2019/05/14

『メディア用語基本事典〔第2版〕』に寄稿しました

『メディア用語基本事典〔第2版〕』(渡辺武達、金山勉、野原仁 編、世界思想社)で以下の4つの項目を執筆しています。
「メディア用語基本事典」は、メディアを使いこなし情報発信する「メディア・リテラシー」を身につけるための「読む事典」です。
情報量豊富で良い本だと思いますので、ぜひご一読をお願いいたします。

「メディアと現代文学 Media and Contemporary Literature」
「トランプ型選挙と政治 US election and politics in Trump's age 」
「世界のメディア・コミュニケーション研究関連学会 media communication research organizations of the world」
「忘れられる権利 right to be forgotten」

世界思想社のHPでの紹介
http://sekaishisosha.jp/book/b451007.html

文教大学のHPでの紹介
https://www.bunkyo.ac.jp/news/works/20190511-01.html


2019/05/12

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第58回 重松清『ビタミンF』

西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」(第58回 2019年5月12日)では、重松清の直木賞受賞作『ビタミンF』を取り上げました。表題は「父権なき父親の孤独」です。多摩ニュータウンで撮影した写真が新聞紙の紙質にあって良い感じの色味が出ています。

40歳を超えてから、重松清の「平成不況を生きる中年」が主人公の小説を読むと、所々で目頭が熱くなりますね。この小説は「人生の中途半端な時期」に足を踏み入れた、思春期の子供を持つ、30代後半から40代前半の「父親」の様々な心情を、異なる視点から綴った短編集です。執筆当時、作者の重松清が37歳だったことを考えると、著者自身の「父親」としての経験が少なからず反映された「私小説」だと考えることもできます。

「ビタミンF」で描かれる父親たちは、家父長制の時代のように「父権」を振り回して、家族を従わせるような強さは持ち合わせていません。「おとなは「キレる」わけにはいかない。おとなは「折れる」だ」という言葉に象徴されるように、この小説で父親たちは、家族に対して妥協を強いられ、「父権なき父親」という孤独な役回りを引き受けています。

この作品の「ビタミンF」という表題には、「ファミリー」や「ファーザー」など様々な意味の「エフ」が込められているらしいです。そもそも現代社会において「家族」や「父親」の役割とは何なのか、考えさせられる一冊です。



2019/05/07

「新潮」と「文學界」の書評(2019年6月号)

新潮社「新潮」の2019年6月号の「本」のページに、6枚と少しの書評を寄稿しました。
佐伯一麦著の『山海記』について論じた内容で、タイトルは「生と死が背中合わせの『平熱の旅』」です。
奈良中部の橿原市から和歌山県・新宮まで、約6時間半をかけて険しい紀伊山地を走る「日本一長い路線バス」を舞台にした作品です。日常に言葉の根を張り、長い間「私小説」を記してきた、佐伯一麦らしい、青白く輝く情熱が感じられます。
https://www.shinchosha.co.jp/shincho/



それと文藝春秋「文學界」の2019年6月号の「文學界図書室」のページに、6枚と少しの書評を寄稿しました。
奥泉光著の『ゆるキャラの恐怖』について論じた内容で、タイトルは「現代日本の大学を舞台とした『プロレタリア文学』」です。
定員が5割程度しか埋まっていない大学が、なぜ存在し続けることができるのか、また桑潟幸一という研究活動を放棄した人物が、なぜ大学の教壇に立ち続けることができるのか、現代日本に対する皮肉とユーモアの中で、深く考えさせられる作品です。
https://www.bunshun.co.jp/mag/bungakukai/




2019/05/05

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第57回 桜庭一樹『少女七竈と七人の可愛そうな大人』

西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」(第57回 2019年5月5日)では、桜庭一樹『少女七竈と七人の可愛そうな大人』を取り上げました。表題は「狭い町で描く不自由な恋愛」です。石狩川から撮影した大雪山連峰のよい写真を掲載頂いています。

北海道のほぼ真ん中にある旭川を舞台とした作品です。旭川は北海道第2の都市ですが、この作品では「ひんやりとしたちいさな町」であると形容されています。桜庭一樹らしい、近親の際どい恋愛を描いた作品です。

桜庭一樹は、後に直木賞を受賞する『私の男』でも、北海道を舞台にして血縁の濃い、父娘の恋愛を描いています。キリスト教の倫理的な意識が強い西欧の文学では、近親相姦はタブー視される傾向が強いですが、日本では、源氏物語をはじめとして、血縁の近い相手との恋愛や結婚が、文学作品で多く描かれてきた歴史を持ちます。

この小説は、源氏物語のような「血縁の近い男女の恋愛」を描いた宮廷小説とは異なり、旭川という地方都市の閉じたコミュニティを舞台としています。「あまりに人目をひく、天上人のような美貌」を持つ若い男女の、明るい青春を描くというよりは、その美貌が狭いコミュニティで人々に妬まれ、不自由さを強いられる姿を描いている点が、現代小説らしくて面白いです。
「顔」をメディアとして生きる人間存在の悲哀について、小説らしい表現で考えさせられる作品です。


