2022/04/11

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第203回 田辺聖子『姥ざかり』

 「現代ブンガク風土記」(第203回 2022年4月10日)では、田辺聖子の『姥ざかり』を取り上げました。担当デスクが付した表題は「人生哲学に満ちた『私小説』」です。『ジョゼと虎と魚たち』の回でも書きましたが、田辺聖子の小説は、繊細な心情表現が生きた魅力的な作品が多く、再評価が必要な作家だと思います。

 単行本『現代文学風土記』(西日本新聞社、416ページ、5月発売)は、無事見本を確認し、印刷に入りました。帯文は、作家の吉田修一さん(先輩)に、新潮社「波」の一文の転載をご快諾を頂きました。誠にありがとうございます。本連載は5月1日で最終回を迎えますが、続きは加筆してボリュームを増した単行本でお楽しみ頂ければ幸いです。次の連載の企画も打ち合わせを進めていますが、しばらくは準備期間に入ります。

 田辺聖子は大阪市の天満の育ちで、大阪弁を用いた恋愛小説の名手として知られます。小松左京や筒井康隆など関西出身の作家たちとの交流も深く、作家となった後も関西との縁が深い書き手でした。本作は、長男と同居することを断り、東神戸の「快適なマンション暮らし」を満喫する「姥」こと「私」の日常を描いた作品です。

「二十代の連れ合い自慢、三十代四十代の子供自慢、五十代六十代の財産自慢、みな同じ」と「姥」は世俗の価値観から距離を置いています。「やる気」と「ガッツ」を重んじる彼女は、中野重治のように「五勺の酒」を飲みながら阪神タイガースを応援することを趣味とし、苦労の成果として手に入れた贅沢な暮らしを満喫しています。

 田辺聖子は「姥の境地」に至った本作について次のように記しています。「私はどういう老年を迎えるか、日夜よく考えるのだが、どうも侘び寂び、枯淡、というのはイヤだし、といって、ぎらぎらと脂ぎっていつまでも煩悩まみれになっているのも好もしくないし、<中略>自然の美しさや人のなさけや世のユーモアに敏感で、与えられるよろこびを感謝するという——そういうお婆さんになりたい」と。「姥ざかり」は関西を代表する女性作家として、長年にわたり多様な小説を記してきた田辺聖子らしい、人生哲学に満ちた作品です。

https://www.nishinippon.co.jp/item/n/905215/

田辺聖子『姥ざかり』あらすじ

 年寄りらしく生きることを拒み、孫たちとの関りをわずらわしく感じ、一人、マンション暮らしを満喫する「姥」こと「私」の日常を描く。子供や孫に煙たがられ、距離を置きつつも、十分な資産を有しているため、英会話や絵画教室に通い、宝塚歌劇を楽しみ、悠々自適の生活を送る。老いのあり方を考えさせる田辺聖子の人気シリーズの第一作。

2022/04/03

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第202回 村上春樹『女のいない男たち』

 「現代ブンガク風土記」(第201回 2022年4月3日)では、「ドライブ・マイ・カー」がアカデミー賞の国際長編映画賞を獲得したこともあり、映画版の原作となった3作品が収録されている村上春樹の『女のいない男たち』を取り上げました。担当デスクが付した表題は「群れたがる人の心の盲点」です。4月の原稿は年末年始に入稿しているため、映画版の受賞に関係なく、6つの短編について書いた内容です。

 2020年の『羊をめぐる冒険』の回でも書きましたが、大学一年生の時(1996年)に村上朝日堂のホームページで、村上春樹さんと3通ほどメールのやり取りをできたことが、現在の仕事に繋がっている気がします。『そうだ、村上さんに聞いてみよう』(朝日新聞社)に、この時のやり取りが収録されていますが、安西水丸さんのイラスト入りのメールが届いたときは、本当に嬉しかったです(名作『ねじまき鳥クロニクル』が完結して間もない頃です)。当初、臨床心理学に関心を持ったのも、1995年の阪神淡路大震災と地下鉄サリン事件後に読んだ村上春樹、河合隼雄の文章の影響が大きかったと思います。

