2022/11/09

「没後30年 松本清張はよみがえる」第20回『小説日本芸譚』

 西日本新聞の連載「松本清張はよみがえる」第20回(2022年11月9日)は、芸術家たちの生死をかけた「政治」を描いた異色の短編集『小説日本芸譚』について論じています。担当デスクが付けた表題は「評伝と創作交え描く 芸術家の政治的苦悩」です。毎回、9×9文字で担当デスクに上手いタイトルを付けて頂いています。直木賞受賞作『塞王の楯』で近江国穴太で石垣造りを生業とする「職人たちの美意識」を通して、関ケ原の戦いの前哨戦となった大津城の戦いを描いた今村翔吾さんとのmatch-upです。

 歴史に名を残す芸術作品には、同時代の作品と比して異質なものが多いです。名だたる芸術家たちは、不遇の時代が長く、奇人として知られることも多いです。本作で松本清張は、41歳でデビューし、47歳で専業作家となった自らの人生を、運慶、世阿弥、千利休、雪舟、光悦、写楽などの「苦渋に満ちた人生」に重ねながら描いているように思えます。

 多かれ少なかれ、芸術作品の価値は、政治的な理由で決まり、歴史に名を残した芸術家たちも「政治」とは無関係ではありませんでした。本作は清張作品としては珍しく、「芸術新潮」に連載された歴史小説で、有名な芸術家たちの「人生の時の時」を浮き彫りにした内容です。執筆過程について「苦渋の連続であった」と振り返っていますが、清張は11人の芸術家たちの「人生の時の時」と向き合うことで、評伝と創作を交えた「西郷札」以来の歴史小説の幅を拡げたと思います。

https://www.nishinippon.co.jp/item/n/1012326/

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 Trevor NoahがThe Daily Showを今シーズンで降板するのが非常に残念です(彼の話を散歩しながら聞くのが日々の楽しみでした)が、先週の@Atlantaのライブは、中間選挙との関連でも面白かったです。NYTimesもTrevor Noah Brings 'The Daily Show' to Georgiaという記事をわざわざ配信してましたが、彼の時事ネタが名残惜しいのだと思います。Trevorには南アフリカ出身のマイノリティらしい軽快なジョークで、時事ネタを扱うレギュラー番組を持ってほしいです。

Atlanta - Day 1 | The Daily Show

https://www.youtube.com/watch?v=BKWeMFFfHhs

2022/11/08

「没後30年 松本清張はよみがえる」第19回『黒い画集 遭難』

 西日本新聞の連載「松本清張はよみがえる」第19回(2022年11月8日)は、『黒い画集 遭難』について論じています。担当デスクが付けた表題は「北アルプスに起きた 生々しい人間の悪意」です。毎回、9×9文字で担当デスクに上手いタイトルを付けて頂いています。閉鎖的な場所を舞台にしたミステリ小説(クローズド・サークルの系譜の小説)『霧越邸殺人事件』を書いた綾辻行人さんとのmatch-upです。

 北アルプスの鹿島槍ヶ岳で起きた遭難事故をめぐるミステリです。「週刊朝日」に1年九カ月にわたって掲載された「黒い画集」の第一作で、当初はイギリスの作家・サマセット・モームが、ヨーロッパや横浜、神戸など幅広い土地を舞台に記した「コスモポリタンズ」を念頭に置いた企画だったらしいです。松本清張は、編集者の要望に応えながら作風を拡げてきた作家ですが、本作を通してモームのような「小説のバラエティの豊かさ」を獲得したと言えます。

