2019/08/31

モンゴル科学技術大学との研修と大草原のゲル滞在

文教大学の学生24名を引率して「モンゴル異文化理解・共生体験研修」を、ウランバートルとその郊外で実施しています。モンゴル科学技術大学の外国語学部の学生14名と教員2名の手厚いサポートが有り難く、充実した研修を両国のメンバーで一緒に楽しんでいます。

モンゴル科学技術大学の入学式に、なぜかモンゴルの政治家と来賓席で(SPに囲まれ、草原に行く前のジャージ姿を怪しまれながら)参加することになったり、草原のゲルに滞在しながら羊を追ったり、馬に乗って草原の広さを感じたり、互いの文化を紹介し合う文化祭を開催したり、貴重な経験をさせて頂いています。

前回の引率から5年ほど経っていますが、ウランバートルの発展は目覚ましく、次々と高層ビルが建ち、スーパーの品揃えも明らかに充実しています。

言葉を通したコミュニケーションを超えて、寝食を共にしながら、学生たちが互いに打ち解けていく様子を見ることができるのが、非常に嬉しく、大学教員冥利に尽きる研修だと実感しています。








2019/08/26

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第73回 宮本輝『五千回の生死』

西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」(第73回 2019年8月25日)は、宮本輝の代表作の一つ『五千回の生死』を取り上げています。表題は「阪神間の海沿いの輝く生」です。ソウルでの国際シンポジウムの発表を無事に終えて、校務に復帰しつつ、明日からのモンゴル異文化研修(@ウランバートル)への長期出張の準備をしているところです。

宮本輝は、梅田の繁華街にある市立曾根崎小学校に通っていましたが、父親が事業に失敗し、兵庫県尼崎市に引っ越しています。この作品は、宮本輝の作家としての原風景と呼ぶべき、尼崎に住む人々を描いた短編集です。

例えば短編「五千回の生死」は、デザイン事務所の経営に行き詰まった「俺」と、国道26号線を歩いて自宅に帰る時に出会った「一日に五千回ぐらい、死にとうなったり、生きとうなったりするんや」と言う男との奇妙な共生関係を描いた小説です。「お前かて、死にたなったり、生きたなったりするやろ? そんなこと思うの、人間だけやろ? 俺が正常な人間やという証拠やないか」と問いが、読後の印象として強く残る作品です。

この短編集には、人生の底を舐めるような悲しみと、それを陽気に突き抜けるような明るさの双方が凝縮されています。全体に平易な言葉遣いながら、宮本輝が幼少期から親しんだ、尼崎の土地に根ざした価値観が、ちょっとした心情表現の中にも生き、脈打っています。「五千回の生死」は、阪神間の海沿いの街に根を張って生きてきた人々の生活を、様々な角度から光を当てて輝かせた、現代を代表する「プロレタリア文学」だと思います。



2019/08/19

Asian Journal of Journalism and Media Studies No.2 の公開

編集長を担当した「Asian Journal of Journalism and Media Studies」(日本マス・コミュニケーション学会・英文ジャーナル ISSN2189-8286) の第2号を、下の学会サイトで公開しました。準備号からの慣習で、著者の写真入りで各論文とテーマの趣旨説明の文章を掲載頂いています。

Asian Journal of Journalism and Media Studies2号
http://www.jmscom.org/en/ajjm_2019/index.html
日本マス・コミュニケーション学会HPの「Asian Journal (English)」の欄からもアクセスできます。

公開済のJ-STAGE版は下記です。
https://www.jstage.jst.go.jp/browse/ajjms/list/-char/ja



著者や査読者とのやり取りや、英文の投稿規定・Call For Papersの整備、DOIの取得やJ-STAGEへの登録など、もろもろの作業が長引きまして、編集から公開までに時間を要しましたが、ようやく仕事を終えることができました。

これでようやく夏休みか、と思いきや、連載の原稿のストックが減っているので、学期中以上に、モーレツな勢いで本を読み、原稿を書く日々です。

ニュース・パーク(日本新聞博物館)でのゼミの制作物の展示も、新聞協会の方との最終の修正作業が終わり、8月31日(土)から展示予定です。こちらの詳細は後日。

今月は長崎に帰り、ソウルに行き、校務の後、来月の頭までウランバートルです。
良い夏休みをお過ごし下さい!



