2021/05/10

奇妙な廃墟に聳える邪宗門 『福田和也コレクション1:本を読む、乱世を生きる』書評

 『福田和也コレクション1』の書評を寄稿しました。90年代から00年代の批評のことなど、色々と書いておりますが、当時38歳だった若き福田和也先生との思い出や、「批評空間」の最終号の巻頭鼎談「アナーキズムと右翼(絓秀実・福田和也・柄谷行人)」の対談のまとめ(当時、院生だった私が担当しています)のことなど、雑誌メディア史的にもレアな話もあるかと思います。800ページを超える批評本への敬意を込めて、時間を掛けて書きましたので、お時間のある時にでもご一読を頂ければ幸いです。『福田和也コレクション2、3』についても機会があれば、どこかに批評を寄稿する予定でいます。

奇妙な廃墟に聳える邪宗門 『福田和也コレクション1:本を読む、乱世を生きる』書評【酒井信】

https://www.kk-bestsellers.com/articles/-/945463/

exicite news版

https://www.excite.co.jp/news/article/BestTimes_00945463/

 上の記事はトップページでご紹介を頂いたこともあり、掲載から2時間ほどで(無事)アクセス・ランキングで上位に入り、平山周吉さんや中西大輔さんなど、往時の福田和也を知る編集者の方々から、熱いリアクションを頂くことができました。福田和也について論じる批評性を要する仕事でしたので、非常に嬉しく感じました。

 当面は西日本新聞の連載を継続しながら、書籍にすることを目指しつつ、1年ほどかけて「en-taxi」「諸君!」に寄稿した批評文や、江藤淳論・福田和也論・坪内祐三追悼文などを加筆・改稿して、まとまった書籍にしたいと考えています(秋口から版元を探し始めることになると思います)。批評に風当たりが強く、なかなか文章の中身や価値を評価してもらいにくい時代ですが、何とか踏ん張って批評文を書き続けたいと思います。

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第157回 中村文則『去年の冬、きみと別れ』

 西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」(第157回 2021年5月9日)は、ここ数か月、日本の本格推理小説を読み込んでいることもあり、中村文則のミステリー作品で、2018年に映画化された『去年の冬、きみと別れ』を取り上げました。表題は「犯罪者への安堵と共感」です。

 異様な事件を引き起こした犯罪者の心理に人々が関心を持つのは、不可解な人間の振る舞いに、悪のラベルを貼り、安堵したいからでしょうか。それとも退屈な日常に風穴を開ける犯罪者の言動に、少しでも人間性を見出し、無意識的に共感したいからでしょうか。本作で描かれる犯罪は、名前が付けがたく、安堵も共感もしにくいものです。

 トルーマン・カポーティの「冷血」について、作中で繰り返し言及されています。ニュージャーナリズムの源流とされる作品で、カポーティはカンザス州の惨殺事件を取材し、ノンフィクション小説の原型となる筆致で記しました。ただ本作はカポーティの「冷血」のように、書き手の存在を消去した作品ではなく、登場人物たちのバイアスも描き、そこに込み入った謎が存在することも明していきます。「信用できない語り手」が物語を展開するカズオ・イシグロの小説にも近いです。

 カポーティは「冷血」を書いたのち心に変調をきたしましたが、彼は「冷血」を書くことで、殺人犯が体現する人間の欲望の臨界と向き合いました。本作は、中村文則が犯罪者への安堵と共感という、一般の人々が抱く「冷血な感情」と向き合った本格推理小説です。

西日本新聞 meへのリンク

https://www.nishinippon.co.jp/item/n/735712/


中村文則『去年の冬、きみと別れ』あらすじ

 二人の女性が殺害された猟奇的な焼殺事件の謎を、ライターの僕が犯人や関係者を取材しながら明らかにしていく作品。写真家・木原坂雄大と姉・朱里のきな臭い関係と、事件の真相とは。複雑に織り込まれた謎が、物語を二転三転させる構成が巧みで、ミステリー作家としての中村文則の評価を高めた作品。


2021/05/03

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第156回 岡田利規『わたしたちに許された特別な時間の終わり』

 西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」(第156回 2021年5月2日)は、新型コロナ禍で平穏な日常の意味が問われていることもあり、岡田利規『わたしたちに許された特別な時間の終わり』を取り上げました。表題は「間延びした日常に風穴」です。

