2018/09/09

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第24回 村田沙耶香「コンビニ人間」

西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」の第24回(2018年9月9日)は、村田沙耶香「コンビニ人間」について論じています。表題は「店員視点で描く『文明論』」です。

現代日本の風景を特徴付けるものとしてコンビニエンスストアを挙げることができると思います。調べてみると、昭和の終わり頃には一万店に満たなかったコンビニの店舗数は、九〇年代から急速に増加し、二〇一六年には約五万八千店にまで増加しています。どんな田舎町でもコンビニに立ち寄れば、生活に必要な商品を買い、標準化されたサービスを受けることができるようになりました。その一方でコンビニの仕事は、「失われた一〇年」に定着した非正規の仕事の代表的なものとなり、現在に至ります。

村田沙耶香の「コンビニ人間」は「私は人間である以上にコンビニ店員なんです」と述べる三六歳の「私」を描いた作品で、「私」は店長が八人目になっても同じコンビニで働き続けています。三六歳の「私」は友人や家族から結婚や就職を心配されていますが、「皆、変なものには土足で踏み入って、その原因を解明する権利があると思っている」と、うんざりしています。「コンビニ人間」は一見すると、作者の個性が際立った奇妙な作品に見えますが、「私」がコンビニの店員として、「時代精神」を背負っているかのように働く姿は社会風刺的で、奥が深い表現だと思います。

村田沙耶香の「コンビニ人間」は、コンビニを中心として回っている現代日本を、ベテランのコンビニ店員の視点からユーモラスに捉えた「芥川賞の見本のような小説」だと思います。


2018/09/02

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第23回 有川浩「阪急電車」

西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」の第23回(2018年9月2日)は、有川浩の「阪急電車」について論じています。表題は「今津線あふれる臨場感」です。

有川浩はベストセラーとなった「図書館戦争」に代表される、SF作品やミリタリー小説を書く作家というイメージが強いと思います。ただ「阪急電車」は、電車に乗り合わせた人びとが、車内での細やかな感情のやり取りを通して、物語がドミノ倒しのように展開される良く出来た群像劇で、登場人物たちの内面描写に読み応えがあります。

阪急今津線は短いながらも、宝塚や関西学院大学、阪神競馬場や西宮など、個性的な土地を沿線に擁しており、登場人物たちの性格にも、それぞれの土地が持つ「風土」が影響を及ぼしているように読めて、面白い作品です。有川浩は「阪急電車」の進行に合わせて、乗客たちのエピソードを次々と披露しながら、巧みに小説を展開しています。


2018/08/30

『吉田修一論 現代小説の風土と訛り』は9月下旬発売です

『吉田修一論 現代小説の風土と訛り』(左右社、334ページ、2300円 *税抜)は、発売日の調整があり、9月下旬から書店に並ぶスケジュールとなりました(早い書店で9月21日金曜日頃に並ぶとのことです)。松田行正氏にデザインを頂いた赤色の目立つ表紙で、本文のレイアウトも格好良いです。付録として自家製の「吉田修一作品の舞台マップ」も入っています。吉田修一作品に馴染みのない人にも、じっくりと読んで楽しめる内容となっていると思いますので、ぜひご一読頂ければ幸いです。


その他、2017年から2018年にかけて朝日新聞朝刊で連載されていた吉田修一氏の『国宝』(9月7日発売)についての批評文(約50枚)を「小説トリッパー」(朝日新聞出版、9月中旬発売)の秋号に寄稿しています。『国宝』の版元の朝日新聞出版の文芸誌に相応しく、『国宝』の論としてかなり踏み込んだ内容になっていますので、こちらもぜひご一読下さい。

現在は、西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」の原稿を書きながら、10月発売の文芸誌向けの原稿を書いているところです。

『吉田修一論 現代小説の風土と訛り』(左右社、334ページ、税抜2300円 *税抜、9月下旬発売)、充実した内容に仕上がっていますので、ぜひご一読のほど、よろしくお願いいたします。

分量に比して読み応えがあるのが批評文ですので、読むのにかかる時間を考えると、税抜2300円の価値は十分にあると思います。

予約購入が出来るようになりましたら、改めて告知いたします。

2018/08/27

西日本新聞社の朝刊会議を見学し、ゼミ学生向けのレクチャーを頂きました

ゼミの学生たちと福岡・天神にある西日本新聞本社を訪問し、翌朝の紙面の掲載順を決める朝刊会議や、Yahoo!ニュース等への記事配信などの業務を行う「西日本新聞メディアラボ」の見学を行ってきました。朝刊会議とは、西日本新聞の各部の部長やデスクが参加して、自社記事や共同通信の配信記事、三紙連合(中日新聞、北海道新聞)の記事の掲載順やその可否を決める重要な会議です。この会議の写真はないですが、学生たちが緊張した顔つきで、記事の順番や掲載の可否が決められていく様子を見守っていました。