 この作品が発表された頃、登山ブームがはじまっており、経験の浅い登山家による「遭難事故」が新聞で頻繁に報じられていました。清張は「遭難」の記事を読んで「その中に人間の作為的な遭難もあるのではないか」と考えて本作を書き始めたといいます。「山でのパーティの事故は、それが自然発生的なものか、人為的なものか、区別が容易でない」という確信を持っていたらしい。前年の1957年に刊行され、ベストセラーとなった井上靖の「氷壁」の影響も大きかったのでしょう。「岳人には悪人はいない」という格言を清張は信じられず、彼は美しい日本アルプスの山々に潜む「人間の悪意」を描きました。

https://www.nishinippon.co.jp/item/n/1011811/

2022/11/07

「文學界」(2022年12月号)に「私たちの見えない「顔」──映画『ある男』論」を寄稿しました

 文藝春秋の文芸誌「文學界」(2022年12月号)に、「私たちの見えない「顔」──映画『ある男』論」を寄稿しました。原作が平野啓一郎さん、監督が石川慶さん、脚本が向井康介さん、主演が妻夫木聡さんと同世代の方々が関わられた作品ということもあり、感情移入して見入ってしまう場面が多く、じっくりと時間を掛けて書きました。安藤サクラさん、窪田正孝さん、真木よう子さん、清野菜名さんの演技も魅力的で、この点についても後半で触れています。表題は、ルネ・マグリットの絵画と、エマニュエル・レヴィナスの「顔」の概念を参照しながら論じた箇所から、ご担当を頂いた編集者が付けたもので、上手い表題だと思いました。作品が捉えている問題の射程が広く、批評を書く上で難易度が高い作品でしたが、新しい人権をめぐる海外の法制度など社会科学的な補助線を引きつつ、いい手ごたえで論じることができました(編集者からも好評でした)。映画のお供に、ご一読頂ければ幸いです。日本の現代小説を原作とした映画が、広く世界で観られることを願っています。

映画『ある男』公式サイト

https://movies.shochiku.co.jp/a-man/

「文學界」(2022年12月号)目次

https://www.bunshun.co.jp/business/bungakukai/backnumber.html?itemid=777&dispmid=587


「没後30年 松本清張はよみがえる」第18回『無宿人別帳』

  西日本新聞の連載「松本清張はよみがえる」第18回(2022年11月7日)は、松本清張の時代小説の代表作『無宿人別帳』について論じています。担当デスクが付けた表題は「はみ出し者の不運に にじませた人生哲学」です。毎回、9×9文字で担当デスクに上手いタイトルを付けて頂いています。『黒牢城』で信長に反旗を翻した武将・荒木村重を描き、直木賞を獲得した米澤穂信さんとのmatch-upです。

 無宿人とは、江戸時代に宗門人別改帳(戸籍原簿のようなもの)に登録されなかった人々の総称です。追放刑を受けたり、生家から勘当されたり、無断で居住地を去る「欠落」をした人々が無宿人と呼ばれました。天明の飢饉で、無宿人の数が飛躍的に増大し、江戸の治安が悪化したと言われます。本作で描かれるのは、この頃の江戸で、無宿人の犯罪が社会問題化し、更生施設として隅田川の石川島に人足寄場が設置された時代です。

 例えば「海嘯(つなみ)」に登場する野州(現在の栃木県)出身の無宿人・卯之吉は、石川島の人足寄場に収容されたことに感謝して次のように述べています。「おれは此処がありがてえところだと思っている。お飯は下さる。寝るところもある。おまけに出る時は鳥目(金銭)までくださるのだ。考えてもみね。おれは、ここへ来るまでは橋の下や軒の蔭に寝ていたのだ。菰をかぶって往来を歩いたものだ。人に乞食か非人のように見られてよ」と。この時代、無宿人は犯罪の有無にかかわらず捕らえられて、佐渡金山の地底深くで強制的に労働されることもありました。「世界初の職業訓練施設」と言われた石川島は、恵まれた場所で、山本周五郎の『さぶ』でもそこは、窃盗の濡れ衣を着せられた主人公の栄二にとっての「成長の場」として描かれています。

https://www.nishinippon.co.jp/item/n/1011358/

2022/11/01

「没後30年 松本清張はよみがえる」第17回『黒地の絵』

 西日本新聞の連載「松本清張はよみがえる」第17回(2022年11月1日)は、松本清張が小倉で遭遇した「米兵の集団脱走事件」を描いた『黒地の絵』について論じています。担当デスクが付けた表題は「惨劇に潜む差別に光 事件描く文体を模索」です。毎回、9×9文字で担当デスクに上手いタイトルを付けて頂いています。『取り替え子 チェンジリング』などで米兵の暴行を描いた大江健三郎さんとのmatch-upです。