 演劇に関わる人々の時間の流れ方は、スマホで動画を視聴することに慣れた現代人のそれとは、大きく異なると思います。役者たちは自らの身体を客の前にさらしながら、内的に消化した時間を繰り返し舞台の上で現前化させます。観客も劇場へと足を運び、狭い空間に拘束され、舞台上で展開される時間にシンクロし、それを楽しみます。ウェブ上で様々な動画が視聴できる時代に、演劇が役者たちと観客の双方に求めるハードルは高いです。

 ただ人間が、他の人間が演じる物事を、同じ時空間で一緒に経験したいという欲求は、群れることで文明を築いてきた人間らしい根源的なものなのだとも思います。フロイトが言うように、人間は他人の欲望を模倣することで成長し、社会的な存在となります。生身の人間から得られる時間は、感情の通った欲望を伴う、取り換えのきかないもので、オンライン上の情報やコミュニケーションでは代替できません。

 岡田利規の「わたしたちに許された特別な時間の終わり」は、劇作家らしい時間に関する感度の高さが感じられる良作だと思います。これといった出来事が起こらない筋書きや、ため口の場面説明や台詞回し、現代文学のような飛躍した場面展開など、個性的な作風が際立っています。本作は、私たちの日常の中に横たわる、取り留めもない「特別な時間」の意味の重さを問いかける作品です。

西日本新聞 meの掲載記事



岡田利規『わたしたちに許された特別な時間の終わり』あらすじ

 イラク戦争の足音が聞こえる中、偶然出会った男女が渋谷のラブホテルに5日間滞在する「三月の5日間」と、フリーターの夫婦のすれ違う時間を描いた「わたしの場所の複数」を収録。劇団チェルフィッチュを主宰する岡田利規の初めての小説で、第二回大江健三郎賞受賞作。

2021/04/26

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第155回 川上未映子『ヘヴン』

 西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」(第155回 2021年4月25日)は、旭川市のいじめ凍死事件が起きたこともあり、いじめを題材とした現代小説の代表作、川上未映子『ヘヴン』を取り上げました。表題は「いじめの苦難「向こう側」夢見て」です。

 旭川の事件は、母親・生徒の担任への相談も繰り返しあり、川への飛び込み事件も起き、警察の捜査も入り、転校もして、PTSDの診断もあっても、調査委員会が設置されておらず、凍死事件が起きるという、あまりにも悲惨なものでした。狭い人間関係の中で生じる陰湿ないじめを抑止する仕組みが、少しでも早く整うことを願っています。

 川上未映子『ヘヴン』は冒頭で引かれた「目を閉じさえすればよい。すると人生の向こう側だ」という、ルイ=フェルディナン・セリーヌ『夜の果てへの旅』の一節が、読後の印象として強く残る作品です。

 目を閉じて、人生の難局が過ぎ去り「人生の向こう側」へ行ければいいのに、と誰もが一度は願ったことがあるのではないでしょうか。この作品はいじめにあった14歳の男女が、殉教者のように目を閉じ、祈るように人生の苦境を乗り切り、その「向こう側」にある「ヘヴン」を模索する切なくも生命力に満ちた作品です。

 写真は作品の舞台と思しき場所の近く、横浜市南区の大原隧道で撮影しました。作中の切ない恋心が写真で表現できてる気がしています。

 先週末に批評本の批評(12枚)を書き終えて、ようやくGWを実感してきた今日この頃です。

西日本新聞 meの掲載記事

https://www.nishinippon.co.jp/item/n/729290/


川上未映子『ヘヴン』あらすじ
 悪質ないじめを受けている僕が、ある日「わたしたちは仲間です」という匿名の手紙を受け取る。いじめを受けた男女が「きっといつかこれを耐えなきゃたどりつけなかったような場所やできごと」を手にする希望を抱いて、ほのかな恋心を育み、手を取り合って成長していく。著者の新境地として高く評価された芸術選奨新人賞、紫式部文学賞受賞作。


2021/04/19

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第154回 町田そのこ『52ヘルツのクジラたち』

 西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」(第154回 2021年4月18日)は、2021年の本屋大賞受賞作、町田そのこの『52ヘルツのクジラたち』を取り上げています。表題は「拡張する社会が抱える矛盾」です。

 大分県の小さな海辺の町を舞台に、親からの虐待に苦しんできた「わたし」ことキナコとその友人たちの青春を描いた作品です。一般にクジラは10~39ヘルツで歌うことで仲間と連絡を取り合い、繁殖するらしいですが、52ヘルツのクジラは声の周波数が高すぎるため、孤独に大海原を生き抜かなければなりません。「52ヘルツのクジラ」のエピソードは、孤独な人生を歩んできた登場人物たちを象徴するもので、誰に読まれるか分からない文章を書き続ける、作者のアイデンティを表現したものでもあると思います。