『女のいない男たち』は、本文中の言葉を借りれば、「人生とはそんなつるっとした、ひっかかりのない、心地よいものであってええのんか、みたいな不安」を描いた短編集です。「ドライブ・マイ・カー」以外の短編も村上春樹の作品らしく、特に「木野」は往時の村上春樹の作品が持つ「闇の力」を想起させる名作で、深夜の熊本のビジネスホテルで「誰か」がドアや窓を「こんこん」と心を砕くリズムで叩き続ける描写が圧巻で、身震いがします。

 本作は近年の村上春樹作品の中でも質が高いこともあり、映画版の「シェラザード」と「木野」の消化の仕方には、正直、いい部分と物足りない部分の双方を感じました。ただ原作に踏み込んだ解釈を加えて、創作的に脚本を練り上げ、村上春樹の作品と対峙した点は、チャレンジングで面白かったです。演出や役者の演技も良かったと思います。映画版は中盤から、チェーホフの「ワーニャ叔父さん」を広島で上演するオリジナルのストーリーになり、村上春樹とチェーホフの世界が溶け込んでいく展開になるわけですが、この点は、賛否の分かれるところだったと思います。村上春樹の小説は、小説でしか表現し難い部分が読み所だったりします。私の批評文は「ドライブ・マイ・カー」というよりは、「イエスタデイ」と「独立器官」と「木野」を中心とした内容です。

 単行本『現代文学風土記』(西日本新聞社、416ページ)は、奥付の記載で5月18日(言葉の日)の刊行で、5月中旬ぐらいから書店販売の予定です。二段組で900枚ぐらいの分量ですが、学生にも読んでもらえるように1800円+税で、購入しやすい価格に設定して頂きました。本文を読んでいただければ分かる通り、留学生にも読みやすい工夫を施しています。装画は私と担当デスクの一致した希望で、文芸誌の挿絵や、三浦しをんさんや角田光代さんなど女性作家の表紙でお馴染みの金子恵さんに描いて頂きました。優しいタッチの素晴らしい表紙絵を頂き、とてもいい本に仕上がりそうです。書籍の刊行はスモールビジネスですが、ゆっくりと届くべきところに届けば十分満足です。

nishinippon.co.jp/item/n/901460/

村上春樹『女のいない男たち』あらすじ

「ドライブ・マイ・カー」の主人公の家福は、妻の最後の浮気相手だった高槻と、妻の死後、思い出を語り合う友人として付き合うようになる。「木野」の主人公の木野は、妻の浮気現場を目撃してショックを受け、会社を辞めバーをはじめるが、軌道に乗った店が死の気配に包まれてしまう。村上春樹らしい、様々な世代の際どい男女関係を描いた短編集。

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 藤子不二雄Aが亡くなりました。私が子供のころの長崎には一冊30円の貸本屋があり、幼稚園から小学校にかけて浴びるように漫画を読んで育ったわけですが、藤子不二雄の作品はほぼ全部読んでいます。個人的には藤子Aの作品だと、「劇画毛沢東伝」「まんが道」「ブラック商会変奇郎」あたりが好みでした。好きなキャラクターだと、テラさん、小池さん、山川キヨシくん、毛沢東あたりでしょうか。

 高岡にある藤子不二雄Fのミュージアムにも行きましたが、A氏のファンも多いと思うので、彼が描いた「闇の力」を感じさせるような禍々しいミュージアムを建ててほしいです。読売・朝日・毎日が小池さん(鈴木伸一、長崎出身)のインタビューを乗せていたのが良かったです。立教に出講する時は、A氏を偲びつつ、トキワ荘近くの「まんが道」でお馴染みの松葉にラーメンを食べに行きたいと思います。

