2018/12/09

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第37回 桐野夏生『ファイアボール・ブルース』

西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」の第37回(2018年12月9日)は、桐野夏生『ファイアボール・ブルース』について論じています。表題は「片隅で輝く『荒ぶる魂』」です。

桐野夏生は、柔道家出身で女子プロレスのリングに上がる神取忍をモデルとしてこの作品を記しています。神取は15歳の時に町道場ではじめた柔道で、全日本選手権を3連覇していますが、当時、女子柔道はオリンピックの正式種目ではなかったため、プロレスラーに転向。後楽園ホールでデビューし、格闘技に近いスタイルで人気を博して「ミスター女子プロレス」「女子プロ界最強の男」などの異名をとりました。その後、参議院議員も務めています。

この作品は外国人女子レスラーが失踪した謎を解くミステリー作品ながら、最盛期を過ぎた女子プロレスの舞台裏を若手レスラーの視点から描いた小説でもあります。選手たちは水着姿でサイン会を行い、ファンに体を触られる屈辱を受けており、西川口のオートレース場のそばの小さな家具工場の片隅で練習を重ねながら、事務所で電話番やコピー取りをして団体を支えています。

女子プロレスは、怪我のリスクと年収の低さを考えれば、世の中で最も「割に合わない仕事」の一つといえます。ただ現代では、日本の女子プロレスは、YouTubeを通して世界中の人びとの人気を集め、日本のリングから巣立った選手たちが、アメリカのWWEでトップレスラーとして活躍しています。日本の女子プロレスが国際的に再評価された現代の視点から、読み返すと非常に興味深い作品です。







2018/12/02

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第36回 多和田葉子『犬婿入り』

西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」の第36回(2018年12月2日)は、多和田葉子の芥川賞受賞作『犬婿入り』について論じています。表題は「古い集落と新興地の『間』で」です。

2018年11月に多和田葉子は『献灯使』で、アメリカを代表する文学賞の一つ、全米図書賞(翻訳部門)を受賞して英語圏でも評価を高めています。「犬婿入り」は1993年に芥川賞を受賞した作品で、女性と犬との婚姻を題材とした「異類婚姻譚」と呼べる内容です。異類婚姻譚の中では「鶴女房(鶴の恩返し)」が広く知られていますが、「犬婿入り」は、老人が農業用水と引き替えに蛇や河童に娘を嫁がせる「蛇婿入り」や「河童婿入り」などの昔話をモチーフにした作品です。

多和田葉子は現役の日本の作家の中でも、異なる共同体の隙間にある現実感を「間主観」的に描くのが上手いです。「犬婿入り」を読むと、このような多和田の小説が、多摩川沿いの昔ながらの宿場町と、団地や新興住宅地との「間」で培われたものであるように思えます。「犬婿入り」は、国際的に評価される作家となった多和田葉子の「小説の風土や原風景」が感じられる作品です。


2018/11/25

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第35回 絲山秋子『イッツ・オンリー・トーク』

西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」の第35回(2018年11月25日)は、絲山秋子のデビュー作『イッツ・オンリー・トーク』について論じています。表題は「不器用な人びとの繊細な時間」です。

写真は蒲田の「西六郷公園(通称・タイヤ公園)」で、京浜東北線や東海道線をよく利用する人は、車窓から見たことがあるかも知れません。私は前任先の慶應義塾大学の研究所で助教をやっていたときに、この近くに住んでいました。



この小説は男性的な街、蒲田を舞台に、私と関係を結ぶ、社会から逸脱した男たちを描いた作品です。「粋」のない下町が蒲田なのだとか。「私」は大学卒業後に新聞社に就職し、ローマ支局に赴任していたが、精神病院に一年間入院し、キャリアを棒に振った過去を持っています。「出遅れ組は呆れるほどの時間をむしっては捨て、むしっては捨てしている」と、絲山は自己を含めた人間たちの不器用さを、小説の中心的な題材として描いています。

絲山秋子は、社会で器用に立ち回ることのできない、繊細な感情を持つ人びとの内的な時間を優しく描くのが上手い作家です。「イッツ・オンリー・トーク」は、その絲山が自己の価値判断を手がかりに、現代日本の社会秩序と四つに組み、不器用な男たちを仲間に引き込んで戦いを挑んだ、闘争心あふれるデビュー作です。