 人間は群れを成して生きる動物であり、環境に左右される存在です。ただこの世に弱い存在として生れ落ちる子供にとって、第一に「群れ」や「環境」とは家庭であり、それは自ら選ぶことのできない所与のものとして、理不尽に人生を左右します。現代社会で、私たちは依然として狭い家庭環境に左右されながら生まれ育ち、血縁や地縁を超えた生活や人間関係を容易には築けないでいます。本作は、外見は前近代的なしがらみを克服したかに見える現代社会が内側に抱える感情的な矛盾を描いた作品で、新型コロナ禍の時代に相応しい「本屋大賞受賞作」だと思います。

https://www.nishinippon.co.jp/item/n/725496/


町田そのこ『52ヘルツのクジラたち』あらすじ

 家族から虐待を受けて育ったキナコが、友人の美晴が働く塾の講師・アンさんなどに支えられながら成長していく物語。家族の下を離れ、祖母の自宅があった大分に移住したキナコは、母親から虐待を受けている少年と出会い、彼を庇護しながら自己の人生と向き合っていく。勤め先の跡継ぎだった主税との苦い恋愛遍歴など、ミステリアスなキナコの過去が徐々に明らかにされる展開がスリリングな作品。2021年本屋大賞第一位。

 


2021/04/17

広報誌「明治」と「国際日本学研究」への寄稿

 明治大学の広報誌「明治」第89号(2021年4月発行)に「メディア・リテラシーの有無が生死を分けることもある」を寄稿しました。

「明治」第89号には、校友の安住 紳一郎さん(TBSテレビ アナウンサー)への創立140周年記念特別インタビューや、特集「明治大学が切り拓く就職キャリア支援」などが掲載されています。

目次

https://www.meiji.ac.jp/koho/meiji/89.html

 それと明治大学が発行する「国際日本学研究」に「現代日本の新聞産業の現状と収益構造の変化に関する研究」という論文を寄稿しました。科研費の分担分の成果の一部で、ボリュームのある原稿です。日本の新聞産業の特徴と現状について、様々な統計データを用いながら考察しています。

「国際日本学研究」第13巻 第1号(2020) pp.39-56

https://www.meiji.ac.jp/nippon/6t5h7p00000ifucc-att/6t5h7p00000ifuen.pdf

2021/04/12

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第153回 芦沢央『汚れた手をそこで拭かない』

 西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」(第153回 2021年4月11日)は、芦沢央の第164回直木賞候補作『汚れた手をそこで拭かない』を取り上げています。表題は「日常に潜む『落とし穴』」です。この回の直木賞は、時代小説の受賞が期待される状況だったこともあり、受賞に至りませんでしたが、最も芥川賞向きの作風で、文学性も高く、将来が期待される作家だと思います。

写真は「世界一の本の町 神田すずらん通り商店街」です。神保町では、大学2,3年の時にイタリア系の出版社デアゴスティーニ・ジャパンの編集部でバイトしていました。東京堂でよく立ち読みしてサボっていたので、東京堂の写真を掲載頂きました。四半世紀が経った今日も、明治大学での会議ついでにボンディでカレーを食べ、古本を物色しつつ、すずらん通りを散歩しました。世界一の商店街だと思います。

神保町はさておき、芦沢央は平穏だと考えていた日常を侵食する「小さな悪意」を通して小説のリアリティを築くのが上手いです。「汚れた手をそこで拭かない」は、人々が穏やかな日常生活の中で見落としているような「小さな悪意」を起爆剤として、喜怒哀楽に還元しがたい際どい感情を表現した短編集といえます。単行本の帯文に「ひたひたと忍び寄るおそろしさ、ぬるりと変容する日常から、目を背けてはならない」と記されていますが、言い得て妙です。

 老人がアパートの隣人の電気機器を親切に修理するふりをして、盗電して自室の電気代を節約するなど「小さな悪意」が、小説の中心的な題材として取り上げられています。個人的に最も印象に残ったのが、「埋め合わせ」という作品で、小学校のプールの栓を閉め忘れて大量の水を流出させたことを隠蔽しようとする小学校教師の姿が描かれています。

 現実に日本では、プールの給水栓を小学校教員が閉め忘れ、上下水道料金(数百万円になることも)を請求される事例が生じています。平穏な小学校の夏休みにぽっかりと空いた「落とし穴」が、ホラー作品のような恐怖を読者に与えます。

