2021/05/24

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第159回 町田康『湖畔の愛』

 西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」(第159回 2021年5月23日)は、町田康のコメディ風の恋愛小説『湖畔の愛』を取り上げました。表題は「カルデラ湖のほとりの奇談」です。芦ノ湖を想起させる湖の近くにある「九界湖ホテル」を舞台にした作品です。

 創業百年を迎えた老舗ホテルは、歴史的建造物として一部で名が知れていますが、数年前から「稼働率がアパパ」になり、「経営はアホホ」の状態に陥っています。冒頭に収録された「湖畔」は「昭和のコント」のようなシチュエーション・コメディで、アメリカのスラップスティックの雰囲気もあり、チャーリー浜のような口調や雑用係の「スカ爺」が重要な役回りを演じる点は、吉本新喜劇を連想させます。

 2番目の「雨女」は、人気の女性ファッション誌「VOREGYA」の取材が入り、ハルマゲドンのような自然災害が起こるという突飛な設定の作品です。近松秋江の「情痴文学」と形容された私小説のように、恋する男女の心情描写が特徴的で、オーソドックスな日本文学の香りがします。

 表題作の「湖畔の愛」は、陽の目を見ぬまま鳥取砂丘に消えたとされる伝説の芸人・横山ルンバをOBに持つ「立脚大学」の演劇研究会の九界湖合宿を描いています。話芸を極めようとする学生の青春と、美女との恋愛が交錯した物語で、文芸に限らず、演芸全般に造詣の深い町田康の作家としての資質が生きた作品だと思います。

西日本新聞me

https://www.nishinippon.co.jp/item/n/743228/

町田康『湖畔の愛』あらすじ

 資金繰りに苦しむ老舗ホテル・九界湖ホテルを舞台にした3作品を収録した小説。ホテルで働く、中年男性・新町と若い女性・圧岡、雑用係の爺さんの3人のところに、独特の訛りを持つ金持ち・太田や、超常現象を引き起こす雨女・船越、絶世の美女・気島などが訪れ、様々な問題を引き起こす。笑いと恋に満ちた町田康の新しい代表作。


2021/05/17

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第158回 ねじめ正一『高円寺純情商店街』

 西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」(第158回 2021年5月16日)は、明治大学中野キャンパスから徒歩圏内にある商店街を舞台にした、ねじめ正一『高円寺純情商店街』を取り上げました。表題は「街に根を張る商いを『写実』」です。中野キャンパスからは、高層ビルが林立する新宿副都心も良く見えますが、中野サンモール商店街・中野ブロードウェイや、高円寺純情商店街など、活気のある商店街にもアクセスしやすいです。

 商店街で生まれ育ったねじめ正一だからこそ書けるような描写が魅力的な作品です。乾物屋は梅雨時になると朝から晩まで湿気を防ぐことに気を配り、魚屋は、夏は魚が腐らないように気を配り、冬は冷たい水で魚を洗うため手が荒れ、年間を通して大声を出して活きの良さを演出します。

 小説の設定と同じく、ねじめ正一の実家は高円寺で乾物屋を営んでいました。乾物屋は「ねじめ民芸店」に変わり、阿佐ヶ谷に移りましたが、ねじめ正一は詩人としてデビューした後も民芸店の店主を務めていました。この小説が直木賞を受賞したのち、「高円寺銀座商店街」は「高円寺純情商店街」へと名称を変更しています。実在の街の名前が、小説の街の名前に変わるという例は、日本の文学史において極めて稀だと思います。商店街で乾物屋の息子として生まれ育ってきたことへの自負と、個人商店主への敬意と愛情が伝わってくる作品です。

西日本新聞meへのリンク

https://www.nishinippon.co.jp/item/n/739443/

ねじめ正一『高円寺純情商店街』あらすじ

 高円寺駅の北口にあるとされる「純情商店街」で生きる人々を、乾物屋の「江州屋」で生まれ育った「正一」の視点を通して描いた作品。乾物屋の仕事の傍ら俳句に熱中する父親や、隣の魚屋を手伝うケイ子、銭湯で番台に立つ小学校の同級生の宮地サンなど、周囲の人々の描写が味わい深い。ねじめ正一の自伝的な作品であり、第101回直木賞受賞作。

