2020/10/19

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第130回 東野圭吾『ナミヤ雑貨店の奇蹟』

祝・連載130回! 西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」(第130回 2020年10月18日)は、東野圭吾『ナミヤ雑貨店の奇蹟』を取り上げています。表題は「時代、国境超えた若者の悩み」です。

昔ながらの住宅街にある「昭和の雑貨店」を舞台にした作品です。東日本大震災の直後から連載され、世界での累計発行部数が1千万部を超えるベストセラーとなりました。現代日本の小説で最も読まれた作品の一つと言えます。中国語版の映画も製作され、日本語版で西田敏行が演じたナミヤ雑貨店の店主は、ジャッキー・チェンが演じています。映画版は大分県の豊後高田市を中心に撮影が行われ、観光地として知られる「昭和の町」や真玉海岸などで撮影が行われています。

昭和の時代から変わらないものと、大きく変わったものが、手紙のやり取りを通して浮き彫りにされる展開が面白い作品です。時代が変わっても多くの若者たちが、人生に迷い、自らの情熱を傾けるべき仕事や、愛情を傾けるべき相手のことで悩み、誰かに話を聞いてもらいたがっていることに変わりないのだと思います。

東野圭吾『ナミヤ雑貨店の奇蹟』あらすじ

住宅街の外れにある「ナミヤ雑貨店」は、無料で悩み相談を引き受けている。72歳の店主・浪矢雄治さんは一つ一つの悩みに誠実に答えることで、相談者たちから信頼を得ていく。なぜ彼はこのようなボランティア活動をはじめたのか。様々な相談者たちの謎めいた人生と共にナミヤさんの生い立ちがひも解かれていく。


2020/10/13

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第129回 有栖川有栖『双頭の悪魔』

 西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」(第129回 2020年10月11日)は、有栖川有栖のの本格ミステリー『双頭の悪魔』を取り上げています。表題は「本格ミステリーで問う「理想郷」」です。

京都市今出川にある英都大学の推理小説研究会の面々を描いた青春ミステリー小説です。4回生で27歳の部長・江神二郎が事件をひも解く「探偵アリスシリーズ」の3作目で、有栖川有栖の代表作と言えます。作品の舞台が高知の山奥になったのは、過疎化で多くの廃村が生まれていることを新聞で読んだのがきっかけで、両親が香川県出身ということもあり、著者は讃岐弁を話せるらしく、四国を舞台とした作品を書きたかったのだと思います。

この作品は江戸川乱歩の『パノラマ島奇談』など、「理想郷」を舞台にしたミステリー作品を下地に記されています。売れない作家が、自分にそっくりな富豪と入れ替わり、彼の資産を使って「理想郷=パノラマ島」を作るという内容です。現代社会を生きる私たちにとって理想郷とはどのようなものなのでしょうか。この小説で有栖川有栖が投げかける問いは、真犯人捜しの枠を超えて、思いのほか深いと思います。



有栖川有栖『双頭の悪魔』あらすじ

英都大学の推理小説研究会に所属するマリアは、中学時代の友人の実家のある高知県の山村を訪ね、その近くの木更村=芸術の里に住み着くことになる。マリアの父親から捜索依頼を受けた江神二郎ら推理小説研究会の面々は、木更村に侵入する作戦に何とか成功するが、複雑な利害関係が入り組んだ「密室殺人事件」に巻き込まれていく。


2020/10/07

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第128回 有栖川有栖『幻坂』

 西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」(第128回 2020年10月4日)は、有栖川有栖の出身地近くを舞台にした、私小説的な雰囲気を持つ作品『幻坂』を取り上げています。表題は「大阪の「坂の街」の奇談」です。

大阪の上町台地の南側、四天王寺近辺の坂道を舞台にした短編集です。各短編のタイトルには主に実在する坂の名前が付され、川口松太郎の名作「愛染かつら」の舞台となった愛染堂や、真田幸村が落命したとされる安居天神、聖徳太子が日本最古の夏祭り「宝恵かご」をはじめたと伝えられる今宮戎神社など、名所旧跡が数多く作品に登場します。

