2018/07/13

『吉田修一論』(9月初旬発売)のゲラ確認中

学期末で慌ただしい日々ですが、『吉田修一論』(9月初旬発売)のゲラの確認作業を行っています。久しぶりの著作ですが、文芸誌・論壇誌に書いてきた文章がずいぶんたまっているので、どういう順番でたまっている原稿を加筆して本にして行こうか、と考える日々です。

今ゲラを確認している『吉田修一論』は、「文學界」に掲載した3つの「吉田修一論」に大幅に加筆し、「風土論」の部分を抽出してまとめた内容です。別途「作品論」としてまとめている批評文もあり、現在、同時進行で、文芸誌向けに書いている原稿を含めて、先々、書籍化を行う予定です。

西日本新聞の「現代ブンガク風土記」も15回を超えて、地方を舞台にした現代文学を分析する作業にも、脂が乗ってきた感じがしています。

大学や学会の仕事もたまっているため、授業以外は、起きている間をほとんど机の上で過ごしているので、ここ最近、運動不足気味で、物理的な意味でも、脂が乗ってきた感じがしています(夏なのに)。

『吉田修一論』(9月初旬発売)ご期待・ご一読下さい!

(写真は、『吉田修一論』のゲラのあとがき部分と、最近、仕事道具として手放せなくなったFRIXION BALLです)




2018/07/08

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第15回 佐川光晴『生活の設計』

西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」の第15回(2018年7月8日)は、今でもなお新人賞の小説の見本といえる佐川光晴『生活の設計』について論じています。表題は「現代を代表する『労働小説』」です。

「生活の設計」は、主夫として妻の実家で子育てをしながら、屠殺場で働く「わたし」を描いた私小説です。「わたし」は「チェ・ゲリバラ」と渾名を付けられるほど、汗でお腹を冷やし、下痢を起こしやすい体質でしたが、「最も汗をかきやすい仕事に就くことで逆に汗を制することができる」と気付きます。

佐川光晴さんは埼玉県の志木市在住の作家で、実際に主夫として家事や子育てをしながら、大宮の屠殺場で牛の解体の仕事に従事していました。「そもそもここはおめえみたいなのが来るところじゃねえんだからよ」と厳しい洗礼を浴びせられながらも、牛の上に10年、懸命に働き続け、牛を解体し、皮を剥ぐ技術を高めていきます。

この作品は、屠殺場を非日常的な世界として描くのではなく、そこを日常生活の延長にある場所として描いている点が新鮮な作品です。「働くことの意味」「生活することの意味」について深く考えさせられる、現代を代表する「労働小説」です。



2018/07/04

オレゴン州ポートランド

1999年の大学4年次に早稲田・オレゴンプログラム(短期の語学研修)でPortlandに滞在して以来、約20年ぶりに再訪しました。IAMCRがオレゴン大学での開催だったので、Eugeneからバスで約3時間、久しぶりのポートランド滞在を満喫しました。

約20年ぶりに再会したマイケル・ヨシダ君は、当時の受け入れ教授の息子で日系三世。日本語は全く話せないですが、現在は日系企業を顧客とした弁護士として働いています。当時、父親の命令で学生寮の管理を渋々やらされていたので、よく夜中に車で抜け出して一緒に遊びに行っていました。


マイケルは相変わらずのナイス・ガイで、レストランもバーも彼にご馳走になってしまいました。互いに子供を持つ父親となりましたが、昔と変わらず、際どい冗談ばかりで盛り上がり、20年の歳月をあっという間に縮まった思いがしました。仕事以外の場で、年下に飲食をご馳走になったのはずいぶん久しぶりでした。

ポートランドについて真っ先に向かったのは、思い出の多いPowell's Booksです。世界最大のインディペンデント系書店と紹介されることが多く、1999年の夏にも私があまりに頻繁に通って立ち読みしているので、ホームステイでお世話になったおばさんが、なぜかお土産にPowell's Booksのトレーナーを買ってくれた思い出があります(夏なのに)。




Powell's Booksは棚に並ぶ本の配置が面白いのと、新刊本と古本が同じ棚に並んでいるので、目当て以外の本をついつい手にとってしまいます。大型書店と都立図書館を足したような感じの雰囲気で、子供向けのオモチャや文房具なども売っています。今回の滞在でも、ついつい3時間立ち読みして5冊の本を購入してしまいました。