P.S.
連休中も毎日原稿を書く日々でしたが、今日はこどもの日ということもあり、「おしりたんてい」のショーに行ってきました。暑くてストーリーは頭に入らなかったのですが、「おしりたんてい」の顔(おしりと呼ぶべきか)が、他のキャラクターを圧倒する大きさで、おしりから紅茶を飲む点など、ニコちゃん大王とは異なる「新しい時代」の流れを感じました。


2019/04/28

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第56回 奥泉光『桑潟幸一准教授のスタイリッシュな生活』

西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」(第56回 2019年4月28日)は、奥泉光の『桑潟幸一准教授のスタイリッシュな生活』について論じた内容です。表題は「新時代と格闘する大学教員」です。個人的に、続編を心待ちにしているシリーズ(現在3作目まで刊行)の小説です。

千葉県の「権田市」にあるとされる、架空の「たらちね国際大学」を舞台にした作品です。主人公のクワコーこと、桑潟幸一は40歳の日本文学を専門とする准教授で、査読なしの紀要論文を2本しか発表した業績しかありません。そういうクワコーを引き抜いたのは、レータン時代に学部長を務めていた元大手消費者金融会社の取締役で、『ヤクザに学ぶリアル経営術』という本で「学者デビュー」をした鯨谷光司教授です。

クワコーは著名な名誉教授の娘婿が、大学院時代の指導教授であったという理由で、大学教員となった人物です。学会に出れば「気がつくと必ず一人になっている」のだとか。彼は大学に新興宗教の団体が出資していることを知って、「どんなカネでもカネはカネ」と、生活が保障されたことに安堵するような性格を持っています。

クワコーが大学教員として生きるのは、少子高齢化と過疎化が進行し、学生募集に苦しむ「地方の大学」のリアルな現実です。このシリーズの作品を読むと、定員割れのない大学で働けることの有り難さを実感してしまいます。

次月は「新潮」と「文學界」に書評を書いています。『メディア・リテラシーを高めるための文章演習』も売れ行き好調で、同書の内容を踏まえて、今年はメディア系の博物館の展示を作ったり、教育用のDVDの監修を行ったりする予定です。


2019/04/21

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第55回 辻村深月『鍵のない夢を見る』

西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」(第55回 2019年4月21日)では、辻村深月の直木賞受賞作『鍵のない夢を見る』について論じました。

この作品集で描かれる5人の女性たちは、何れも青春、恋愛、就職、結婚、育児など、一般に良いイメージで語られる人生の節目となるイベントと「孤独」に格闘しています。そして5つの短編のタイトルには、各女性たちの闇や孤独を反映するように、「泥棒」「放火」「逃亡」「殺人」「誘拐」という2文字の物騒な言葉が記されていますが、彼女たちの犯罪との関わり方は多様です。

辻村が生まれ育った山梨県の石和町(現・笛吹市)を想起させる「石蕗(つわぶき)町」という地名や、辻村が進学した千葉大学を想起させる「芹葉大学」という大学名が使用されていることを考えれば、辻村深月の「私小説」に似た短編集だと考えることができます。文庫版に収録されている林真理子との対談の中で、辻村は自身の出産と子育ての経験を踏まえて本作の一部を書いたことを明かしています。

この短編集で辻村深月は、地方の生活に内在する親密感と閉塞感の双方に着目しながら、親しい人間関係の中に横たわる「断層」を、5人の女性の視点から浮き彫りにしています。直木賞の受賞に相応しい、作者の成熟した筆力が伝わってくる短編集だと思います。



2019/04/14

近刊と近況

今年度もよろしくお願いいたします。
昨年は単著2冊と西日本新聞連載で、慌ただしい一年でしたが、今年も懲りずに、単著を2冊ぐらい出したいと計画しています。
近々刊行される書籍(分担執筆)は下記の2冊です。
来月上旬発売の文芸誌2誌にも、短めの原稿を寄稿しています。

2019年5月16日に河出書房新社から出版される『江藤淳』(中島岳志・平山周吉監修)に、江藤淳と柄谷行人にとっての「アメリカ」と「他者」について分析した原稿を、20枚ほど書いております。読みやすいとは思いますが、二人の批評の方法論に関する踏み込んだ論考です。分量はそれほど多くはありませんが、春先の労力の大半を注ぎ込んだ原稿です。
http://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309028019/

概要(河出書房新社HPより)
没後20年、平成が終わる今、改めて江藤淳を読み直す。【巻頭対談】中島岳志×平山周吉【論考】苅部直、與那覇潤、酒井信、浜崎洋介、西村裕一……単行本未収録の重要作品も多数収録。

分担執筆では、2019年5月10日に世界思想社から出版される『メディア用語基本事典〔第2版〕』(渡辺武達・金山勉・野原仁編)で以下の4つの項目を執筆しています。「メディアと現代文学」、「トランプ型選挙と政治 US election and politics in Trump's age 」、「世界のメディア・コミュニケーション研究関連学会 media communication research organizations of the world」、「忘れられる権利 right to  be forgotten」。
こちらもよろしくお願いいたします。
http://sekaishisosha.jp/book/b451007.html

西日本新聞で連載中の「現代ブンガク風土記」で、2018年度に取り上げた小説の一覧は下記の52作品です。今年も毎週日曜日に、様々な現代文学について論じていく予定です!





