2020/09/30

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第127回 上田岳弘『ニムロッド』

 西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」(第127回 2020年9月27日)は、上田岳弘の芥川賞受賞作『ニムロッド』を取り上げています。表題は「夢か幻か 媒介する通貨と言葉」です。

小説の舞台は近未来の日本で、生物の寿命を司るシステムが解明されたため、富裕層は「寿命の廃止技術」を自己に施しています。永遠の寿命を手に入れた人々は「最後の人間」と呼ばれており、人口の50%を超えている。経済も政治も芸術も「寿命の廃止」の供託金を運用する「絶対に運用を失敗しないファンド」の制御下にあります。

主人公は突如、「中本哲史、お前が課長になって掘るんだよ、金を」と社長に指示され、仮想通貨のビットコインを「採掘」する部署の課長となります。本文中の言葉を借りれば、ビットコインとは「アルファベットの「B」をウナギのかば焼きみたいに二本の串で刺した」マークのそれです。主人公の中本哲史は、ビットコインのプロトコルを作ったとされる謎に包まれた人物「サトシ・ナカモト」に由来します。

この作品が発表されたのが、ビットコインの名称が広く知られていた時期ということもあり、IT企業の役員を務める著者らしい作品として話題となりました。表題の「ニムロッド」とは、バベルの塔の建設を命じた王の名前に由来します。ビットコインの最小単位は1サトシですが、この作品は主人公のサトシが、会社のサーバーを使って小さなサトシを採掘して、大きな「僕の塔」を築こうとする「自分探しの物語」です。


上田岳弘『ニムロッド』あらすじ
 左目から涙がこぼれる「謎の症状」を持つ主人公・中本哲史は、サーバーの保守を受け持つIT企業に勤務しながら、ビットコインの採掘を行う部署で働いている。彼は同僚の「ニムロッド」から送られてくる「ダメな飛行機コレクション」のメールを楽しみにしながら、超エリートの恋人・田久保紀子との情事に勤しんでいる。第160回芥川賞受賞作。


2020/09/26

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第126回 上田岳弘『塔と重力』

西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」(第126回 2020年9月20日)は、上田岳弘の代表作の一つ『塔と重力』を取り上げています。表題は「「小窓」で生きる複雑な世界」です。

38歳の主人公は、17歳の時に予備校仲間と勉強合宿に行った時に、阪神淡路大震災に遭い、宿泊先のホテルが倒壊して、約二日間生き埋めになった経験があります。この時同じホテルには、恋心を寄せていた美希子も宿泊していたが、彼女は救助された後に亡くなってしまいます。それ以来、田辺は瓦礫に生き埋めになった時の記憶や、美希子との記憶に、フラッシュバックのように襲われています。第二次世界大戦時のトラウマで、人生の節目節目の時間を繰り返し追体験する奇妙な男を描いた、カート・ヴォネガット・ジュニアの『スローターハウス5』を彷彿とさせる作品です。


上田岳弘『塔と重力』あらすじ

神戸で震災を経験し、ホテルで生き埋めとなり恋人を亡くした過去を持つ田辺。彼はその過去を克服できず30代となり、大学時代の友人の水上には「お前はまた生き埋めに戻って来たんだよ。お前は助かっていない」と言われている。恋人・葵のFacebookで5000人以上の人々と繋がり、幻想に悩まされる。「塔」の崩壊と再生をめぐる現代小説。


2020/09/16

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第125回 島田雅彦『カタストロフ・マニア』

 西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」(第125回 2020年9月13日)は、島田雅彦のディストピア小説『カタストロフ・マニア』を取り上げています。表題は「感染症が蔓延 原野へ先祖返り」です。