今年の年末は「現代ブンガク風土記」を書きつつ、2019年2月末に刊行予定の「メディア・リテラシー/文章演習本」の原稿を、猛烈な勢いで書いているところです。何とか12月中に仕事をひと段落させて、年末年始は穏やかに過ごしたいものです。

2018/11/18

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第34回 伊坂幸太郎『ゴールデンスランバー』

西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」の第34回(2018年11月18日)は、伊坂幸太郎の『ゴールデンスランバー』について論じています。表題は「近未来舞台 監視社会を風刺」です。

暗殺をテーマとした小説は様々なジャンルでありますが、「ゴールデンスランバー」は日本で多くの読者に読まれた作品の一つだと思います。4年ほど前に韓国では、安重根が現代に蘇って日本の総理大臣を暗殺するという内容の「安重根、安倍を撃つ」が話題となりました。日本でも「仁義なき戦い」で知られる笠原和夫が脚本を書いた「日本暗殺秘録」のように、暗殺の歴史を描いた名作映画は存在しますが、暗殺を主題とした小説で広く読まれた作品は珍しいと思います。

一見すると現代日本を舞台にした首相暗殺事件は非現実的なものに見えます。ただ戦前の総理大臣の経験者のうち、6名が暗殺で命を落としていることを考えれば、現代日本でも「暗殺事件」を通して、その背後にある政治権力の闇と向き合う「文学的な想像力」は必要なものだと思います。現代日本が、別の社会秩序に支配されるかも知れないという現実感の中で、監視社会化が進行した社会秩序のあり方に疑問を投げかける「社会風刺」の力に満ちた作品です。



2018/11/11

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第33回 有川浩『フリーター、家を買う。』

西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」の第33回(2018年11月11日)は、有川浩の『フリーター、家を買う。』について論じています。表題は「郊外に潜む闇と再生力」です。写真はドラマ版の舞台となった東急田園都市線の市が尾駅近くです。

この作品は正社員を辞め、フリーターとなった25歳の誠一を主人公とした物語です。私たちが現代的な風景として受容しているショッピングモールやチェーン店舗が建ち並ぶ風景は、正規雇用の半分ほどの額で働く非正規雇用の人びとによって支えられています。

「私自身が内定いっこも取れなくて社会人になってから数年間バイトや派遣で凌いだという切ない経歴の人でしたので、逆境スタートのほうがしっくりきた」と有川浩は「単行本版のあとがき」で記しています。彼女は自己の経験を踏まえ、非正規雇用で若者に着目して、2007年から2008年にかけて「フリーター、家を買う」を記しています。

有川の作家人生とも重なるこの作品は、フリーターという言葉が死語になるほど、非正規雇用の仕事が一般化した現代でも生々しく、一見すると裕福な東京郊外の住宅地に潜む、「家庭の闇の深さ」と「家族の再生力の強さ」の双方を巧みに捉えています。


2018/11/04

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第32回 吉田修一「国宝」

西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」の第32回(2018年11月4日)は、吉田修一の『国宝』について論じています。表題は「原点回帰 主人公に自身投影」です。写真は長崎・丸山の料亭「花月」です。

福岡ソフトバンクスホークスの優勝の方にカラーページが割かれていますので、連載をはじめて以来、2回目の白黒ページです。
それにしても近年のソフトバンクは強いですね。今年の年俸総額が63.2億円で全球団中1位、2位の読売巨人が46.2億円、8位の広島が26.9億円ですので、納得という感じです。孫正義の「読売を超える」という執念が、年俸の総額に表れている気がします。

話を本題に戻すと、吉田修一は数多くの長崎を舞台にした作品を記していますが、近年の作品になるにつれて実家の近くの長崎の丸山から遠ざかる傾向にありました。『国宝』は、作家生活20年を迎えた吉田修一が、自己の作家の原点となる長崎の丸山に回帰し、自分自身を喜久雄の姿に投影しながら、文学という「伝統芸能」を後世に伝える覚悟を示した傑作だと思います。

吉田修一『国宝』についての批評文は、色々な媒体で書いてきました。『吉田修一論 現代小説の風土と訛り』(左右社、2018年9月)、「小説トリッパー」掲載の「『からっぽ』な身体に何が宿るか ——吉田修一『国宝』をめぐって」(朝日新聞出版、2018年9月)、「文學界」掲載の「歌舞伎をその可能性の中心で『脱構築』する」(文藝春秋、2018年10月)。どれも内容や論じる角度を変えて記載しておりますので、ぜひ合わせてご一読頂ければ幸いです。

