goffのルサンチマンで好調。キッカーが伝統的に呪われているBuffaloも、農家→Wyoming大学→タフガイのAllenが万全。どのチームが勝ち上がっても、面白い後半戦になりそう。

How Cursed Were The Detroit Lions Actually ?

https://www.youtube.com/watch?v=Lc2qtX94Xdo

 カレッジ・フットボールは混戦で、昨年はMichiganがチャンピオンでしたが、今年はプレイオフの枠が12チームに拡大したので、色々なチームにチャンスがありそう。個人的には、陰謀論に負けないでという願いを込めて、都市部の大学だけでなく、宗教系や地方の大学も応援しています。フットボールとチキン・ウイングの季節が到来。今後の展開が楽しみ。

2024 ESPN COLLEGE FOOTBALL ANTHEM: Get By by Jelly Roll

https://www.youtube.com/watch?v=KucCs85_siQ

Wing Pit - SNL

https://www.youtube.com/watch?v=ISBJyhughBo

 あとLA28のオリンピックイベントに、Red Hot Chili Peppersが出てて、面白かったです。60歳超え3人のバンドとは思えないパフォーマンス。Anthonyの韻を踏む言葉遊びと、復帰したFruscianteが使うヴィンテージ・ギターの音がロングビーチに合います。かつてロックでもラップでもない、黒人音楽の模倣だと誹謗中傷を受けたバンドも、40年近くプロとして踏ん張っていると、LAとアメリカの自由を象徴する存在に。ここのところ寒いので、SFとLA, SDの間の海沿いの町(Carmel, Santa Barbara, San Clementeあたり)に行きたい。

The Red Hot Chili Peppers perform at the #Paris2024 Closing Ceremony!

https://www.youtube.com/watch?v=3KgKoyaDgN4

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 原稿が一区切りしたところで、5年目のLenovoの内蔵バッテリーを交換しました。公式アウトレットで11万ぐらいで買い、RAMを24GBまで増やしたPCですが、新型コロナ禍も乗り切り、依然として快調。エアダスターで内部清掃をしながら思いましたが、バッテリーやSSDよりも、冷却ファンの劣化が先に来そう。次はGPU入りの15万円ぐらいのノートPCを改造して、動画編集を快適にしたいと考えています。円安でもハイスペックのPCや部品が安く、スマホのバッテリーも交換しましたが、深圳の技術革新の速さを感じます。

 BBCの監訳がIT関連で、色々と考えさせられました。国産スマホやPCのコスパの悪さや、ハイエンドモデルの少なさは、どうにかしてほしいものです。重電のサーバーは、セキュリティ上、行政が守るのだと思いますが、性能の高まったPCやスマホも、サーバーのようなものでは、と。PCはマウスコンピューターかLenovoの米沢モデル、スマホはarrows(Lenovoが買収)を買うしかないのかも。

AMD Ryzen™ AI technology is Built-in: Experience the Future of Windows Laptops

https://www.youtube.com/watch?v=xzUOhkqAItM

「arrows漂流記#1 自律神経+タフネス」篇

https://www.youtube.com/watch?v=nG4ffk_uMPg

2024/11/09

中央公論と西日本新聞の書評

「中央公論」(2024年12月号)の「書苑周遊 新刊この一冊」に、先崎彰容さんの新刊『批評回帰宣言——安吾と漱石、そして江藤淳』の書評を寄稿しました。分断の時代に、先崎さんの論壇と文壇を架橋する批評への思いが、びしびしと伝わってくる良書でした。以前にこの本に収録されている文芸誌掲載の批評文について、先崎さんに感想を求められたことがあり、書評で応えることができて良かったです。

中央公論.jp

https://chuokoron.jp/culture/125954.html

Yahoo!ニュース

https://news.yahoo.co.jp/articles/b3a33c898fa29b66238fd800b0659d9b3b2096bb

誌面目次

https://chuokoron.jp/chuokoron/latestissue/

「西日本新聞」(2024年11月9日)の書評欄に、吉田修一さんの新刊『罪名、一万年愛す』の書評を寄稿しました。表題は「松本清張『砂の器』への挑戦状」です。『松本清張はよみがえる』で『砂の器』について、吉田修一さんの『怒り』と比較しながら論じていました。