その後、ライトレールで市街地を見下ろす丘の上にあるワシントン・パークに向かいました。この公園は市街地から徒歩圏内と思えないほど大規模なもので、この日はLGBTQの人々のPartyのような音楽フェスが行われていました。マイノリティに優しいのも西海岸の都市の素晴らしいところです。



ポートランドは、サードウェーブ・カフェやVoodoo Doughnut(ブードゥードーナツ)も有名ですが、先ずはPowell's Books(と斜向かいのピザ屋)とWashington Parkを楽しんでほしいと思います。

一日5ドルでライトレールも乗り放題。ポートランドは、依然として北米で真っ先に訪れるべき街の一つだと実感しました。




2018/07/01

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第14回 リリー・フランキー『東京タワー』

西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」の第14回(2018年7月1日)は、現代日本を代表する「上京文学」と言える、リリー・フランキーの『東京タワー』について論じています。表題は「炭鉱町らしい『生活の哲学』」です。

リリー・フランキーの『東京タワー』は2005年に単行本として発売されベストセラーとなった自伝的な小説ですが、2003年から「en-taxi」に連載されていた当初は、「エッセー」として掲載されていました。往時の筑豊の風土と気風を伝える言葉と、筑豊の宮田の地に足の着いた面白いエピソードの数々に、強く心を動かされます。

「この町は豊かな町ではなかったけれど、ケチ臭い人の居ない町だった」
「『家族』とは生活という息苦しい土壌の上で、時間を掛け、努力を重ね、時には自らを滅して培うものである」
 
『東京タワー』は直木賞を受賞してもおかしくない「生活の哲学」に満ちた深みのある作品で、炭鉱町から東京のメディアの中心へとダイナミックに話が展開される点も面白いです。役者としてリリー・フランキーの評価が高まっている時期ですので、作家としての再評価も期待しています。




2018/06/26

IAMCR(国際メディア・コミュニケーション学会)のパネル発表

オレゴン大学で開催されたIAMCR(国際メディア・コミュニケーション学会)で、「From Hiroshima to Fukushima: Redesigning Communication Processes for Nuclear Crisis」というパネル・セッションを行ってきました。情報科学芸術大学院大学(IAMAS)の金山智子先生がチェアーのセッションです。

IAMCRは米国寄りというよりは、EU寄りで、UNESCOと関係の深いカンファレンスで、メディアとコミュニケーションに関する世界でも最大規模の国際学会です。

IAMCRの概要
https://en.unesco.org/partnerships/non-governmental-organizations/international-association-media-and-communication

私が担当した発表のタイトルは、'Comparative Research on Archive and Exhibition Design and Production with Respect to Nuclear Disasters as Media for Communicating Historical Facts'でした。広島と長崎の核被害に関する「慰霊」の文脈の違いや、展示内容の方法論の違いについて分析した内容です。

パネル発表の概要は、原子力災害と一口に言える問題の中にコミュニティや教育、展示や集合的記憶など多様な問題があることを伝える内容でした。
名古屋大学の小川先生、広島経済大学の土屋先生、同志社大学の志柿先生と、発表や前後の議論をご一緒いたしました。

様々な国や地域の研究者の方々からご関心を頂き、発表に前後してパネルの先生方とじっくりと議論した内容も含めまして、非常に有意義な機会でした。発表後の懇親会等の場でドイツやカナダ、ベルギー、台湾の研究者と、詳しい議論が交わせて良かったです。

U・ベックが記した意味での「再帰的近代化論」を踏まえると、核災害そのものの定義や問題系を、コミュニティや教育、展示・アーカイブス、集合的記憶、情報公開のあり方の問題として展開し、多様な「メディア研究」の下で再構築していくことは、学際研究らしい重要なアプローチだと考えています。

今回の発表内容については、今後の研究活動の中で、時間をかけて展開していきたいと考えています。






2018/06/24

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第13回 桐野夏生『メタボラ』

西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」の第13回(2018年6月24日)は、「ロストジェネレーション」問題について、朝日新聞の連載小説を通して描いた、桐野夏生の『メタボラ』について論じています。表題は「内在する『外国』若者の『戦争』」です。