朝刊会議の見学後は、毎週日曜に「現代ブンガク風土記」の連載を担当しているご縁で、文化部の北里部長と内門デスクより、新聞の紙面作りや新聞記者の仕事内容について特別レクチャーを頂きました。西日本新聞本社で朝刊会議を見学したばかりということもあって、学生の関心も非常に高く、多くの質疑の手が挙がっていました。

その後、Yahoo!ニュース等への記事配信や、西日本新聞のデジタル版を制作している関連会社の西日本新聞メディアラボを訪問し、加茂川取締役兼西日本新聞デジタル編集長より、紙の紙面作りとデジタル版や配信記事の作り方の違いについて、詳しいお話を頂きました。リアルタイムで「西日本新聞メディアラボ」の配信記事が何人のユーザーに見られているのかを確認しながらのご説明は、独特のライブ感があり、学生たちも楽しく見学していました。



懇親会にも文化部から4人の記者の方々にご参加を頂きまして、学生からの酒の席らしい質問にも丁寧に答えて頂き、学生にとりましてよい社会勉強となりました。西日本新聞の煉瓦風の建物は、天神の中心にあることもあり、子供の頃からランドマークのような場所で、学生と訪問し、朝刊会議を見学し、レクチャーを受けることができて感慨深かったです。



文教大学HPでの紹介記事
http://www.bunkyo.ac.jp/news/student/20180827-02.html


2018/08/26

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第22回 絲山秋子「沖で待つ」

西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」の第22回(2018年8月26日)は、絲山秋子の芥川賞受賞作「沖で待つ」について論じています。表題は「胃袋通して福岡と和解」です。

絲山秋子は、福岡に縁のある作家で、この作品には絲山が住宅設備機器メーカーの博多支店で勤務していた頃の経験が反映されています。この小説の「私」は「もっと殺伐としたとこかと思ってたんだけど」と言いながら、「魚介だけでなく水炊きやもつ鍋や、焼き鳥屋の豚バラ」を通して博多の街に惹かれていきます。

絲山の作品は「沖で待つ」以前の芥川賞の選考では、物語の道具立ての良し悪しが指摘されてきました。しかし絲山の作品には物語の道具立てそのものを、読み手の無意識の底に沈み込ませていくような力強い、マントルのような動きがあります。他人とのユーモラスな会話をきっかけに、繊細な感情を紡ぎ出し、同時代の社会の生きにくさを捉える絲山の言葉は、文学的であり、社会批評でもあると思います。



2018/08/19

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第21回 絲山秋子「逃亡くそたわけ」

西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」の第21回(2018年8月19日)は、絲山秋子の『逃亡くそたわけ』について論じています。表題は「博多の訛りと『化学反応』」です。

絲山秋子は世田谷区出身で、東京で教育を受けていますが、地方を舞台にした質の高い作品を多く記してきた作家です。この小説は、躁鬱病を患った経験のある著者らしい作品で、自殺未遂から精神病院に入れられた大学生の「花ちゃん」が、名古屋出身ながら、東京にアイデンティティを持つ「なごやん」と福岡の精神病院を脱走する話です。「いきなり団子」を美味しそうに食べる姿が印象に残ります。

博多から国後半島、阿蘇、宮崎を経て、鹿児島の開聞岳まで、九州の裏観光地とでも言える場所を転々としながら、各土地の名物や方言の魅力を巧みに引き出しています。
構成も練られたもので、外的には、自己と社会との関係を閉ざす精神病院からの逃亡劇が、内的には、自己の欲望を抑制する超自我からの逃亡劇が巧みに展開されています。

福岡など九州北部の訛りを帯びた言葉や感情の描写が魅力的で、長崎出身の私からも見ても地に足のついたリアリティを感じる作品ですので、ぜひご一読下さい。


2018/08/15

第24回 日韓国際シンポジウム

日本マス・コミュニケーション学会と韓国言論学会共催で、第24回 日韓国際シンポジウム
「 デジタル/サイバー空間における「世論」:その問題状況、研究の最前線」が開催されます。2018年8月25日(土)9時の受付開始で、場所は京都大学吉田キャンパスです。私もラウンドテーブル「激動する朝鮮半島情勢と日韓のメディア」に登壇して、日本のメディア報道と日韓の記者交流に関するお話をいたします。ご関心のある方はぜひ、ご参加下さい。日韓共同研究による地域とメディア研究に関する報告のほか、シンポジウムテーマに基づき、ネット空間と世論・市民的対話・民主主義にかんする数々の研究発表など、日韓の研究者が集い、熱い議論を交わします。プログラムなど詳細は、
http://www.jmscom.org/event/sympo/JKsympo_24_program.pdf  
をご確認ください。


