2024/10/27

「松本清張がゆく 西日本の旅路」第9回 彩り河 頓原(島根県)

 西日本新聞の連載「松本清張がゆく 西日本の旅路」第9回(2024年10月27日)は、週刊文春に1981年から2年ほど連載された、晩年の長編『彩り河』を取り上げました。担当デスクが付けた表題は「地方出身者の成長物語の起点」です。

 銀座の高級クラブ「ムアン」を主な舞台とした、『黒革の手帖』を彷彿とさせる復讐劇です。高級クラブに出入りする東洋商産や昭明相互銀行の幹部社員たちの謀略を描いた「社会派ミステリ」とも言えます。後半に、松本清張の父・峯太郎の出身地である、日南町の矢戸と風土の似た、島根県の頓原の描写があります。

 映画版は、当初は野村芳太郎が監督する予定でしたが、前年に公開された「迷走地図」の出来栄えに、松本清張が不満を持ち、「天城越え」に続いて加藤泰の弟子の三村晴彦が監督を務めています。本作で「霧プロダクション」は解散となりますが、私はこの映画は様々な演出の挑戦があって良い作品だと思います。主演の真田広之は、アクションスターから俳優へ転身を果たし、2024年には「SHOGUN」でエミー賞を獲得しています。

 真田広之の師匠の千葉真一は「カミカゼ野郎」や「海底大戦争」などで60年代から海外で評価され、「殺人拳」シリーズ、「武士道ブレード」、「キル・ビル」などでも人気を集めました。真田広之は師匠とは異なる力量で、時間をかけてエミー賞を獲得した点が素晴らしいと思います。


2024/10/06

PLANETS「僕たちは福田和也が遺したものから何を引き継ぐべきなのか?」 (宇野常寛さんとの対談)

 宇野常寛さんとの対談「僕たちは福田和也が遺したものから何を引き継ぐべきなのか?」が、PLANETS YouTubeチャンネルで公開されました。

https://www.youtube.com/watch?v=AH90yh3KGJw

 福田和也先生の「文化保守」の考え方や、初期の文芸批評の方法論について説明しています。あまり編集など裏方の仕事については話をしないのですが、対談の相手が編集の世界に通暁している宇野さんだったこともあり、福田・坪内対談の舞台裏や、西部邁さんや大塚英志さんとの決別の時のことなど、珍しくその方面の話も少し触れました。平成の文芸メディア史の中での位置付けや、「文化プロデューサー」としての功績にも触れています。

 堀潤さんをはじめ、撮影ではスタッフのみなさまにお世話になりました。3時間ほど話したので、有料部分の方がだいぶ長いです。ご関心が向くようでしたら、ぜひご視聴ください。

「文學界」(2024年11月号)の追悼文以外では、福田和也先生については慶應義塾の刊行物と「ユリイカ」の福田和也特集号に、批評文と解題を寄稿する予定です。年内に発売予定の『福田和也コレクション2』についても批評文を書く予定です。次月は「中央公論」に寄稿しています。あとは西日本新聞に「松本清張がゆく」の連載と、松本清張の『砂の器』を題材とした吉田修一さんの新作の書評が載ります。BBCのドキュメンタリーの監訳×2も進行中です。

2024/10/05

松本清張記念館・館報と週刊読書人への寄稿

 松本清張記念館・館報(2024.8 第74号)に松本清張研究会の講演録(@東京学芸大学)が掲載されました。演題は「清張作品の「謎」と「秘密」に迫る ―『松本清張はよみがえる』を手引きに」です。4ページにわたり掲載されており、ゲラの手直しが大変でしたが、読みやすい内容になっています。次の「松本清張研究 第25号」(2025年3月)にも寄稿しています。