現在、International Association For Media And Communication Research(国際メディア・コミュニケーション学会)の発表でオレゴン大学に滞在していますが、「現代ブンガク風土記」は平常運転で続きます。

桐野夏生は現代社会の「しわ寄せ」が来ている地方を舞台に、嫉妬や怨嗟や怠慢など、喜怒哀楽に還元されない感情を捉える作品を多く描いています。この作品は、偽装請負や研修生の労働現場など、沖縄や新潟を舞台に、「外国」のような労働環境で働く若者のたちの姿を、かつて戦争を経験した老人たちの姿と重ね合わせながら、描いた青春小説です。

失われた10年、20年、30年とも言われる時代の「しわ寄せ」が来た場所を生きてきた若者のたちと外国人たちの現実感は、どのようなものだったのか。日本の内部に存在する「外国」を通して深く考えさせられる、直木賞作家の代表作です。


2018/06/17

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第12回 青来有一『爆心』

西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」の第12回(2018年6月17日)は、谷崎潤一郎賞と伊藤整文学賞を同時受賞した青来有一の代表作『爆心』について論じています。表題は「爆心地の普通の日々描く」です。
現在、先々の仕事のフィールドワークでUtah州の Salt Lake Cityに滞在していますが、「現代ブンガク風土記」は平常運転で続きます。

タイトルは「原爆文学」を想起させる重々しいものですが、ユーモラスで軽やかな筆致で書かれた作品で、爆心地で生活してきた人々に、ごく普通の青春があったことを物語っています。

例えば「石」では作業所で「ちゃんぽんセット」の箱折をしている「修ちゃん」が、入院している母親に「いっしょに神さまのところに行こうか」と心中を仄めかされて、同級生の政治家「九ちゃん」に相談に行く姿が描かれています。
「虫」では被爆した女性が、青春時代を回顧しながら、健康的な「憧れの佐々木さん」との一晩の情事について回想しながら、佐々木さんと結婚した同じ職場の女性に、歳をとっても嫉妬をし続ける姿が描かれています。

何れの作品も、被爆者を聖人のように描く従来の「原爆文学」と比べると、際どい表現に満ちていますが、読みやすく、面白い小説です。

爆心地の日常の中で、キリスト教徒の多い浦上地区に原爆が落とされたことを問いかける描写にも深みがあります。例えば「蜜」に登場する老人は「あの時に、主はこの空にいなかったのだろうな」、「主は人が愚かしい真似をしようとする時、ブレーキを踏んでくれるはずなんだが」と振り返っていますが、こういう書き方そのものが新鮮です。

手にとって読んでもらえれば、こういう小説を、現職の長崎原爆資料館の館長が記していることに、「原爆文学」の「現代文学らしい深化」を感じることができると思います。



2018/06/10

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第11回 青来有一『聖水』

西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」の第11回(2018年6月10日)は、第124回芥川賞受賞作、青来有一の『聖水』について論じています。表題は「土俗的信仰の忘却 告発」です。

青来氏は長崎市の職員から作家となった方で、長崎の爆心地近辺で育った経験から、長崎を題材とした作品を多く記しています。2010年から長崎原爆資料館の館長を務められています。

経歴から判断して「お堅い作風」と思われるかも知れませんが、「聖水」は自然食品店やリサイクルショップを経営する潜伏キリシタンの末裔が、「聖水」を独自のルートで販売しながら、土着的な信仰のあり方を問い返すという、刺激的で、面白い作品です。「オラショ(ラテン語で祈祷文の意味)」を唱える土俗的なキリスト教信仰を、実に上手く、現代小説として描いています。

先日、UNESCOの諮問機関のICOMOSが「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」について、世界文化遺産として「登録が妥当」との勧告を行いました。事実上の世界文化遺産としての決定です。ただこのリストには、長崎の原爆災害の象徴であり、多くのキリスト教徒の努力で再建された、浦上天主堂は含まれていません。

