西日本新聞の連載「松本清張はよみがえる」第33回(2023年2月6日)は、夫婦とは何かを考えさせる人気作『波の塔』について論じています。担当デスクが付けた表題は「時間の重み共有する 大人の黒い恋愛小説」です。毎回、9×9文字で担当デスクに上手いタイトルを付けて頂いています。信仰に近い愛情を抱く「私」の際どい日常を描いた江國香織の代表作『神様のボート』とのmatch-upです。
この小説が刊行された1960年、松本清張は『日本の黒い霧』などの大ヒット作に恵まれ、所得額で作家部門の1位となります。翌年、52歳の清張は、東京都杉並区上高井戸(現・高井戸東)に約600坪の自宅を新築し、82歳で亡くなるまでこの地に居を構えることになります。高井戸の新居は井の頭線の線路沿いの広大な三角地にあり、線路沿いの三角の庭に胸を張って立つ清張の有名な写真は、電車の騒音をものともしない作家の「図太さ」を雄弁に物語っています。
「波の塔」は松本清張の長編としては珍しく、人が殺される場面のない作品で、「女性自身」に連載された小説らしく、自由恋愛に殉じていく「精神的に自立した女性」を描いています。訳ありの過去を持つ美女が、一人で富士の樹海に入り、自死を遂げるラストは、「ゼロの焦点」の「山版」と言えるの内容で、本作は「自殺の名所」として青木ヶ原の名を世に知らしめました。
「どこにも出られない道って、あるのよ、小野木さん……」と小説の序盤で頼子が口にするセリフが、読後の印象に強く残ります。青木ヶ原の樹海を暗示する「どこにも出られない道」という表現が、戦中・戦後の困難な時代に生まれ育った小野木と頼子の「暗い青春」を象徴的に物語り、「時間の重み」を感じさせます。
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LGBTQ+αの方々の人権について、以前に監訳を担当した日本の現代文化を「L」の視点から批評したBBCの番組が、参考映像としてお勧めできます。Sue Perkins(スー・パーキンス)は、英語圏では「L」であることをカムアウトしている有名人の一人です。BBCらしいアングルですが、スーの視点からは、日本の文化では海女や女子相撲への評価が高く、芸妓や巡礼文化はニュートラル、労働環境やKawaii文化への評価が低いです。日本語訳する上でも、このニュアンスはそのまま残しました。
BBC スー・パーキンスとさぐる現代日本の多様な文化 [Japan With Sue Perkins]
(教育機関や図書館向けのDVD。サンプル映像あり)
昨年刊行した『現代文学風土記』でも『最後の息子』『きらきらひかる』『生のみ生のままで』など、LGBTQ+αの登場人物たちの心情を描いた作品を取り上げています。現代小説を通して、外見ではなく内面から、非日常ではなく日常の視点から、現実感を拡げる意味は大きいと思います。直木賞候補の一穂ミチさんの『光のとこにいてね』も、「L」の恋愛小説として優れた作品なので、本屋大賞を獲得することを願っています。