西日本新聞「現代ブンガク風土記」第54回 平野啓一郎『ある男』

西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」(第54回 2019年4月14日)では、平野啓一郎『ある男』について論じました。表題は「現代人の『成熟と喪失』」です。

この小説は、横浜で弁護士事務所を営む38歳の城戸の視点から、宮崎県の西都市を想起させる場所で起きた「文房具屋の里枝ちゃんの旦那」の死亡事故の謎を解明していく内容です。「入れ替わった人間」に関わる様々な人々の視点から「失われた時」を巡って、登場人物たちの内的な時間を掘り下げる展開が、小説に深みを与えています。

ネット上で「戸籍」の売り買いが行われる時代に、新しいアイデンティティを持ちたいと考える人々の現実感を反映した作品と言えます。

この作品で描かれる「人生の死角」と呼べるような場所には、文学が描くべき「余白」が感じられます。平野啓一郎はこのような「死角」を通して、普通の家庭で生まれ育つという「一億総中流の時代の幻想」が崩壊した後の時代の現実感を描いているのだと思います。分量以上に読み応えのある作品です。


2019/04/07

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第53回 恩田陸『蜜蜂と遠雷』

西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」の2年目最初(第53回 2019年4月7日)に取り上げた小説は、恩田陸の直木賞受賞作『蜜蜂と遠雷』です。表題は「土着性回復する過程も描く」です。

「蜜蜂と遠雷」は実在する浜松国際ピアノコンクールをモデルとした小説です。恩田は小説の執筆にあたり、第6回からこのコンクールを取材し、ほぼすべての演者の曲を聴いてきたらしいです。この小説は「第6回芳ヶ江ピアノコンクール」の第1次予選〜本選を描きながら、主要な4人のピアニストたちの、コンテストの舞台に上がるまでに経験してきた時間や、音楽に対する価値観を描いています。

演奏者たちの内面を、曲の世界を生きた人間として、空想的に物語を展開している点が面白いです。作中では宮沢賢治の作品世界を参考にして作られた「春の修羅」という「オリジナル曲」が重要な役割を果たしたり、様々な仕掛けに満ちています。全体を通して読みやすい文章ですが、リズミカルな宮沢賢治の詩を、「オリジナル曲」として登場させ、その音楽世界を小説らしい言葉で描くという実験的な技法も魅力的です。

作中に記されているように、ヨーロッパ発祥のクラシック音楽は、二つの大戦を経てアメリカに多くの人材が流出し、良くも悪くも大衆化されてきました。「世界はボーダレスに見えても、やはりルーツからは逃れられない。育った風景や風土は確実に身体に刷り込まれている」という今日のクラシック音楽のあり方を問う文章は、文明批評としても本格的なものだと思います。


2019/04/02

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第52回 恩田陸『夜のピクニック』

西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」は2年目に突入します! 連載開始から1年間で様々な場所を舞台にした現代小説52作品を取り上げてきました。引き続き、魅力的な小説を取り上げていきますので、よろしくお願いいたします。

年度末の「現代ブンガク風土記」(第52回 2019年3月31日)は、恩田陸の本屋大賞受賞作『夜のピクニック』について論じました。表題は「『通過儀礼』を青春小説へ」です。

「夜のピクニック」は恩田の母校、茨城県立水戸第一高校の「歩く会」をモチーフにした作品です。作中で描かれる「歩行祭」は、年に1回、全校生徒が朝の8時から翌朝の8時まで、80キロの道のりを歩く行事です。この作品は、通過儀礼としての「歩行祭」を通して、高校生たちが普段よりも素直になり「心の距離を近付ける姿」を描いた作品です。

「信頼している友人が、目に見える、ちょっと離れたところを歩いている。それだけで満足だった」と記されているように、登場人物たちの「歩行祭」の歩みは、それぞれの高校生活を象徴するものとなります。

「夜のピクニック」は、友情と恋愛の境目がゆるく、友人とも恋人とも言えるような高校生らしい人間関係の闇の深さを、登場人物たちの思春期の自意識を通して、浮き彫りにすることに成功しています。「みんなで夜歩く」というシンプルな「通過儀礼」を、前時代的な古臭さを削ぎ落とし、思春期の男女の「心の旅」として描いた著者の筆力が光る作品です。