「週刊読書人」(2024年10月4日)に七尾和晃著『語られざる昭和史 無名の人々の声を紡ぐ』(平凡社)の書評を寄稿しました。表題は「昭和100年の年を前に 「集合的記憶」を「現実感」と共に継承する」です。隣が山本貴光さんの『スクウェア・エニックスのAI』の書評で、あまりのジャンルの違いに、笑ってしまいました。下に書評の書き出しのみ記載します。

 来月は久しぶりに論壇誌へ寄稿しています。他の原稿にも取り組んでいます。

昭和100年の年を前に 「集合的記憶」を「現実感」と共に継承する

『語られざる昭和史 無名の人々の声を紡ぐ』は市井の人々の戦前・戦後の体験を記録したノンフィクションである。学術的な区分では、歴史学的なオーラル・ヒストリー(口述歴史)と言うよりも、都市社会学的なライフ・ヒストリー(生活史)に近い著作である。語り手の人生を伝える簡潔な筆致に、著者のルポルタージュの執筆経験の豊かさが感じられる。

 マイケル・サンデルに代表される現代的なコミュニタリアニズム(共同体主義)は、同じコミュニティのメンバーと協業し、熟議を重ね、先入観に基づく判断を修正しながら、「共通善(アリストテレス)」を模索する点に特徴がある。社会秩序のあり方や人間の能力は、「偶然」に左右される度合いが高く、社会や人間の多様性と可変性を、新しい事例に即し、地に足の付いたコミュニケーションを通して学ぶ必要があるのだ、と。このようなコミュニタリアニズムの考え方を踏まえれば、コミュニティの成員が「偶然」と折り合いをつけながら生存してきた履歴と言える「ライフ・ヒストリー」を「集合的記憶」として次世代に継承することは、重要な意味を持つ。

<以下、つづく>

2024/09/29

「松本清張がゆく 西日本の旅路」第8回 泥炭地 小倉・旧旭町遊郭

 西日本新聞の連載「松本清張がゆく 西日本の旅路」第8回(2024年9月29日)は、松本清張が肝臓がんで亡くなる3年前の1989年に「文學界」に掲載され、文芸誌に掲載された最後の小説となった「泥炭地」を取り上げました。担当デスクが付けた表題は「最後の「私小説」の原風景」です。

 本作は1974年に「文藝春秋」に掲載された「河西電気出張所」や1980年に「新潮」に掲載された「骨壺の風景」の系譜に連なる「私小説」です。文学史に残る私小説の多くに事実の脚色があるように、本作にも同様の脚色が見られます。

 本作「泥炭地」の福田平吉の姿には、親の飲食業が上手くいかず、家庭が貧しかった頃に抱いた「劣等感」が投影されています。「両親が老いたら、その面倒は平吉ひとりがみなければならぬ。月給十一円でどうして食わせられるか」という問いは、切実なものです。

「泥炭地」は、知名度の高い作品ではありませんが、数多くの名作を世に送り出してきた松本清張の「原動力」を、戦前の小倉の「原風景」と共に感じさせる「清張純文学」の遺作だと思います。

https://www.nishinippon.co.jp/item/n/1263906/

2024/09/22

「松本清張がゆく 西日本の旅路」第7回 十万分の一の偶然 紫雲丸事故現場(香川県)

 西日本新聞の連載「松本清張がゆく 西日本の旅路」第7回(2024年9月22日)は、1955年に香川県高松沖で発生した「紫雲丸事故」を題材とした『十万分の一の偶然』を取り上げました。担当デスクが付けた表題は「報道問う社会派ミステリの現場」です。今回の連載では、『松本清張はよみがえる』で取り上げなかった晩年の「社会派ミステリ」と、戦後の大衆文化史についても、重点を置いて論じていきます。

 紫雲丸事故は、広島から修学旅行で乗船していた小学生を含む168名が亡くなった被害の大きさから「国鉄戦後五大事故」の一つに挙げられています。またこの事故では、第三宇高丸に乗船していたカメラマンが、救助船から甲板上で混乱する児童ら乗客の姿を撮影したことが、問題となりました。

