第165回直木賞の候補作に関する西田藍さん(文芸アイドル、書評家)との対談を、西日本新聞の朝刊とオンライン版にご掲載頂きました。今回も良い候補作が挙がっていますので、お時間のある時にでもご一読を頂ければ幸いです。
「第165回直木賞展望 直木賞はどの作品に」
https://www.nishinippon.co.jp/item/n/770167/
酒井信/文芸批評・メディア文化論 明治大学/ msakai@meiji.ac.jp/ 『松本清張はよみがえる』『現代文学風土記』など
第165回直木賞の候補作に関する西田藍さん(文芸アイドル、書評家)との対談を、西日本新聞の朝刊とオンライン版にご掲載頂きました。今回も良い候補作が挙がっていますので、お時間のある時にでもご一読を頂ければ幸いです。
「第165回直木賞展望 直木賞はどの作品に」
https://www.nishinippon.co.jp/item/n/770167/
「現代ブンガク風土記」(第166回 2021年7月11日)は、筒井康隆の『文学部唯野教授』を取り上げています。今週は直木賞予想の対談も、西日本新聞に掲載予定です。
表題は「文芸批評が「花形」だった時代」です。早治大学、立智大学、明教大学など実在の大学を想起させる場所を舞台にした、唯野教授を主人公とする「アカデミック・コメディ」です。作中に江戸川公園が登場するため、作品の舞台は早稲田大学に近いのかも知れません。
唯野教授の現代批評論の小説内講義も楽しめます。内容は英国の批評家テリー・イーグルトンの『文学とは何か』を下地にしたもので、唯野がジョークを交えて説明する「構造主義」や「ポスト構造主義」の講義は、分かりやすくて面白いです。1980年代に流行した学際的な思想潮流=ニューアカデミズムから、文学に関するものをピックアップして、嚙み砕いて説明した「文芸批評入門書」のような風情です。
1990年に発表された本作は「ニューアカ・ブーム」の後押しもあり、純文学作品としては異例とも言える50万部超えのベストセラーとなりました。猫の例を用いた唯野教授の「記号論」の論争まで起こったことを考えれば、思想や批評に関心を持つ人の多い時代だったのだと思います。文芸批評に関する講義が、大学の文系学部の「花形」だった時代の記憶を現代に伝える筒井康隆らしい「歴史小説」です。
https://www.nishinippon.co.jp/item/n/768766/
筒井康隆『文学部唯野教授』あらすじ
早治大学の文学部で教鞭を執る唯野教授が、大学内の政争に塗れながら、匿名で小説を執筆し、非常勤で働く立智大学で、自分が好きな文芸批評の講義を行う日々を描く。大学の権力と文壇の権力の構造を暴いたスキャンダラスな小説。フランス語にも翻訳され、「ルモンド」や「リベラシオン」で紹介され、筒井康隆の文化勲章(シュバリエ賞)の受賞に繋がった作品。
「現代ブンガク風土記」(第165回 2021年7月4日)は、金原ひとみ『fishy』を取り上げています。表題は「「男性社会」から自由な恋愛」です。前便のとおり、本連載は事前に協議の上ピックアップした現代小説に対する批評文ですので(掲載順やその可否、タイトルについてもご担当のデスクによる判断ですので)、特定のトピックに対する個人的な見解を代弁するものではありません。念のため。政治や社会などの個別の問題がどうであれ、普遍的に存在する文学的な問題について論じた批評文です。
金原ひとみは男女の間に生じる感情の食い違いを、ユーモラスな情感と共に表現するのが上手い作家だと思います。本作は銀座に近い有楽町駅と、ビジネス街として知られる新橋駅の間にある銀座コリドー通りで酒を酌み交わす「fishy(胡散くさそう)」な女性三人の恋心を、心の底から抉り取るように描いています。写真は数か月前に私が撮った銀座のコリドー通りのものです。
3人は互いに本音で批判をぶつけ合う酒飲み仲間で、定期的にコリドー通りに繰り出しては、世の中の男たちに翻弄されないための「同盟」のような関係を育んでいきます。3人の女性たちの異なる恋愛観や人生観が、酒気を帯びた遠慮のない会話を通して浮き彫りにされる展開が面白いです。この作品はレイモンド・チャンドラーの『ロング・グッドバイ』のように、酒場で親しくなった人々の儚い友情とハードボイルドな人生を浮き彫りにすることに成功しています。
https://www.nishinippon.co.jp/item/n/765232/
金原ひとみ『fishy』あらすじ
