2020/09/03

「広報会議」2020年10月号に寄稿しました

 「広報会議」2020年10月号に「ソーシャルリスクと炎上対策」に関する論考を寄稿しました。

「広報会議」2020年10月号目次

https://www.sendenkaigi.com/books/back-number-kouhoukaigi/detail.php?id=23362

【特集3】「リスクに備えるネット炎上 予防策と発生時の対応」に掲載されています。表題は「ソーシャルリスクと炎上対策 絶対やってはいけない広報対応とは?」です。

昨年に出版した『メディア・リテラシーを高めるための文章演習』の内容を踏まえて、新型コロナ禍の「ソーシャルリスクと炎上対策」について記した内容です。朝日新聞、日産、ブルボン、亀田製菓などいくつかの炎上の具体事例について分析しています。

ご関心が向くようでしたら、ぜひご一読ください!



2020/09/01

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第123回 遠野遥『破局』

 西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」(第123回 2020年8月30日)は、遠野遥のデビュー2作目&芥川賞受賞作『破局』を取り上げています。表題は「抑圧と解放 現代の青春残酷物語」です。慶應義塾大学を舞台にした小説ですので、大学院から助教時代まで10年ほどいた時の内輪ネタも織り込みつつ論じました。

慶應義塾大学のキャンパスを舞台に、筋トレと性行為を両輪として肉体的な欲望を満たすための努力を惜しまない「優等生」の生活を描いた作品です。デビュー2作目で、28歳の若さで芥川賞を獲得した遠野遥の「私小説」ともとれる赤裸々な描写が話題となりました。

この作品は慶應の付属校出身で政治家志望の麻衣子の「高すぎるプライド」と、地方出身で一見すると大人しそうに見える灯の「性的な貪欲さ」の双方に翻弄される陽介の無意識的な欲望の流れを巧みに描いています。「破局」は優等生・陽介の抑圧された欲望と、解放された欲望の落差を上手く表現した、現代的な「青春残酷物語」だと思います。


遠野遥『破局』あらすじ

慶應義塾大学を連想させる「日吉」と「三田」のキャンパスを舞台とした作品。主人公の陽介は元ラガーマンで体格が良く、女性にもてる。ただ公務員を志望していることもあり、社会的な規範に対する意識が強く、女性との関係の持ち方も抑制的である。陽介は付き合っていた4年生の麻衣子と別れて、偶然知り合った1年生の灯と初々しい付き合いをはじめるが、ちょっとした問題で「破局」へと向かう。

2020/08/27

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第122回 辻村深月『ツナグ』

 西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」(第122回 2020年8月23日)は、辻村深月の代表作の一つ『ツナグ』を取り上げています。表題は「品川起点に物語る集合的記憶」です。

8月も色々と仕事が重なり、夏休みを過ごした感じが全くしないですが、遅れている原稿に取り掛かりつつ、青学の集中講義の準備と、秋学期の授業準備(英語50%)に取り掛かるところです。

辻村深月の「ツナグ」は、品川のホテルを玄関口として死者の世界と現世を取り次ぐ「使者(ツナグ)」を中心とした物語です。

品川は東海道五十三次の一番目の宿場町で、江戸の街の境目でした。日本橋から8キロという立地の良さも手伝って、品川宿は岡場所(歓楽街)としても大いに栄えています。落語の名作「品川心中」や「居残り佐平治」は、往時の品川宿の遊郭の賑わいを伝える作品です。

高層のホテルが林立し、東京の外環を形作る現代の品川は、依然として死者と生者の面会場所に相応しいのだと思います。


辻村深月『ツナグ』あらすじ

死んだ人間と生きた人間を、一生に一度だけ引き合わせる「使者=ツナグ」。自殺の噂が囁かれるアイドルや、癌であることを知らされることなく亡くなった母親、結婚を前にして突如行方不明となった婚約者など、訳ありの死者たちと再会する人々の姿が描かれる。「占いの家系」に生まれ、「使者=ツナグ」となった歩美の家族の謎にも迫るミステリー形式の作品。著者らしい異色の連作長編小説。

2020/08/17

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第121回 馳星周『少年と犬』

 西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」(第121回 2020年8月16日)は、東日本大震災と熊本地震の双方を描いた、馳星周の直木賞受賞作『少年と犬』を取り上げています。表題は「「守護神」の旅路描く震災文学」です。

東日本大震災の被災地を起点として、5年の歳月をかけて熊本に向かう一匹の犬と、その飼い主たちの物語です。収録された6つの短編を通して、最初の飼い主に「多聞」と名付けられたこの犬が、釜石から熊本への旅路で出会う人々との「言葉を超えた交流」が描かれています。「少年と犬」は、孤独な登場人物たちに「送りびと」として寄り添う一匹の犬の旅路を通して、私たちが暮らす世界の危うさと貴重さを炙り出した、馳星周らしい異色の震災文学です。


