2019/09/10

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第75回 湊かなえ『望郷』

西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」(第75回 2019年9月8日)は、人気作家・湊かなえの『望郷』を取り上げています。表題は「記憶が詰まった『離島小説』」です。
来月公開の映画の解説の仕事(劇場パンフレット掲載)が急遽入り、小説の評論とは違うアプローチで、日本を代表する役者たちの演技に注目しながら、原稿を仕上げたいと試行錯誤する日々です。

『望郷』は瀬戸内海の因島で育った湊かなえの経験が色濃く反映された自伝的な作品です。直木賞の候補となるも受賞には至りませんでしたが、収録されている短編「海の星」は、日本推理協会賞(短編部門)を受賞しています。「望郷」はデビュー作『告白』がベストセラーとなり、一躍、流行作家となった著者のルーツに迫る短編集と言えます。

湊かなえは1973年生まれで、広島県にある因島市(現・尾道市)の柑橘農家に生まれ、小学校から高校まで島内で教育を受けています。『望郷』は自己の経験を踏まえ、島の大半の雇用を生み出してきた造船業の衰退と、1983年の因島大橋の開通で本土と繋がった影響で変化した生活が、島の内外の子供と大人の内面を通して重層的に描かれている作品です。

造船所の進水式のお祭りのような賑わいや、死体が網に掛かっても警察に届けない漁師の慣習、島の名家に住む老人の封建的な言動など、因島で生まれ育った著者にしか書けない描写が、作品の要所に織り込まれていて小説の固有性を高めています。観光地として人気を集める「しまなみ海道」の「通過点」となった場所(因島)が経験してきた現代史を、その風土と共に伝える作品だと思います。


2019/09/04

西日本新聞掲載「没後20年 江藤淳の価値」

西日本新聞朝刊(2019年9月3日)に「没後20年 江藤淳の価値」という原稿を掲載頂きました。7月に開催した「江藤淳没後20年 昭和と平成の批評 —江藤淳は甦える—」の発表を踏まえた内容で、江藤淳の批評の現代的な価値について考察したものです。

紙面の見出しにも採用して頂きましたが、江藤淳は論理にし難い感情を批評として綴った批評家だったと思います。「アメリカと私」「文学と私」「戦後と私」などの著作で展開された、江藤の私的な感情の籠もった批評は、文学的な完成度が高く、今日読み返しても心に響きます。

文芸批評の代表作「成熟と喪失」は、戦後日本に浸透した人工的な生活空間=アメリカ化した日本の中で「喪失感」を引き受けながら生きることに、新しい時代の「成熟」の意味を見出した作品でした。上野千鶴子や加藤典洋の著作に代表されるように、この批評文を踏まえた議論は、戦後日本論として大きな成果をもたらしました。

その一方で江藤は、プリンストン大学で教鞭を執った経歴から「『外の世界』を経験してきた日本人に伝統的に課せられている義務」(『アメリカと私』)を抱き、論壇での批評に取り組んだ「国際的な知識人」でした。大江健三郎や吉本隆明との関係性の中で生まれた言葉は、そのまま戦後の思想史に明記されるべき興味深い文脈を有しています。

生活環境のアメリカ化がよりいっそう進み、文学が社会的な影響力を失いつつある現代日本で、江藤が文壇と論壇の双方で展開してきた批評文が、没後20年の節目で、正当に評価され、多くの人々に再読されることを願って止みません。


2019/09/02

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第74回 富岡多恵子『波うつ土地』

西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」(第74回 2019年9月1日)は、富岡多恵子の『波うつ土地』を取り上げています。表題は「新興住宅地の『性と信仰』」です。女性の作家が記した戦後小説の中でも屈指の名作だと思います。

この小説は多摩ニュータウンの一角を占める町田市を舞台とした作品だと考えられます。作中の描写の通り、町田市には、本町田遺跡公園など縄文時代の遺跡が多く残っています。谷と丘が凹凸をなし、波うつように斜面に家が建ち並んでいる土地の描写が、読後の印象に残ります。「土地は、海の方からおしよせてきて波うっているのか、それとも、陸の奥の、芯の方からおしよせてきたのか、この丘陵と谷戸の土地は、近年、都会からおしよせてきたヒトをのせて、波は大きくうねっているのだ。」