2018/10/28

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第31回 辻仁成「白仏」

西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」の第31回(2018年10月28日)は、辻仁成の『白仏』について論じています。表題は「筑後川開拓地の愛情と憎悪」です。「海峡の光」で芥川賞を受賞した直後に発表されたこの作品で、辻は日本人として初めてフランスのフェミナ賞外国文学賞を受賞して、国際的な名声を博しました。

辻仁成は東京都の日野市の生まれですが、保険会社に勤務していた父親の仕事の関係で、少年時代を福岡市で過ごしています。「白仏」は、祖父が住んだ筑後川の下流の開拓地、福岡県大川市と佐賀県佐賀市の県境に位置する大野島の近代史を描いた作品です。明治から昭和へと時代が下っても、有明海を望む大野島の土地の空気が、変わらないものとして伝わってくる優れた作品です。

辻仁成が小説家として本格化したのは、有明海を臨む大野島から生涯ほとんど出ること無く、この土地に住んで来た人びとの骨を集めて「白仏」を作った祖父と向き合ってからだと言えるかも知れません。「白仏」は「根無し草」を自負する辻仁成が、祖父が住んだ筑後川の開拓地との関わりを、愛情と憎悪を両極とする感情の中で再構築した、現代日本を代表する歴史小説だと思います。


2018/10/21

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第30回 桜木紫乃「ホテルローヤル」

西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」の第30回(2018年10月21日)は、桜木紫乃の直木賞受賞作、『ホテルローヤル』について論じています。表題は「釧路の生活者の『官能的な姿』」です。「現代ブンガク風土記」の30回の節目に相応しい作品です。

桜木紫乃は釧路在住の作家で、『ホテルローヤル』というタイトルは、廃業した実家のラブホテルの名称を採用したものです。ラブホテルの名称は、たまたま目に入った「みかんのブランド名」から採られたのだとか。桜木は15歳から結婚する24歳まで、実家のラブホテルで部屋の清掃の仕事を手伝っていました。この時の経験が、作品の隅々の描写に生き生きと投影されています。

例えば「本日開店」では、釧路の寺の存続のため、住職の妻が檀家との「枕営業」を行う際どい姿が描かれています。「バブルバス」では、昔気質の電気屋を廃業して、現在は家電量販店に勤めている夫とその妻が描かれています。手狭な賃貸アパートで親と同居し、子供二人を育てている夫婦にとって、ホテルローヤルでの時間は、出会った頃を思い出す「いちばんの思い出」となります。「星を見ていた」では、六〇歳を超えた掃除婦・ミコちゃんの「黙々と働き続けるしかない毎日」が描かれています。何れもラブホテルの裏側を知る著者にしか書けないような釧路という土地の風土を感じさせる味わい深い物語です。

桜木紫乃は直木賞の受賞時に「あの場所に書かせてもらった」と、この小説について述べています。「ホテルローヤル」で桜木紫乃が描く、釧路の生活者の「官能的な姿」には、釧路という土地に深く根を張った、成熟した性的な営みが感じられます。現代文学が描くべき主題の多様性と、表現上の可能性の双方を感じさせる優れた作品です。



2018/10/17

メディア・コミュニケーション研究の国際化(日本マス・コミュニケーション学会 2018年度秋季研究発表会)

今週末の日本マス・コミュニケーション学会秋季研究発表会では、英語のワークショップを担当します。10月21日土曜日に駒澤大学での開催です。
Media and Communication Studiesに関する国際学会での発表経験と、英文ジャーナルの編集長の経験、「スーパーグローバル大学創成支援」以後の日本のメディア教育・研究のあり方について、私の持ち時間として30分ほどお話しします。

Evaluating the Internationalization of Media and Communication Studies in Japan
Moderator: Takesato WATANABE, Doshisha University
Presenter: Gabriele HADL, Kwansei Gakuin University
Presenter: Makoto SAKAI, Bunkyo University
Discussant:Seongbin HWANG, Rikkyo University
(Planned by International Committee)

メディア・コミュニケーション研究の国際化
‐日本からの発信とその課題‐
司会者:渡辺武達(同志社大学)
問題提起者:ガブレリエレ・ハード(関西学院大学)
問題提起者:酒井信(文教大学)
討論者:黄盛彬(立教大学)
(企画:国際委員会)
(使用言語:英語)