有栖川有栖の出身地は本作の舞台に近い東住吉区で、「幻坂」には有栖川有栖の私小説という趣も感じられます。彼が卒業した上宮高等学校は「幻坂」で描かれる上町台地にあり、この作品には高校時代の思い出も重ねられているのだとも思います。最初の短編「清水坂」の語り手によると「大阪弁は、生きて泳いで跳ねる魚。標準語は、網目のついた焼き魚」だそうです。この言葉の通り、本作「幻坂」は訛りを通して「生きて泳いで跳ねる魚」のように「天王寺七坂」の土地の歴史をひも解いた、作家・有栖川有栖の新境地といえる作品です。

有栖川有栖『幻坂』あらすじ

大阪の上町台地に点在する坂道を主な舞台にした短編集。この作品の舞台となる難波は、かつて遣隋使船や遣唐使船が出航する玄関口であり、7世紀には日本の首都でもあった。菅原道真が太宰府に流される前に立ち寄った安居天神など、古の難波の津の繁栄を伝える名所旧跡が多く登場する。心霊現象の解明を専門とする私立探偵・濱地健三郎シリーズの作品。


2020/09/30

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第127回 上田岳弘『ニムロッド』

 西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」(第127回 2020年9月27日)は、上田岳弘の芥川賞受賞作『ニムロッド』を取り上げています。表題は「夢か幻か 媒介する通貨と言葉」です。

小説の舞台は近未来の日本で、生物の寿命を司るシステムが解明されたため、富裕層は「寿命の廃止技術」を自己に施しています。永遠の寿命を手に入れた人々は「最後の人間」と呼ばれており、人口の50%を超えている。経済も政治も芸術も「寿命の廃止」の供託金を運用する「絶対に運用を失敗しないファンド」の制御下にあります。

主人公は突如、「中本哲史、お前が課長になって掘るんだよ、金を」と社長に指示され、仮想通貨のビットコインを「採掘」する部署の課長となります。本文中の言葉を借りれば、ビットコインとは「アルファベットの「B」をウナギのかば焼きみたいに二本の串で刺した」マークのそれです。主人公の中本哲史は、ビットコインのプロトコルを作ったとされる謎に包まれた人物「サトシ・ナカモト」に由来します。

この作品が発表されたのが、ビットコインの名称が広く知られていた時期ということもあり、IT企業の役員を務める著者らしい作品として話題となりました。表題の「ニムロッド」とは、バベルの塔の建設を命じた王の名前に由来します。ビットコインの最小単位は1サトシですが、この作品は主人公のサトシが、会社のサーバーを使って小さなサトシを採掘して、大きな「僕の塔」を築こうとする「自分探しの物語」です。


上田岳弘『ニムロッド』あらすじ
 左目から涙がこぼれる「謎の症状」を持つ主人公・中本哲史は、サーバーの保守を受け持つIT企業に勤務しながら、ビットコインの採掘を行う部署で働いている。彼は同僚の「ニムロッド」から送られてくる「ダメな飛行機コレクション」のメールを楽しみにしながら、超エリートの恋人・田久保紀子との情事に勤しんでいる。第160回芥川賞受賞作。


2020/09/26

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第126回 上田岳弘『塔と重力』

西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」(第126回 2020年9月20日)は、上田岳弘の代表作の一つ『塔と重力』を取り上げています。表題は「「小窓」で生きる複雑な世界」です。

38歳の主人公は、17歳の時に予備校仲間と勉強合宿に行った時に、阪神淡路大震災に遭い、宿泊先のホテルが倒壊して、約二日間生き埋めになった経験があります。この時同じホテルには、恋心を寄せていた美希子も宿泊していたが、彼女は救助された後に亡くなってしまいます。それ以来、田辺は瓦礫に生き埋めになった時の記憶や、美希子との記憶に、フラッシュバックのように襲われています。第二次世界大戦時のトラウマで、人生の節目節目の時間を繰り返し追体験する奇妙な男を描いた、カート・ヴォネガット・ジュニアの『スローターハウス5』を彷彿とさせる作品です。