この作品は感染症が蔓延する2036年の東京を描いた、島田雅彦の作品としては珍しいSF小説です。2017年に発表された作品ながら、現在の新型コロナ禍を彷彿とさせる「パンデミック小説」でもあり、島田らしい皮肉の効いた文明批評が随所に見られます。小説の前半で「カタストロフ」の原因が「太陽のしゃっくり」(コロナ質量放出による磁気嵐)を引き金に起こった、感染病の蔓延を伴う連鎖的な災害であったことが明かされて、小説はSF小説のような展開をみせます。2017年に発表された小説に「コロナ」や「感染」という言葉が使われている先駆性に、驚かされます。

クーデターを起こし新政府設立の準備をしているパルチザン「代々木ゼミナール」や、「致死率の高いウイルス」を使って、近未来版の「ノアの箱舟」を作ろうとする政治家を巻き込んだ陰謀など、ディストピア小説の中に、島田雅彦らしい文明観が垣間見えるのが面白い作品です。


島田雅彦『カタストロフ・マニア』あらすじ
主人公のシマダミロクは、新薬の治験に誘われ、「冬眠マシーン」に入れられる。目を覚ますと、そこはゲームの世界と現実の世界が入り混じったディストピア=東京であった。「新種の伝染病」に怯えながら、東京外国語大学の近くの集落で自給自足の暮らしをする中で、ミロクは永田町や霞が関の地下に巨大なシェルターがあることを察知し、クーデターを画策するグループに接近していく。





2020/09/10

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第124回 高山羽根子『首里の馬』

 西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」(第124回 2020年9月6日)は、高山羽根子の芥川賞受賞作『首里の馬』を取り上げています。表題は「港川の記憶 前衛的な寓話」です。琉球王国の古都である沖縄県浦添市港川を舞台にした作品です。

今週の月~水は、青山学院大学社会情報学部の集中講義「ジャーナリズム」5コマ×3日=15コマを担当しました。熱心な学生が多く、質疑も活発で充実した授業時間を過ごすことができました。秋学期は明治大学国際日本学部の英語の授業を中心に、立教大学社会学部でゼミと卒論を担当します。

『首里の馬』の舞台となる浦添市港川は那覇市の北側に位置する沖縄第4の市で、琉球王朝の発祥の地として知られます。12世紀から14世紀の間は浦添城を中心として琉球王国の首都として栄えました。ただこの小説によると「この地域には、先祖代々、ずうっと長いこと絶えることなく続いている家というものがほぼなかった」といいます。

浦添は琉球処分の際に区画が引かれなおされ、太平洋戦争の時には首里の前哨地として激戦が続きました。小説でも説明されている通り、苛烈な戦闘の影響でこの地域の死傷者数は公的に「不明」とされています。戦後は米国の占領下に置かれ、現在、その外国人住宅の一部は「港川外人住宅」や「港川ステイツサイドタウン」と呼ばれ観光地として人気を集めています。「首里の馬」は、琉球王朝の発祥の地であり、この島の近代史の暗部が色濃く反映された土地を舞台にした作品です。

高山羽根子『首里の馬』あらすじ

沖縄で生まれ育った未名子は、海外の遠隔地にいる人と指定された時間に、オンライン通話で「クイズを読み、答えさせる」妙な仕事に就いている。その傍らで彼女は「沖縄及島嶼資料館」の資料整理をボランティアで手伝っている。台風の日に、宮古馬が自宅の庭にやってきたことをきっかけに、未名子の人生は大きく変容していく。





2020/09/03

「広報会議」2020年10月号に寄稿しました

 「広報会議」2020年10月号に「ソーシャルリスクと炎上対策」に関する論考を寄稿しました。

「広報会議」2020年10月号目次

https://www.sendenkaigi.com/books/back-number-kouhoukaigi/detail.php?id=23362

【特集3】「リスクに備えるネット炎上 予防策と発生時の対応」に掲載されています。表題は「ソーシャルリスクと炎上対策 絶対やってはいけない広報対応とは?」です。

昨年に出版した『メディア・リテラシーを高めるための文章演習』の内容を踏まえて、新型コロナ禍の「ソーシャルリスクと炎上対策」について記した内容です。朝日新聞、日産、ブルボン、亀田製菓などいくつかの炎上の具体事例について分析しています。

ご関心が向くようでしたら、ぜひご一読ください!



