2019/10/01

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第78回 重松清『流星ワゴン』

西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」(第78回 2019年9月29日)は、重松清の『流星ワゴン』を取り上げています。表題は「『家族メンテ』に苦心する父」です。
ドイツ・ボン大学の発表を終えて、授業と校務に何とか復帰しつつ、新しく入った原稿の仕事の準備に取りかかったところです。

「流星ワゴン」は、映画「バック・トゥーザフューチャー」のように、時間を行き来する車(オデッセイ)を中心に据えることで、3世代の男性の子育てにまつわる「重層的な時間」を展開した内容です。ただファンタジー小説のような内容でも、主人公の永田一雄は平成不況を生きる現実的な存在で、彼はリストラされて仕事を失い、息子の家庭内暴力に苦しみ、妻がテレクラで浮気を繰り返すことに悩んでいます。「情けない中年オヤジ」が小説の中心に据えられているのが、重松清の作品らしいです。

戦後の日本文学において「父性の喪失」は、大きなテーマであり続けてきました。重松清はこのテーマの継承者ですが、彼が描くのは「父性の喪失」に悩む父親や、「父性の復権」に苦心する父親の姿ではありません。「父性の喪失」の跡地で、「流星ワゴン」のように、古びた乗り物となった「家族」の「メンテナンス」に苦心する父親の姿です。「そんなに勝っていない父親」を描くことが多い重松清らしい、人生に疲れた中年向けの「地に足の着いたファンタジー小説」です。



2019/09/22

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第77回 東野圭吾『容疑者Xの献身』

西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」(第77回 2019年9月22日)は、海外でも人気の高い東野圭吾の直木賞受賞作『容疑者Xの献身』を取り上げています。表題は「深川舞台に古典的愛憎劇」です。2012年に米国でエドガー賞の最優秀小説賞の候補作にも選ばれた本作は、内容の上でも東野圭吾の代表作だと思います。

現在、学会発表でドイツに滞在しています。何とか来月公開の映画のパンフレット解説を締め切り前に入稿し、発表の準備と今週末のオープンキャンパスの模擬授業の準備に取りかかっています。西日本新聞の連載のストックも増やさねばなりません。(日本にいる時以上に)丸一日、働いて飲む夜のビールの味は格別です。

『容疑者Xの献身』は、江戸時代に「深川」と呼ばれた一帯を舞台にした作品です。登場人物たちの造型も「伝統的」なもので、一人の遊女のような美しい女性(錦糸町の元ホステス)と、彼女に執着的な愛情を抱く3人の男性たちとの込み入った関係を描いています。親切なアパートの隣の部屋に住む隣人(同じ長屋に住む変わり者)と、そこにやってくる金をねだる無職の元亭主(悪漢)、女性を経済的に支援しようとする社長(侠客の旦那)の言動は、歌舞伎の古典作品のようです。

この小説は印象的な隅田川に架かる橋の描写からはじまります。「家族連れやカップルが散歩を楽しむのは、この先の清洲橋あたりからで、新大橋の近くには休日でもあまり人が近寄らない。その理由はこの場所に来てみればすぐにわかる。青いビニールシートに覆われたホームレスたちの住まいが、ずらりと並んでいるからだ」と。作品の冒頭で描かれた現代的な「深川」の風景から、物語を大きく展開させるホームレスの存在が、徐々に浮かび上がってくる構成に、東野圭吾の作家としての成熟した筆力が感じられます。



2019/09/12

第25回日韓国際シンポジウム(日本マス・コミュニケーション学会と韓国言論学会共催、漢陽大学)での発表

韓国・ソウルの漢陽大学で開催された第25回日韓国際シンポジウム(日本マス・コミュニケーション学会と韓国言論学会共催)で発表を行いました。新会長の吉見俊哉先生の韓国語のスピーチからはじまり、様々な世代の研究者の充実した発表があり、懇親会も市庁駅の高級店と、韓国風おでんの老舗店舗のバランスが素晴らしく、楽しく有意義な時間を過ごさせて頂きました。吉見先生と法政大学の津田先生と、韓国言論学会へのお土産の「うさき(東大で戦前の沖縄の黒麹菌を使って作った泡盛)」を、羽田空港で怪しげな感じで分担しつつ飛行機に搭乗したのも、よい思い出でした。