2021/05/10

奇妙な廃墟に聳える邪宗門 『福田和也コレクション1:本を読む、乱世を生きる』書評

 『福田和也コレクション1』の書評を寄稿しました。90年代から00年代の批評のことなど、色々と書いておりますが、当時38歳だった若き福田和也先生との思い出や、「批評空間」の最終号の巻頭鼎談「アナーキズムと右翼(絓秀実・福田和也・柄谷行人)」の対談のまとめ(当時、院生だった私が担当しています)のことなど、雑誌メディア史的にもレアな話もあるかと思います。800ページを超える批評本への敬意を込めて、時間を掛けて書きましたので、お時間のある時にでもご一読を頂ければ幸いです。『福田和也コレクション2、3』についても機会があれば、どこかに批評を寄稿する予定でいます。

奇妙な廃墟に聳える邪宗門 『福田和也コレクション1:本を読む、乱世を生きる』書評【酒井信】

https://www.kk-bestsellers.com/articles/-/945463/

exicite news版

https://www.excite.co.jp/news/article/BestTimes_00945463/

 上の記事はトップページでご紹介を頂いたこともあり、掲載から2時間ほどで(無事)アクセス・ランキングで上位に入り、平山周吉さんや中西大輔さんなど、往時の福田和也を知る編集者の方々から、熱いリアクションを頂くことができました。福田和也について論じる批評性を要する仕事でしたので、非常に嬉しく感じました。

 当面は西日本新聞の連載を継続しながら、書籍にすることを目指しつつ、1年ほどかけて「en-taxi」「諸君!」に寄稿した批評文や、江藤淳論・福田和也論・坪内祐三追悼文などを加筆・改稿して、まとまった書籍にしたいと考えています(秋口から版元を探し始めることになると思います)。批評に風当たりが強く、なかなか文章の中身や価値を評価してもらいにくい時代ですが、何とか踏ん張って批評文を書き続けたいと思います。

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第157回 中村文則『去年の冬、きみと別れ』

 西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」(第157回 2021年5月9日)は、ここ数か月、日本の本格推理小説を読み込んでいることもあり、中村文則のミステリー作品で、2018年に映画化された『去年の冬、きみと別れ』を取り上げました。表題は「犯罪者への安堵と共感」です。

 異様な事件を引き起こした犯罪者の心理に人々が関心を持つのは、不可解な人間の振る舞いに、悪のラベルを貼り、安堵したいからでしょうか。それとも退屈な日常に風穴を開ける犯罪者の言動に、少しでも人間性を見出し、無意識的に共感したいからでしょうか。本作で描かれる犯罪は、名前が付けがたく、安堵も共感もしにくいものです。

 トルーマン・カポーティの「冷血」について、作中で繰り返し言及されています。ニュージャーナリズムの源流とされる作品で、カポーティはカンザス州の惨殺事件を取材し、ノンフィクション小説の原型となる筆致で記しました。ただ本作はカポーティの「冷血」のように、書き手の存在を消去した作品ではなく、登場人物たちのバイアスも描き、そこに込み入った謎が存在することも明していきます。「信用できない語り手」が物語を展開するカズオ・イシグロの小説にも近いです。

 カポーティは「冷血」を書いたのち心に変調をきたしましたが、彼は「冷血」を書くことで、殺人犯が体現する人間の欲望の臨界と向き合いました。本作は、中村文則が犯罪者への安堵と共感という、一般の人々が抱く「冷血な感情」と向き合った本格推理小説です。

西日本新聞 meへのリンク

https://www.nishinippon.co.jp/item/n/735712/


中村文則『去年の冬、きみと別れ』あらすじ

 二人の女性が殺害された猟奇的な焼殺事件の謎を、ライターの僕が犯人や関係者を取材しながら明らかにしていく作品。写真家・木原坂雄大と姉・朱里のきな臭い関係と、事件の真相とは。複雑に織り込まれた謎が、物語を二転三転させる構成が巧みで、ミステリー作家としての中村文則の評価を高めた作品。


2021/05/03

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第156回 岡田利規『わたしたちに許された特別な時間の終わり』

 西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」(第156回 2021年5月2日)は、新型コロナ禍で平穏な日常の意味が問われていることもあり、岡田利規『わたしたちに許された特別な時間の終わり』を取り上げました。表題は「間延びした日常に風穴」です。

 演劇に関わる人々の時間の流れ方は、スマホで動画を視聴することに慣れた現代人のそれとは、大きく異なると思います。役者たちは自らの身体を客の前にさらしながら、内的に消化した時間を繰り返し舞台の上で現前化させます。観客も劇場へと足を運び、狭い空間に拘束され、舞台上で展開される時間にシンクロし、それを楽しみます。ウェブ上で様々な動画が視聴できる時代に、演劇が役者たちと観客の双方に求めるハードルは高いです。