 朝鮮戦争の最中の1950年7月11日に北九州・小倉で起きた米軍陸軍兵士の脱走・暴行事件を描いた作品です。当時、松本清張はこの事件が発生した「キャンプ城野」の近くに住んでおり、この事件がGHQの情報統制で詳細が報道されなかったことに、強い疑念を抱いています。「私は何も知らなかったのである。昨夜、すぐ近くのキャンプから黒人兵が集団脱走し、この住宅を初め近在の民家に押し入り暴行を働いたというのだ」と、清張は『半生の記』の締め括りにこの日の思い出を記しています。

「黒地の絵」について、批評家の評価は芳しくありませんでした。例えば江藤淳は、本作を「巧妙な推理小説的話術で書かれた好読物」と評価しつつ「黒人兵の死体の毒々しい鷲の入墨を切り裂く復讐のドギツい横顔を描いて能事足れりとしている」と評しています。この時点の松本清張はノンフィクションとフィクションが入り混じった文体を試しており、身近で起きた事件の重さを、文学的にどのように表現していいか戸惑っていたように思えます。ただ本作は『日本の黒い霧』に繋がる作品として重要な「習作」だと私は考えています。

 今週は連載は1本の掲載で、次週は4本の掲載予定です。今月は松本清張連載の他、文芸誌に原稿を1本と、英字論文が1本、新聞のコメント記事2本が掲載予定です。年末年始の休暇まで、体調に配慮しつつ、地道に、快活に仕事をして行きたいと思います。

https://www.nishinippon.co.jp/item/n/1008740/

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 海外の直販サイトやebayなどのオークションサイトを使って日本で流通していない小物を船便で買うのが趣味なのですが、円高を実感しています。愛用しているPortlandのPowell’s Booksのpint glassが割れたので、買い足しましたが、前回の購入時のほぼ1.5倍の値段。NFLのマイナーな選手のTシャツも、ユニクロのTシャツと比べると恐ろしく高価(同じMade in Chinaなのに。。トランプ政権の時は、アメリカで売られる中国製品に税金が上乗せされ、UPSの配達員に「抗議することも可能です」と説明されましたが、まだその頃の方がトータルで安かった)。もちろん過去に購入したもので円安も手伝って高価になっているものも一部あり、例えばカズオ・イシグロの最初期の短編(イースト・アングリアの大学院時代に書いたもの)が掲載された書籍は、ノーベル賞の受賞で20倍以上の値段になりましたし、研究室に貼っているアメリカやヨーロッパの映画館で使われていた黒澤明や成瀬巳喜男の海外版のポスターも、いい値段になっていると思います。スポーツ関係だとオバマとイチローが会談した時のサイン入りの写真やジョー・ネイマスのサイン本も、まあまあ高いはず。ただこういう類のものは売ることはないので、円安の意味はなく、物価高に耐えながら、地道に仕事に励むより他ないですね。船便だと忘れた頃に商品が届くのがのんびりしていて良いです。

2022/10/26

「没後30年 松本清張はよみがえる」第16回『眼の壁』

 西日本新聞の連載「松本清張はよみがえる」第16回(2022年10月26日)は、長編ミステリの代表作の一つ『眼の壁』について論じています。担当デスクが付けた表題は「村上春樹作品と共通 多種多様な「仕掛け」」です。毎回、9×9文字で担当デスクに上手いタイトルを付けて頂いています。「保守党の派閥」を仕切る児玉誉士夫のような「右翼の大物」との対決を描いた『羊をめぐる冒険』を記した村上春樹さんとのmatch-upです。