西日本新聞 me

https://www.nishinippon.co.jp/item/n/721790/


芦沢央『汚れた手をそこで拭かない』あらすじ
 日々の生活の中に潜む「汚れ」をさりげなくどこかで「拭く」ような人間の小さな悪を軸にした5つの短編集。小学校の教師や認知症の妻を持つ老人、仏師を目指す元編集者など、お金に困り、自らの人生を袋小路へと追い込んでしまう不器用な大人たちを描く。第164回直木賞候補作。


2021/04/05

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第152回 高橋源一郎『ジョン・レノン対火星人』

 明治大学国際日本学部で2年目を迎えました。知り合いの教員がいない中、一般公募で専任教員として採用を頂いたことへの感謝の気持ちを、学部に対して持ち続けています。新型コロナへの対応は大変でしたが、快活に教育・研究・校務に勤しんできたつもりでいます。昨年の7月から対面授業を実施してきましたが、今学期は4月からすべての授業を対面でスタートし、すでに多くの学生たちと対面でやり取りできていることを、嬉しく感じています。

 ここ最近は学術論文を続けて書いています。先月末発行の「国際日本学研究」に「現代日本の新聞産業の現状と収益構造の変化に関する研究」という論文を15ページほど寄稿しました。科研費の分担分の成果の一部です。今は英字ニュースの解析と分析に関する依頼論文を書き終えたところで、7月下旬に学会誌に掲載予定です。文科省の共同利用・共同研究の昨年度分の報告書も作成中です。

 あと大学の広報誌『明治』の次の号に、以前にMeiji.netに寄稿した「メディア・リテラシーの有無が生死を分けることもある」が6ページで転載される予定です。内容を微調整しました。

https://makotsky.blogspot.com/2020/10/meijinet.html

 その他、西日本新聞の連載と分厚い評論本への批評、英字論文など、色々と仕事に追われている内に新年度という感じですが、この調子で、残り27年の教員生活を全うしたいものです。

 新年度最初の「現代ブンガク風土記」(第152回 2021年4月4日)は、昨年度のはじめの村上春樹『羊をめぐる冒険』と同様に、現代小説への関心の原点となった作品(高橋源一郎『ジョン・レノン対火星人』)を選びました。表題は「正気と狂気 理不尽な人間」です。

 高橋源一郎の「過激派」としてのルーツが感じられる作品で、好きな現代小説の一つです。ポスト・モダン小説と言える虚実が入り混じった実験的な作風で、当時の日本の戦争史観への皮肉がたっぷりと塗り込められています。唐突に「プロレスとは愛(アムール)なのだ」というアブドーラ・ブッチャーのセリフが挟まれたり、「突発性小林秀雄地獄」に見舞われた人物が「おれはきつと近代の野蛮人なのだ。近代絵画が好きだ、おれは。本居宣長は桜なのだ。利口なやつはたんと反省するがよい、おれは馬鹿だから」など小林風の言葉を口にして反省するなど、不条理な内容がめくるめく展開されます。

 写真は作品の舞台となった東京拘置所で、高橋源一郎は、横浜国立大学時代に学生運動に関わり、凶器準備集合罪で逮捕され、半年ほど収監された経験を持ちます。高橋はこの時のトラウマで失語症となり、長期間、読み書きが上手くできなくなったらしいですが、本作は初期の作品らしく収監中の辛い経験が、幻想的な描写に強く反映されていて味わい深いです。正気と狂気が襞のように折り重なった現実世界を、私たちは常にすでに理不尽な人間存在として生きて続けながら、シミュラークル(模造品)とシュミレーション(想定演算)の外側に抜け出せないでいる、という現実を高橋は言葉を起爆させることで、挑発的に風刺しています。

西日本新聞 me

https://www.nishinippon.co.jp/item/n/718161/


高橋源一郎『ジョン・レノン対火星人』あらすじ

「マザー・グース大戦争」の被告として収監された「わたし」や「花キャベツカントリー殺人事件」を起こした「すばらしい日本の戦争」などが、東京拘置所を舞台として奇妙な物語をひもとく。後に「すばらしい日本の戦争」が狂ったふりをしていたことが判明し、小説は急展開していく。第24回群像新人文学賞の最終候補作「すばらしい日本の戦争」を改題した高橋源一郎の初期の代表作。