 ただ作中で清張はジャーナリストを擁護して、次のように記しています。「写真では、いかにもカメラマンがすぐに救助できそうに見えるが、じっさいは困難または不可能なのである」と。もちろん本作で描かれるように、事故がカメラマンによって意図的に引き起こされたものだとすれば、重大な問題です。

 1960年に刊行された『日本の黒い霧』で下山事件や松川事件を含む「国鉄三大ミステリ事件」と向き合った、松本清張らしい「社会派の題材」と言えます。本作は70歳を超えた松本清張が、経済的な発展を遂げた日本社会に残存する闇に目を向けながら展開した、ノンフィクション風のミステリ小説です。*次回は次週日曜掲載

https://www.nishinippon.co.jp/item/n/1261302/

2024/08/25

「松本清張がゆく 西日本の旅路」第6回 絢爛たる流離 耶馬渓

 西日本新聞の連載「松本清張がゆく 西日本の旅路」第6回(2024年8月26日)は、大分県中津市の耶馬渓や山口県宇部市、朝鮮半島の井邑などを舞台にした『絢爛たる流離』を取り上げました。この作品は、1963年に「婦人公論」に連載された連作で、「三カラット純白無疵」の「不幸のダイヤモンド」が引き起こす事件の数々を描いた「犯罪小説」です。松本清張が朝鮮半島で従軍した経験を投影した数少ない「戦争小説」の一つとも言えます。担当デスクが付けた表題は「欲望に根差した「悲劇の舞台」」です。

 1955年に「オール讀物」に掲載された短編「赤いくじ」を発展させた内容で、50年代の短編の良さと60年代の長編の良さの双方が感じられます。ゲンロンのイベントの質疑で、私が松本清張の入門書として挙げた作品で、従来、評価が低かった作品の一つです。

 夏休みは、この連載のストック分の原稿(9月は2本掲載)と、書評が一本、少し長めの論考に、ゆるゆると取り組んでいました(夏バテでほどほどの進行)。

https://www.nishinippon.co.jp/item/n/1250594/

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 帰省のついでに家族でジブリパークに行きました。「食べるを描く」や「名場面」の展示が、子供たちにも好評でした。欲を言えば、ジブリらしく人にお金をかけた、親子で楽しめるショーがあると嬉しく、「千と千尋の神隠し」の舞台版や「風の谷のナウシカ」の歌舞伎版の短縮上演があると良かったです。またジブリ的というか、転向左翼的なコミュニタリアニズムに根差した農業体験もあると、子供の教育に良いと思いました。たたら場で五平餅を焼きましたが、ズイヨー映像時代の「アルプスの少女ハイジ」の著作権をとって、ハイジのチーズや白・黒パンの食べ比べができるといいなと思いました。小田部洋一の展示も常設で見たい。

 個人的には、ご当地プロレスみたいな「箸休め」のようなイベントがあると面白く、たとえば、カオナシとトトロが「どんどこ森」で、超獣ブルーザー・ブロディのようなムーブで闘うと、名物「魔女の谷のビール」もすすむと思いました。プロレス好きだった野坂昭如の「火垂るの墓」のバックストーリーの展示も見たい。

 ジブリについては、前に資料を読み込んだ時の記憶がそこそこ残っていたので、また本を書きたいと考えています。

2024/07/31

増刷『松本清張はよみがえる 国民作家の名作への旅』

 『松本清張はよみがえる 国民作家の名作への旅』(西日本新聞社)の2刷が発行されました。松本清張の代表作と共に、その人柄や生き様を紹介しつつ、ガイドブックとしての網羅性と、年代記としての歴史性の双方を意識した内容です。初版から50か所ほど修正を入れています。