 松本清張のミステリ作家としての「引き出しの多さ」を感じさせる代表作の一つです。素人の会社員と新聞記者が物語を牽引するため、冒頭はサラリーマン小説のようですが、やがて詐欺事件に新興右翼や政治家が関わっていることが明らかになり、大掛かりな物語となります。

 時刻表トリックや死体輸送のトリック、自殺偽装のトリックなど、推理小説らしい様々な仕掛けが散りばめられており、特に濃クローム硫酸風呂が登場するラストシーンは、犯罪ミステリの枠を超えて、ハリウッド映画のようです。皮革工場で使われる劇薬を、白骨化した死体が登場する作品の重要な小道具にしている点が、小倉の工業地帯で育った松本清張らしい。

 戦前に軍部の機密費を財源としていた右翼が、戦後に資金に窮して非合法的な活動に手を染めてきたという描写は、戦後日本の闇を活写した「日本の黒い霧」を想起させます。政治信条の上で、松本清張は右翼でも左翼でもなく、貧しい人々の生活に寄り添う作家だったと私は考えています。ただ「節操も主義もないアプレ右翼は、恐喝、詐欺、横領などを働く」といった言葉には、庶民を食い物にして来た「アプレ右翼」への怒りが感じられます。


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 秋学期に入り、書籍をご恵投頂いた諸先生方に御礼申し上げます。立教大学の福嶋亮大先生より『書物というウイルス』(blueprint)を、慶應義塾大学の山腰修三先生より『ニュースの政治社会学』(勁草書房)を、與那覇潤氏より『帝国の残影』(文春学藝ライブラリー)を、平山周吉氏より『戦争について』(小林秀雄、中公文庫)を、国際日本文化研究センター・信州大学の呉座勇一先生より『武士とは何か』(新潮選書)を、立命館大学の福間良明先生より『司馬遼太郎の時代』(中公新書)を、立命館大学の飯田豊先生より『ビデオのメディア論』(青弓社)を、福岡市の書肆侃侃房の田島安江社長よりアン・カーソン『赤の自伝』、黄順元『木々、坂に立つ』他多数の新刊本をご恵投頂きました。日々、皆様のお仕事に励まされております。ご厚誼を賜り、心より感謝申し上げます。

2022/10/25

「没後30年 松本清張はよみがえる」第15回「父系の指」

 西日本新聞の連載「松本清張はよみがえる」第15回(2022年10月25日)は、清張の純文学系の名作「父系の指」について論じています。担当デスクが付けた表題は「積年の怒りあらわに 私怨晴らした私小説」です。毎回、9×9文字で担当デスクに目を引くタイトルを付けて頂いています。『枯木灘』などの作品で、父系の親族に対する愛憎半ばする複雑な感情を描いた中上健次とのmatch-upです。

 松本清張の作品としては珍しく、純文学色が強い「私小説」です。生まれ育った家の貧しさを赤裸々に記し、高等小学校卒の経歴で、半生を無名で生きてきたことへの「行き場のない怒り」を露わにした異色の「血縁小説」でもあります。朝日新聞東京本社に勤めていた1955年に、文芸誌「新潮」に発表された最初期の短編の一つで、不遇でお人よしだった父親の人生を、自らの半生をひも解きながら描いています。