 ただ人間が、他の人間が演じる物事を、同じ時空間で一緒に経験したいという欲求は、群れることで文明を築いてきた人間らしい根源的なものなのだとも思います。フロイトが言うように、人間は他人の欲望を模倣することで成長し、社会的な存在となります。生身の人間から得られる時間は、感情の通った欲望を伴う、取り換えのきかないもので、オンライン上の情報やコミュニケーションでは代替できません。

 岡田利規の「わたしたちに許された特別な時間の終わり」は、劇作家らしい時間に関する感度の高さが感じられる良作だと思います。これといった出来事が起こらない筋書きや、ため口の場面説明や台詞回し、現代文学のような飛躍した場面展開など、個性的な作風が際立っています。本作は、私たちの日常の中に横たわる、取り留めもない「特別な時間」の意味の重さを問いかける作品です。

西日本新聞 meの掲載記事



岡田利規『わたしたちに許された特別な時間の終わり』あらすじ

 イラク戦争の足音が聞こえる中、偶然出会った男女が渋谷のラブホテルに5日間滞在する「三月の5日間」と、フリーターの夫婦のすれ違う時間を描いた「わたしの場所の複数」を収録。劇団チェルフィッチュを主宰する岡田利規の初めての小説で、第二回大江健三郎賞受賞作。

2021/04/26

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第155回 川上未映子『ヘヴン』

 西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」(第155回 2021年4月25日)は、旭川市のいじめ凍死事件が起きたこともあり、いじめを題材とした現代小説の代表作、川上未映子『ヘヴン』を取り上げました。表題は「いじめの苦難「向こう側」夢見て」です。

 旭川の事件は、母親・生徒の担任への相談も繰り返しあり、川への飛び込み事件も起き、警察の捜査も入り、転校もして、PTSDの診断もあっても、調査委員会が設置されておらず、凍死事件が起きるという、あまりにも悲惨なものでした。狭い人間関係の中で生じる陰湿ないじめを抑止する仕組みが、少しでも早く整うことを願っています。

 川上未映子『ヘヴン』は冒頭で引かれた「目を閉じさえすればよい。すると人生の向こう側だ」という、ルイ=フェルディナン・セリーヌ『夜の果てへの旅』の一節が、読後の印象として強く残る作品です。

 目を閉じて、人生の難局が過ぎ去り「人生の向こう側」へ行ければいいのに、と誰もが一度は願ったことがあるのではないでしょうか。この作品はいじめにあった14歳の男女が、殉教者のように目を閉じ、祈るように人生の苦境を乗り切り、その「向こう側」にある「ヘヴン」を模索する切なくも生命力に満ちた作品です。

 写真は作品の舞台と思しき場所の近く、横浜市南区の大原隧道で撮影しました。作中の切ない恋心が写真で表現できてる気がしています。

 先週末に批評本の批評(12枚)を書き終えて、ようやくGWを実感してきた今日この頃です。

西日本新聞 meの掲載記事

https://www.nishinippon.co.jp/item/n/729290/


川上未映子『ヘヴン』あらすじ
 悪質ないじめを受けている僕が、ある日「わたしたちは仲間です」という匿名の手紙を受け取る。いじめを受けた男女が「きっといつかこれを耐えなきゃたどりつけなかったような場所やできごと」を手にする希望を抱いて、ほのかな恋心を育み、手を取り合って成長していく。著者の新境地として高く評価された芸術選奨新人賞、紫式部文学賞受賞作。


2021/04/19

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第154回 町田そのこ『52ヘルツのクジラたち』

 西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」(第154回 2021年4月18日)は、2021年の本屋大賞受賞作、町田そのこの『52ヘルツのクジラたち』を取り上げています。表題は「拡張する社会が抱える矛盾」です。

 大分県の小さな海辺の町を舞台に、親からの虐待に苦しんできた「わたし」ことキナコとその友人たちの青春を描いた作品です。一般にクジラは10~39ヘルツで歌うことで仲間と連絡を取り合い、繁殖するらしいですが、52ヘルツのクジラは声の周波数が高すぎるため、孤独に大海原を生き抜かなければなりません。「52ヘルツのクジラ」のエピソードは、孤独な人生を歩んできた登場人物たちを象徴するもので、誰に読まれるか分からない文章を書き続ける、作者のアイデンティを表現したものでもあると思います。