シンポジウムのテーマは「より良い未来のためのメディアの公共性 〜環境報道、多文化化、メディア・ジャーナリズム倫理〜」でした。最初の「共同研究セッション」で、韓国の元新聞記者の呉杕泳先生(嘉泉大学)と尹熙閣先生(釜山大学)と共同で「新聞が抱える諸問題:収益創出とジャーナリズムの役割の共存の道を求めて」という発表を行いました。今年のマスコミ学会の春季研究発表会(立命館アジア太平洋大学)のパネルセッションの続編で、事前に密に予稿集に関するやり取りをしていたこともあり、充実した発表となりました。


日本マス・コミュニケーション学会での紹介
http://www.jmscom.org/event/sympo/JKsympo_25_program.pdf

個人的にも韓国の先生方との共同研究が進展し、先々の研究計画について、両国の先生方と打ち合わせができたことを大変嬉しく感じております。発表直後に韓国の先生方や、吉見先生をはじめとした日本の先生方に発表を褒めて頂けたのも、今後の励みになりました。

日韓関係について様々な報道がなされていますが、大学で働く教員の務めは、長い時間の下で、近隣の国々をはじめ、国際的な教員のネットワークの中で、共同研究を軸とした持続的で豊かな関係を築き、次の世代の研究者に、その成果をバトンタッチすることだと思っています。




ニュースパークとの連携企画「ニュースパーク速報!」の展示がはじまりました

ニュース・パーク(日本新聞博物館)で「新聞の見出しとネットニュースのみだしのちがい」に関する展示「ニュースパーク速報!」が8月31日からはじまりました! 文教大学・酒井信研究室とニュース・パークの連携企画です。掲示物の周りに、来館者に作成してもらった「見出し」の吹き出しが徐々に増えていく内容です。

体験学習の一環として、常設展示「情報社会と新聞」の中で、連携企画の展示を1年ほどの予定で担当します。今月から本格的に学校の団体訪問が増えるそうで、感想を聞きながら「体験学習」の紹介の仕方を調整していく予定です。

掲示物や「速報記者手帳」のヒントを参考にして「見出し」を考えてもらう楽しい展示物ですので、ぜひお近くにお立ち寄りの際は、ぜひニュースパークにお立ち寄り下さい!

ニュースパークのHP
https://newspark.jp/

ニュースパークでの紹介
https://twitter.com/NewsparkPR/status/1169212628817694720









2019/09/10

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第75回 湊かなえ『望郷』

西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」(第75回 2019年9月8日)は、人気作家・湊かなえの『望郷』を取り上げています。表題は「記憶が詰まった『離島小説』」です。
来月公開の映画の解説の仕事(劇場パンフレット掲載)が急遽入り、小説の評論とは違うアプローチで、日本を代表する役者たちの演技に注目しながら、原稿を仕上げたいと試行錯誤する日々です。

『望郷』は瀬戸内海の因島で育った湊かなえの経験が色濃く反映された自伝的な作品です。直木賞の候補となるも受賞には至りませんでしたが、収録されている短編「海の星」は、日本推理協会賞(短編部門)を受賞しています。「望郷」はデビュー作『告白』がベストセラーとなり、一躍、流行作家となった著者のルーツに迫る短編集と言えます。

湊かなえは1973年生まれで、広島県にある因島市(現・尾道市)の柑橘農家に生まれ、小学校から高校まで島内で教育を受けています。『望郷』は自己の経験を踏まえ、島の大半の雇用を生み出してきた造船業の衰退と、1983年の因島大橋の開通で本土と繋がった影響で変化した生活が、島の内外の子供と大人の内面を通して重層的に描かれている作品です。