子育てをしながら出版社で編集者として働く弓子。フリーのインテリアデザイナーとして事務所を構える既婚者のユリ。元々は小説家志望でライターの仕事を続ける、独身者の美玖。飲み友達の関係にあった三人は、不倫や離婚、家事の分担やセックスレスなど男女間に生じる様々な問題について語り合ううちに、内に抱える闇を互いに晒していく。
「現代ブンガク風土記」(第164回 2021年6月27日)は、新庄耕『狭小邸宅』を取り上げています。表題は「住宅営業現場の「戦争」」です。新庄さんは慶應SFCの福田和也ゼミが輩出した数少ない作家で、土地の売買をモチーフにした作品で注目を集め、将来を嘱望されている書き手です。
『狭小邸宅』は東京の不動産会社で営業の仕事を務める主人公が成長していく姿を描いた青春小説です。職場環境に戸惑いながらも、主人公は不良債権と化していた「蒲田の物件」を「サンドイッチマン」姿で注意を引き、見事に売り抜けるなど通過儀礼を経て一人前になっていきます。過酷な現場を生き抜いた者たちだけが、高額の歩合給を手にできる厳しい世界で、客の購買意欲を煽る「かまし」など、演技力も必要とされるので大変です。
なおこの連載は、担当を頂いている文化部デスクの方と事前に打ち合わせを行い、ピック・アップした作品について、一定の原稿のストックをもとに掲載しています(掲載順やタイトルも、ご担当の記者の方にお任せしています)。まだまだ連載で取り上げていない優れた小説が多くあり、どの著者のどの作品を取り上げるか、どの土地を舞台にした作品を選ぶか、実に悩ましいです。直木賞系の作品が多めの連載ですが、一見すると読みやすい文章も、大変な努力と才能の上で書かれていることが分かります。
https://www.nishinippon.co.jp/item/n/761442/
新庄耕『狭小邸宅』あらすじ
「明王大学」を卒業した松尾は「学歴も経験もいらず、特別な能力や技術もいらない」不動産営業の世界に飛び込み、ひたすら「家を売る」ために、サービス残業や上司からの暴力に耐える日々を送る。5年以上も全支店で売り上げトップだった「伝説の営業マン」との出会いによって、松尾は営業部員として成長し、着実に業界のブラックな慣習を身に着けていく。
「現代ブンガク風土記」(第163回 2021年6月20日)は、綾辻行人『十角館の殺人 新装改訂版』を取り上げています。表題は「大分の離島舞台に「新本格」」です。
綾辻行人『十角館の殺人 新装改訂版』は、関サバや関アジの漁場として知られる大分県大分市の佐賀関半島近くの高島と思しき場所で展開される本格派推理小説です。推理小説の中でも、探偵が活躍し、複雑な謎やトリックを解明することを重視した作品を一般に「本格派」と呼びます。バブル期に作家としてデビューした綾辻行人の作品は、それ以前に人気を博した横溝正史の金田一耕助シリーズとは異なって、封建的な家のしがらみや伝統や慣習に関する描写が薄い点に特徴があり、特に「新本格派推理小説」と呼ばれます。
綾辻行人は京都で生まれ育ち、京都大学に進学した生粋の京都人です。本作は教育学研究科で逸脱行動を研究する大学院生時代に書かれたというから早熟です。辻村深月など世代と性別を超えて与えた影響は大きく、本格ミステリーに名門・京大推理小説研究会が果たした役割の大きさを感じます。新しい時代を切り開いた作家のデビュー作らしい、エンターテイメントに留まらない文学的な深みが感じられる作品です。
https://www.nishinippon.co.jp/item/n/757967/
綾辻行人『十角館の殺人 新装改訂版』あらすじ
半年前に連続殺人事件を引き起こし焼死した建築家の中村青司の自宅・十角館を、大分にある大学の推理小説研究会に所属する7人が訪れる。過去の連続殺人事件の謎をひも解きながら、新しい連続殺人事件が起きていく。脱出できない孤島の十角館を舞台にした新本格派の推理小説。「館シリーズ」の一作目で、綾辻行人が大学院在学中に書いた鮮烈なデビュー作。
「現代ブンガク風土記」(第162回 2021年6月13日)は、島田荘司の実質的なデビュー作『異邦の騎士 改定完全版』を取り上げています。表題は「本格ミステリーのビート」です。島田荘司が最初に書いた小説で、発表までに9年(発表作としては25作目)を要し、全面改訂までに18年の時間が費やされた労作です。