2022/03/27

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第201回 金城一紀『フライ、ダティ、フライ』

 「現代ブンガク風土記」(第201回 2022年3月27日)では、金城一紀の『フライ、ダティ、フライ』を取り上げました。担当デスクが付した表題は「父権なき父描く復讐小説」です。連載開始から4年目を終えましたが、この連載は5年目に入り、4月も続きます。単行本の帯文もご快諾を頂き(!)表紙から最後の年表のページまで、充実した内容になりそうです(ご協力を頂いた皆様に、心より感謝申し上げます)。

「高いところへは他人によって運ばれてはならない。ひとの背中や頭に乗ってはならない」というニーチェの言葉が印象に残る作品です。一般論として、人は誰かの助力やコネさえあれば、人生の成功を手にすることができると考える傾向がありますが、「高いところ」に立つためには、そこに自力で登る努力と、その過程で身に着けた実力が不可欠です。

 この小説の主人公は某大手家電メーカーの子会社で働く47歳の鈴木一です。この年代の男性が主人公になる小説は珍しい。「どんな人間だって、闘う時は孤独なんだ。<中略>本当に強くなりたかったら、孤独や不安や悩みをねじ伏せる方法を想像して、学んでいくんだ」という朴舜臣の言葉が、読後の印象に残ります。

 本作で金城一紀が問いかけるのは、家族を守り、「高いところ」を目指すために行使される「暴力」の意味です。大げさに言えば、かつてジョルジュ・ソレルが『暴力論』で記した、支配階級の権力に歯向かう、被支配階級の「創造的な暴力」の価値です。本作でこのような暴力は、鈴木一が「自分の弱さ」を引き受け、「暴力の連鎖」に終止符を打とうとする孤独な姿を通して描かれます。金城一紀の『フライ、ダティ、フライ』は、既存の社会秩序を「飛ぶ」ように乗り越える必要に迫られる「父権なき父」の姿を描いた、ユーモラスな作品です。

https://www.nishinippon.co.jp/item/n/897455/

金城一紀『フライ、ダティ、フライ』あらすじ

 大手家電メーカーの子会社で経理部長を務める鈴木一が、17歳の娘が暴行を受けたことで復讐を遂げるべく、トレーニングに励む姿を描いた小説。喧嘩の達人・朴舜臣が、休職した鈴木を鍛え上げ、ゾンビーズの面々が、復讐の舞台を整える。「レヴォリューションNo.3」に続く、ゾンビーズ・シリーズ第二作。

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 立教大学の福嶋亮大さんに『感染症としての文学と哲学』 (光文社新書)をご恵投頂きました。オリジナリティの高い良書で、確かにパンデミックは「時間の感受性に関わる問題」だと思いました。福嶋さんとは経験や文脈を共有できる部分が多く、これからも大学の垣根を超えた交流を楽しみにしています。2022年度から私も立教大学の文芸・思想専修で演習を担当します。考えてみれば、私は文学部との関りが薄く(食えなそうというイメージから受験したこともなく)、早稲田の一文で16単位、慶應の英文学専攻(修士)で8単位分の授業は履修しましたが、文学部と関わるのは教員生活17年目ではじめてです。

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 ウィル・スミスのアカデミー賞での一件は、暴力は議論の余地なくアウトですが、侮辱罪や名誉毀損に関わる言動が認められると、大きな問題になりそう。ジム・キャリーなど、スタンダップ・コメディアンはクリスを擁護していますが、近年のクリス・ロックがトレヴァー・ノアなど下の世代のコメディアンに比して、生彩を欠いていたのは確か。サタデーナイトライブを観てきた感じでも、復帰した回ではクリスよりもエディ・マーフィーの「一回りしたジョーク」の方が振り切れていて面白かった。ただアカデミー賞で言えば、セス・マクファーレンが司会の時のジョークが、色々な意味でひどかったので(その後、彼が「TED2」を撮れたのがすごい)、歴史的にみると微妙なのかも。デンゼル・ワシントンがウィルを宥めて株を上げていましたが、映画「フライト」の時の機長のイメージが強すぎて、名言が頭に入ってこないのが、残念。ウィル・スミスの映画だとMIBの「ミラクル・メッツ」のシーンが、昔のシェイ・スタジアムを愛する人間としては面白かった。