【キーワード】メディア・コミュニケーション学、英文ジャーナル、International Association for Media and Communication Research、International Communication Association

 創設以来、日本マス・コミュニケーション学会(JSSJMC)では発表言語は原則として日本語であった。しかし日本からの国際的発信力の強化、外国人研究者・留学生等への便宜供与、などの要請が強くなってきている。今回、そうした諸般の事情、要請に学会員だけではなく、諸外国の関連学会からの要請にも具体的に応えていくための試みとして本ワークショップを企画した。
 ガブリエレ・ハード会員からは、日本の学会と海外の学会との積極的な交流の必要性についてあらためて提起がなされ、自らの経験と知見から具体的な活動報告と提案が行われる。例えば、東京大学とリーズ大学の共催によるシンポジウムや10カ国以上の共同執筆者が貢献した学術誌の特集、通訳付きの学会、英語を母国語としない学者(non-native English speakers)による英語を使用した環境コミュニケーション分野における交流について紹介される。これらの経験をふまえて、日本をベースにした研究の世界的な役割の重要性が提唱される。
 また、酒井信会員からは、Media Studiesに関連する国際学会の現状について、自己の活動内容を踏まえた報告を行い、所見が述べられる。加えて、英文雑誌Asian Journal of Journalism and Media Studiesの第2号編集長として、Call For PapersやInstructions等の整備や編集プロセスについて報告を行う。さらに、スーパーグローバル大学創生支援事業以後の日本のメディア教育・研究のあり方についても所見を述べ、参加者と共に議論を行う。
 ふたつの問題提起を受けて黃盛彬会員は、日本の研究者がグローバルな場面で活躍するための戦略的かつプラクティカルな要件について整理を試みる。
 以上、異なる背景を持つ3人の登壇者がそろうことで、欧米水準の研究・教育のキャッチアップにとどまらない様々な課題のあぶり出しができると考えている。通常のワークショップよりも登壇者は多いが、その分、進行にあたっては参加者の自由な議論と情報交換の促進に努めたい。
 なお、本ワークショップでは英語による討論を試みる。日本の他のジャーナリズム・メディア・情報・コミュニケーション等の関連学会では英語のみで運用される発表の場が用意されてきている。それに対して前述のように、これまで本学会はほとんど日本語のみの活動に終始してきた。現状のままでは海外からの研究者や留学生の発表を増やすことはおろか、国際的活動が問われるなか若手会員数の減少等を招きかねない危惧がある。そうした状況認識の上に、本学会が現在の日本が求められている国際化ニーズにも応え、まずはこうした英語による諸活動を増やしていくことが肝要と考える。

日本マス・コミュニケーション学会 2018年度秋季研究発表会プログラム
http://www.jmscom.org/event/annual_meeting/18fall/18fall_program.pdf



2018/10/14

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第29回 伊坂幸太郎「重力ピエロ」

西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」の第29回(2018年10月14日)は、伊坂幸太郎の『重力ピエロ』について論じています。表題は「重い主題 仙台で軽やかに」です。

伊坂幸太郎は千葉県の出身ですが、東北大学に入学してから仙台に居住し続け、繁華街の喫茶店で執筆するなど、生活世界を作品世界に重ね合わせることで、本格派のミステリー作家として大成しています。2003年の『重力ピエロ』から2008年の『ゴールデンスランバー』にかけて、伊坂は仙台を舞台として「失われた20年」を生きる若者たちの現実感を捉えることで、軽やかでありながら、地に足の着いた作品世界を確立することに成功しています。

この作品は、遺伝子を解析する会社で働く「私」が、仙台の市街地で連続放火事件が起き、その現場の近くに、グラフィティアートと遺伝子の配列を示唆するメッセージが残されていることに気付き、事件の背後に見え隠れする弟のことを心配するところからはじまります。『重力ピエロ』という風変わりな表題は「ピエロが空中ブランコから跳ぶ時、みんな重力のことを忘れているんだ」という弟の言葉に由来するもので、弟と「私」の細やかな感情を介した兄弟関係の描写が、この小説の読み所となります。

「重力ピエロ」は、新時代のミステリー作家らしい才気に溢れた作品で、軽やかでありながら、重厚なテーマ性を有する現代日本を代表するミステリー小説だと思います。