2021年2月に亡くなったチック・コレア(Return to Forever)の代表作「浪漫の騎士」に着想を得た小説で、文庫版に収録されている1991年の後書きによると、島田は「二十代という不安の時代」にこの曲を聴き、「空しい闘いに挑む時代遅れの騎士」の姿を思い浮かべることで、「どん底」を生きるような気分を慰めていたそうです。1976年に発表された「浪漫の騎士」は同時代のプログレッシブ・ロックへの対抗心が感じられる名曲で、「異邦の騎士」は複雑でありながら、崇高なテーマ性を感じさせる物語構造を有しているため、共通する部分が多いと思います。
「浪漫の騎士」を繰り返し聴いた若き島田荘司は、「世界にはこれほど真面目に、真剣に仕事をする奴がいる、とても遊んでなどいられない」と感じ、本作を書き始めたらしいです。小説全体に通底する「見知らぬ惑星に取り残された子供」のような不安に、「浪漫の騎士」からの強い影響が見られ、「日常的な不安」を払拭するために「本格ミステリーという激しいビートを必要とする音楽」を奏でた、島田荘司らしい本格ミステリーだと思います。
https://www.nishinippon.co.jp/item/n/754487/
「現代ブンガク風土記」(第161回 2021年6月6日)は、山梨の葡萄農家で生まれ育った林真理子の青春小説『葡萄が目にしみる』を取り上げています。表題は「ゆっくり熟していく青春」です。本連載も3年3か月目に入り、熟してきた感じがしています。
林真理子の分身と思しき主人公の乃里子は、山梨の葡萄農家で生まれ育ったことにコンプレックスと、誇らしさの双方を抱いています。種なし葡萄を作るために、乃里子は「ジベ」という作業に子供の頃から駆り出され、手を薄桃色に染めてきました。プラスチックのコップに植物の成長を調整する「ジベレリン」を満たし、その中に葡萄の房を浸すと「小さな泡がわきあがって、まるで魔法のように実の中の種を消してしまう」らしく、現代でもデラウェアやピオーネなどの葡萄は、手作業で種なしにした上で出荷されています。
この作品の主な舞台となる「弘明館高校」は、林真理子が通った山梨県立日川高校がモデルだと推測できます。『楢山節考』や『東北の神武たち』で知られる深沢七郎(山下清との対談が面白い)の出身校で、林真理子と同じく実家が葡萄農園を営んでいた、「臍で投げるバック・ドロップ」でお馴染みの元全日本プロレス・ジャンボ鶴田の出身校でもあります。出身者の個性が際立っていますね。
林真理子の『葡萄が目にしみる』は、山梨の葡萄農家らしい言葉の訛りと、「自家用葡萄」の豊かな味わいを通して、甲府から少し離れた場所に位置する「果樹地帯」の風土を感じさせる青春小説です。
https://www.nishinippon.co.jp/item/n/750854/
林真理子『葡萄が目にしみる』のあらすじ
山梨の葡萄農家で生まれ育った乃里子は、太った外見を周囲と比べられながらも、農家の仕事を手伝いながら成長し、憧れの弘明館高校に入学する。高校に入ると放送委員を務め、先輩たちとも交流をするようになり、生徒会で書記長をやっている保坂に恋心を抱くようになる。複雑な家庭環境で育ち、不良ながらラグビー選手として活躍する岩永など、同じ山梨で育ちながらも、全く異なる青春を送る高校生たちの群像を描く。
「現代ブンガク風土記」(第160回 2021年5月30日)は、松尾スズキの故郷・黒崎を想起させる「白崎」を舞台にした『老人賭博』を取り上げています。表題は「禍々しくも神々しい芸事」です。松尾スズキが冗談交じりに描くほど、「白崎」近辺はヤンキーとヤクザが闊歩する街ではないと思いますが、子供の頃、この「白崎」のあたりは(体感治安の悪い)長崎よりも更に治安が悪いと聞いた記憶があり、小説の舞台として期待してしまいます。
本作で「白崎」は「昔は栄えてたらしいが、今はいわゆるシャッター商店街で、半ばゴーストタウン化しているらしい」と説明されます。「白崎の空は勉強に集中できない子供の目つきのようにどんよりしていた」など、街の衰退が文学的に表現されています。往時の黒崎の賑わいを知る著者らしい描写が味わい深く、「想像以上の黄昏っぷりだな。でも、だめになり方にロマンがあるといえばある」といった表現に、生まれ育った土地への愛情が感じられます。
全体を通して「白崎という町を覆う独特な自暴自棄感」が生きた作品で、役者を務めることや、映画や舞台の脚本を書くことそのものが「賭博」に近いものだと感じさせる説得力があります。松尾の分身の海馬が、神が決めたとされる「現実の出来事」を、演技を通して模倣し、賭博の対象としながら、「神の行為を矮小化することで、神の視線の外側に出る」ことを目指す姿は、禍々しくも、神々しく見えます。
西日本新聞me
https://www.nishinippon.co.jp/item/n/746972/
