2020/03/01

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第97回 堀江敏幸『いつか王子駅で』

西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」(第97回 2020年2月23日)は、堀江敏幸の初の長編小説『いつか王子駅で』を取り上げています。表題は「下町の矜恃、生活の手触り」です。堀江敏幸は、私小説の形式を通して、日常の些事の中に宿る、人々の「生活の手触り」とでも言うべきものを、鮮やかにとらえるのが上手い作家です。



堀江敏幸『いつか王子駅で』あらすじ
 都電荒川線が走る王子を主な舞台に、「時間給講師の私」と「昇り龍の正吉さん」の交流を描いた作品。王子は都電荒川線を代表するターミナル駅で、埼玉との県境に近い北区の中心地である。私は「五段変速のバックミラーつき」の自転車で王子の町をプラプラしながら、下町を生きる人々の姿を通して、地に足を着けて生きる意味について考える。若き堀江敏幸の生活を描いた私小説とも読める。

2020/02/18

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第96回 高村薫『土の記』

西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」(第96回 2020年2月16日)は、高村薫の野間文芸賞・大佛次郎賞・毎日芸術賞の受賞作『土の記』を取り上げています。表題は「過疎地の「暗部」を泥臭く」です。

今週は熊本の水俣に来ています。写真は石牟礼道子も創設に関わった相思社が運営する水俣病歴史考証館です。水俣病訴訟に関する歴史と、その後の患者たちが経験した「歴史」の双方の展示が充実していて興味深かったです。建物も展示も丁寧に維持されている様子で、民間の博物館らしい味わいがあります。





高村薫『土の記』あらすじ
奈良県の宇陀市を舞台に、植物状態にあった妻を亡くした伊佐夫の内面が描かれます。かつて彼は妻の実家からシャープの工場に通い、退職後は農業に勤しんできました。回想の中で妻が不可解な交通事故に遭った時のことや、妻の女系の一族の浮気にまつわる記憶が紐解かれていきます。

名所旧跡が立ち並ぶ奈良盆地から離れた「奈良の北海道」と呼ばれる宇陀市を舞台に、由緒正しい田畑が並ぶ集落の謎に迫った作品です。不器用な伊佐夫と、奔放な妻の妹・久代との淡い恋愛の描写が読み所で、そこには「過疎地文学」とでも呼ぶべき新鮮さが感じられます。


2020/02/12

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第95回 川上未映子『乳と卵』

西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」(第95回 2020年2月9日)は、川上未映子の芥川賞受賞作『乳と卵』を取り上げています。表題は「「母」でも「娘」でもない「わたし」」です。

この小説は現代的な「女性らしさ」について、大阪弁のユーモラスな語り口の「豊胸手術をめぐる問答」を通して、一石を投じていると思います。母娘のすれ違う感情を通して「母」でもなく「娘」でもない「わたし」の存在を突き詰めていく展開は、現代文学らしい野心的なものです。



川上未映子『乳と卵』あらすじ
40歳が間近に迫った巻子は大阪の京橋でホステスとして働きながら、娘の緑子を育てつつ、豊胸手術をしたいと考えている。彼女は離婚した後に、スーパーの事務、工場のパート、レジ打ちや商品梱包の仕事を転々とし、京橋のスナックの仕事と、豊胸手術の願望に行き着いた。「わたし」を媒介として、初潮が間近に迫った緑子と、女性の身体性をめぐる応酬が繰り広げられる。第138回芥川賞受賞作。

2020/02/06

西日本新聞掲載「坪内祐三さんを悼む」

西日本新聞朝刊(2020年2月5日)に「坪内祐三さんを悼む」を寄稿しました。原稿用紙4枚ほどの分量です。昨年、出版社のパーティーで簡単にご挨拶させて頂いたのが最後となりました。もっとお話しを伺いたかったという気持が強く残っています。

20代の頃にSPA!の対談を見学させて頂いたときのことや慶應義塾大学湘南藤沢キャンパスでのゲスト講義の思い出や、『ストリートワイズ』や『東京』、『1972』など思い出深い著作のことなどについて書きました。20代の頃に、たびたび暖かい励ましを頂いたことへの感謝の気持ちを込めました。


2020/01/27

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第93回 阿部和重『インディヴィジュアル・プロジェクション』

西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」(第93回 2020年1月26日)は、90年代の日本文学を代表する作品で、阿部和重の出世作『インディヴィジュアル・プロジェクション』を取り上げています。表題は「「情報の渦」戸惑う若者たち」です。大学時代にリアル・タイムで読み、惹かれた作品の批評文を書けるのが、この連載の素晴らしいところです。