 読売新聞朝刊(2024年5月20日)で保坂正康氏の『松本清張の昭和史』と並べてご紹介頂きました。西日本新聞朝刊(2024年3月9日)、早川書房の「ミステリマガジン」(2024年5月号)、Real Sound(2024年6月3日)、Newsweek日本版(2024年4月5日)の「シリーズ日本発見」とYahoo!ニュース、東横INNの客室専用誌「たのやく」の2024年8月号でご紹介いただきました。新潮社の「考える人」の連載「たいせつな本 ―とっておきの10冊―」、週刊読書人の2024年5月3日号(4月26日合併)の「著者から読者へ」、三田評論の2024年6月号の「執筆ノート」にも寄稿しています。

 Amazonや楽天ブックスで度々完売するなど、売れ行き好調で、発売から5カ月で1000部の増刷ですので、出版不況の中で上々の成果だと言えます。都内の大型書店では、注目書やミステリの棚にも置いて頂き、面陳列や平積みの書店も多くありました。『現代文学風土記』の2刷から電子版の契約も交わしており、図書館での配架も増えています。取材や書籍の紹介なども随時、お引き受けしております。

読売新聞朝刊(2024年5月20日)

https://www.yomiuri.co.jp/culture/book/articles/20240519-OYT8T50062/

Newsweek日本版(2024年4月5日)

https://www.newsweekjapan.jp/nippon/season2/2024/04/492577.php

Yahoo!ニュース(2024年4月5日)

https://news.yahoo.co.jp/articles/285d18ba948663f1515b6f5aacd3d5d2e421c815

新潮社「考える人」(2024年4月26日)

https://kangaeruhito.jp/article/758925

Real Sound(2024年6月3日)

https://realsound.jp/book/2024/06/post-1677543.html

三田評論(2024年6月号)

https://www.mita-hyoron.keio.ac.jp/literary-review/202406-2.html

たのやく 8月号(vol.243)

https://www.tano-yaku.com/tanoyakuNew/index.html


 2024年6月9日より西日本新聞で、新連載「松本清張がゆく 西日本の旅路」を担当します。ゲンロンカフェで開催した原武史先生と與那覇潤さんとの「松本清張を発掘せよ」の動画は下のリンクで観ることができます。

原武史×酒井信×與那覇潤 松本清張を発掘せよ #ゲンロン240602


 吉田ヂロウさんの楽しいイラストや地図も入り、過去の松本清張関連の本と異なる視点から、文芸批評とメディア史研究の間で、企図したテーマや方法を展開できた感じがしています。昨年の講演でも紹介した、P11やP183、P205の写真など、西日本新聞社蔵の松本清張の貴重な写真も使用しています。連載時から本文以外は西日本新聞の担当デスク・記者にお任せしていましたが、連載に加筆して1.8倍ほどの分量になりました。




 高度経済成長期に発表された作品を主として取り上げていますが、ジャーナリズムや古代史への関心が垣間見える作品や、映像作品と共にメディア史に大きな足跡を残した作品も取り上げています。能登半島を舞台にした『ゼロの焦点』や、鉄道旅行ブームを先どった『点と線』、戦前戦後の小倉を舞台にした自伝的な作品などを通して、旅情や土地の記憶が伝われば、嬉しいです。

 この本をもとに、講演を行っています。西日本新聞社の主催で、2024年3月25日に、天神の久留米大学福岡サテライト(博多大丸6F、西日本新聞社隣)で清張記念館の学芸担当主任の中川さんと「松本清張の九州北部を中心とした作品の魅力」に迫る講演を行いました。小雨の中、多くの方々にご来場を頂き、非常に楽しい時間を過ごすことができました。この講演については、4月10日に西日本新聞に記事が出ました。

