西日本新聞の連載「松本清張はよみがえる」第12回(2022年10月12日)は、『日本の黒い霧』より「追放とレッド・パージ」について論じています。担当デスクが付けた表題は「GHQの暗部に迫る 小説と評論の中間物」です。文芸評論家で、早稲田大学の国際教養学部で教鞭を執られていた加藤典洋さんとのmatch-upです。
日本は昭和20年の敗戦から昭和26年のサンフランシスコ講和条約の調印まで、実質的に主権を失い、GHQ(連合軍総司令部)に支配され、この時代に本作で取り上げられている下山事件や松川事件など「未解決事件」を経験してきました。
「日本の黒い霧」で一貫して清張が指摘しているのは、GHQは下山事件からレッド・パージまで一枚岩ではなく、将来のソビエトとの戦いを見据えて、ニューディーラーが多かったGS(民政局)と、保守勢力と協調していたG2(参謀第二部)の対立があったという事実です。
敗戦後日本では「パージ(追放)」は二度行われています。一度目は、敗戦直後から軍部の台頭と超国家主義の復活を防ぐために、戦犯や翼賛体制に寄与した政治家や財界人などを対象としました。追放者の三親等までが公職に就くことを禁止され、密告や投書によって追放の可否が決まり、GHQへの懇願や裏取引によって追放を免れたと言いますから、当時の混乱が推測できます。
二度目は1950年の朝鮮戦争に前後して、いわゆる「赤狩り(レッド・パージ)」として行われています。注目するべきは、一度目の保守勢力の追放が解除され、敗戦後に追放されていた元特高警察官も、諜報活動を担うG2に雇用され、「レッド・パージ」に加担したという事実です。つまり戦前から共産主義者の調査に関して豊富な経験を持つ特高が、GHQの下で対ソ戦のために再組織化されたわけです。
本作は、清張らしい生活者の視点から、レッド・パージによって締め出された人々に、左右のイデオロギーを超えて寄り添った「社会批評」と言えます。