 人間は群れを成して生きる動物であり、環境に左右される存在です。ただこの世に弱い存在として生れ落ちる子供にとって、第一に「群れ」や「環境」とは家庭であり、それは自ら選ぶことのできない所与のものとして、理不尽に人生を左右します。現代社会で、私たちは依然として狭い家庭環境に左右されながら生まれ育ち、血縁や地縁を超えた生活や人間関係を容易には築けないでいます。本作は、外見は前近代的なしがらみを克服したかに見える現代社会が内側に抱える感情的な矛盾を描いた作品で、新型コロナ禍の時代に相応しい「本屋大賞受賞作」だと思います。

https://www.nishinippon.co.jp/item/n/725496/


町田そのこ『52ヘルツのクジラたち』あらすじ

 家族から虐待を受けて育ったキナコが、友人の美晴が働く塾の講師・アンさんなどに支えられながら成長していく物語。家族の下を離れ、祖母の自宅があった大分に移住したキナコは、母親から虐待を受けている少年と出会い、彼を庇護しながら自己の人生と向き合っていく。勤め先の跡継ぎだった主税との苦い恋愛遍歴など、ミステリアスなキナコの過去が徐々に明らかにされる展開がスリリングな作品。2021年本屋大賞第一位。

 


2021/04/17

広報誌「明治」と「国際日本学研究」への寄稿

 明治大学の広報誌「明治」第89号(2021年4月発行)に「メディア・リテラシーの有無が生死を分けることもある」を寄稿しました。

「明治」第89号には、校友の安住 紳一郎さん(TBSテレビ アナウンサー)への創立140周年記念特別インタビューや、特集「明治大学が切り拓く就職キャリア支援」などが掲載されています。

目次

https://www.meiji.ac.jp/koho/meiji/89.html

 それと明治大学が発行する「国際日本学研究」に「現代日本の新聞産業の現状と収益構造の変化に関する研究」という論文を寄稿しました。科研費の分担分の成果の一部で、ボリュームのある原稿です。日本の新聞産業の特徴と現状について、様々な統計データを用いながら考察しています。

「国際日本学研究」第13巻 第1号(2020) pp.39-56

https://www.meiji.ac.jp/nippon/6t5h7p00000ifucc-att/6t5h7p00000ifuen.pdf

2021/04/12

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第153回 芦沢央『汚れた手をそこで拭かない』

 西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」(第153回 2021年4月11日)は、芦沢央の第164回直木賞候補作『汚れた手をそこで拭かない』を取り上げています。表題は「日常に潜む『落とし穴』」です。この回の直木賞は、時代小説の受賞が期待される状況だったこともあり、受賞に至りませんでしたが、最も芥川賞向きの作風で、文学性も高く、将来が期待される作家だと思います。

写真は「世界一の本の町 神田すずらん通り商店街」です。神保町では、大学2,3年の時にイタリア系の出版社デアゴスティーニ・ジャパンの編集部でバイトしていました。東京堂でよく立ち読みしてサボっていたので、東京堂の写真を掲載頂きました。四半世紀が経った今日も、明治大学での会議ついでにボンディでカレーを食べ、古本を物色しつつ、すずらん通りを散歩しました。世界一の商店街だと思います。

神保町はさておき、芦沢央は平穏だと考えていた日常を侵食する「小さな悪意」を通して小説のリアリティを築くのが上手いです。「汚れた手をそこで拭かない」は、人々が穏やかな日常生活の中で見落としているような「小さな悪意」を起爆剤として、喜怒哀楽に還元しがたい際どい感情を表現した短編集といえます。単行本の帯文に「ひたひたと忍び寄るおそろしさ、ぬるりと変容する日常から、目を背けてはならない」と記されていますが、言い得て妙です。

 老人がアパートの隣人の電気機器を親切に修理するふりをして、盗電して自室の電気代を節約するなど「小さな悪意」が、小説の中心的な題材として取り上げられています。個人的に最も印象に残ったのが、「埋め合わせ」という作品で、小学校のプールの栓を閉め忘れて大量の水を流出させたことを隠蔽しようとする小学校教師の姿が描かれています。

 現実に日本では、プールの給水栓を小学校教員が閉め忘れ、上下水道料金(数百万円になることも)を請求される事例が生じています。平穏な小学校の夏休みにぽっかりと空いた「落とし穴」が、ホラー作品のような恐怖を読者に与えます。