造船所の進水式のお祭りのような賑わいや、死体が網に掛かっても警察に届けない漁師の慣習、島の名家に住む老人の封建的な言動など、因島で生まれ育った著者にしか書けない描写が、作品の要所に織り込まれていて小説の固有性を高めています。観光地として人気を集める「しまなみ海道」の「通過点」となった場所(因島)が経験してきた現代史を、その風土と共に伝える作品だと思います。


2019/09/04

西日本新聞掲載「没後20年 江藤淳の価値」

西日本新聞朝刊(2019年9月3日)に「没後20年 江藤淳の価値」という原稿を掲載頂きました。7月に開催した「江藤淳没後20年 昭和と平成の批評 —江藤淳は甦える—」の発表を踏まえた内容で、江藤淳の批評の現代的な価値について考察したものです。

紙面の見出しにも採用して頂きましたが、江藤淳は論理にし難い感情を批評として綴った批評家だったと思います。「アメリカと私」「文学と私」「戦後と私」などの著作で展開された、江藤の私的な感情の籠もった批評は、文学的な完成度が高く、今日読み返しても心に響きます。

文芸批評の代表作「成熟と喪失」は、戦後日本に浸透した人工的な生活空間=アメリカ化した日本の中で「喪失感」を引き受けながら生きることに、新しい時代の「成熟」の意味を見出した作品でした。上野千鶴子や加藤典洋の著作に代表されるように、この批評文を踏まえた議論は、戦後日本論として大きな成果をもたらしました。

その一方で江藤は、プリンストン大学で教鞭を執った経歴から「『外の世界』を経験してきた日本人に伝統的に課せられている義務」(『アメリカと私』)を抱き、論壇での批評に取り組んだ「国際的な知識人」でした。大江健三郎や吉本隆明との関係性の中で生まれた言葉は、そのまま戦後の思想史に明記されるべき興味深い文脈を有しています。

生活環境のアメリカ化がよりいっそう進み、文学が社会的な影響力を失いつつある現代日本で、江藤が文壇と論壇の双方で展開してきた批評文が、没後20年の節目で、正当に評価され、多くの人々に再読されることを願って止みません。


2019/09/02

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第74回 富岡多恵子『波うつ土地』

西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」(第74回 2019年9月1日)は、富岡多恵子の『波うつ土地』を取り上げています。表題は「新興住宅地の『性と信仰』」です。女性の作家が記した戦後小説の中でも屈指の名作だと思います。

この小説は多摩ニュータウンの一角を占める町田市を舞台とした作品だと考えられます。作中の描写の通り、町田市には、本町田遺跡公園など縄文時代の遺跡が多く残っています。谷と丘が凹凸をなし、波うつように斜面に家が建ち並んでいる土地の描写が、読後の印象に残ります。「土地は、海の方からおしよせてきて波うっているのか、それとも、陸の奥の、芯の方からおしよせてきたのか、この丘陵と谷戸の土地は、近年、都会からおしよせてきたヒトをのせて、波は大きくうねっているのだ。」

多摩ニュータウンの知名度の高さから、多摩丘陵は新興住宅地というイメージが強いですが、そこは小川が多く、湧き水も豊富であるため、縄文時代より前から多くの人々が暮らしてきた、関東でも有数の場所です。この作品のスケールの大きさは、「わたし」の不倫やアヤコの「信仰」のあり方を、太古の昔から繰り返されてきた、普遍性を有する人間の営みとして描いている点にあります。現代的な価値観の下で、性的な営みや信仰の形態は、限られたものに制約されていますが、本来、それは多様なものであることを、富岡多恵子は小説の全体を通して表現しています。

現在、ウランバートルでモンゴル国立科学技術大学との研修と、将来の相互協力に関する仕事に取り組んでいます。ご飯が美味しいので仕事も捗りますね。


2019/08/31

モンゴル科学技術大学との研修と大草原のゲル滞在

文教大学の学生24名を引率して「モンゴル異文化理解・共生体験研修」を、ウランバートルとその郊外で実施しています。モンゴル科学技術大学の外国語学部の学生14名と教員2名の手厚いサポートが有り難く、充実した研修を両国のメンバーで一緒に楽しんでいます。

