2019/11/11

映画「楽園」の劇場版パンフレットに解説を寄稿しました

2019年10月18日公開の映画「楽園」(監督:瀬々敬久、原作: 吉田修一 出演:綾野剛、杉崎花、佐藤浩市、柄本明)の劇場版パンフレットに解説を寄稿しました。

タイトルは「現代日本を生きる私たちの「こころ」の行く末を問いかける」です。小説の批評とは違うアプローチで、日本を代表する役者たちの演技に注目しながら映画「楽園」について論じています。
重厚感のあるとても良い映画ですので、ぜひパンフレットの方もご一読を頂ければ幸いです!






西日本新聞「現代ブンガク風土記」第84回 村上春樹『ねじまき鳥クロニクル』

西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」(第84回 2019年11月10日)は、村上春樹の代表作『ねじまき鳥クロニクル』(読売文学賞を受賞)を取り上げています。表題は「『暴力の連鎖』断ち切れるか」です。

思えば『ねじまき鳥クロニクル』が刊行された直後の1996年、大学1年生になった私は村上朝日堂のホームページ経由で、村上春樹さんと3通ほどメールのやり取りをすることができました。「そうだ、村上さんに聞いてみよう」(朝日新聞社)に一部収録されています。今思えば「インターネットはすごい」と実感した最初の経験でしたね。

世田谷の住宅地の路地を起点としてはじまる物語は、戦争の血生臭い気配が漂うノモンハンの広野や、ソ連軍の侵攻間近の新京の動物園、永田町の中枢や、日本海に面した地方都市のかつら工場など、壮大なスケールで展開されていきます。

僕の家の近所に住む笠原メイは、構造的に再生産される暴力の「手触り」について、作中で次のように述べています。「そういうのをメスで切り開いてみたいって思うの。死体をじゃないわよ。死のかたまりみたいなものをよ。そういうものがどこかにあるんじゃないかって気がするのね」と。私たちは「死のかたまりみたいなもの」を、人々の無意識の底から取り出して、世界規模で展開していく「暴力の連鎖」を断ち切ることができるのでしょうか。村上春樹の代表作『ねじまき鳥クロニクル』が投げかける問いは、世田谷の古井戸のように、深いと思います。


2019/11/09

集英社「すばる」12月号に吉田修一『アンジュと頭獅王』の書評を寄稿しました

集英社の月刊文芸誌「すばる」の2019年12月号に、吉田修一の新作『アンジュと頭獅王』の書評を寄稿しました。タイトルは「古典を大胆に甦らせる」です。
http://subaru.shueisha.co.jp/

森鴎外は代表作「山椒太夫」、地蔵菩薩が金色の光を放つ仏教色の強いシーンや鋸を使った拷問のシーンなど前近代的な描写をカットして、作品の端々に近代的な価値観を織り交ぜることで、「山椒太夫」をドイツの教養小説風の物語として創作しました。

吉田修一の『アンジュと頭獅王』は、森鴎外版の「山椒大夫」ではなく、仏教の説話を伝える説経節の代表作「さんせう太夫」をもとにして、新宿を舞台にした物語を書き足したオリジナリティの高い「古典文学のリバイバル作品」です。

森鴎外版の「山椒大夫」や東映動画の「安寿と厨子王丸」や絵本の「安寿とずし王丸」に触れたことがある人が読むと、アンジュが新宿の遊郭に売られ、頭獅王がサーカス団に奉公し、ICタグを付けられた移民や難民たちを解放する展開に驚かされると思います。

現代小説で人気を博した作家が、日本の古典作品を創作的に甦らせる試みそのものも面白いので、ぜひご一読を!


2019/11/05

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第83回 山田太一『岸辺のアルバム』

西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」(第83回 2019年11月3日)は、山田太一の小説・ドラマの代表作『岸辺のアルバム』を取り上げています。表題は「『家』の崩壊 多摩川水害に重ね」です。

11月3日の福岡ユネスコのセミナーにつきまして、大勢の方にご参加を頂きありがとうございました。盛況の会場で討議も盛り上がり、充実した時間を過ごさせて頂きました。「西日本新聞の連載を楽しみにしていますよ」とお声がけを頂いて、大変嬉しかったです。70年の歴史を持つ福岡ユネスコの文化セミナーの今後益々の発展を、陰ながら願っています。

多摩川と小田急線が交差する東京都狛江市の和泉多摩川駅近くを舞台にした小説です。1974年に起きた多摩川水害を描いた内容で、ドラマのオープニングでは多摩川に民家が流出する実写映像が使用され、注目を集めました。ただ原作の水害の描写は終盤のみで、作品の大半は水害が起きる前の多摩川沿いに住む田島家の日常を描いた内容です。

