2018/08/15

第24回 日韓国際シンポジウム

日本マス・コミュニケーション学会と韓国言論学会共催で、第24回 日韓国際シンポジウム
「 デジタル/サイバー空間における「世論」:その問題状況、研究の最前線」が開催されます。2018年8月25日(土)9時の受付開始で、場所は京都大学吉田キャンパスです。私もラウンドテーブル「激動する朝鮮半島情勢と日韓のメディア」に登壇して、日本のメディア報道と日韓の記者交流に関するお話をいたします。ご関心のある方はぜひ、ご参加下さい。日韓共同研究による地域とメディア研究に関する報告のほか、シンポジウムテーマに基づき、ネット空間と世論・市民的対話・民主主義にかんする数々の研究発表など、日韓の研究者が集い、熱い議論を交わします。プログラムなど詳細は、
http://www.jmscom.org/event/sympo/JKsympo_24_program.pdf  
をご確認ください。


2018/08/12

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第20回 森沢明夫「津軽百年食堂」

西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」の第20回(2018年8月12日)は、森沢明夫の『津軽百年食堂』について論じています。表題は「弘前の記憶描き ブームに」です。
「百年食堂」というのは、青森県が定めた定義によると、三代以上にわたって引き継がれて、七〇年以上続いている食堂を意味します。この小説は、大森一樹監督で映画化され、BSフジでは、全国各地の「百年食堂」を紹介する「ニッポン百年食堂」という番組も放送されています。

「百年食堂ブーム」の発端となったのが津軽蕎麦を出す架空の「大森食堂」を舞台とした、森沢明夫の『津軽百年食堂』です。森沢明夫氏は早稲田大学の人間科学部出身(私の8学年ほど上の先輩)で、出版会社を勤務したのち、フリーのライターとして活動し、エッセイやノンフィクションを書き、その後、小説を書き始めた方です。「百年食堂」に着目して津軽地方に点在する「百年食堂」の歴史や、弘南鉄道大鰐線沿いの街の歴史を丁寧に取材している点が素晴らしく、読みやすい文章の中に、時間の深みを感じます。

近代文学には、トーマス・マンの『ブッデンブローク家の人々』や北杜夫の『楡家の人々』など、数世代にわたる名家の人々の生活を描くことで、土地の記憶を家族史の中で炙り出すような名作があります。『津軽百年食堂』は、気軽に手にとって楽しめる作品ですが、過疎化が進行する土地に根を張った「大衆食堂」に着目することで、弘前という土地の記憶を、「百年食堂」の時間の重みの中で、鮮やかに描き出すことに成功しています。

掲載を頂いた写真は、昨年ゼミ合宿で津軽の五所川原で見学した、五所川原立佞武多(たちねぶた)で、歌舞伎踊りの創始者である出雲の阿国を題材としたものです。





2018/08/05

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第19回 長嶋有「ジャージの二人」

西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」の第19回(2018年8月5日)は、長嶋有の3作目の作品『ジャージの二人』について論じています。表題は「別荘地で生じる『故郷喪失』」です。同時収録されている「ジャージの三人」も面白く。堺雅人と鮎川誠の映画版もユーモラスで雰囲気のよい作品でした。

『ジャージの二人』は、一言でいうと、訳ありのいい歳をした親子が、現実逃避して山荘に引き籠もる作品です。友達のような関係にある父親と、小説を書いている無職の「僕」は、北軽井沢の古い山荘にだらだらと滞在し、昔のファミコンをしたり、漫画を読みながら夏を過ごします。

この小説の読み所は、携帯の電波の入らない北軽井沢の山荘での生活を、都会で生じた人間関係から距離を置き、気分転換をさせる爽やかなものではなく、都会で生じた悪意を培養し、増幅するものとして描いている点にあると思います。

一見すると、お笑いコンビのような親子を描いたユーモラスな作品のように見えますが、登場人物の夫婦関係に生じている不和は、北軽井沢の木々のように根深く、小説の全体が「大人の事情」で満たされた奥深い作品です。


2018/07/29

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第18回 村上春樹「1973年のピンボール」

西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」の第18回(2018年7月29日)は、村上春樹の2作目の長編『1973年のピンボール』について論じています。表題は「故郷に別れ告ぐ『私小説』」です。村上春樹については短文を書くのは2回目ですが、先々まとまった批評文を書きたいと考えています。

『1973年のピンボール』は、村上春樹が育った故郷の芦屋と思しき町を舞台にした作品で、この作品は村上春樹が書いた数少ない「私小説」と解釈できる内容です。
デビュー作の『風の歌を聞け』と2作目の『1973年のピンボール』は芥川賞を逃しますが、村上春樹は三作目の『羊を巡る冒険』で、作品の質と売上げの双方で大きな成功を収めて、芥川賞を貰わずとも、日本を代表する作家として飛躍していきます。