多摩ニュータウンの知名度の高さから、多摩丘陵は新興住宅地というイメージが強いですが、そこは小川が多く、湧き水も豊富であるため、縄文時代より前から多くの人々が暮らしてきた、関東でも有数の場所です。この作品のスケールの大きさは、「わたし」の不倫やアヤコの「信仰」のあり方を、太古の昔から繰り返されてきた、普遍性を有する人間の営みとして描いている点にあります。現代的な価値観の下で、性的な営みや信仰の形態は、限られたものに制約されていますが、本来、それは多様なものであることを、富岡多恵子は小説の全体を通して表現しています。

現在、ウランバートルでモンゴル国立科学技術大学との研修と、将来の相互協力に関する仕事に取り組んでいます。ご飯が美味しいので仕事も捗りますね。


2019/08/31

モンゴル科学技術大学との研修と大草原のゲル滞在

文教大学の学生24名を引率して「モンゴル異文化理解・共生体験研修」を、ウランバートルとその郊外で実施しています。モンゴル科学技術大学の外国語学部の学生14名と教員2名の手厚いサポートが有り難く、充実した研修を両国のメンバーで一緒に楽しんでいます。

モンゴル科学技術大学の入学式に、なぜかモンゴルの政治家と来賓席で(SPに囲まれ、草原に行く前のジャージ姿を怪しまれながら)参加することになったり、草原のゲルに滞在しながら羊を追ったり、馬に乗って草原の広さを感じたり、互いの文化を紹介し合う文化祭を開催したり、貴重な経験をさせて頂いています。

前回の引率から5年ほど経っていますが、ウランバートルの発展は目覚ましく、次々と高層ビルが建ち、スーパーの品揃えも明らかに充実しています。

言葉を通したコミュニケーションを超えて、寝食を共にしながら、学生たちが互いに打ち解けていく様子を見ることができるのが、非常に嬉しく、大学教員冥利に尽きる研修だと実感しています。








2019/08/26

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第73回 宮本輝『五千回の生死』

西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」(第73回 2019年8月25日)は、宮本輝の代表作の一つ『五千回の生死』を取り上げています。表題は「阪神間の海沿いの輝く生」です。ソウルでの国際シンポジウムの発表を無事に終えて、校務に復帰しつつ、明日からのモンゴル異文化研修(@ウランバートル)への長期出張の準備をしているところです。

宮本輝は、梅田の繁華街にある市立曾根崎小学校に通っていましたが、父親が事業に失敗し、兵庫県尼崎市に引っ越しています。この作品は、宮本輝の作家としての原風景と呼ぶべき、尼崎に住む人々を描いた短編集です。

例えば短編「五千回の生死」は、デザイン事務所の経営に行き詰まった「俺」と、国道26号線を歩いて自宅に帰る時に出会った「一日に五千回ぐらい、死にとうなったり、生きとうなったりするんや」と言う男との奇妙な共生関係を描いた小説です。「お前かて、死にたなったり、生きたなったりするやろ? そんなこと思うの、人間だけやろ? 俺が正常な人間やという証拠やないか」と問いが、読後の印象として強く残る作品です。

この短編集には、人生の底を舐めるような悲しみと、それを陽気に突き抜けるような明るさの双方が凝縮されています。全体に平易な言葉遣いながら、宮本輝が幼少期から親しんだ、尼崎の土地に根ざした価値観が、ちょっとした心情表現の中にも生き、脈打っています。「五千回の生死」は、阪神間の海沿いの街に根を張って生きてきた人々の生活を、様々な角度から光を当てて輝かせた、現代を代表する「プロレタリア文学」だと思います。



2019/08/19

Asian Journal of Journalism and Media Studies No.2 の公開

編集長を担当した「Asian Journal of Journalism and Media Studies」(日本マス・コミュニケーション学会・英文ジャーナル ISSN2189-8286) の第2号を、下の学会サイトで公開しました。準備号からの慣習で、著者の写真入りで各論文とテーマの趣旨説明の文章を掲載頂いています。