「駅の子」の描写など、ヒューマニズムに根差した普遍的な問題意識があり、神話的な響きが感じられた点が、とても良かったです。吉田さんの作品の書評は、2018年の『ウォーターゲーム』『国宝』から7作について書けているので、長崎南高校の後輩として嬉しい限りです。この小説は『砂の器』を下地とした作品で、吉田修一さんご本人と、その「後輩」の探偵も登場します。

https://www.nishinippon.co.jp/item/n/1279937/

KADOKAWA文芸「カドブン」note出張所

https://note.com/kadobun_note/n/n4e12922172eb

2024/10/27

「松本清張がゆく 西日本の旅路」第9回 彩り河 頓原(島根県)

 西日本新聞の連載「松本清張がゆく 西日本の旅路」第9回(2024年10月27日)は、週刊文春に1981年から2年ほど連載された、晩年の長編『彩り河』を取り上げました。担当デスクが付けた表題は「地方出身者の成長物語の起点」です。

 銀座の高級クラブ「ムアン」を主な舞台とした、『黒革の手帖』を彷彿とさせる復讐劇です。高級クラブに出入りする東洋商産や昭明相互銀行の幹部社員たちの謀略を描いた「社会派ミステリ」とも言えます。後半に、松本清張の父・峯太郎の出身地である、日南町の矢戸と風土の似た、島根県の頓原の描写があります。

 映画版は、当初は野村芳太郎が監督する予定でしたが、前年に公開された「迷走地図」の出来栄えに、松本清張が不満を持ち、「天城越え」に続いて加藤泰の弟子の三村晴彦が監督を務めています。本作で「霧プロダクション」は解散となりますが、私はこの映画は様々な演出の挑戦があって良い作品だと思います。主演の真田広之は、アクションスターから俳優へ転身を果たし、2024年には「SHOGUN」でエミー賞を獲得しています。

 真田広之の師匠の千葉真一は「カミカゼ野郎」や「海底大戦争」などで60年代から海外で評価され、「殺人拳」シリーズ、「武士道ブレード」、「キル・ビル」などでも人気を集めました。真田広之は師匠とは異なる力量で、時間をかけてエミー賞を獲得した点が素晴らしいと思います。


2024/10/06

PLANETS「僕たちは福田和也が遺したものから何を引き継ぐべきなのか?」 (宇野常寛さんとの対談)

 宇野常寛さんとの対談「僕たちは福田和也が遺したものから何を引き継ぐべきなのか?」が、PLANETS YouTubeチャンネルで公開されました。

https://www.youtube.com/watch?v=AH90yh3KGJw

 福田和也先生の「文化保守」の考え方や、初期の文芸批評の方法論について説明しています。あまり編集など裏方の仕事については話をしないのですが、対談の相手が編集の世界に通暁している宇野さんだったこともあり、福田・坪内対談の舞台裏や、西部邁さんや大塚英志さんとの決別の時のことなど、珍しくその方面の話も少し触れました。平成の文芸メディア史の中での位置付けや、「文化プロデューサー」としての功績にも触れています。

 堀潤さんをはじめ、撮影ではスタッフのみなさまにお世話になりました。3時間ほど話したので、有料部分の方がだいぶ長いです。ご関心が向くようでしたら、ぜひご視聴ください。

「文學界」(2024年11月号)の追悼文以外では、福田和也先生については慶應義塾の刊行物と「ユリイカ」の福田和也特集号に、批評文と解題を寄稿する予定です。年内に発売予定の『福田和也コレクション2』についても批評文を書く予定です。次月は「中央公論」に寄稿しています。あとは西日本新聞に「松本清張がゆく」の連載と、松本清張の『砂の器』を題材とした吉田修一さんの新作の書評が載ります。BBCのドキュメンタリーの監訳×2も進行中です。

2024/10/05

松本清張記念館・館報と週刊読書人への寄稿

 松本清張記念館・館報(2024.8 第74号)に松本清張研究会の講演録(@東京学芸大学)が掲載されました。演題は「清張作品の「謎」と「秘密」に迫る ―『松本清張はよみがえる』を手引きに」です。4ページにわたり掲載されており、ゲラの手直しが大変でしたが、読みやすい内容になっています。次の「松本清張研究 第25号」(2025年3月)にも寄稿しています。



「週刊読書人」(2024年10月4日)に七尾和晃著『語られざる昭和史 無名の人々の声を紡ぐ』(平凡社)の書評を寄稿しました。表題は「昭和100年の年を前に 「集合的記憶」を「現実感」と共に継承する」です。隣が山本貴光さんの『スクウェア・エニックスのAI』の書評で、あまりのジャンルの違いに、笑ってしまいました。下に書評の書き出しのみ記載します。