本紙連載「松本清張はよみがえる」書籍化 格差、嫉妬、生きづらさ…現代に通じる

https://www.nishinippon.co.jp/item/n/1199085/

 6月1日(土)には、松本清張研究会(@東京学芸大学)で清張作品の系譜と、現代の文脈で再評価する上での要点について、講演を行いました。


 前作の『現代文学風土記』は多くの図書館に配架を頂き、ビブリオバトルなど図書館のイベントでご使用を頂きました。本作も書籍メディアとして教育的な利用を意図して製作していますので、教育の場でもご活用頂けるかと思います。フリガナも多く、中高生や留学生向けの読書入門書としてもお勧めです。執筆の意図や清張作品の現代的な解釈、メディア史的な価値についても、講演などの機会にお話をしていきたいと思います。








2024/07/28

「松本清張がゆく 西日本の旅路」第5回 神々の乱心 吉野川

 西日本新聞の連載「松本清張がゆく 西日本の旅路」第5回(2024年7月28日)は、奈良県の吉野川や宮滝遺跡を舞台にした『神々の乱心』を取り上げました。担当デスクが付けた表題は「南北朝背景に「昭和維新」描く」です。ゲンロンでも少しお話しましたが、未完の『神々の乱心』について、作中で言及される「神霊矢口渡」に着目して、結末を論じた批評は、新しいものだと言えます。

 昭和から平成に時代が変わり、80歳になった松本清張が「週刊文春」に連載した未完の遺作です。昭和維新の時代を背景に、かつて『昭和史発掘』で取り上げた天理研究会事件や島津ハル事件などの不敬事件を下地とした「昭和維新の裾野の広さ」を物語る事件の数々を描いています。1968年に刊行された『Dの複合』のように、古代史や昭和史への関心と、推理小説が融合した作品だとも言えます。

 清張研究会でも述べましたが、結末の予想はさておき、南北朝時代を背景とした「神霊矢口渡」に着目した『神々の乱心』の解釈が重要なのは、確かだと思います。清張は「神霊矢口渡」を作中の一箇所で引いているわけですが、満州生れの新興宗教と、皇国史観のルーツとなった北畠親房の『神皇正統記』を融合させ、シャーマニズム的な昭和維新を描きたかったのだと思います。

 連載5回を終えました。旦過市場、呼子、能登金剛、門司、吉野川と、清張作品の舞台を歩みながら、良い手応えで、新連載を軌道に乗せられたと感じています。地方色の豊かさは清張作品の重要な特徴で、今日の「文化観光」のあり方を考える上でも、(映像作品を含め)面白い描写が多いです。読者の反響も良く、『松本清張はよみがえる』も1000部の増刷となりました(7月31日の発行)。8月は1回、9月は2回の掲載予定です。

https://www.nishinippon.co.jp/item/n/1240060/

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 7月21日は江藤淳の没後25年ということで、平山周吉さん、会田弘嗣先生、新潮社の風元正さん、先崎彰容先生、中央公論の磨井慎吾さん、與那覇潤さんと青山霊園の江藤淳の墓参り&飲み会を行ないました。恒例の会合ですが、世相を斬る雑談が飛び交う刺激的な会で、多方面で活躍されている皆さまのお仕事にいつも励まされています。執筆暦も20年を過ぎて、同業の方々から新しい刺激を頂けるのは有難く、来年は常勤の教員になって20年の節目ということもあり、連載以外にも一冊、本を出したいと考えています。

 夏休みは帰省しながらの家族旅行で、娘が鉄道好きなので、長崎行きは往路・復路それぞれプラス一泊の日本列島横断の旅となります。今年はジブリパークに行く予定です。宮崎駿とメディア史について再度、本を書きたいとは思うのですが、なかなか手が回らず、まだまだ先になりそうです。

2024/07/17

第171回直木賞展望

 西日本新聞(2024年7月17日)に第171回直木賞展望に関する対談記事が掲載されました。一穂ミチさんの『ツミデミック』と青崎有吾さんの『地雷グリコ』が受賞に相応しいと予想しています。西田藍さんと同じ予想になりました。