 清張は「週刊朝日」の懸賞小説「西郷札」でデビューし、三田文学に掲載された「或る『小倉日記』伝」で芥川賞を獲得して注目を集めました。ただ文芸誌での本格的なデビュー作は、「私小説」として完成度の高い本作だったと私は考えています。この小説は表題の通り、父系の「長い指」をめぐる物語で、鳥取県の山村・矢戸で裕福な地主の長男として生れながら、貧しい農家に里子に出された、父親の不遇の物語です。矢戸を含む奥出雲は「砂の器」がベストセラーになったことで、東北弁と似た訛りの方言を話すことでも知られています。

https://www.nishinippon.co.jp/item/n/1005568/

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 NBCのSaturday Night Liveのシーズン 48が始まりました(Huluで観てるため数週間遅れの話題)。Kate McKinnonがキャストから外れたのが非常に残念でしたが、Miles Tellerがホストで音楽ゲストがKendrick Lamarという、世代交代を印象付けるゲストで、上々の滑り出しだったと思います。オープニングがManning兄弟のMNFのぬるい解説のパロディと、Trump絡みのジョークで(NFLの開幕と中間選挙に合わせた視聴率狙いのネタだと思いますが)、Colin JostとMichael CheのWeekend Updateは変わらずで、ひと安心。Kendrickの地上波向けの歌詞や、Bowen Yangの害虫ネタ、MacDonaldのグリマスのパロディもベタに笑いました。今シーズンからKateのJustin Bieberネタが見れないのは残念ですが、若手の新キャストに期待してます。

 授業でもたまに取り上げていますが、SNLではLGBTQやマイノリティの出演者がカジュアルにカムアウトし、自らのアイデンティティをごく普通にネタに織り込んでいます。この点はNYらしく、この番組の大きな魅力になっています(例えばKateはL、BowenはG、SNL版のグリマスはB、Kendrickはanti-cancel culture advocateであることを、自らのアイデンティティとしてユーモラスに、誇り高く示しています)。

https://www.youtube.com/watch?v=x1ursSZ0NCw

https://www.youtube.com/watch?v=04qA4krEub8

2022/10/18

「没後30年 松本清張はよみがえる」第14回『顔』

 西日本新聞の連載「松本清張はよみがえる」第14回(2022年10月17日)は、『顔』について論じています。担当デスクが付けた表題は「サスペンスの粋凝縮 国民作家に至る原点」です。毎回、9×9文字で担当デスクに上手いタイトルを付けて頂いています。ベストセラーとなった『贖罪』などの作品で、顔をキーとしたミステリを展開している湊かなえさんとのmatch-upです。連載の隣には先日、長崎県美術館で実施した「九州芸術祭文学カフェ」の取材記事をご掲載頂いています。

 様々な芸能人に「顔真似」をされるほど、松本清張は戦後日本の作家の中でも圧倒的に「顔」の売れた作家でした。清張作品の多くが映画やドラマになった大きな理由は、清張が「顔」が売れた作家であり、出演する役者たちの「顔」を巧みに映えさせる作家だったからだと思います。この意味で「顔」は国民作家・松本清張の原点となる短編の一つだと私は考えています。

 この作品は1956年に発表された松本清張にとって初めての「推理小説短編集」の表題作です。翌年に大木実と岡田茉莉子の主演で、清張の作品として初めて映画化され、人気を博しました。清張は1952年に「或る「小倉日記」伝」で芥川賞を受賞しましたが、この当時、芥川賞は現代ほど注目を集める賞ではありませんでした。「多人数の家族を抱えていると、不安定な収入生活に飛び込んでいく勇気がなかった」と回想しているように、彼はデビューした後も6年ほど朝日新聞社で働きながら、小説を書いていました。清張が朝日新聞社を退社し、専業作家となるのは、この「顔」を発表する直前でした。

https://www.nishinippon.co.jp/item/n/1002471/


風土の記憶を継承する現代文学の可能性/九州芸術祭文学カフェin長崎

2022/10/13

「没後30年 松本清張はよみがえる」第13回『小説帝銀事件』

 西日本新聞の連載「松本清張はよみがえる」第13回(2022年10月13日)は、『小説帝銀事件』について論じています。担当デスクが付けた表題は「『社会派』小説の原型 世論を変える影響力」です。直木賞候補作『インビジブル』などで知られる坂上泉さんとのmatch-upです。