2022/03/26

問題複合体を対象とするデジタルアース共同利用・共同研究拠点(IDEAS) 2021年度成果報告会

 3月に「問題複合体を対象とするデジタルアース共同利用・共同研究拠点(IDEAS) 2021年度成果報告会」で発表を行いました。慶應義塾大学の助教時代から続けている英字ニュースの解析と分析について、学際系(理工系中心)の研究発表会です。今年度は「新型コロナウイルスが引き起こした社会問題に関する報道内容と地理空間上の分布に関する研究」という研究課題でした。自然言語解析とメタデータの抽出方法を年々アップグレードしていますが、今年は良い解析・分析の結果だったと思います。

 全体に各大学の先生方の発表のレベルが高く(データのとり方や研究の展開の仕方など参考になるものが多く)、オンライン開催でしたが、委員の先生方からも高評価で良い会でした。元総合政策学部の福井弘道先生をはじめ、三田の助教時代からお世話になってきた先生方との暖かい繋がりに、心より感謝申し上げます。常勤の大学教員として16年目が終わろうとしていますが、三田のグローバルセキュリティ研究所とSFCのゼータ館、共同通信に研究室があった頃(1~4年目)のことを懐かしく思い出しました。

 00年代後半は、グローバル化、ビッグデータの活用、学際研究がこれからという熱気に満ちた時代で、福井先生の声がけでGoogleやEC(European Commission)の研究者とシンポジウムや共同研究をやったり、賛否はありましたが、竹中先生が政界から戻られて所長になり、官庁・メディア・IT企業との人材の行き来が活性化するなど、研究の現場に活気がありました。国家基幹技術関連では、駒場の生産技術研究所や柏の葉の空間情報研究センターの方々とご一緒し、毎年の慶應の研究発表は六本木ヒルズか丸ビルという、いい時代でした。助教の立場で色々な経験を積ませて頂いたことが、現在の研究活動に生きていると感じています。グローバルセキュリティ研究所はその後、グローバルリサーチインスティチュートになり、慶應のスーパーグローバル大学創成支援事業の拠点となりました。

 将来的に他の共同利用・共同研究拠点との連携が深まるということですので、そちらも楽しみにしています。教育の場でも、大学院での研究指導を中心に徐々に英字メディアのデータ収集・解析と、内容分析の方法論を応用した内容を取り入れていきます。

http://gis.chubu.ac.jp/

https://www.chubu.ac.jp/news2/detail-4964.html

https://www.chubu.ac.jp/news2/images/4964_attach.pdf

2022/03/22

祝・第200回 西日本新聞「現代ブンガク風土記」 金城一紀『GO』

 「現代ブンガク風土記」(第200回 2022年3月20日)では、金城一紀の『GO』を取り上げました。担当デスクが付した表題は「パンチの効いた青春小説」です。『GO』は近年の直木賞の受賞作の中でも好きな作品の一つです。4年間書いてきた連載の第200回の原稿として相応しい名作だと思います。

 金城一紀の『GO』は、差別を笑いへと変えていく、奥深い作品です。全体にユーモアに満ちた内容で、朝鮮総連のバリバリの活動員であり、マルクス主義を信奉する共産主義者の親父が「ハワイか……」とつぶやくところから、物語ははじまります。元プロボクサーで、パチンコ屋の景品所を営む父親(54歳)は、長らくハワイを「堕落した資本主義の象徴」だと家族に教えていました。しかし正月に放送されていたハワイ特番に感化されて、朝鮮籍からハワイに旅行しやすい韓国籍へ変更することを提案します。