潜伏キリシタンの史跡が世界文化遺産に登録されたことは素晴らしいことだと個人的には感じていますが、原爆災害の象徴である浦上天主堂がそのリストから外れたことについては、思うことが色々とあります。機会があれば、長崎のキリスト教の文学史も踏まえて、原稿としてまとめたいと考えています。

「聖水」は、浦上の近くのキリスト教徒の内部の加害・被害関係を描いた、論争的な作品です。「潜伏キリシタン」や長崎・浦上のキリスト教徒の信仰を巡る、複雑な歴史について、現代文学として正面から向き合った作品で、長崎の近現代史に少しでも関心の向く方には、ぜひ手にとってほしい小説です。


2018/06/05

秋学期は3つの大学でゼミを担当します

今年の秋学期は、文教大学のゼミと卒業研究以外に、2つの大学でゼミを担当することになりました。

一つ目は、立教大学社会学部メディア社会学科の3年生向けの「専門演習2」です。この授業は黄盛彬先生の代講です。黄先生には、日本マス・コミュニケーション学会の国際委員会や英文ジャーナルの編集委員会でお世話になっています。

黄先生のご専門は、トランス・ナショナル化するメディアと世論やアイデンティティの形成に関する研究で、授業ではエドワード・サイードの『イスラム報道』やローリー・アン・フリーマンの『記者クラブ 情報カルテル』などの文献購読を行っておられますので、秋学期もこの内容を引き継いだゼミを行います。黄先生は物腰柔らかで、丁重なコミュニケーションをとられる方ですので、学生にも、そのようなコミュニケーション能力を身に付けてもらえるように、研究・発表の内容だけではなく、コミュニケーションの方法論にも着目した指導を行いたいと考えています。

二つ目は、武蔵大学社会学部メディア社会学科の4年生向けの「メディア社会学専門ゼミ4」と、4年生向けの「卒業論文・卒業制作」です。このゼミは、ワシントンD.C.にサバティカルに行かれる奥村信幸先生の代講です。奥村先生とは2016年のIAMCR@Lesterでカンファレンスや市内散策をご一緒し、その後、ロンドンでバーに行ったり、文教大学のメディア論でゲスト講義をお引き受け頂きました。

奥村先生のご専門は、ニュースとジャーナリズムやマルチメディアとジャーナリズムに関する研究で、私も授業でよく参照するビル・コヴァッチとトム・ローゼンスティールの著書も翻訳されています(『インテリジェンス・ジャーナリズム』)。奥村先生は行動力のあるアクティブな方で、英語圏のメディアの動向に非常に造形が深いので、学生にも、そのような国際教養を身に付けてもらえるように、英語圏のメディア分析やメディア社会学に関する理論に基づいた指導を行いたいと考えています。

何れのゼミのテーマも興味深く、大学教員としてよい教育機会となりそうです。
本務校の文教大学の学生にも刺激となるように、3大学のゼミで合同の研究発表会や、交流会も企画したいと考えています。

文教大学酒井信ゼミナール 卒業研究一覧



2018/06/03

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第10回 角田光代『空中庭園』

西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」の第10回(2018年6月3日)は、角田光代の『空中庭園』について論じています。表題は「『効率的な現代家族』先取り」です。

この小説は、多摩ニュータウンを想起させる東京郊外を舞台とした作品で、デフレと円高のお陰で建築資材が安価になり、公共投資が推進された平成期に浸透した、人工的な住空間=空中庭園に住む家族の姿を描いています。ショッピング・モールを中心とした住環境が全国に拡がり、家族と一緒に居ながらも、スマートフォンを通して別の人とコミュニケーションをとることが出来る、現代的な現実感を先取った作品といえると思います。
様々な嘘や隠し事を黙認した上で、「家族」と一緒に居た方が、効率的かつ快適に生きることができる、という内面の描写は、現代文学らしい表現だと思います。

この連載では、私が撮影した写真も多く掲載を頂いています。今回は映画版の「空中庭園」(豊田利晃監督)の舞台になったセンター北の駅前の写真を採用頂きました。

今回で「現代ブンガク風土記」は10回の節目を迎え、九州から北海道、東京郊外を舞台にした作品を取り上げてきました。
まだまだ「地方」を舞台にした多くの優れた現代小説は多く発表されていますので、拙文にご関心を頂ければ幸いです。