村上春樹のように様々なジャンルの作品を残す作家は、エッセイと区別が難しい、生まれ故郷を舞台とした私小説を書くことで、故郷に別れを告げ、作家と「成熟と喪失」を遂げ、飛躍していく傾向にあると思います。この意味で『1973年のピンボール』は、村上春樹にとって「故郷喪失者」として世界へと飛躍するきっかけとなった重要な「私小説」だと私は考えています。

春学期の授業も終わり、9月上旬に発売予定の単行本のゲラの戻しも終わり、同じ月に掲載予定の季刊の文芸誌の初稿も終わり、ひと段落という感じですが、まだまだたまっている仕事があり、夏休みは遠そうです。。


2018/07/22

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第17回 江國香織「神さまのボート」

西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」の第17回(2018年7月22日)は、江國香織の代表作『神様のボート』について論じています。表題は「母娘の関東周縁放浪記」です。

この作品について江國香織は、「いままでに私の書いたもののうち、いちばん危険な小説だと思っています」と述べています。この小説は母娘の成長を描いた作品ですが、内容は際どく、身内や友人と連絡を絶ち、関東の周縁とも言える町を一年に一回ほどのペースで「旅がらす」として渡り歩きながら、娘の父親の「あの人」を探して回る話です。

東京の周縁を巡りながら、昼間にピアノを教え、夜はバーで働きつつ、正気と狂気が混在した日常の中で、父親を探し、娘を育てる母親の姿に、地に足の着いたリアリティが感じられます。

江國作品の魅力は、感覚的な言葉が切り開く外界の新鮮な手触りにあります。小説を読み進めるに従って、母親が娘の成長という現実と対峙することを余儀なくされていくわけですが、その娘の成長を実感する母親の「際どい感情の手触り」が、実に小説らしい表現で、読み応えがあります。

『神様のボート』は江国香織にしか書けないような作品であり、現代を代表する女性作家の実に「際どい」代表作だと思います。



2018/07/15

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第16回 辻村深月「ゼロ、ハチ、ゼロ、ナナ。」

西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」の第16回(2018年7月15日)は、辻村深月の出世作と言える『ゼロ、ハチ、ゼロ、ナナ。』について論じています。表題は「地方標準で家族像模索」です。

この作品は辻村深月が生まれ育った山梨県の甲府市や笛吹市を舞台にした自伝的な作品で、20代から30代前半にかけて女性の多くが経験する恋愛や結婚、出産に伴う生活の変化と向き合った作品です。辻村自身も、大学卒業後に地元の山梨に戻って就職していたらしく、メフィスト賞を受賞してデビューした後も山梨で仕事を続けながら、平日の夜や土日に執筆を続けていたそうです。

以前に『朝が来る』について論じた回(第5回)の原稿で書きましたが、辻村深月は小説の表現を通して伝えたい「強い思い」を持った作家だと思います。
https://makotsky.blogspot.com/2018/04/blog-post_29.html

辻村は小説という表現の形式を通して、結婚や出産に際して弱い立場に置かれた女性たちの多声的な声を代弁しながら、都市郊外や地方を基準として「新しい家族」のあり方を模索しているように思えます。


2018/07/13

『吉田修一論』(9月初旬発売)のゲラ確認中

学期末で慌ただしい日々ですが、『吉田修一論』(9月初旬発売)のゲラの確認作業を行っています。久しぶりの著作ですが、文芸誌・論壇誌に書いてきた文章がずいぶんたまっているので、どういう順番でたまっている原稿を加筆して本にして行こうか、と考える日々です。

今ゲラを確認している『吉田修一論』は、「文學界」に掲載した3つの「吉田修一論」に大幅に加筆し、「風土論」の部分を抽出してまとめた内容です。別途「作品論」としてまとめている批評文もあり、現在、同時進行で、文芸誌向けに書いている原稿を含めて、先々、書籍化を行う予定です。

西日本新聞の「現代ブンガク風土記」も15回を超えて、地方を舞台にした現代文学を分析する作業にも、脂が乗ってきた感じがしています。

大学や学会の仕事もたまっているため、授業以外は、起きている間をほとんど机の上で過ごしているので、ここ最近、運動不足気味で、物理的な意味でも、脂が乗ってきた感じがしています(夏なのに)。

『吉田修一論』(9月初旬発売)ご期待・ご一読下さい!