秋学期の授業がひと段落したので、調査で山口県の萩に来ています。「山口からが九州」というのが九州北部で生まれ育った人々の共通感覚だと思います。「薩長土肥」について、長州が九州北部、土佐が九州南部と文化的に近いことを考えれば、明治維新はほぼ九州の人々が起こした革命(反乱)だと思っています。ともかく山口は瓦蕎麦が香ばしくて美味しいので、これと下関の「ふく」は九州名物ということでいいのでは、とも思います。


阿部和重『インディヴィジュアル・プロジェクション』あらすじ
サバイバル術を教えるマサキが開学した高踏塾で修行を積んだオヌマは、映写技師となり、渋谷に潜伏している。「実践」と呼ばれるマサキが課す任務は犯罪職を強め、「実践」への参加を拒むと怪死を遂げてしまう。1997年に発表された本作は、同時代の渋谷に集まる人々が抱く無意識的な欲望を捉え、渋谷系文学と呼ばれる一連の作品の代表作となる。

2020/01/22

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第92回 阿部和重『シンセミア』

西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」(第92回 2020年1月19日)は、山形県東根市神町を舞台にした阿部和重の代表作『シンセミア』を取り上げています。表題は「戦後日本が抱えた「悪の種」」です。「敗戦後の日本そのものを描くという狙いが3部作の根幹にはある」と著者がインタビューで述べていますが、この作品は阿部和重の実家をモデルにしたと思しき「パンの田宮」を中心とした「基地の町」の戦後史を描いた作品でもあります。

文芸評論家の坪内祐三氏の追悼文を、西日本新聞に寄稿しました。4枚ほどの原稿が、2月に入ってから掲載されると思います。対談を見学させて頂いたときの思い出や、20代の頃に原稿の内容に触れて、励まして下さったときのことを思い出しながら、感謝の気持ちを込めて書きました。

阿部和重『シンセミア』あらすじ
著者が生まれ育った山形県東根市神町を舞台に、パン屋の田宮家とヤクザの麻生家を中心とした戦後史が、多様な登場人物たちのエピソードと共に紐解かれる。ひと夏に起きた奇妙な事件の数々と、偶然に起きた台風による洪水が、町を分断する抗争を引き起こし、神町の人々が忘却していた血生臭い歴史を露わにしていく。毎日出版文化賞と伊藤整文学賞の受賞作。



2020/01/17

卒業研究・ゼミ冊子制作発表会

文教大学で最後となる(見込みの)卒業研究の発表会を4年生と3年生の合同で実施しました。活発な質疑と議論が行われ、笑いもあふれる会となり、一教員として参加していて楽しかったです。ゼミ生に恵まれ、支えられた10年間の教育・研究活動でした。毎年、成績の良い意欲的な学生たちが多く集まってくれたことも有り難かったです(成績がふるわない学生の多くも、周りの学生に刺激を受けて頑張ってくれました)。

4年生は論文を書くだけではなく、3年生と共同で冊子制作を行ってきました。お陰でゼミ冊子も120ページ近い分量で充実した内容となり、日本の大学のゼミの制作物としては「最大級の情報量」となりました(今年の詳細は後日。過去の制作物は日本出版学会等で紹介)。ゼミ冊子等の成果をもとに、新聞記者や編集者、大手IT企業のプランナー、神奈川を代表する企業のシステム・エンジニア、自治体の公務員、大学院進学など、ゼミ生たちが大学パンフレットに載る「文教生を代表する進路」を開拓してくれたことも誇りに思っています。

Media Studiesに関する理論や歴史的な知見をしっかりと踏まえた上で、確かな取材活動に基づいた制作活動やプレゼンテーションを行うことが、出版・ジャーナリズム分野の教育として大事だと考えています。学生たちには、ゼミでの学術的な課題をこなしつつ、応用的な課題として冊子等の制作に取り組むことで、現代のメディア環境における情報の発信者としての意識を高めてもらいました。

課題の多いゼミだったと思いますが、自由度は高く設定していましたので、学生たちが大学のサークル活動やアルバイトなどの活動も大事にしつつ、その活動内容も楽しそうに文章に織り込んでくれたのが嬉しかったです。今年はニュースパーク(日本新聞博物館)との共同プロジェクトも行い、過去には茅ヶ崎市との共同プロジェクト等もYahoo!ニュース、時事通信、神奈川新聞等で取り上げられる成果を残しました。

インターン先として紹介したIT企業の方々や、地域の映画館や喫茶店などでコミュニティを支えて来られた人々、新聞社やIT企業などで活躍するOB・OGへの取材活動を通して、ゼミ生たちが大きく成長することができました。文教大学でのゼミ活動を支えてくれた多くの方々に心より感謝申し上げます。