西日本新聞「現代ブンガク風土記」第72回 青山七恵『ひとり日和』

西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」(第72回 2019年8月18日)は、青山七恵の芥川賞受賞作『ひとり日和』を取り上げています。表題は「京王線沿線20歳の成長物語」です。

台風の影響のためか、なぜか長崎が涼しく、久しぶりに長い時間、海水浴をすることができて、ちょうど良い夏休みでした。

青山七恵は人生の岐路に立った若者の心情を、魅力的な場所の描写に重ねながら表現するのが上手い作家です。この作品でも主人公の20歳の知寿の不安定な心情が、電車が通過する度にぐらぐらと揺れる下宿先の家の描写に重ねられています。

下宿先の家から駅のホームを眺めると、ホームの上に立っている人々が三途の川の向こうにいるように見えます。時に「死にたい」と思う知寿の際どい内面が、ちょっとした風景描写に影を落としていて、日常の中に深みを感じる作品です。

知寿は大学に行かず、将来の目的も定めず、フリーターとして働きながら、遠縁の71歳の吟子の家に居候しています。「世界に外も中もないのよ。この世はひとつしかないでしょ」という吟子の言葉は、知寿が生長するために必要なものは、学歴や正社員の仕事など他人に与えられるものではなく、「逃げ場のないひとつの世界」を生きるという自分で得るより他ない覚悟であることを示唆しています。

吟子が辛い失恋を経験しながら都会で生きてきた姿に感化されながら、人生に活路を見出していく知寿の姿に「青春」を感じる芥川賞に相応しい作品です。



2019/08/11

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第71回 佐川光晴『駒音高く』

西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」(第71回 2019年8月11日)は、佐川光晴の将棋ペンクラブ大賞(優秀賞)の受賞作『駒音高く』を取り上げています。表題は「厳しい棋士の道生々しく」です。

佐川光晴は屠殺場で働いた経験を踏まえて記した「生活の設計」でデビューした作家です。将棋会館で清掃員として働く奥山チカの物語が最初に記されているのが、「労働」を描いてきた佐川光晴の小説らしいと思います。この小説を読むと、様々な家庭環境で育った子供たちが、将棋に惹かれ、親に期待され、棋士を目指していることがよく分かります。

女性棋士を目指す葉子を、母親の視点から描いた章が特に面白いです。「かわいい女の子」だった娘が、たくましく勝利を重ね、棋士となろうとする姿に、母親は自己の人生を重ねながら、娘への愛情を深めていきます。女流棋士は、女性の棋士(四段以上)がなかなか誕生しないために作られたカテゴリーで、男子とは別にリーグ戦が行われていますが、棋士を目指す葉子が立ち向かうのは「女流棋士はいても、女性棋士はいない」という、将棋界の現実です。

子供の頃から孤独に将棋盤に向かい、勝負事の厳しさを味わってきた棋士たちを、優しく見守るような筆致で描いた、現代を代表する「将棋文学」だと思います。


2019/08/04

夏休みから秋学期の研究活動

春学期の授業が終わり、ひと休みという所ですが、夏休みから秋学期にかけて下の研究活動を行います。

1 編集長を担当したAsian Journal of Journalism and Media Studies No.2(日本マス・コミュニケーション学会英文ジャーナル)の公開

・英文の投稿規定・Call For Papersを整備し、DOIを取得して、J-STAGEに登録する作業が長引きまして、編集から公開までに時間を要しましたが、先月の下旬より下のサイトで公開しています。近日中に学会HPにもアップロードいたします。
https://www.jstage.jst.go.jp/browse/ajjms/list/-char/ja