父の謙作は商社に勤務するサラリーマンで、30代で多摩川の土手に面した一戸建てを購入し、45歳でローンを完済したことを誇りに思っています。しかし傍目に幸福そうに見える一家は、母の不倫、娘の強姦事件、息子の大学受験の失敗、父が務める商社の倒産危機など「内憂外患」の危機にあります。「岸辺のアルバム」に写る家族の姿とはほど遠い状況です。

この作品で山田太一が描いているのは、家族の関係が「自動販売機」のようになり、社会が水害以前に地盤沈下している姿です。作中で描かれる多摩川に流出する「家」の描写は、現代日本の家族に対する風刺として、強烈なインパクトを残します。「岸辺のアルバム」は多摩川水害の記憶を、「家」を失った家族の感情を通して後世に伝える、現代的な「災害文学」です。


2019/10/29

福岡ユネスコ文化セミナー・「平成」とはどんな時代だったのか

2019年11月3日(日・文化の日)に、「平成」とはどんな時代だったのか、というテーマで福岡ユネスコ文化セミナーで講師を担当しました。

西日本新聞朝刊(10月4日)でもご紹介を頂きました。



慶應義塾大学の片山杜秀先生がコーディネーターで、もうお一方は、國學院大学の水無田気流先生です。私の担当部分では「メディア環境の変容から考える「平成」」というテーマでお話しをいたしました。
下記のHPに詳しい情報の記載がありますので、ぜひお近くの方はお越し頂ければ幸いです!
http://fukuoka-unesco.or.jp/heisei-era.html


「「平成」とはどんな時代だったのか」を終えて

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第82回 小川洋子『ミーナの行進』

西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」(第82回 2019年10月27日)は、小川洋子の谷崎潤一郎賞受賞作『ミーナの行進』を取り上げています。表題は「芦屋の風情で描く友情物語」です。

今週末の福岡ユネスコでの講演準備と、モンゴル国立科学技術大学とベトナムFPT大学からのゲストの招聘事業と、来年のゼミ生との面談と、原稿の締め切りで、慌ただしい日々が続いておりますが、良い正月を迎えるべく、リポビタンDを片手に、元気よく仕事を片付ける日々です。

『ミーナの行進』は岡山市で生まれ育った「私」の視点から、叔父が住む兵庫県の芦屋の大邸宅の日常を描いた作品です。叔父さんは六甲山の清水を使用したラジウム入りの清涼飲料水「フレッシー」で財を成した一家の三代目の社長で、作品の時代はミュンヘンオリンピックが開催され、岡山と新大阪間の新幹線が開通した1972年です。

一見すると近代文学の名作のような、重厚な家とそこに住む家族の盛衰を描いた作品ですが、「父権と家」を中心とした物語は背景に退き、叔父さんの愛娘のミーナと私の友情が中心に据えられています。事件というほどの事件は起きない作品ながら、ユダヤ系のローザおばあさんの一家がアウシュヴィッツで亡くなった話など、所々挿入されるエピソードが読後の印象として強く残ります。

芦屋は、明治後期から昭和前期にかけて近代的な住空間として開発された場所です。六甲山の豊かな水源があり、港を臨む南向きの傾斜地であり、阪急電車、JR、阪神電車が通っています。作中で重要な役割を果たす「芦屋市立図書館」は、村上春樹も通った明治時代の建物で、作品の細部に「阪神間モダニズム」の風情が感じられる現代小説だと思います。


2019/10/21

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第81回 宮本輝『幻の光』

西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」(第81回 2019年10月20日)は、宮本輝の『幻の光』を取り上げています。表題は「奥能登に映える甘美な記憶」です。

尼崎の国道を跨いで建てられた「トンネル長屋」で生まれ育った「わたし」を主人公とした宮本輝の代表作です。日常に根ざした倦怠感と喪失感を、「幻の光」の下に照らし出しながら、鮮やかに描いた秀作で、彼の絶頂期の作品の一つだと思います。

「わたし」が25歳の時、初恋の相手だった夫がこれといった理由もなく、自殺してしまいます。新しい夫との生活は平和なものでしたが、「わたし」は尼崎で死に別れた前の亭主のことが、いつまでも忘れられず、「あんたは、なんであの晩、轢かれることを承知のうえで、阪神電車の線路の上をとぼとぼ歩いてたんやろか」と、奥能登の風景の中で、繰り返し問いかけます。

「もぬけのからみたい」になった「わたし」を、奥能登の人々が励ます描写が印象的で、たとえば漁師の「とめの」は、荒天の海に船を出し、皆に心配されながら戻ってくると「大丈夫やい。とめのは不死身やい。泳いででも帰ってくる女じゃ」と「わたし」を励ますように、見栄を張ってみせます。「とめの」に限らず、宿毛の生家に帰るといって蒸発した痴呆症の祖母や、土方として男たちに苛められながら懸命に働いて一家を支えてきた母親など、「わたし」が出会った女性たちの逞しさが、読後の印象として強く残る作品です。