 この対談も4年目ですが、功労賞的な受賞はあまり当たっていない印象です。一穂ミチさんは3回目のノミネートで、3回とも受賞予想に挙げています(今回の作品が最も良いと思います)。異ジャンル出身の作家は受賞しにくいという傾向があったり、一部の選考委員の好みに大きく左右されることがあったりしますが(編集者経由で色々な話は聞きますが)、この対談では判断材料にしていません。

 芥川賞寄りの作品を挙げることも多く(今回の一穂ミチさんなど)、候補作で良いと思った作品を挙げています。青崎有吾さんが受賞すると、天童荒太さん以来、久しぶりの明治大学出身の直木賞作家の誕生です。

第171回直木賞展望 対談 酒井信さん 西田藍さん【きょう17日選考】

青崎有吾「地雷グリコ」 読者広げる新しい小説、 一穂ミチ「ツミデミック」 コロナ禍の庶民多様に

Yahoo!ニュース

https://news.yahoo.co.jp/articles/4c6c00924ea5ce95499eb781dc5f09c0bc935b30

西日本新聞
https://www.nishinippon.co.jp/item/n/1235405/

一穂ミチ『ツミデミック』

・新型コロナ禍で弱い立場に置かれた人々を主人公とした、6本のミステリ短編集。

・現代的な「庶民」の生活に根差した「悪意」を掬い取り、視覚的なイメージが立ち上がる短編に仕上げる筆致は、松本清張の1950年代の短編を想起させる。

・現代的な「嫌ミス」として洗練されているが、「特別縁故者」のようないい話もあり、現代的な「善意」も上手く描けている。

・新型コロナ禍で、程度の差こそあれ、狂った人間の言動を上手く描けている。

・新型コロナ禍で割を繰った「現代的な労働」へのまなざしも鋭い。居酒屋の勧誘のアルバイト、常連客にLINEをブロックされる美容師、「ミーデリ」の配達員、跡取りの息子に仕事を奪われた和食割烹の料理人、家族を空爆で失ったウクライナの代理母、新型コロナ禍での出産・子育てなど。

・多様な登場人物の職業や生い立ち、内面描写が、新型コロナ禍の現代日本の姿を切り取っている。繊細な内面描写と躍動感のある物語は、純文学系の作家の手本にもなり得る。

・立場の異なる人間の間に生じる「差別」や、「悪意」を乗り越えて生きる人間の図太さを描ける作家。物語に「都合のいい部分」も散見されるが、ミステリ小説としては許容範囲。

・過去2作の直木賞ノミネート作と比しても完成度が高い。辻村深月の直木賞受賞作『鍵のない夢』を想起させる出来栄え。


青崎有吾『地雷グリコ』

・高校を舞台に、心理的な駆け引きのあるゲームが繰り広げられる。手軽に模倣できるゲームであるため、小説の中の駆け引きを追体験することができる。高校生直木賞を受賞しそう。

・有栖川有栖の『孤島パズル』などゲーム性の高いミステリの名作は、存在する。

・米澤穂信の古典部シリーズと、福本伸行のカイジが混ざったような内容。「自由律ジャンケン」「だるまさんがかぞえた」など独自考案のゲームが面白い。カイジと異なって真似することができるゲームである点が本作の強み。

・小説は、文章のみでは通常表現できないと思われているような世界や経験、人間の内面や言動を表現することができる。本作は、文章で表現し得る「新しいゲーム」を軸にした世界・内面を通して、読者に新しい経験や、言動を引き出すきっかけを与えることに成功している。

・小説を読み、それを他人と共有する楽しさを伝えている。

・「結局人間のやることって、全部ゆとりを得るための行為なんだと思う」といった、若者らしい青臭い人生哲学も良い。

2024/07/14

「松本清張がゆく 西日本の旅路」第4回 日本の黒い霧 謀略朝鮮戦争・門司港

 西日本新聞の連載「松本清張がゆく 西日本の旅路」第4回(2024年7月14日)は、門司港を背景にした『日本の黒い霧』の最終回「謀略朝鮮戦争」を取り上げました。担当デスクが付けた表題は「権力と対峙「国際感覚」育む」です。