馳星周『少年と犬』あらすじ

釜石から熊本まで5年をかけて移動するシェパード犬の多聞と、その飼い主たちの生活を描いた作品。多聞は人々の「避けられない死」を見届けるために、飼い主を変えながら日本列島を南下していく。2011年の東日本大震災と、2016年の熊本地震を結びつける「少年と犬」の物語。第163回(2020年上半期)直木賞受賞作。

2020/08/12

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第120回 馳星周『不夜城』

祝120回! 西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」(第120回 2020年8月09日)は、新宿歌舞伎町の「裏の裏」を舞台にした馳星周のデビュー作『不夜城』を取り上げています。表題は「都会の「ジャングル」裏の裏」です。

連載も120回に達しましたが、取り上げる候補作のリストは増える一方で、まだ取り上げていない大作家の作品も多く残っています(馳星周もその一人でした)。全体に直木賞系の作家の作品を多く取り上げているのですが(現代小説の面白さを伝えたいため)、そろそろ芥川賞系の作家の代表作も、本腰を入れて取り上げていこう、と考えています。

『不夜城』は、私が大学に入学した年(1996年)に発表された作品です。中国マフィアの視点から日本最大の歓楽街である新宿・歌舞伎町を描いた視点が新鮮で、中国からの移住者や留学生が増加した現代日本の現実感を先取りしています。複雑な利害関係に根差した中国マフィアたちの人物描写が巧みで、個性的な登場人物たちが互いを出し抜こうと必死で戦う「群像劇」が、血生臭さを漂わせながら、目くるめく展開されます。


馳星周『不夜城』あらすじ

「日本の法律」が及ばない歌舞伎町を舞台に、台湾系日本人の健一と、育ての親の楊偉民、かつての仕事上のパートナー呉富春、中国東北部で生まれ育った夏美の関係を描く。一括りに中国人マフィアと呼ばれる人々が、台湾系・上海系・北京系・広東系など出身地域ごとに結束し、血を血で洗う抗争を繰り広げるハードボイルド小説。


2020/08/05

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第119回 前田司郎『愛でもない青春でもない旅立たない』

西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」(第119回 2020年8月26日)は、前田司郎の出身地・五反田を舞台にした青春小説『愛でもない青春でもない旅立たない』を取り上げています。表題は「通過儀礼なく大人になれるか」です。

現時点で引き受けている仕事量的に、夏休みは終わった感じがしていますが(GO TO 何とかに関係なく、旅行どころではありませんが)、働き盛りと言われる40代を、快活に過ごしたいと思います。

近代文学は、青春時代に人々が経験する何の役にも立たないような円環的な時間=モラトリアムを描いてきました。『愛でもない青春でもない旅立たない』は、この系譜に沿った青春小説で、社会的な意味では志が低そうに見えますが、思春期の夢のような無為な時間を描いている点で、文学的な意味では志が高いです。成熟の三種の神器といえる「愛と青春と旅立ち」なしで現代人は大人になることができるのでしょうか?


前田司郎『愛でもない青春でもない旅立たない』あらすじ
五反田に住みながら郊外の大学に通う「僕」の愛と旅立ちなき青春を描いた作品。前田司郎の小説デビュー作。「僕」は大学を留年しているが、危機感は抱いておらず、友人の山本や元宮ユキと弛緩した日々をだらだらと送っている。女性との関係の築き方が下手な「僕」は、美人の恋人のまなみに愛想をつかされて、失われた青春の大切さに気付く。劇団・五反田団を主宰する前田司郎の小説デビュー作。

2020/07/29

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第118回 絲山秋子『離陸』

西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」(第118回 2020年7月26日)は、絲山秋子の九州を舞台にしたミステリー長編『離陸』を取り上げています。表題は「球磨、中米…ミステリー大河」です。写真は西日本新聞社が空撮した2020年7月の記録的豪雨で破損した球磨川第一橋梁で、熊本県の南部を走る球磨川の流域を主な舞台にした作品です。

幼少期に長崎大水害を経験したこともあり、今年の豪雨被害の大きさにやるせなさを感じています。

物語は熊本県の八代市や群馬県のみなかみ町を起点としながらも、五島列島の福江島、会津若松、パリ市内や中米のマルティニーク島、ヨルダン川西岸地区など、広範な場所で展開されています。先見的な球磨川の土地への描写が印象に残る内容で、絲山秋子にしか書きえない、日本とフランスの双方の「周縁の歴史」に立脚したミステリー仕立ての大作です。



絲山秋子『離陸』あらすじ
長崎の五島出身の舞台女優、乃緒の謎めいた失踪事件を、国土交通省のエリート官僚・佐藤の視点から描いた異色のミステリー小説。乃緒の消息がリヨン、パリ、イスラエル、九州など広範囲で確認され、佐藤もユネスコ科学局への出向を命じられ、パリを拠点に乃緒の失踪の謎に迫る。絲山秋子作品としては珍しい長編のミステリー小説。