2018/08/12

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第20回 森沢明夫「津軽百年食堂」

西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」の第20回(2018年8月12日)は、森沢明夫の『津軽百年食堂』について論じています。表題は「弘前の記憶描き ブームに」です。
「百年食堂」というのは、青森県が定めた定義によると、三代以上にわたって引き継がれて、七〇年以上続いている食堂を意味します。この小説は、大森一樹監督で映画化され、BSフジでは、全国各地の「百年食堂」を紹介する「ニッポン百年食堂」という番組も放送されています。

「百年食堂ブーム」の発端となったのが津軽蕎麦を出す架空の「大森食堂」を舞台とした、森沢明夫の『津軽百年食堂』です。森沢明夫氏は早稲田大学の人間科学部出身(私の8学年ほど上の先輩)で、出版会社を勤務したのち、フリーのライターとして活動し、エッセイやノンフィクションを書き、その後、小説を書き始めた方です。「百年食堂」に着目して津軽地方に点在する「百年食堂」の歴史や、弘南鉄道大鰐線沿いの街の歴史を丁寧に取材している点が素晴らしく、読みやすい文章の中に、時間の深みを感じます。

近代文学には、トーマス・マンの『ブッデンブローク家の人々』や北杜夫の『楡家の人々』など、数世代にわたる名家の人々の生活を描くことで、土地の記憶を家族史の中で炙り出すような名作があります。『津軽百年食堂』は、気軽に手にとって楽しめる作品ですが、過疎化が進行する土地に根を張った「大衆食堂」に着目することで、弘前という土地の記憶を、「百年食堂」の時間の重みの中で、鮮やかに描き出すことに成功しています。

掲載を頂いた写真は、昨年ゼミ合宿で津軽の五所川原で見学した、五所川原立佞武多(たちねぶた)で、歌舞伎踊りの創始者である出雲の阿国を題材としたものです。





2018/08/05

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第19回 長嶋有「ジャージの二人」

西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」の第19回(2018年8月5日)は、長嶋有の3作目の作品『ジャージの二人』について論じています。表題は「別荘地で生じる『故郷喪失』」です。同時収録されている「ジャージの三人」も面白く。堺雅人と鮎川誠の映画版もユーモラスで雰囲気のよい作品でした。

『ジャージの二人』は、一言でいうと、訳ありのいい歳をした親子が、現実逃避して山荘に引き籠もる作品です。友達のような関係にある父親と、小説を書いている無職の「僕」は、北軽井沢の古い山荘にだらだらと滞在し、昔のファミコンをしたり、漫画を読みながら夏を過ごします。

この小説の読み所は、携帯の電波の入らない北軽井沢の山荘での生活を、都会で生じた人間関係から距離を置き、気分転換をさせる爽やかなものではなく、都会で生じた悪意を培養し、増幅するものとして描いている点にあると思います。

一見すると、お笑いコンビのような親子を描いたユーモラスな作品のように見えますが、登場人物の夫婦関係に生じている不和は、北軽井沢の木々のように根深く、小説の全体が「大人の事情」で満たされた奥深い作品です。


2018/07/29

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第18回 村上春樹「1973年のピンボール」

西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」の第18回(2018年7月29日)は、村上春樹の2作目の長編『1973年のピンボール』について論じています。表題は「故郷に別れ告ぐ『私小説』」です。村上春樹については短文を書くのは2回目ですが、先々まとまった批評文を書きたいと考えています。

『1973年のピンボール』は、村上春樹が育った故郷の芦屋と思しき町を舞台にした作品で、この作品は村上春樹が書いた数少ない「私小説」と解釈できる内容です。
デビュー作の『風の歌を聞け』と2作目の『1973年のピンボール』は芥川賞を逃しますが、村上春樹は三作目の『羊を巡る冒険』で、作品の質と売上げの双方で大きな成功を収めて、芥川賞を貰わずとも、日本を代表する作家として飛躍していきます。

村上春樹のように様々なジャンルの作品を残す作家は、エッセイと区別が難しい、生まれ故郷を舞台とした私小説を書くことで、故郷に別れを告げ、作家と「成熟と喪失」を遂げ、飛躍していく傾向にあると思います。この意味で『1973年のピンボール』は、村上春樹にとって「故郷喪失者」として世界へと飛躍するきっかけとなった重要な「私小説」だと私は考えています。

春学期の授業も終わり、9月上旬に発売予定の単行本のゲラの戻しも終わり、同じ月に掲載予定の季刊の文芸誌の初稿も終わり、ひと段落という感じですが、まだまだたまっている仕事があり、夏休みは遠そうです。。