 主人公の「僕」は日本の高校で、それなりに充実した青春を謳歌しています。ただ「在日朝鮮人」として生まれ育ってきたことの壁が、人生の要所で立ちはだかり、「僕」は闘うことを余儀なくされます。人々が無意識的に内面化してきた「現代的な差別」の描写は、外国人の人口が増加し、Web上のリテラシーが問われる現代日本において、繰り返し参照されるべき文学的表現と言えます。

 物語の要所で、プロボクサー時代に一度もダウンを喫したことのなかった親父のパンチが、「僕」に炸裂するシーンが面白いです。行定勲監督、窪塚洋介主演の映画版もいい作品でした。

 本連載は200回を大きな節目として、もう少しだけ続きます。単行本の作業も無事、ひと段落し、あと二つほど原稿を終えると新学期という感じです。

https://www.nishinippon.co.jp/item/n/893977/

金城一紀『GO』あらすじ

 元プロボクサーで、パチンコの換金所を複数営む裕福な家庭で生まれ育った「在日」の「僕」をめぐる物語。朝鮮籍から韓国籍に変わることで、人間関係が一変し、「僕」の青春も大きく変化していく。朝鮮学校の友人たちとの家族のような友情や、ジーン・セバーグ似の桜井との恋愛劇が読み所。映画版もヒットした第123回直木賞受賞作。

2022/03/14

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第199回 長嶋有『佐渡の三人』

 「現代ブンガク風土記」(第199回 2022年3月13日)では、長嶋有の『佐渡の三人』を取り上げました。担当デスクが付した表題は「ゆるいイエ社会の存在価値」です。連載200回まであと1回です。180回分の単行本の作業も終盤で、分量も900枚近くまで増え、目次や地図、年表など様々な工夫をしていますので、濃厚で面白い本になると思います。

『佐渡の三人』は人の気配の希薄さと、トキの存在を遠くに感じながら、新潟県の佐渡島に3度行く話です。ユネスコの世界文化遺産への推薦をめぐり「佐渡島の金山」が注目を集めていますが、約400年の歴史を有する金鉱山は、資源枯渇のため平成のはじめに操業を休止し、現在、佐渡の金銀山は史跡として保全が進んでいます。

 この小説は、長嶋有の代表作「ジャージの二人」のフラットな親子関係を、親族関係に拡げた作品だと要約できます。「変な家ではあるが私たちの家だけに特殊さが集中してるわけではあるまい。きっとどんな家にもそれぞれ変な部分や、問題があるだろう。家を構成する一人一人にもだ。ひきこもったり、ひきこもりと名付けたり、名付けられなかったり、いわなかったり、死んだり、あるいは長生きしすぎたり」。

 本作で描かれる、悲しみとユーモアを「同時」に感じさせるような言動は、現代小説らしく魅力的なものです。東日本大震災をまたいで文芸誌に掲載された小説らしく、細やかな心情描写に奥行きが感じられる作品だと思います。



長嶋有『佐渡の三人』あらすじ
 佐渡にゆかりのある一族の葬儀と納骨をめぐる物語。最初から「自立した他人」として私や弟をみている古道具屋の父と、医者の名門一家の人々との関りを描く。祖父母の面倒をみていた引きこもりの弟が、祖父の葬儀や納骨の主導権を握る。一族のエピソードをひも解きながら、佐渡にまつわる様々な思い出を描く、長嶋有の代表作。