2 ニュース・パーク(日本新聞博物館)での「新聞の見出しとネットニュースのみだしのちがい」に関するゼミの制作物の展示

・体験学習の一環として、常設展示「情報社会と新聞」の中で、文教大学酒井ゼミとニュース・パークの連携企画の展示を1年間の予定で担当します。
・現在、新聞協会の方と展示に向けた最終の修正作業を行い、8月31日(土)からの展示を予定しています。
ニュースパークのHP
https://newspark.jp/

3 第25回日韓国際シンポジウム  より良い未来のためのメディアの公共性 〜環境報道、多文化化、メディア・ジャーナリズム倫理〜 日本マス・コミュニケーション学会と韓国言論学会共催(漢陽大学)での発表

・「共同研究セッション」で呉杕泳先生(嘉泉大学)と尹熙閣先生(釜山大学)と共同で「新聞が抱える諸問題:収益創出とジャーナリズムの役割の共存の道を求めて」という発表を行います。
・2019年度春季研究発表会(立命館アジア太平洋大学)の発表の続編です。
日本マス・コミュニケーション学会での紹介
http://www.jmscom.org/event/sympo/JKsympo_25_program.pdf

4 9月にドイツで開催されるMedia Studies系の国際学会で発表を予定しています。現在、出張日程を調整中です。

5 11月3日の文化の日に、福岡ユネスコ協会の講演会で講師を担当します。

・「世界史レベルで『平成』について考える」という趣旨の講演会で、コーディネーターが慶應義塾大学の片山杜秀先生で、國學院大學の水無田気流先生もお話しをされる講演会です。自分分の発表の準備しつつ、お二方のお話を近くで聞くことを楽しみにしています。
・詳細は後日、下のHPにアップロードされると思います。九州在住の方はぜひご参加をご検討下さい。
福岡ユネスコ協会のHP
http://fukuoka-unesco.or.jp/

西日本新聞の連載も好評で70回に達しました。他のテーマでも、年末を目標に書籍の出版を準備しています。監修を担当しているメディア・リテラシーに関する教育用DVDも進行中です。8月下旬からモンゴル科学技術大学(ウランバートル)への学生24名の引率もあり、充実した夏休みになりそうです(笑)

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第70回 吉田修一『悪人』

祝・連載70回! 西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」(第70回 2019年8月4日)は、吉田修一の長崎、佐賀、福岡を舞台とした代表作『悪人』を取り上げています。表題は「地方の疲弊 閉塞感先取り」です。三瀬峠のカーブミラーが印象的な写真で、連載70回目を飾るに相応しい名作です。

『悪人』は2006年の3月から翌年の1月まで朝日新聞の夕刊に連載された新聞小説です。小説はその質だけではなく、世に出るタイミングで、読者の関心を集めるかどうかが決まります。この作品は、就職氷河期が終わり、景気が回復したと言われながらも、「地方」の疲弊が顕在化した時期に連載され、注目を集めました。単行本が出版された1年後に、リーマンショックが起こり、映画版が制作された1年後に、東日本大震災が起きたことで、『悪人』が先取った「地方に住む若者たちの閉塞感」は、一般に実感されるものとなります。

吉田修一の『悪人』が210万部を超える大ヒット作となったのは、就職氷河期が続く時代の「地方に住む若者たちの閉塞感」を生々しく捉え、景気回復が空々しく聞こえる時代に、読者の共感を獲得したからだと私は考えています。毎日出版文化賞と大佛次郎賞を受賞し、吉田修一の出世作となった作品です。


2019/07/30

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第69回 保坂和志『季節の記憶』

西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」(第69回 2019年7月28日)は、保坂和志の鎌倉を舞台とした代表作『季節の記憶』を取り上げています。表題は「鎌倉の風景と哲学的雑談」です。写真は一週間ほど前の授業終わりに、作品の舞台となった稲村ヶ崎で撮影した写真です。海を見ながら考え事をしている人がたまたま映っています。

