西日本新聞の連載「松本清張はよみがえる」第32回(2023年2月2日)は、松本清張が画工として九州北部の印刷所で下積みしていた頃の経験を踏まえて書いた『連環』について論じています。担当デスクが付けた表題は「印刷所時代に培った 面白さ追う職人気質」です。毎回、9×9文字で担当デスクに上手いタイトルを付けて頂いています。編集者の女性と高校教師の父親とのやり取りを通して、文芸出版の舞台裏を描いた北村薫の『中野のお父さん』とのmatch-upです。
松本清張が14歳で初めて就職した川北電気・小倉出張所は、昭和恐慌の影響で閉鎖の憂き目にあいます。当時、清張は仕事の合間に文芸書を読みながら働く「気の利かない給仕」だったため、最初の人員整理で「お払箱」になりました。失業者した彼は「画工見習募集」の貼り紙を見て、19歳から見習いとして小倉市の高崎印刷所で働くことになります。九州北部の印刷所で働き、神田の出版社の社長となる主人公・笹井誠一の物語は、高崎印刷所で働き、日本を代表する作家となった松本清張の人生と部分的に重なって見えます。
40歳を超えて作家としてデビューするまで、彼が「画工職人」として働いていたことを考えれば、「西郷札」が週刊朝日の「百万人の小説」に入選しなければ、松本清張は生涯を一職人として終えていた可能性が高いと思います。小説の面白味を追及する「職人」のような気質は、清張が画工時代に培ったものです。
松本清張は貧しい家庭で生まれ育ち、文学を愛しながら、家族を養うために画工として腕を磨きました。彼は作家として世に出たのちも「職人」としての矜持を持ち、「物語の面白さを追求した作品」を次々と世に送り出すことで、「高度経済成長期」を代表する作家になったのです。
今週は2本の掲載でしたが、次週は3本の掲載予定です。寒い中でのリハビリは文字通り「骨が折れます」ね(骨が折れてるわけですが)。