 1948年にGHQ占領下の日本で起きた帝銀事件を題材にした小説です。ベストセラーとなった「日本の黒い霧」の前年に書かれた本作は、松本清張のノンフィクション小説の原型となりました。帝銀事件は、東京都豊島区の帝国銀行椎名町支店で都の衛生課員を名乗る人物が、湯飲み茶わんに赤痢の薬と称して青酸カリを入れて16人の銀行員に飲ませ、12人を殺害したことで知られます。

 最終的に犯人として逮捕された画家の平沢貞通は、1955年に最高裁で死刑判決を受けた後も無実を主張し続けて、95歳まで生きました。本作は「日本の黒い霧」がベストセラーになったことも手伝って、平沢が無罪であるとする世論形成に大きな影響を与えたと考えられます。GHQの参謀第二部(G2)の情報将校・ジャック・キャノンを想起させる人物の関与や、毒物の扱いに慣れていた七三一部隊や陸軍中野学校の関係者を真犯人だと示唆する本作の内容が、帝銀事件をめぐる世論を変えたわけです。

 物的証拠が少なく、あやふやな自白が犯人を特定する上で重視されたのも、帝銀事件が「未解決事件」とされる大きな要因です。帝銀事件の捜査で、日本の犯罪史上初めてモンタージュ写真が作られましたが、人相をもとにした犯人特定は怪しいもので、毒殺を免れた行員の証言もあやふやなものでした。

 次週は第14回のみの掲載予定です。有名な作品を多く取り上げてきましたが、現時点で私的な「松本清張ベスト5」に入る作品は、まだまだ1作です。

https://www.nishinippon.co.jp/item/n/1000303/

2022/10/12

「没後30年 松本清張はよみがえる」第12回『日本の黒い霧 追放とレッド・パージ』

 西日本新聞の連載「松本清張はよみがえる」第12回(2022年10月12日)は、『日本の黒い霧』より「追放とレッド・パージ」について論じています。担当デスクが付けた表題は「GHQの暗部に迫る 小説と評論の中間物」です。文芸評論家で、早稲田大学の国際教養学部で教鞭を執られていた加藤典洋さんとのmatch-upです。

 日本は昭和20年の敗戦から昭和26年のサンフランシスコ講和条約の調印まで、実質的に主権を失い、GHQ(連合軍総司令部)に支配され、この時代に本作で取り上げられている下山事件や松川事件など「未解決事件」を経験してきました。

「日本の黒い霧」で一貫して清張が指摘しているのは、GHQは下山事件からレッド・パージまで一枚岩ではなく、将来のソビエトとの戦いを見据えて、ニューディーラーが多かったGS(民政局)と、保守勢力と協調していたG2(参謀第二部)の対立があったという事実です。

 敗戦後日本では「パージ(追放)」は二度行われています。一度目は、敗戦直後から軍部の台頭と超国家主義の復活を防ぐために、戦犯や翼賛体制に寄与した政治家や財界人などを対象としました。追放者の三親等までが公職に就くことを禁止され、密告や投書によって追放の可否が決まり、GHQへの懇願や裏取引によって追放を免れたと言いますから、当時の混乱が推測できます。

 二度目は1950年の朝鮮戦争に前後して、いわゆる「赤狩り(レッド・パージ)」として行われています。注目するべきは、一度目の保守勢力の追放が解除され、敗戦後に追放されていた元特高警察官も、諜報活動を担うG2に雇用され、「レッド・パージ」に加担したという事実です。つまり戦前から共産主義者の調査に関して豊富な経験を持つ特高が、GHQの下で対ソ戦のために再組織化されたわけです。

 本作は、清張らしい生活者の視点から、レッド・パージによって締め出された人々に、左右のイデオロギーを超えて寄り添った「社会批評」と言えます。

https://www.nishinippon.co.jp/item/n/999866/