Asian Journal of Journalism and Media Studies2号
http://www.jmscom.org/en/ajjm_2019/index.html
日本マス・コミュニケーション学会HPの「Asian Journal (English)」の欄からもアクセスできます。

公開済のJ-STAGE版は下記です。
https://www.jstage.jst.go.jp/browse/ajjms/list/-char/ja



著者や査読者とのやり取りや、英文の投稿規定・Call For Papersの整備、DOIの取得やJ-STAGEへの登録など、もろもろの作業が長引きまして、編集から公開までに時間を要しましたが、ようやく仕事を終えることができました。

これでようやく夏休みか、と思いきや、連載の原稿のストックが減っているので、学期中以上に、モーレツな勢いで本を読み、原稿を書く日々です。

ニュース・パーク(日本新聞博物館)でのゼミの制作物の展示も、新聞協会の方との最終の修正作業が終わり、8月31日(土)から展示予定です。こちらの詳細は後日。

今月は長崎に帰り、ソウルに行き、校務の後、来月の頭までウランバートルです。
良い夏休みをお過ごし下さい!



西日本新聞「現代ブンガク風土記」第72回 青山七恵『ひとり日和』

西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」(第72回 2019年8月18日)は、青山七恵の芥川賞受賞作『ひとり日和』を取り上げています。表題は「京王線沿線20歳の成長物語」です。

台風の影響のためか、なぜか長崎が涼しく、久しぶりに長い時間、海水浴をすることができて、ちょうど良い夏休みでした。

青山七恵は人生の岐路に立った若者の心情を、魅力的な場所の描写に重ねながら表現するのが上手い作家です。この作品でも主人公の20歳の知寿の不安定な心情が、電車が通過する度にぐらぐらと揺れる下宿先の家の描写に重ねられています。

下宿先の家から駅のホームを眺めると、ホームの上に立っている人々が三途の川の向こうにいるように見えます。時に「死にたい」と思う知寿の際どい内面が、ちょっとした風景描写に影を落としていて、日常の中に深みを感じる作品です。

知寿は大学に行かず、将来の目的も定めず、フリーターとして働きながら、遠縁の71歳の吟子の家に居候しています。「世界に外も中もないのよ。この世はひとつしかないでしょ」という吟子の言葉は、知寿が生長するために必要なものは、学歴や正社員の仕事など他人に与えられるものではなく、「逃げ場のないひとつの世界」を生きるという自分で得るより他ない覚悟であることを示唆しています。

吟子が辛い失恋を経験しながら都会で生きてきた姿に感化されながら、人生に活路を見出していく知寿の姿に「青春」を感じる芥川賞に相応しい作品です。



2019/08/11

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第71回 佐川光晴『駒音高く』

西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」(第71回 2019年8月11日)は、佐川光晴の将棋ペンクラブ大賞(優秀賞)の受賞作『駒音高く』を取り上げています。表題は「厳しい棋士の道生々しく」です。

佐川光晴は屠殺場で働いた経験を踏まえて記した「生活の設計」でデビューした作家です。将棋会館で清掃員として働く奥山チカの物語が最初に記されているのが、「労働」を描いてきた佐川光晴の小説らしいと思います。この小説を読むと、様々な家庭環境で育った子供たちが、将棋に惹かれ、親に期待され、棋士を目指していることがよく分かります。

女性棋士を目指す葉子を、母親の視点から描いた章が特に面白いです。「かわいい女の子」だった娘が、たくましく勝利を重ね、棋士となろうとする姿に、母親は自己の人生を重ねながら、娘への愛情を深めていきます。女流棋士は、女性の棋士(四段以上)がなかなか誕生しないために作られたカテゴリーで、男子とは別にリーグ戦が行われていますが、棋士を目指す葉子が立ち向かうのは「女流棋士はいても、女性棋士はいない」という、将棋界の現実です。