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 Super Bowlのハーフタイムショーについて、国際的に高い評価でしたが、一番の見どころはケンドリック・ラマーが「Alright」を(放送可能な形で)歌ったことだったと思います。「Alright」は、Black Lives Matterでも実質的にプロテスト・ソングとなった曲で、下のPVの通り、ジョージ・フロイドの死以前から、そういうニュアンスで人気を集めていた曲です。ウクライナの現状にも寄り添える曲だと思います。プロデューサーは「Happy」でお馴染みのファレル・ウィリアムスで、彼のコーラスも入る曲ですが、この曲に限らず、この曲を含む2015年の「To Pimp a Butterfly」がアルバムとして完成度が高かったと思います(私も今でもたまに聞いてます)。
Kendrick Lamar - Alright
 こういうプロテストソングを最高視聴率のスーパーボウルで流した点がNFLらしく、ドレ―からケンドリックへの世代交代(どちらもコンプトン出身)を演出した点も上手かったです。ケンドリックは「DAMN.」でピュリッツァー賞を獲っていますが(非クラッシック・ジャズで初)「To Pimp a Butterfly」での飛躍が大きかったと思います。その後、試行錯誤しているようですが、Black Panther関連の曲も良かったと思います(個人的にはSZAとのAll The Starsが好きです。映画は観ていないけど音楽は良かった)。
Kendrick Lamar, SZA - All The Stars
 今年のNFLで一番良かったシーンは、個人的にはDivisional RoundのRams×Bucsの残り35秒からのクーパー・カップへの2つのパスでした。カレッジから一校もスカウトがなく、無名のイースタン・ワシントン大で記録を出して、何とかドラフト3巡69位でプロになったクーパー君が、史上最高と評価されるWRとなった瞬間でした。結果としてGOAT(Greatest of All Time)ことトム・ブレディを引退発表に追い込んだドライブとなりました。ただブレディは予想通り、40日で引退を撤回してBucsに残留とのことです。I’ve realized my place is still on the field and not in the stands.とのこと。NFLのQBの45歳は実年齢の90歳ぐらいだと思いますが、50歳(100歳)まで現役でやってほしいです。今年のNFLもAll The Starsで楽しめそうです。
Every Cooper Kupp catch from 183-yard game | Divisional Round
“It’s A Great One! It’s A Thriller!” Rams vs. Buccaneers (Divisional Round) | Sounds Of The Game
Tom Brady Unretires | The Daily Show

2022/03/06

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第198回 桐野夏生『夜の谷を行く』

 「現代ブンガク風土記」(第198回 2022年3月6日)では、先週に引き続き連合赤軍事件を題材とした現代小説ということで、桐野夏生の『夜の谷を行く』を取り上げました。担当デスクが付した表題は「『集団の暴力』女性の視点で」です。桐野夏生さんの作品については、本連載で取り上げるのが4作目で、文芸誌にも書評を2度寄稿したことがあります。小説が射程とする問題の幅の広さに魅力を感じつつ、いつも緊張しながら批評しています。永田洋子の死のひと月後に起きた東日本大震災後の日本社会を描いた作品でもあります。

 今年であさま山荘事件から50年が経ちます。この事件で3名が殺害され、この直前に群馬県で起きた「山岳ベース事件」では、「総括」と呼ばれる集団暴行で、29名のメンバー中、12名が殺害されています。団塊世代が高齢化する中、新左翼運動で過激化した若者たちが引き起こした悲惨な事件を、私たちはどのように記憶し、次世代に伝達していけばいいのでしょうか。社会心理学で言う「集団極性化」に起因する問題は、新型コロナ禍で悪化し、プーチンの周辺から、「いじめ」が生じる教育現場まで、様々なレベルで生じているように思えます。

 連合赤軍とは、インテリ学生を中心とし、男女別の分業性を布いていた武闘派の赤軍派と、女性の解放を掲げ、地域の労働運動を担い、女性メンバーの多かった革命左派が合流した組織でした。異なる革命観を持つ赤軍派と革命左派の対立が、次第に個人攻撃へと変化し、寒い冬に陰惨な「総括」が起きます。一般的な「連合赤軍」のイメージは、武闘派の「赤軍派」のものが強いですが、桐野夏生は後者の「革命左派」の女性たちに着目しています。