2020/01/14

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第91回 川上弘美『真鶴』

西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」(第91回 2020年1月12日)は、神奈川県足柄郡の真鶴を舞台にした川上弘美の代表作『真鶴』を取り上げています。表題は「際どい恋愛 観光地の闇へ」です。

足かけ3年目を迎えた「現代ブンガク風土記」も100回までもう少し。本年もよろしくお願いいたします。

文芸評論家の坪内祐三さんの訃報に、愕然としました。心よりお悔やみ申し上げます。
昨年末に出版社のパーティーで元気そうなご様子に接したばかりでした。駆け出しの頃、私の文章を読んで下さって「頑張ってるね」「立派にやってるね」と優しく声をかけて頂き、何度も救われた思いがしました。

坪内さんは、明治の文学に詳しいだけではなく、同時代の論壇誌や文芸誌の書き手の論点に詳しい方でした。もの書きにとって厳しい時代ですが、文芸誌「en-taxi」にお世話になった人間として、坪内さんたち「大人の批評家」から学んだ、広い射程をもった「批評」と「散文」を、書ける限り書いていきたいと思います。


川上弘美『真鶴』あらすじ
夫の礼を失踪で失った文筆業の京のその後の日常を描いた作品。幻想的な内容の小説ながら、失踪の直前に夫のジャケットのポケットから出てきた「21:00」というメモや、日記に記された「真鶴」という文字の謎など、細かな仕掛けが読者の関心を誘う。真鶴を舞台に展開される夫の失踪の真相とは。2007年に芸術選奨文部科学大臣賞を受賞。

2020/01/07

「コントで学ぶ メディアと社会とわたし」(DVD教材、丸善出版)4巻の監修を担当しました

本年も何とぞよろしくお願いいたします。
「コントで学ぶ メディアと社会とわたし」(DVD教材、丸善出版)4巻の監修を担当しました。下の丸善出版のサイトで1〜4巻の映像のダイジェスト版を視聴することができます。
https://www.maruzen-publishing.co.jp/item/b303682.html

1巻の監修が中央大学の辻泉先生、2巻の監修が中央大学の松田美佐先生、3巻の監修が武蔵大学の南田勝也先生です。教材用のDVDですので定価が高く設定されていますが、図書館等に導入頂ければ、貸し出しや授業利用も可能ですので、よろしくお願いいたします。

丸善出版(映像)
コントで学ぶ メディアと社会とわたし 4
災害時の心理とメディア
著者名 酒井 信 監修
制作元 丸善出版(映像)
発売/発行年月 2019年12月
媒体 DVD
時間 31分
付属品 ユーザーズガイド(PDF)

シリーズ紹介
テクノロジーが進化し人々の暮らしが格段と便利かつ効率的になったIT社会。しかしその裏側には私たち1人1人が考えるべき様々な問題が・・・。そんな問題課題を『コント』に凝縮!さらにコントの事例背景や本質を詳しく『解説』しているので、誰でも分かりやすく!楽しく!学ぶことが出来ます。現社会の一部である『わたし』という存在を考える映像教材です。

内容紹介
事故や災害時、何が私たちの生死を分けるのか?「異常」を感知しにくい心理状態で、デマやフェイクニュースなど流言飛語が拡散する現代社会。災害大国に住む私たちに必要な、非常時への心理的な備えとメディア受容のあり方を問う。

コント1 いいから、逃げろ 【極限状態における行動心理】

コント2 日本脱出 【災害時におけるメディアの傾向】

コント3 胸騒ぎです 【生き残るための判断力】



2019/12/26

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第90回 小野正嗣『残された者たち』

西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」(第90回 2019年12月22日)は、大分県の南東部、佐伯市を想起させる場所を舞台にした小野正嗣の『残された者たち』を取り上げています。表題は「「ポスト限界集落」の将来」です。

今年は新しい仕事(新聞連載、文芸4誌への寄稿、映画パンフレットの解説、メディア・リテラシーDVDの監修など)との出会いに恵まれた一年でした。お世話になった皆さまに、心より感謝申し上げます。西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」も90回目を迎えました。年末年始はお休みで、年明けは1月12日の掲載となります。

小野正嗣『残された者たち』あらすじ
限界集落化して久しい住人5人の集落の小学校を舞台にした作品。「尻野浦」の小学校で暮らす校長先生、不正採用が発覚して小学校教師を辞めて集落に来た訳ありの杏奈先生、元大学教員で、妻を亡くし「もう東京はいいや」と思って移住してきたトビタカ先生と養子の純とかおるなど、訳ありの人々を描く。彼らの集落にある日、山を越えた「ガイコツジン」集落からエトー君がやってくる。