2019/10/13

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第80回 村田喜代子『飛族』

祝80回!西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」(第80回 2019年10月13日)は、村田喜代子の第55回谷崎潤一郎賞受賞作『飛族』を取り上げています。表題は「離島の高齢海女の明るい生活」です。

先週はベトナムFPT大学の方々と来年春のベトナム文化・産業体験研修の打ち合わせを行い、2020年の3月1日〜3月8日にハノイとダナンで研修を実施する方向で調整しました。
台風に関する情報を追いつつ、来月の文芸誌向けの原稿を書き終わり、再来月の文芸誌向けの原稿の準備をしながら、本連載の年末分の原稿を書き進めています。

村田喜代子の『飛族』は、奈良、平安時代の昔に西の果てと言われた長崎県の五島列島と思しき場所を舞台にした作品です。福江島の魚津ヶ崎には、遣唐使船の日本最後の寄港地があるので、この作品で描かれる養老島近辺の描写とも符合します。

この作品では、92歳のイオさんと87歳のソメ子さんが主人公で、二人が現役の海女として暮らす「養老島」の生活が描かれています。「人間は人に寄りついて暮らすもの」ではなく「土地に寄りついて生きてきたもん」だと考えるイオさんは、周囲からどんなに勧められても、養老島を離れることはありません。

二人が船幽霊に関する噂におびえたり、「てーんーにぃーー、でーうーすーがあらーしゃってーぇ」といった独特のお経を唱える信仰を有しているなど、かつての潜伏キリシタンの土地らしい、際どくも豊かな風土が、描写の端々に感じられる面白い作品です。土地に根ざした小説表現の豊かさを知る作家らしい、日本の西の果ての島々を舞台にした究極の「限界部落小説」で、谷崎潤一郎賞に相応しい村田喜代子の新たな代表作です。


2019/10/07

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第79回 三浦しをん『神去なあなあ日常』

西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」(第79回 2019年10月6日)は、三浦しをんの『神去なあなあ日常』を取り上げています。表題は「若者の成長、山林舞台に」です。

先週から校務と授業に復帰しつつ、ノーベル文学賞向けの「原稿(某作家が受賞した場合のみ掲載)」を書き、来月売りの文芸誌向け原稿に取り組んでいます。
今週メディア・リテラシー教材DVDの解説部分の撮影を大学で行うのですが、撮影スペースを確保するため本を片付けるのが大変で、筋肉痛になりました。

『神去なあなあ日常』は、三重県の山奥にある架空の神去村を舞台に、担任の斡旋で林業の研修を受けることになった若者を描いた作品です。森林の手入れは、防災対策や水源の保全の上でも重要であるため、林業の研修生を受け入れた森林組合や林業会社に、助成金を付与する仕組みが現実に存在します。

日本では古くから身近な資源として木々が利用され、地震や津波、火災等の災害や戦災からの復興にも木材が利用されてきました。また豊富な木材を使った印刷技術が普及したことで、江戸時代には書籍や浮世絵などが廉価で流通するようになり、木々は日本文化の成熟にも貢献してきました。

勇気は恵まれた環境で林業研修を受けながら、先人たちから継承されてきた山仕事の技術を実地で学び、人間としても生長していきます。山仕事が神事と紙一重の営為であり、森林が国土の3分の2を占める日本列島で、長らく信仰と結び付く形で根付いてきたことが分かる現代的な「木こり文学」です。


2019/10/01

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第78回 重松清『流星ワゴン』

西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」(第78回 2019年9月29日)は、重松清の『流星ワゴン』を取り上げています。表題は「『家族メンテ』に苦心する父」です。
ドイツ・ボン大学の発表を終えて、授業と校務に何とか復帰しつつ、新しく入った原稿の仕事の準備に取りかかったところです。

「流星ワゴン」は、映画「バック・トゥーザフューチャー」のように、時間を行き来する車(オデッセイ)を中心に据えることで、3世代の男性の子育てにまつわる「重層的な時間」を展開した内容です。ただファンタジー小説のような内容でも、主人公の永田一雄は平成不況を生きる現実的な存在で、彼はリストラされて仕事を失い、息子の家庭内暴力に苦しみ、妻がテレクラで浮気を繰り返すことに悩んでいます。「情けない中年オヤジ」が小説の中心に据えられているのが、重松清の作品らしいです。

戦後の日本文学において「父性の喪失」は、大きなテーマであり続けてきました。重松清はこのテーマの継承者ですが、彼が描くのは「父性の喪失」に悩む父親や、「父性の復権」に苦心する父親の姿ではありません。「父性の喪失」の跡地で、「流星ワゴン」のように、古びた乗り物となった「家族」の「メンテナンス」に苦心する父親の姿です。「そんなに勝っていない父親」を描くことが多い重松清らしい、人生に疲れた中年向けの「地に足の着いたファンタジー小説」です。