西日本新聞 me

https://www.nishinippon.co.jp/item/n/721790/


芦沢央『汚れた手をそこで拭かない』あらすじ
 日々の生活の中に潜む「汚れ」をさりげなくどこかで「拭く」ような人間の小さな悪を軸にした5つの短編集。小学校の教師や認知症の妻を持つ老人、仏師を目指す元編集者など、お金に困り、自らの人生を袋小路へと追い込んでしまう不器用な大人たちを描く。第164回直木賞候補作。


2021/04/05

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第152回 高橋源一郎『ジョン・レノン対火星人』

 明治大学国際日本学部で2年目を迎えました。知り合いの教員がいない中、一般公募で専任教員として採用を頂いたことへの感謝の気持ちを、学部に対して持ち続けています。新型コロナへの対応は大変でしたが、快活に教育・研究・校務に勤しんできたつもりでいます。昨年の7月から対面授業を実施してきましたが、今学期は4月からすべての授業を対面でスタートし、すでに多くの学生たちと対面でやり取りできていることを、嬉しく感じています。

 ここ最近は学術論文を続けて書いています。先月末発行の「国際日本学研究」に「現代日本の新聞産業の現状と収益構造の変化に関する研究」という論文を15ページほど寄稿しました。科研費の分担分の成果の一部です。今は英字ニュースの解析と分析に関する依頼論文を書き終えたところで、7月下旬に学会誌に掲載予定です。文科省の共同利用・共同研究の昨年度分の報告書も作成中です。

 あと大学の広報誌『明治』の次の号に、以前にMeiji.netに寄稿した「メディア・リテラシーの有無が生死を分けることもある」が6ページで転載される予定です。内容を微調整しました。

https://makotsky.blogspot.com/2020/10/meijinet.html

 その他、西日本新聞の連載と分厚い評論本への批評、英字論文など、色々と仕事に追われている内に新年度という感じですが、この調子で、残り27年の教員生活を全うしたいものです。

 新年度最初の「現代ブンガク風土記」(第152回 2021年4月4日)は、昨年度のはじめの村上春樹『羊をめぐる冒険』と同様に、現代小説への関心の原点となった作品(高橋源一郎『ジョン・レノン対火星人』)を選びました。表題は「正気と狂気 理不尽な人間」です。

 高橋源一郎の「過激派」としてのルーツが感じられる作品で、好きな現代小説の一つです。ポスト・モダン小説と言える虚実が入り混じった実験的な作風で、当時の日本の戦争史観への皮肉がたっぷりと塗り込められています。唐突に「プロレスとは愛(アムール)なのだ」というアブドーラ・ブッチャーのセリフが挟まれたり、「突発性小林秀雄地獄」に見舞われた人物が「おれはきつと近代の野蛮人なのだ。近代絵画が好きだ、おれは。本居宣長は桜なのだ。利口なやつはたんと反省するがよい、おれは馬鹿だから」など小林風の言葉を口にして反省するなど、不条理な内容がめくるめく展開されます。

 写真は作品の舞台となった東京拘置所で、高橋源一郎は、横浜国立大学時代に学生運動に関わり、凶器準備集合罪で逮捕され、半年ほど収監された経験を持ちます。高橋はこの時のトラウマで失語症となり、長期間、読み書きが上手くできなくなったらしいですが、本作は初期の作品らしく収監中の辛い経験が、幻想的な描写に強く反映されていて味わい深いです。正気と狂気が襞のように折り重なった現実世界を、私たちは常にすでに理不尽な人間存在として生きて続けながら、シミュラークル(模造品)とシュミレーション(想定演算)の外側に抜け出せないでいる、という現実を高橋は言葉を起爆させることで、挑発的に風刺しています。

西日本新聞 me

https://www.nishinippon.co.jp/item/n/718161/


高橋源一郎『ジョン・レノン対火星人』あらすじ

「マザー・グース大戦争」の被告として収監された「わたし」や「花キャベツカントリー殺人事件」を起こした「すばらしい日本の戦争」などが、東京拘置所を舞台として奇妙な物語をひもとく。後に「すばらしい日本の戦争」が狂ったふりをしていたことが判明し、小説は急展開していく。第24回群像新人文学賞の最終候補作「すばらしい日本の戦争」を改題した高橋源一郎の初期の代表作。