2020/07/21

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第117回 堀江敏幸『雪沼とその周辺』

西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」(第117回 2020年7月19日)は、堀江敏幸の谷崎潤一郎賞受賞作『雪沼とその周辺』を取り上げています。表題は「不器用な時代遅れへの愛着」です。堀江敏幸が生まれ育った岐阜県多治見市の周辺を舞台にしたと思しき作品です。

この作品は「雪沼」という架空の土地を舞台にして、時代に取り残された品物で商売をする人々を描いた作品です。単純さや明快さ大事にして生きる人々の、行間に垣間見えるちょっとした日常の努力や、人生の豊かさが魅力的です。

レイモンド・カーヴァーの作品のように、田舎町に根を張って生きる人々の、ちょっとした「こだわり」や「感情の訛り」を通して、人間存在の面白さを浮き彫りにすることに成功していると思います。谷崎潤一郎賞に相応しい、現代の日本文学を代表する作品の一つです。


堀江敏幸『雪沼とその周辺』あらすじ

雪沼というスキー場で有名な架空の町を舞台にした、オムニバス形式の短編集。山間のひなびた町で、ボーリング場や書道塾、レコード店や中華料理屋などを営み、時代から取り残された人々の生活を、生き生きとした筆致で描く。第40回谷崎潤一郎賞受賞作。


2020/07/15

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第116回 田中慎弥『神様のいない日本シリーズ』

西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」(第116回 2020年7月12日)は、田中慎弥の代表作『神様のいない日本シリーズ』を取り上げています。表題は「奇跡の逆転Vと独白する父」です。1958年に3連敗後に4連勝して日本シリーズを制した西鉄ライオンズの奇跡を起点とした作品で、「神様」とは「神様、仏様、稲尾様」と称えられた大エース・稲尾和久のことです。写真は懐かしの九州の野球の聖地・平和台球場のモニュメントを掲載頂きました。

この作品は、1958年に西鉄が起こしたような奇跡を、後に母親となる女性と共に「神様」なしで引き起こそうとする父親の話です。1986年に一文字違いの「西武ライオンズ」が日本シリーズで3連敗後に4連勝する日に、その奇跡は起きるのかどうか。

サミュエル・ベケットの「ゴドーを待ちながら」を引きながら、なかなか姿を現さない超越的な存在として祖父を描きつつ、太宰治の「走れメロス」を引きながら、処刑されることを覚悟で、努力して姿を現す、隣人のような存在として祖父を描いている点が面白い作品です。



田中慎弥『神様のいない日本シリーズ』あらすじ
1958年、西鉄ライオンズは巨人に三連敗しながらも、鉄腕・稲尾和久の活躍で日本シリーズを制する。小学校の時に失踪した祖父と野球をめぐる思い出や、中学校の時に後の母親と上演した「ゴドーを待ちながら」の思い出が、父親の視点から「扉一枚分」の距離で語られる。

2020/07/10

新潮(2020年8月号)に書評を寄稿しました

新潮(2020年8月号)に富岡幸一郎『天皇論 江藤淳と三島由紀夫』の書評を寄稿しました。江藤淳と三島由紀夫の全く異なる「天皇論」を両極としながら、柄谷行人、吉本隆明、林房雄、折口信夫、中野重治など、名だたる文学者たちの「様々な天皇論」を紹介しながら、持論を展開している点が面白いです。特に柄谷行人と吉本隆明の「天皇論」を分析する箇所が面白く、江藤淳や三島由紀夫に「アレルギー反応」を起こす人々にとっても一読に値すると思います。

例えば柄谷行人は「天皇の万世一系に対する批判として、天皇家自体が海外から来ているとか、あるいはアイヌが日本文化の源流であるとか縄文文化がそうであるとか、あるいは多数の移民によって形成されてきたんだとか、そういった議論が出されてきたわけです。しかし、そういう理論の方がむしろ今後の天皇制にとって有効な理論になるだろうと思う。つまり、もともと日本人は単一じゃないんだ、という考えは、今日の日本の「国際化」にとって必要だからです」と述べていますが、私の考えもこのような「国際的な天皇論」に近いです。

江藤淳の「天皇」に関する批評文には、三島由紀夫が抱いたような「文化天皇」に関する信仰の問題を「実務家」らしく脱構築して、閉ざされた言語空間=戦後日本の批評へと展開する向きがありました。江藤の批評は感度が鋭く、今日読み返しても興味深いです。
江藤も三島も流暢に英語を話すことができる「国際的な文学者」でした。戦後の名だたる文学者・思想家たちが展開した天皇制のあり方に関する議論が「空気」のように放置されるのではなく、国際的な文脈で再考されることを願っています。