『日本の黒い霧』は、GHQが内部に抱える対立や組織上の問題から、下山事件や松川事件、昭和電工事件やレッド・パージなどが派生したことを告発したノンフィクション小説です。最終回「謀略朝鮮戦争」で清張は、限られた資料の解釈だと自ら認めた上で、次のように記しています。

「朝鮮戦線で日本人が米軍に直接協力したことは否めない。<中略>彼らは、或は水先案内人となり、或は掃海作業員となり、或は操作要員となって協力した」と。つまり松本清張は、敗戦後の「未解決事件」を通して、GHQが外的な脅威をあおり、「日本国民」を朝鮮戦争に動員する方向に誘導したと考えました。

 現実の戦争に限らず、政治・権力的な党派争いや、偽情報が飛び交う情報戦も含めて、現代でもこのような「動員」が、日常の延長で行われていると思います。以前に三矢研究について記しましたが、清張は、独自に集めた資料や情報を駆使し、ジャーナリスティックな筆致で、戦後日本の生権力と対峙した作家でした。北部九州から朝鮮半島は近く、清張は朝鮮半島で従軍しているので、朝鮮戦争は『日本の黒い霧』で最後に向き合うべき、重要な題材だったのだと思います。

 西田藍さんとの直木賞対談は次週の掲載です。『松本清張はよみがえる』は増刷が決まり、2刷の修正を入稿して、現在、印刷中です。

https://www.nishinippon.co.jp/item/n/1234573/

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 IAMCR(国際メディアコミュニケーション学会)で、クライストチャーチに滞在しました。冬で雨の日が続き、天気は悪かったですが、市街地には2011年2月のカンタベリー地震からの復興が感じられ、Riverside Market近辺のローカルなお店が魅力的でした。IAMCRは地域色があり、英米の大学が強い影響力を持つ国際学会とは異なって、ダイバーシティが感じられる点が良いです。メインの会場だったTe Pae Christchurch Convention Centreも良い施設で、国際会議に慣れたスタッフの対応も素晴らしかったです。最終日にニューブライトンの図書館で会ったガーナの研究者グループは「2日かけて来たかいがあったよ」と言っていました。

 WGの会合でも、前会長やWGのメンバーが、先進国の一部の大学や流行りのトピックに依存しない、ダイバーシティについて力説していました。ICTとコミュニケーション関連の分野、著作権・個人情報保護・ジャーナリストの人権など法に関わる分野、ポップカルチャーの分野など、Media Studiesは伸びしろがあります。私の発表も好評で、終了後も10人ぐらいの研究者から質問があり、特に若手からの質問が熱心で、日本の現代文学と映像作品への国際的な関心の高さを実感しました。

 英語での発表やコミュニケーションは、日本語で考えていることを客観的に整理したり、新しいヒントを得られるので、経験として価値が高いです。研究活動は手段が目的化しやすいので、新しい刺激を得られる機会はありがたいです。経由地のシドニーでも図書館に行ったり、将来の研究やサバティカルなど、知己の研究者から情報を得ることもできました。色々な国や地域の研究者と話をしましたが、訪日経験があり、日本の現代文化に関心のある人が、ひと昔前に比べて格段に増えていることを実感しました。

 冬のオセアニアから帰ってくると、日本の初夏は湿度が高くて疲れるので、家族で旬の「さくらんぼ狩り」にでも出かけようかと考えています。国外にいるとブラックチェリーをよく食べるので、桜桃の甘い実を採りたくなります。今回の発表でも言及した青山七恵さんの「かけら」(川端賞)が「さくらんぼ狩り」を題材にした作品でした。太宰治の短編「桜桃」も有名ですが、映画だとアッバス・キアロスタミの「桜桃の味」や、中国の農村を舞台にした「さくらんぼ 母と来た道」など、秀作があります。