保坂和志は三歳の頃から鎌倉で育ち、湘南の名門校、栄光学園高校を卒業し、職業作家となった後も生活の拠点を同地に据えています。この作品で描かれる稲村ヶ崎の風景は、登場人物たちの「季節の記憶」を通して、細やかに描かれています。秋の日の夕方、「この時期、人間っていうのは、つくづく言語でできていると思うな」と松井さんが語るように、何気ない日常会話の中に「季節の記憶」が宿っていることを感じさせます。

所々にシリアスな描写もあり、「鎌倉、逗子、横須賀、藤沢あたりには米軍の池子弾薬庫周辺の国有林の伐採をめぐる反対運動のような開発に絡む市民運動がたえずある」といった一文が挿入され、現実に引き戻されるのも、作品の魅力です。

出来事らしい出来事は起こらない作品ながら、「僕」の友達の登場人物たちの個性が光る作品で、稲村ヶ崎からほとんど動かない小説を、多彩なものに仕上げています。暇を持て余している「僕」と、個性の強い友人たちとの哲学的な雑談も面白く、地に足の着いた思想性と、日常生活に立脚した文学性の双方が感じられる作品です。

あと11月3日の文化の日に、福岡ユネスコ主催の文化セミナー(@渡辺通りの電気ビル)で講演をすることになりました。お二人のメディアでご活躍されている先生方と「世界史レベルで『平成』を振り返る」という趣旨の内容です。こちらの詳細はまた後日。


2019/07/26

満員御礼:江藤淳没後20年 昭和と平成の批評 ー江藤淳は甦えるー

日本出版学会「江藤淳没後20年 昭和と平成の批評―江藤淳は甦える」シンポジウムを無事終えました。定員の120名を大幅に上回る予約を頂いて盛会となり、内容の上でも好評の内に幕を閉じることができました。文化的なイベントの集客が難しくなっている中、足を運んで頂いた多くの方々に、心より感謝申し上げます。

江藤淳の過去の担当編集者にもご来場を頂き、多くの出版関係者にもご関心を頂きました。ディスカッションでは、日本近代史をご専門とされる先崎彰容先生や、アメリカの現代史をご専門とされるご会田弘継先生にもご参加を頂き、江藤淳の批評の射程の広さを物語る、充実した内容のシンポジウムとなりました。

この会の発表内容を踏まえた原稿を西日本新聞に掲載を頂きました。
続編となるシンポジウムを期待する声を多く頂きましたので、次のシンポジウムも企画中です。今回ご来場を頂いた方々のメール・アドレスに、御礼と次回のご案内をお送りいたします。







2019/07/21

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第68回 絲山秋子『エスケイプ/アブセント』

西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」(第68回 2019年7月21日)は、絲山秋子の京都と福岡を舞台にした『エスケイプ/アブセント』を取り上げています。表題は「京都ー福岡 逃亡と不在」です。

主人公の江崎正臣(40歳)は「どっかで暴動でも起きないかなー」という物騒な口癖を持つ活動家です。自分のことも「ひきこもりとおんなじ」で「マルクスおたく」だと位置付ける自嘲ぶりです。この作品は、時代遅れの運動に関わってきた若者の「その後の人生」を描いた、絲山秋子らしい現代小説です。

正臣は1966年生まれで、1974年の三菱重工爆破事件をきっかけとして「過激派」に惹かれるようになります。バブル期に大学に入りながら、時代遅れのセクトでの「活動」にのめり込み、完全に時代に取り残されています。この作品には従来の「党」や「運動」に関する小説に見られる悲壮感や、主義・信条上の問いなどは全く感じられず、中年に足を踏み入れた活動家の生活者らしい「半生=反省」が横たわっています。

作品の全体を通して絲山は、もし誰かが人生から「エスケイプ」をしたら、彼らがいるべき場所に「アブセント(不在)」が残ることの意味を問いかけています。9・11以後、世界にぽっかりと空いた「不在」は、私たちの心の中にも存在するのではないか、と。絲山秋子らしいユーモラスで深みのある「転向小説」です。