2019/06/24

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第64回 古川日出男『サマーバケーションEP』

西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」(第64回 2019年6月23日)は、古川日出男の『サマーバケーションEP』を取り上げています。表題は「神田川沿いの『顔のない風景』」です。

この作品は、東京郊外の三鷹市にある井の頭恩賜公園を起点として、20歳の「僕」が神田川に沿って、隅田川を経由し、海まで歩くというシンプルな「冒険」を描いた作品です。人生に疲れて「夏休み」をとった23歳のウナさんや、3度目の自殺未遂をしたばかりの20歳のカネコさん、弁天様の呪いに怯える「イギリス人さん」など、個性的な人々が僕の冒険に付き合ってくれます。

人公の「僕」は人の顔の見分けが付かない「相貌失認」と思しき障害を抱えています。この障害は実在するもので「失顔症」とも呼ばれ、親しい人の顔を忘れたり、他人の表情や感情を読み取れないなどの特徴を持ちます。このため「僕」は、相手と情の通ったコミュニケーションをとることが難しく、小さい頃から学校に通っておらず、ようやく「自由行動」を許可されたばかりです。

表題の通り、この小説はレコードのEP盤のようにシンプルな構成ながら、僕の「冒険」を様々な人々が手助けしてくれるため、読後の印象は多彩です。「僕」の視点から描かれる神田川沿いの「顔のない風景」は、登場人物たちの個性に鮮やかに彩られながら「冒険」と呼ぶに相応しい魅力的なものへと仕上がっています。古川日出男の隠れた代表作と言えると思います。