(写真は、『吉田修一論』のゲラのあとがき部分と、最近、仕事道具として手放せなくなったFRIXION BALLです)




2018/07/08

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第15回 佐川光晴『生活の設計』

西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」の第15回(2018年7月8日)は、今でもなお新人賞の小説の見本といえる佐川光晴『生活の設計』について論じています。表題は「現代を代表する『労働小説』」です。

「生活の設計」は、主夫として妻の実家で子育てをしながら、屠殺場で働く「わたし」を描いた私小説です。「わたし」は「チェ・ゲリバラ」と渾名を付けられるほど、汗でお腹を冷やし、下痢を起こしやすい体質でしたが、「最も汗をかきやすい仕事に就くことで逆に汗を制することができる」と気付きます。

佐川光晴さんは埼玉県の志木市在住の作家で、実際に主夫として家事や子育てをしながら、大宮の屠殺場で牛の解体の仕事に従事していました。「そもそもここはおめえみたいなのが来るところじゃねえんだからよ」と厳しい洗礼を浴びせられながらも、牛の上に10年、懸命に働き続け、牛を解体し、皮を剥ぐ技術を高めていきます。

この作品は、屠殺場を非日常的な世界として描くのではなく、そこを日常生活の延長にある場所として描いている点が新鮮な作品です。「働くことの意味」「生活することの意味」について深く考えさせられる、現代を代表する「労働小説」です。



2018/07/04

オレゴン州ポートランド

1999年の大学4年次に早稲田・オレゴンプログラム(短期の語学研修)でPortlandに滞在して以来、約20年ぶりに再訪しました。IAMCRがオレゴン大学での開催だったので、Eugeneからバスで約3時間、久しぶりのポートランド滞在を満喫しました。

約20年ぶりに再会したマイケル・ヨシダ君は、当時の受け入れ教授の息子で日系三世。日本語は全く話せないですが、現在は日系企業を顧客とした弁護士として働いています。当時、父親の命令で学生寮の管理を渋々やらされていたので、よく夜中に車で抜け出して一緒に遊びに行っていました。


マイケルは相変わらずのナイス・ガイで、レストランもバーも彼にご馳走になってしまいました。互いに子供を持つ父親となりましたが、昔と変わらず、際どい冗談ばかりで盛り上がり、20年の歳月をあっという間に縮まった思いがしました。仕事以外の場で、年下に飲食をご馳走になったのはずいぶん久しぶりでした。

ポートランドについて真っ先に向かったのは、思い出の多いPowell's Booksです。世界最大のインディペンデント系書店と紹介されることが多く、1999年の夏にも私があまりに頻繁に通って立ち読みしているので、ホームステイでお世話になったおばさんが、なぜかお土産にPowell's Booksのトレーナーを買ってくれた思い出があります(夏なのに)。




Powell's Booksは棚に並ぶ本の配置が面白いのと、新刊本と古本が同じ棚に並んでいるので、目当て以外の本をついつい手にとってしまいます。大型書店と都立図書館を足したような感じの雰囲気で、子供向けのオモチャや文房具なども売っています。今回の滞在でも、ついつい3時間立ち読みして5冊の本を購入してしまいました。

その後、ライトレールで市街地を見下ろす丘の上にあるワシントン・パークに向かいました。この公園は市街地から徒歩圏内と思えないほど大規模なもので、この日はLGBTQの人々のPartyのような音楽フェスが行われていました。マイノリティに優しいのも西海岸の都市の素晴らしいところです。



ポートランドは、サードウェーブ・カフェやVoodoo Doughnut(ブードゥードーナツ)も有名ですが、先ずはPowell's Books(と斜向かいのピザ屋)とWashington Parkを楽しんでほしいと思います。

一日5ドルでライトレールも乗り放題。ポートランドは、依然として北米で真っ先に訪れるべき街の一つだと実感しました。




2018/07/01

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第14回 リリー・フランキー『東京タワー』

西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」の第14回(2018年7月1日)は、現代日本を代表する「上京文学」と言える、リリー・フランキーの『東京タワー』について論じています。表題は「炭鉱町らしい『生活の哲学』」です。

リリー・フランキーの『東京タワー』は2005年に単行本として発売されベストセラーとなった自伝的な小説ですが、2003年から「en-taxi」に連載されていた当初は、「エッセー」として掲載されていました。往時の筑豊の風土と気風を伝える言葉と、筑豊の宮田の地に足の着いた面白いエピソードの数々に、強く心を動かされます。

「この町は豊かな町ではなかったけれど、ケチ臭い人の居ない町だった」
「『家族』とは生活という息苦しい土壌の上で、時間を掛け、努力を重ね、時には自らを滅して培うものである」
 
『東京タワー』は直木賞を受賞してもおかしくない「生活の哲学」に満ちた深みのある作品で、炭鉱町から東京のメディアの中心へとダイナミックに話が展開される点も面白いです。役者としてリリー・フランキーの評価が高まっている時期ですので、作家としての再評価も期待しています。