 人間は自分にとって都合の悪い記憶を、自己を正当化するために改変することがあります。また「部活」のような気分で「正義」を掲げて参加した集団が、いつの間にか個人の意思を超えて「集団極性化」を引き起こし、一線を越えて、死者を生み出すことがあります。桐野夏生の『夜の谷を行く』は、群れることで文明を築いてきた人間集団が持つ「構造的な暴力」を、現代的な問題として炙り出した作品です。

https://www.nishinippon.co.jp/item/n/886609/

桐野夏生『夜の谷を行く』あらすじ

 24歳で都内の山の手にある小学校に努め、革命左派の兵士として活動を始めた架空の人物・西田啓子の「その後」の人生を描く。彼女は二歳上の永田洋子に可愛がられ、連合赤軍事件に関与した。啓子は「総括」が嫌になり、永田と森恒夫が資金調達で山を下りた隙に脱走し、5年の服役で出所するが、親族から縁を切られ、淋しい日々を送る。


2022/02/28

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第197回 大江健三郎『河馬に噛まれる』

「現代ブンガク風土記」(第197回 2022年2月27日)では、連合赤軍事件を題材とした大江健三郎らしい問題作『河馬に噛まれる』を取り上げました。担当デスクが付した表題は「『勇士』に私情を重ね」です。

 あさま山荘事件は、長野県軽井沢町で1972年(ちょうど50年前)に起きた、連合赤軍のメンバー5人による立てこもり殺人事件です。警察との銃撃戦が生中継され、民放とNHKの合算視聴率で89.7%となり、日本の報道史上、最高視聴率を記録しました。その後、連合赤軍が軍事訓練を行っていた「山岳ベース」でリンチ殺人事件が起きていたことが判明し、一連の連合赤軍事件は、犯罪事件の枠を超えて社会問題となります。

 大江健三郎の「河馬に噛まれる」が出版されたのは、事件から約13年後の、日本がバブル経済に足を踏み入れた1985年です。大江が連合赤軍事件に文学的な関心を持ったのは、彼らの思想や心理状態、リンチ殺人や立てこもり発砲事件に至る経緯ではなく、「河馬の勇士」という、山岳ベースで末端の立場で「便所掃除」を担当していた若者と、事件後に私的な交流を持ったからです。「河馬の勇士」というあだ名は、事件後、30歳となった彼がウガンダのマーチソン・フォールズ国立公園で、若い河馬に噛まれて報道されたことによります。

 大江健三郎の作品は、読者と巧みに共犯的な関係を築きながら、創作的に自己の考えを示す傾向が強いため、末端の立場とはいえ、連合赤軍事件に関わった「河馬の勇士」を、過大評価するのは危険だと思います。河馬に噛まれたからといって「河馬の勇士」を何かを悟った人物であると考える「僕」は、どこか狂っています。ただ「自分の河馬に噛まれているのじゃないか?」という作中の自己批判は、私たちも引き受けて考えるべき、鋭いものです。

https://www.nishinippon.co.jp/item/n/882866/


大江健三郎『河馬に噛まれる』あらすじ

 作家である「僕」と、ウガンダで河馬に噛まれて小さく報道された「河馬の勇士」の交流を描く。「河馬の勇士」は「穴ぼこに落ちる」ように17歳で連合赤軍事件に関与した人物で、「僕」の若い頃の知り合いのマダムの息子であった。集団リンチ事件が起きた山岳ベースでの思い出を、糞便処理という実務的な行為を通して綴る。川端康成賞の受賞作を含む短編集。

2022/02/20

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第196回 田辺聖子『ジョゼと虎と魚たち』

 「現代ブンガク風土記」(第196回 2022年2月20日)では、田辺聖子の『ジョゼと虎と魚たち』を取り上げました。担当デスクが付した表題は「『箱庭細工』のような恋愛小説」です。田辺聖子は好きな作家の一人で、間があり、情があり、繊細さがあり、バイタリティがあります。富岡多恵子も大阪出身ですが、何れの作家も多作で、戦後の女性文学と呼ばれた文学の芯の強さを、俗にまみれ気高く体現した一流の作家でした。