モンゴル科学技術大学の入学式に、なぜかモンゴルの政治家と来賓席で(SPに囲まれ、草原に行く前のジャージ姿を怪しまれながら)参加することになったり、草原のゲルに滞在しながら羊を追ったり、馬に乗って草原の広さを感じたり、互いの文化を紹介し合う文化祭を開催したり、貴重な経験をさせて頂いています。

前回の引率から5年ほど経っていますが、ウランバートルの発展は目覚ましく、次々と高層ビルが建ち、スーパーの品揃えも明らかに充実しています。

言葉を通したコミュニケーションを超えて、寝食を共にしながら、学生たちが互いに打ち解けていく様子を見ることができるのが、非常に嬉しく、大学教員冥利に尽きる研修だと実感しています。








2019/08/26

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第73回 宮本輝『五千回の生死』

西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」(第73回 2019年8月25日)は、宮本輝の代表作の一つ『五千回の生死』を取り上げています。表題は「阪神間の海沿いの輝く生」です。ソウルでの国際シンポジウムの発表を無事に終えて、校務に復帰しつつ、明日からのモンゴル異文化研修(@ウランバートル)への長期出張の準備をしているところです。

宮本輝は、梅田の繁華街にある市立曾根崎小学校に通っていましたが、父親が事業に失敗し、兵庫県尼崎市に引っ越しています。この作品は、宮本輝の作家としての原風景と呼ぶべき、尼崎に住む人々を描いた短編集です。

例えば短編「五千回の生死」は、デザイン事務所の経営に行き詰まった「俺」と、国道26号線を歩いて自宅に帰る時に出会った「一日に五千回ぐらい、死にとうなったり、生きとうなったりするんや」と言う男との奇妙な共生関係を描いた小説です。「お前かて、死にたなったり、生きたなったりするやろ? そんなこと思うの、人間だけやろ? 俺が正常な人間やという証拠やないか」と問いが、読後の印象として強く残る作品です。

この短編集には、人生の底を舐めるような悲しみと、それを陽気に突き抜けるような明るさの双方が凝縮されています。全体に平易な言葉遣いながら、宮本輝が幼少期から親しんだ、尼崎の土地に根ざした価値観が、ちょっとした心情表現の中にも生き、脈打っています。「五千回の生死」は、阪神間の海沿いの街に根を張って生きてきた人々の生活を、様々な角度から光を当てて輝かせた、現代を代表する「プロレタリア文学」だと思います。



2019/08/19

Asian Journal of Journalism and Media Studies No.2 の公開

編集長を担当した「Asian Journal of Journalism and Media Studies」(日本マス・コミュニケーション学会・英文ジャーナル ISSN2189-8286) の第2号を、下の学会サイトで公開しました。準備号からの慣習で、著者の写真入りで各論文とテーマの趣旨説明の文章を掲載頂いています。

Asian Journal of Journalism and Media Studies2号
http://www.jmscom.org/en/ajjm_2019/index.html
日本マス・コミュニケーション学会HPの「Asian Journal (English)」の欄からもアクセスできます。

公開済のJ-STAGE版は下記です。
https://www.jstage.jst.go.jp/browse/ajjms/list/-char/ja



著者や査読者とのやり取りや、英文の投稿規定・Call For Papersの整備、DOIの取得やJ-STAGEへの登録など、もろもろの作業が長引きまして、編集から公開までに時間を要しましたが、ようやく仕事を終えることができました。

これでようやく夏休みか、と思いきや、連載の原稿のストックが減っているので、学期中以上に、モーレツな勢いで本を読み、原稿を書く日々です。

ニュース・パーク(日本新聞博物館)でのゼミの制作物の展示も、新聞協会の方との最終の修正作業が終わり、8月31日(土)から展示予定です。こちらの詳細は後日。

今月は長崎に帰り、ソウルに行き、校務の後、来月の頭までウランバートルです。
良い夏休みをお過ごし下さい!