上田岳弘『塔と重力』あらすじ

神戸で震災を経験し、ホテルで生き埋めとなり恋人を亡くした過去を持つ田辺。彼はその過去を克服できず30代となり、大学時代の友人の水上には「お前はまた生き埋めに戻って来たんだよ。お前は助かっていない」と言われている。恋人・葵のFacebookで5000人以上の人々と繋がり、幻想に悩まされる。「塔」の崩壊と再生をめぐる現代小説。


2020/09/16

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第125回 島田雅彦『カタストロフ・マニア』

 西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」(第125回 2020年9月13日)は、島田雅彦のディストピア小説『カタストロフ・マニア』を取り上げています。表題は「感染症が蔓延 原野へ先祖返り」です。

この作品は感染症が蔓延する2036年の東京を描いた、島田雅彦の作品としては珍しいSF小説です。2017年に発表された作品ながら、現在の新型コロナ禍を彷彿とさせる「パンデミック小説」でもあり、島田らしい皮肉の効いた文明批評が随所に見られます。小説の前半で「カタストロフ」の原因が「太陽のしゃっくり」(コロナ質量放出による磁気嵐)を引き金に起こった、感染病の蔓延を伴う連鎖的な災害であったことが明かされて、小説はSF小説のような展開をみせます。2017年に発表された小説に「コロナ」や「感染」という言葉が使われている先駆性に、驚かされます。

クーデターを起こし新政府設立の準備をしているパルチザン「代々木ゼミナール」や、「致死率の高いウイルス」を使って、近未来版の「ノアの箱舟」を作ろうとする政治家を巻き込んだ陰謀など、ディストピア小説の中に、島田雅彦らしい文明観が垣間見えるのが面白い作品です。


島田雅彦『カタストロフ・マニア』あらすじ
主人公のシマダミロクは、新薬の治験に誘われ、「冬眠マシーン」に入れられる。目を覚ますと、そこはゲームの世界と現実の世界が入り混じったディストピア=東京であった。「新種の伝染病」に怯えながら、東京外国語大学の近くの集落で自給自足の暮らしをする中で、ミロクは永田町や霞が関の地下に巨大なシェルターがあることを察知し、クーデターを画策するグループに接近していく。





2020/09/10

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第124回 高山羽根子『首里の馬』

 西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」(第124回 2020年9月6日)は、高山羽根子の芥川賞受賞作『首里の馬』を取り上げています。表題は「港川の記憶 前衛的な寓話」です。琉球王国の古都である沖縄県浦添市港川を舞台にした作品です。

今週の月~水は、青山学院大学社会情報学部の集中講義「ジャーナリズム」5コマ×3日=15コマを担当しました。熱心な学生が多く、質疑も活発で充実した授業時間を過ごすことができました。秋学期は明治大学国際日本学部の英語の授業を中心に、立教大学社会学部でゼミと卒論を担当します。

『首里の馬』の舞台となる浦添市港川は那覇市の北側に位置する沖縄第4の市で、琉球王朝の発祥の地として知られます。12世紀から14世紀の間は浦添城を中心として琉球王国の首都として栄えました。ただこの小説によると「この地域には、先祖代々、ずうっと長いこと絶えることなく続いている家というものがほぼなかった」といいます。

浦添は琉球処分の際に区画が引かれなおされ、太平洋戦争の時には首里の前哨地として激戦が続きました。小説でも説明されている通り、苛烈な戦闘の影響でこの地域の死傷者数は公的に「不明」とされています。戦後は米国の占領下に置かれ、現在、その外国人住宅の一部は「港川外人住宅」や「港川ステイツサイドタウン」と呼ばれ観光地として人気を集めています。「首里の馬」は、琉球王朝の発祥の地であり、この島の近代史の暗部が色濃く反映された土地を舞台にした作品です。

高山羽根子『首里の馬』あらすじ

沖縄で生まれ育った未名子は、海外の遠隔地にいる人と指定された時間に、オンライン通話で「クイズを読み、答えさせる」妙な仕事に就いている。その傍らで彼女は「沖縄及島嶼資料館」の資料整理をボランティアで手伝っている。台風の日に、宮古馬が自宅の庭にやってきたことをきっかけに、未名子の人生は大きく変容していく。





