西日本新聞の連載「松本清張はよみがえる」第39回(2023年3月14日)は、清張作品としては初めて本格的に海外を舞台にした『砂漠の塩』について論じています。担当デスクが付けた表題は「中東に死地を求める 道ならぬ恋の逃亡劇」です。毎回、9×9文字で担当デスクに上手いタイトルを付けて頂いています。イランのテヘランで生まれ、エジプトのカイロで育った西加奈子の自伝的小説『サラバ!』とのmatch-upです。
少年時代から松本清張は、地図や紀行文、地理の教科書を通して「旅」を夢見ていました。特に小学校6年生の時に出会った田山花袋の『日本一周』がお気に入りの作品で、小倉の街の書店で立ち読みして「一生行けないであろう風土」に憧れを募らせていました。このような清張の「旅」への思いの強さは、「点と線」や「ゼロの焦点」など特急電車を使った「移動の多い物語」に顕著に表れています。
松本清張が初めて海外の取材旅行に行ったのは55歳の時で、現代の作家と比べると想像以上に遅いです。観光目的の海外旅行が自由化されたのが、東京オリンピックが開催された1964年で、清張はこの年に作家としていち早くオランダやフランス、イギリスなどを20日間のスケジュールで周遊しています。本作の舞台となったエジプトやレバノンにもこの時に立ち寄っており、長編小説の題材として欧州の先進国よりも「中近東の砂漠の国々」を先に取り上げている点に、清張らしい反骨精神を感じます。
本作は死を決意した二人の逃亡劇であるため、物語の面白味に乏しいですが、中近東の国々を舞台に「訳ありの日本人」の情事を描いている点が新鮮です。全体を通して海外取材で清張が手に入れた「国際感覚」が感じられる作品です。
https://www.nishinippon.co.jp/item/n/1066386/
*******
月刊「文藝春秋」の柄谷行人「賞金1億円の使い途」が面白かったです。尼崎で生まれ育ち、駒場寮で廣松渉・西部邁と付き合い、文芸批評から宇野弘蔵の影響を受け「後期マルクスの交換様式論」に至るお馴染みの噺ですが、バーグルエン哲学・文化賞(哲学界のノーベル賞、賞金100万ドル)を獲った興奮が伝わってきます。昔から柄谷さんはポール・ド・マンなどアメリカの脱構築批評を意識した話をされていたので、アメリカでも功績が認められて本当に良かったと思います。終盤で次作の構想に触れていたのが面白く、意外にも「風景の発見」に立ち返って文芸批評に戻るそうで、楽しみにしています。
*******
先日亡くなった大江健三郎の著作については、現代文学風土記で『取り替え子』と『河馬に噛まれる』を取り上げました(1967年の『万延元年のフットボール』が代表作だと思います)。思い出に残っているのは、河出書房新社から没後20年で出した『江藤淳』に、大江さんが掲載を許諾されたことでした。長い間、江藤と大江は「戦後文壇の宿敵」と呼ばれる関係でしたが、「若い日本の会」をはじめ、かつては親しい間柄で、60年代前半の江藤は思想的に大江よりも「左」でした。『江藤淳』の編者の平山周吉さんと電話で話した時、ダメもとの掲載依頼者(私も何人か挙げました)の一人が大江健三郎で、結果として1966年の『われらの文学22 江藤淳 吉本隆明』(大江健三郎・江藤淳編)の江藤論「どのようにして批評家となるか?」が収録されています。つまり大江健三郎は2019年の時点で、江藤(とその批評)と「和解」していたわけで、個人的には江藤と付き合いがあった頃(批評への緊張感があった60年代)の大江健三郎が作家としてピークだったと考えています。