 来月は久しぶりに論壇誌へ寄稿しています。他の原稿にも取り組んでいます。

昭和100年の年を前に 「集合的記憶」を「現実感」と共に継承する

『語られざる昭和史 無名の人々の声を紡ぐ』は市井の人々の戦前・戦後の体験を記録したノンフィクションである。学術的な区分では、歴史学的なオーラル・ヒストリー(口述歴史)と言うよりも、都市社会学的なライフ・ヒストリー(生活史)に近い著作である。語り手の人生を伝える簡潔な筆致に、著者のルポルタージュの執筆経験の豊かさが感じられる。

 マイケル・サンデルに代表される現代的なコミュニタリアニズム(共同体主義)は、同じコミュニティのメンバーと協業し、熟議を重ね、先入観に基づく判断を修正しながら、「共通善(アリストテレス)」を模索する点に特徴がある。社会秩序のあり方や人間の能力は、「偶然」に左右される度合いが高く、社会や人間の多様性と可変性を、新しい事例に即し、地に足の付いたコミュニケーションを通して学ぶ必要があるのだ、と。このようなコミュニタリアニズムの考え方を踏まえれば、コミュニティの成員が「偶然」と折り合いをつけながら生存してきた履歴と言える「ライフ・ヒストリー」を「集合的記憶」として次世代に継承することは、重要な意味を持つ。

<以下、つづく>

2024/09/29

「松本清張がゆく 西日本の旅路」第8回 泥炭地 小倉・旧旭町遊郭

 西日本新聞の連載「松本清張がゆく 西日本の旅路」第8回(2024年9月29日)は、松本清張が肝臓がんで亡くなる3年前の1989年に「文學界」に掲載され、文芸誌に掲載された最後の小説となった「泥炭地」を取り上げました。担当デスクが付けた表題は「最後の「私小説」の原風景」です。

 本作は1974年に「文藝春秋」に掲載された「河西電気出張所」や1980年に「新潮」に掲載された「骨壺の風景」の系譜に連なる「私小説」です。文学史に残る私小説の多くに事実の脚色があるように、本作にも同様の脚色が見られます。

 本作「泥炭地」の福田平吉の姿には、親の飲食業が上手くいかず、家庭が貧しかった頃に抱いた「劣等感」が投影されています。「両親が老いたら、その面倒は平吉ひとりがみなければならぬ。月給十一円でどうして食わせられるか」という問いは、切実なものです。

「泥炭地」は、知名度の高い作品ではありませんが、数多くの名作を世に送り出してきた松本清張の「原動力」を、戦前の小倉の「原風景」と共に感じさせる「清張純文学」の遺作だと思います。

https://www.nishinippon.co.jp/item/n/1263906/

2024/09/22

「松本清張がゆく 西日本の旅路」第7回 十万分の一の偶然 紫雲丸事故現場(香川県)

 西日本新聞の連載「松本清張がゆく 西日本の旅路」第7回(2024年9月22日)は、1955年に香川県高松沖で発生した「紫雲丸事故」を題材とした『十万分の一の偶然』を取り上げました。担当デスクが付けた表題は「報道問う社会派ミステリの現場」です。今回の連載では、『松本清張はよみがえる』で取り上げなかった晩年の「社会派ミステリ」と、戦後の大衆文化史についても、重点を置いて論じていきます。

 紫雲丸事故は、広島から修学旅行で乗船していた小学生を含む168名が亡くなった被害の大きさから「国鉄戦後五大事故」の一つに挙げられています。またこの事故では、第三宇高丸に乗船していたカメラマンが、救助船から甲板上で混乱する児童ら乗客の姿を撮影したことが、問題となりました。

 ただ作中で清張はジャーナリストを擁護して、次のように記しています。「写真では、いかにもカメラマンがすぐに救助できそうに見えるが、じっさいは困難または不可能なのである」と。もちろん本作で描かれるように、事故がカメラマンによって意図的に引き起こされたものだとすれば、重大な問題です。

 1960年に刊行された『日本の黒い霧』で下山事件や松川事件を含む「国鉄三大ミステリ事件」と向き合った、松本清張らしい「社会派の題材」と言えます。本作は70歳を超えた松本清張が、経済的な発展を遂げた日本社会に残存する闇に目を向けながら展開した、ノンフィクション風のミステリ小説です。*次回は次週日曜掲載

https://www.nishinippon.co.jp/item/n/1261302/