2020/09/01

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第123回 遠野遥『破局』

 西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」(第123回 2020年8月30日)は、遠野遥のデビュー2作目&芥川賞受賞作『破局』を取り上げています。表題は「抑圧と解放 現代の青春残酷物語」です。慶應義塾大学を舞台にした小説ですので、大学院から助教時代まで10年ほどいた時の内輪ネタも織り込みつつ論じました。

慶應義塾大学のキャンパスを舞台に、筋トレと性行為を両輪として肉体的な欲望を満たすための努力を惜しまない「優等生」の生活を描いた作品です。デビュー2作目で、28歳の若さで芥川賞を獲得した遠野遥の「私小説」ともとれる赤裸々な描写が話題となりました。

この作品は慶應の付属校出身で政治家志望の麻衣子の「高すぎるプライド」と、地方出身で一見すると大人しそうに見える灯の「性的な貪欲さ」の双方に翻弄される陽介の無意識的な欲望の流れを巧みに描いています。「破局」は優等生・陽介の抑圧された欲望と、解放された欲望の落差を上手く表現した、現代的な「青春残酷物語」だと思います。


遠野遥『破局』あらすじ

慶應義塾大学を連想させる「日吉」と「三田」のキャンパスを舞台とした作品。主人公の陽介は元ラガーマンで体格が良く、女性にもてる。ただ公務員を志望していることもあり、社会的な規範に対する意識が強く、女性との関係の持ち方も抑制的である。陽介は付き合っていた4年生の麻衣子と別れて、偶然知り合った1年生の灯と初々しい付き合いをはじめるが、ちょっとした問題で「破局」へと向かう。

2020/08/27

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第122回 辻村深月『ツナグ』

 西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」(第122回 2020年8月23日)は、辻村深月の代表作の一つ『ツナグ』を取り上げています。表題は「品川起点に物語る集合的記憶」です。

8月も色々と仕事が重なり、夏休みを過ごした感じが全くしないですが、遅れている原稿に取り掛かりつつ、青学の集中講義の準備と、秋学期の授業準備(英語50%)に取り掛かるところです。

辻村深月の「ツナグ」は、品川のホテルを玄関口として死者の世界と現世を取り次ぐ「使者(ツナグ)」を中心とした物語です。

品川は東海道五十三次の一番目の宿場町で、江戸の街の境目でした。日本橋から8キロという立地の良さも手伝って、品川宿は岡場所(歓楽街)としても大いに栄えています。落語の名作「品川心中」や「居残り佐平治」は、往時の品川宿の遊郭の賑わいを伝える作品です。

高層のホテルが林立し、東京の外環を形作る現代の品川は、依然として死者と生者の面会場所に相応しいのだと思います。


辻村深月『ツナグ』あらすじ

死んだ人間と生きた人間を、一生に一度だけ引き合わせる「使者=ツナグ」。自殺の噂が囁かれるアイドルや、癌であることを知らされることなく亡くなった母親、結婚を前にして突如行方不明となった婚約者など、訳ありの死者たちと再会する人々の姿が描かれる。「占いの家系」に生まれ、「使者=ツナグ」となった歩美の家族の謎にも迫るミステリー形式の作品。著者らしい異色の連作長編小説。

2020/08/17

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第121回 馳星周『少年と犬』

 西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」(第121回 2020年8月16日)は、東日本大震災と熊本地震の双方を描いた、馳星周の直木賞受賞作『少年と犬』を取り上げています。表題は「「守護神」の旅路描く震災文学」です。