松尾スズキ『老人賭博』あらすじ
コメディー映画を愛するマッサージ師・金子堅三は、客の一人だった脚本家で役者の海場五郎に弟子入りする。金子は北九州の「白崎」のシャッター商店街で行われる映画の撮影に同行し、78歳の俳優・小関泰司とその弟子のヤマザキが高い集中力でセリフ合わせを重ねるなど、プロの仕事を目の当たりにする。海馬は、衰えの見えはじめた小関のNG回数を当てる賭博を企画し、金子は師匠を助けるべく、根回しと駆け引きを重ねる。
西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」(第159回 2021年5月23日)は、町田康のコメディ風の恋愛小説『湖畔の愛』を取り上げました。表題は「カルデラ湖のほとりの奇談」です。芦ノ湖を想起させる湖の近くにある「九界湖ホテル」を舞台にした作品です。
創業百年を迎えた老舗ホテルは、歴史的建造物として一部で名が知れていますが、数年前から「稼働率がアパパ」になり、「経営はアホホ」の状態に陥っています。冒頭に収録された「湖畔」は「昭和のコント」のようなシチュエーション・コメディで、アメリカのスラップスティックの雰囲気もあり、チャーリー浜のような口調や雑用係の「スカ爺」が重要な役回りを演じる点は、吉本新喜劇を連想させます。
2番目の「雨女」は、人気の女性ファッション誌「VOREGYA」の取材が入り、ハルマゲドンのような自然災害が起こるという突飛な設定の作品です。近松秋江の「情痴文学」と形容された私小説のように、恋する男女の心情描写が特徴的で、オーソドックスな日本文学の香りがします。
表題作の「湖畔の愛」は、陽の目を見ぬまま鳥取砂丘に消えたとされる伝説の芸人・横山ルンバをOBに持つ「立脚大学」の演劇研究会の九界湖合宿を描いています。話芸を極めようとする学生の青春と、美女との恋愛が交錯した物語で、文芸に限らず、演芸全般に造詣の深い町田康の作家としての資質が生きた作品だと思います。
西日本新聞me
https://www.nishinippon.co.jp/item/n/743228/
町田康『湖畔の愛』あらすじ
資金繰りに苦しむ老舗ホテル・九界湖ホテルを舞台にした3作品を収録した小説。ホテルで働く、中年男性・新町と若い女性・圧岡、雑用係の爺さんの3人のところに、独特の訛りを持つ金持ち・太田や、超常現象を引き起こす雨女・船越、絶世の美女・気島などが訪れ、様々な問題を引き起こす。笑いと恋に満ちた町田康の新しい代表作。
西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」(第158回 2021年5月16日)は、明治大学中野キャンパスから徒歩圏内にある商店街を舞台にした、ねじめ正一『高円寺純情商店街』を取り上げました。表題は「街に根を張る商いを『写実』」です。中野キャンパスからは、高層ビルが林立する新宿副都心も良く見えますが、中野サンモール商店街・中野ブロードウェイや、高円寺純情商店街など、活気のある商店街にもアクセスしやすいです。
商店街で生まれ育ったねじめ正一だからこそ書けるような描写が魅力的な作品です。乾物屋は梅雨時になると朝から晩まで湿気を防ぐことに気を配り、魚屋は、夏は魚が腐らないように気を配り、冬は冷たい水で魚を洗うため手が荒れ、年間を通して大声を出して活きの良さを演出します。
小説の設定と同じく、ねじめ正一の実家は高円寺で乾物屋を営んでいました。乾物屋は「ねじめ民芸店」に変わり、阿佐ヶ谷に移りましたが、ねじめ正一は詩人としてデビューした後も民芸店の店主を務めていました。この小説が直木賞を受賞したのち、「高円寺銀座商店街」は「高円寺純情商店街」へと名称を変更しています。実在の街の名前が、小説の街の名前に変わるという例は、日本の文学史において極めて稀だと思います。商店街で乾物屋の息子として生まれ育ってきたことへの自負と、個人商店主への敬意と愛情が伝わってくる作品です。
西日本新聞meへのリンク
https://www.nishinippon.co.jp/item/n/739443/
ねじめ正一『高円寺純情商店街』あらすじ
高円寺駅の北口にあるとされる「純情商店街」で生きる人々を、乾物屋の「江州屋」で生まれ育った「正一」の視点を通して描いた作品。乾物屋の仕事の傍ら俳句に熱中する父親や、隣の魚屋を手伝うケイ子、銭湯で番台に立つ小学校の同級生の宮地サンなど、周囲の人々の描写が味わい深い。ねじめ正一の自伝的な作品であり、第101回直木賞受賞作。