「人生というものは、芥川がその知性と神経のピンセットの先でつくりあげた箱庭細工のように出来上がっていない」と江藤淳は述べています。言い換えれば、芥川の作品が「高い知性」と「繊細な神経」の間で築かれたことを物語る秀逸な表現です。この言葉を借りれば、田辺聖子の『ジョゼと虎と魚たち』は「情愛と神経のピンセット」で人生を積み上げた「箱庭細工」のような作品と言えます。

 びくびくと臆病にしか世間と関われないジョゼが口にする、恒夫に動物園に連れて行ってもらった時の言葉が、読後の印象として強く残ります。「一ばん怖いものを見たかったんや。好きな男の人が出来たときに。怖うてもすがれるから。……そんな人が出来たら虎見たい、と思てた。もし出来へんかったら一生、ほんものの虎は見られへん、それでもしょうない、思うてたんや」。

 現代文学は、同時代の社会の中に埋もれた切実な感情や情景を、生き生きと描きとることができます。『ジョゼと虎と魚たち』が映画やアニメになり、今でも多くの人々に愛読されているのは、「虎と魚の情景」の豊かさに象徴されるのだと思います。

 4月に刊行予定の単行本には、この連載の180回分(加筆・修正で約800枚ほど)を収録します。ここ3カ月ほどで4年間かけて書いてきた原稿を繰り返し読み返しましたが、それぞれの小説・原稿と向き合っていた時の記憶が蘇り、懐かしく感じました。表紙も優しい雰囲気の素晴らしいイラストを頂き、見本を手に取るのを楽しみにしています。次週は、あさま山荘事件から50年ということもあり、連合赤軍事件に関連する小説を取り上げる予定です。

https://www.nishinippon.co.jp/item/n/879570/

田辺聖子『ジョゼと虎と魚たち』あらすじ 

 関西の町を主な舞台とした短編9本を収録。表題作は、下肢が麻痺しているため車椅子で生活し、世間を知らずに生きてきた25歳のジョゼを描いた作品。彼女は悪意を持った通行人に坂道で車椅子を突き落とされ、それを助けた「管理人」こと恒夫と親しくなる。ジョゼと恒夫は動物園で虎を見るデートをしたり、海底水族館で魚を見るための旅に出る。

2022/02/19

図書新聞 重里徹也・助川幸逸郎著『教養としての芥川賞』書評

 図書新聞(2022年02月26日号)に、重里徹也・助川幸逸郎著『教養としての芥川賞(青弓社)の書評を書きました。見出しは「文芸ジャーナリズムに関わる人々の『文学的教養』」です。個人的には芥川賞よりも直木賞に関心を持っていますが、注目作のチョイスや異なる評価も含めて面白く読みました。歴史ある書評メディアとして、図書新聞や週刊読書人を応援しています。新宿で良書を出し続けている青弓社にも敬意を込めました。

 図書新聞の前の号には、同じ大学の伊藤氏貴先生が「理系的」という面白い書評を書いていました。今号の私の原稿は下のような書き出しで、1800字ぐらいの原稿です。

図書新聞(第3531号 2022年02月26日号)

http://www.toshoshimbun.com/books_newspaper/

http://www.toshoshimbun.com/books_newspaper/shinbun_list.php?shinbunno=3532

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 芥川賞は駆け出しの作家を世に送り出す、文壇のスターシステムであり、選考過程や選評の公開を通して、一般読者や作家や批評家、編集者や記者など文芸ジャーナリズムに関わる人々の「文学的教養」を高めてきた。個人的には、近年は芥川賞よりも直木賞の受賞作に着目した方が、文学的教養は深まると考えているが、本書で指摘されているように、依然として芥川賞が「文壇を構成している既成の作家たちが、新しい書き手を迎え入れるという人事システム」として重要な役割を担っているのは確かであろう。本作『教養としての芥川賞』では、大江健三郎『飼育』(1958年・上半期)、森敦『月山』(1973年・下半期)、宮本輝『蛍川』(1977年・下半期)、多和田葉子『犬婿入り』(1992年・下半期)などに高い評価が付与されている。……