東日本大震災の被災地を起点として、5年の歳月をかけて熊本に向かう一匹の犬と、その飼い主たちの物語です。収録された6つの短編を通して、最初の飼い主に「多聞」と名付けられたこの犬が、釜石から熊本への旅路で出会う人々との「言葉を超えた交流」が描かれています。「少年と犬」は、孤独な登場人物たちに「送りびと」として寄り添う一匹の犬の旅路を通して、私たちが暮らす世界の危うさと貴重さを炙り出した、馳星周らしい異色の震災文学です。


馳星周『少年と犬』あらすじ

釜石から熊本まで5年をかけて移動するシェパード犬の多聞と、その飼い主たちの生活を描いた作品。多聞は人々の「避けられない死」を見届けるために、飼い主を変えながら日本列島を南下していく。2011年の東日本大震災と、2016年の熊本地震を結びつける「少年と犬」の物語。第163回(2020年上半期)直木賞受賞作。

2020/08/12

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第120回 馳星周『不夜城』

祝120回! 西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」(第120回 2020年8月09日)は、新宿歌舞伎町の「裏の裏」を舞台にした馳星周のデビュー作『不夜城』を取り上げています。表題は「都会の「ジャングル」裏の裏」です。

連載も120回に達しましたが、取り上げる候補作のリストは増える一方で、まだ取り上げていない大作家の作品も多く残っています(馳星周もその一人でした)。全体に直木賞系の作家の作品を多く取り上げているのですが(現代小説の面白さを伝えたいため)、そろそろ芥川賞系の作家の代表作も、本腰を入れて取り上げていこう、と考えています。

『不夜城』は、私が大学に入学した年(1996年)に発表された作品です。中国マフィアの視点から日本最大の歓楽街である新宿・歌舞伎町を描いた視点が新鮮で、中国からの移住者や留学生が増加した現代日本の現実感を先取りしています。複雑な利害関係に根差した中国マフィアたちの人物描写が巧みで、個性的な登場人物たちが互いを出し抜こうと必死で戦う「群像劇」が、血生臭さを漂わせながら、目くるめく展開されます。


馳星周『不夜城』あらすじ

「日本の法律」が及ばない歌舞伎町を舞台に、台湾系日本人の健一と、育ての親の楊偉民、かつての仕事上のパートナー呉富春、中国東北部で生まれ育った夏美の関係を描く。一括りに中国人マフィアと呼ばれる人々が、台湾系・上海系・北京系・広東系など出身地域ごとに結束し、血を血で洗う抗争を繰り広げるハードボイルド小説。


2020/08/05

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第119回 前田司郎『愛でもない青春でもない旅立たない』

西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」(第119回 2020年8月26日)は、前田司郎の出身地・五反田を舞台にした青春小説『愛でもない青春でもない旅立たない』を取り上げています。表題は「通過儀礼なく大人になれるか」です。

現時点で引き受けている仕事量的に、夏休みは終わった感じがしていますが(GO TO 何とかに関係なく、旅行どころではありませんが)、働き盛りと言われる40代を、快活に過ごしたいと思います。

近代文学は、青春時代に人々が経験する何の役にも立たないような円環的な時間=モラトリアムを描いてきました。『愛でもない青春でもない旅立たない』は、この系譜に沿った青春小説で、社会的な意味では志が低そうに見えますが、思春期の夢のような無為な時間を描いている点で、文学的な意味では志が高いです。成熟の三種の神器といえる「愛と青春と旅立ち」なしで現代人は大人になることができるのでしょうか?


前田司郎『愛でもない青春でもない旅立たない』あらすじ
五反田に住みながら郊外の大学に通う「僕」の愛と旅立ちなき青春を描いた作品。前田司郎の小説デビュー作。「僕」は大学を留年しているが、危機感は抱いておらず、友人の山本や元宮ユキと弛緩した日々をだらだらと送っている。女性との関係の築き方が下手な「僕」は、美人の恋人のまなみに愛想をつかされて、失われた青春の大切さに気付く。劇団・五反田団を主宰する前田司郎の小説デビュー作。