2021/03/29

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第151回 内田春菊『ファザーファッカー』

「現代ブンガク風土記」の特集ページが西日本新聞のオンライン版にできました。全文は有料会員向けの公開ですが、2021年2月の連載(第144回宇佐見りん『かか』)から掲載されています。今週の写真は、内田春菊の『ファザーファッカー』の舞台となった、知る人ぞ知る、長崎南高校にほど近い「五十段坂」です(つまりは内田春菊の実家と思しき場所の近くです)。著者のマニアックな写真の指定にもプロの仕事で応えてくれるのが、1877年からの歴史を有する西日本新聞社です。

https://www.nishinippon.co.jp/theme/fudoki/

 西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」(第151回 2021年3月28日)は、内田春菊の直木賞候補作・Bunkamuraドゥマゴ文学賞受賞作『ファザーファッカー』を取り上げています。表題は「豊かな自然と埋もれた感情」です。

 同級生の子を身ごもり、養父から性的な虐待を受け、16歳で家出をした内田春菊の自伝的な小説です。彼女が1年時に強制退学させられた長崎県立南高校は、私の母校でもあり、この本が発売され、物議を醸した1993年に私は在学していました。当時、内田春菊は漫画家として大きな成功を収めていて、1987年に単行本が発売され大ヒットした「南くんの恋人」は、「長崎南高校」を想起させるタイトルであったため、同級生の間でも人気を集めていました。

 書き出しから内田春菊の実存をかけた言葉の切実さが伝わってくる小説です。法の目の行き届きにくい西の外れの町=長崎を16歳で出て、写植工やウェイトレス、ホステスやクラブ歌手の仕事に就きながら、漫画家として世に出て、世間に名を知らしめた内田春菊のバイタリティの強さが感じられる強烈な作品です。

西日本新聞 me

https://www.nishinippon.co.jp/item/n/714328/

内田春菊『ファザーファッカー』あらすじ

長崎と思しき「西のはずれ」の町に住む静子と妹、元ホステスの母と養父の生活を描いた作品。静子が育った家は穴だらけで、養父のほかにも鼠や蛇や野良猫が出入りする。養父はハイミナール中毒で精神病院に入院した過去を持ち、母や静子に理不尽な暴力をふるい、静子の妊娠をきっかけとして、養父の性暴力はエスカレートしていく。第4回Bunkamuraドゥマゴ文学賞受賞作。


2021/03/23

祝・150回 西日本新聞「現代ブンガク風土記」 森絵都『漁師の愛人』

西日本新聞の毎週日曜の連載「現代ブンガク風土記」が150回の節目を迎えました。手前味噌ですが、ブロック紙以上の文芸批評の新聞連載(時評を除く)としては、分量と期間の上で最長の部類に入ると思います。タイトルは長崎市立磨屋小学校の先輩であり、慶應義塾大学で折口信夫に師事した山本健吉の『現代文学風土記』を参照したものです。私の実家の近くに住んでいた石橋忍月・山本健吉父子の批評や、山本が吉田健吉や中村光夫らと戦前にはじめた「批評」(第二期)を、現代的な形で継承したいという思いもあります。連載中に山本が教鞭を執った明治大学に公募で移籍するという縁にも恵まれました。

連載で取り上げている作品以外にも多くの現代小説を読んでいますので、文字通り小説漬けの日々です。先々、この連載は日本語の著作として刊行する予定ですが、当初から英訳を意識した内容でもあり、海外の友人たちの力を借り、何かしらの形で現代日本の小説の多様性と水準の高さを、英語版の著作としても伝えたいという思いを持っています。この連載を長崎の原爆被害を題材としたカズオ・イシグロの『遠い山並の光』からはじめ、江藤淳の毎日新聞の文芸時評と異なる書き方をしているのはこのためです。志半ばですが、4月から4年目を迎える「現代ブンガク風土記」を、引き続きよろしくお願いいたします。

「現代ブンガク風土記」(第150回 2021年3月21日)は、森絵都の「震災以後」の日常を描いた短編集『漁師の愛人』を取り上げています。表題は「人々に生じた震災の余波」です。東日本大震災後の2011年から2013年にかけて書かれた作品で、子供から老人まで様々な人物の視点や感情を通して、東日本大震災が日常に与えた「余波」や「余震」を、独自の視点から炙り出しています。

https://www.nishinippon.co.jp/item/n/710463/


森絵都『漁師の愛人』あらすじ
震災後に雪の降る北の港で漁師になることを決意した長尾と、紗江の新しい生活を描いた表題作のほか、女性三人が新しい家族の形を求めて共同生活をはじめる「あの日以降」など4編の作品を収録。大震災を経て「生きること」と「生き延びること」は別物だと実感する描写が、読後の印象に強く残る。