子供の頃から孤独に将棋盤に向かい、勝負事の厳しさを味わってきた棋士たちを、優しく見守るような筆致で描いた、現代を代表する「将棋文学」だと思います。


2019/08/04

夏休みから秋学期の研究活動

春学期の授業が終わり、ひと休みという所ですが、夏休みから秋学期にかけて下の研究活動を行います。

1 編集長を担当したAsian Journal of Journalism and Media Studies No.2(日本マス・コミュニケーション学会英文ジャーナル)の公開

・英文の投稿規定・Call For Papersを整備し、DOIを取得して、J-STAGEに登録する作業が長引きまして、編集から公開までに時間を要しましたが、先月の下旬より下のサイトで公開しています。近日中に学会HPにもアップロードいたします。
https://www.jstage.jst.go.jp/browse/ajjms/list/-char/ja


2 ニュース・パーク(日本新聞博物館)での「新聞の見出しとネットニュースのみだしのちがい」に関するゼミの制作物の展示

・体験学習の一環として、常設展示「情報社会と新聞」の中で、文教大学酒井ゼミとニュース・パークの連携企画の展示を1年間の予定で担当します。
・現在、新聞協会の方と展示に向けた最終の修正作業を行い、8月31日(土)からの展示を予定しています。
ニュースパークのHP
https://newspark.jp/

3 第25回日韓国際シンポジウム  より良い未来のためのメディアの公共性 〜環境報道、多文化化、メディア・ジャーナリズム倫理〜 日本マス・コミュニケーション学会と韓国言論学会共催(漢陽大学)での発表

・「共同研究セッション」で呉杕泳先生(嘉泉大学)と尹熙閣先生(釜山大学)と共同で「新聞が抱える諸問題:収益創出とジャーナリズムの役割の共存の道を求めて」という発表を行います。
・2019年度春季研究発表会(立命館アジア太平洋大学)の発表の続編です。
日本マス・コミュニケーション学会での紹介
http://www.jmscom.org/event/sympo/JKsympo_25_program.pdf

4 9月にドイツで開催されるMedia Studies系の国際学会で発表を予定しています。現在、出張日程を調整中です。

5 11月3日の文化の日に、福岡ユネスコ協会の講演会で講師を担当します。

・「世界史レベルで『平成』について考える」という趣旨の講演会で、コーディネーターが慶應義塾大学の片山杜秀先生で、國學院大學の水無田気流先生もお話しをされる講演会です。自分分の発表の準備しつつ、お二方のお話を近くで聞くことを楽しみにしています。
・詳細は後日、下のHPにアップロードされると思います。九州在住の方はぜひご参加をご検討下さい。
福岡ユネスコ協会のHP
http://fukuoka-unesco.or.jp/

西日本新聞の連載も好評で70回に達しました。他のテーマでも、年末を目標に書籍の出版を準備しています。監修を担当しているメディア・リテラシーに関する教育用DVDも進行中です。8月下旬からモンゴル科学技術大学(ウランバートル)への学生24名の引率もあり、充実した夏休みになりそうです(笑)

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第70回 吉田修一『悪人』

祝・連載70回! 西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」(第70回 2019年8月4日)は、吉田修一の長崎、佐賀、福岡を舞台とした代表作『悪人』を取り上げています。表題は「地方の疲弊 閉塞感先取り」です。三瀬峠のカーブミラーが印象的な写真で、連載70回目を飾るに相応しい名作です。

『悪人』は2006年の3月から翌年の1月まで朝日新聞の夕刊に連載された新聞小説です。小説はその質だけではなく、世に出るタイミングで、読者の関心を集めるかどうかが決まります。この作品は、就職氷河期が終わり、景気が回復したと言われながらも、「地方」の疲弊が顕在化した時期に連載され、注目を集めました。単行本が出版された1年後に、リーマンショックが起こり、映画版が制作された1年後に、東日本大震災が起きたことで、『悪人』が先取った「地方に住む若者たちの閉塞感」は、一般に実感されるものとなります。

吉田修一の『悪人』が210万部を超える大ヒット作となったのは、就職氷河期が続く時代の「地方に住む若者たちの閉塞感」を生々しく捉え、景気回復が空々しく聞こえる時代に、読者の共感を獲得したからだと私は考えています。毎日出版文化賞と大佛次郎賞を受賞し、吉田修一の出世作となった作品です。