2020/09/03

「広報会議」2020年10月号に寄稿しました

 「広報会議」2020年10月号に「ソーシャルリスクと炎上対策」に関する論考を寄稿しました。

「広報会議」2020年10月号目次

https://www.sendenkaigi.com/books/back-number-kouhoukaigi/detail.php?id=23362

【特集3】「リスクに備えるネット炎上 予防策と発生時の対応」に掲載されています。表題は「ソーシャルリスクと炎上対策 絶対やってはいけない広報対応とは?」です。

昨年に出版した『メディア・リテラシーを高めるための文章演習』の内容を踏まえて、新型コロナ禍の「ソーシャルリスクと炎上対策」について記した内容です。朝日新聞、日産、ブルボン、亀田製菓などいくつかの炎上の具体事例について分析しています。

ご関心が向くようでしたら、ぜひご一読ください!



2020/09/01

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第123回 遠野遥『破局』

 西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」(第123回 2020年8月30日)は、遠野遥のデビュー2作目&芥川賞受賞作『破局』を取り上げています。表題は「抑圧と解放 現代の青春残酷物語」です。慶應義塾大学を舞台にした小説ですので、大学院から助教時代まで10年ほどいた時の内輪ネタも織り込みつつ論じました。

慶應義塾大学のキャンパスを舞台に、筋トレと性行為を両輪として肉体的な欲望を満たすための努力を惜しまない「優等生」の生活を描いた作品です。デビュー2作目で、28歳の若さで芥川賞を獲得した遠野遥の「私小説」ともとれる赤裸々な描写が話題となりました。

この作品は慶應の付属校出身で政治家志望の麻衣子の「高すぎるプライド」と、地方出身で一見すると大人しそうに見える灯の「性的な貪欲さ」の双方に翻弄される陽介の無意識的な欲望の流れを巧みに描いています。「破局」は優等生・陽介の抑圧された欲望と、解放された欲望の落差を上手く表現した、現代的な「青春残酷物語」だと思います。


遠野遥『破局』あらすじ

慶應義塾大学を連想させる「日吉」と「三田」のキャンパスを舞台とした作品。主人公の陽介は元ラガーマンで体格が良く、女性にもてる。ただ公務員を志望していることもあり、社会的な規範に対する意識が強く、女性との関係の持ち方も抑制的である。陽介は付き合っていた4年生の麻衣子と別れて、偶然知り合った1年生の灯と初々しい付き合いをはじめるが、ちょっとした問題で「破局」へと向かう。

2020/08/27

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第122回 辻村深月『ツナグ』

 西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」(第122回 2020年8月23日)は、辻村深月の代表作の一つ『ツナグ』を取り上げています。表題は「品川起点に物語る集合的記憶」です。

8月も色々と仕事が重なり、夏休みを過ごした感じが全くしないですが、遅れている原稿に取り掛かりつつ、青学の集中講義の準備と、秋学期の授業準備(英語50%)に取り掛かるところです。

辻村深月の「ツナグ」は、品川のホテルを玄関口として死者の世界と現世を取り次ぐ「使者(ツナグ)」を中心とした物語です。

品川は東海道五十三次の一番目の宿場町で、江戸の街の境目でした。日本橋から8キロという立地の良さも手伝って、品川宿は岡場所(歓楽街)としても大いに栄えています。落語の名作「品川心中」や「居残り佐平治」は、往時の品川宿の遊郭の賑わいを伝える作品です。

高層のホテルが林立し、東京の外環を形作る現代の品川は、依然として死者と生者の面会場所に相応しいのだと思います。


辻村深月『ツナグ』あらすじ

死んだ人間と生きた人間を、一生に一度だけ引き合わせる「使者=ツナグ」。自殺の噂が囁かれるアイドルや、癌であることを知らされることなく亡くなった母親、結婚を前にして突如行方不明となった婚約者など、訳ありの死者たちと再会する人々の姿が描かれる。「占いの家系」に生まれ、「使者=ツナグ」となった歩美の家族の謎にも迫るミステリー形式の作品。著者らしい異色の連作長編小説。