2022/11/01

「没後30年 松本清張はよみがえる」第17回『黒地の絵』

 西日本新聞の連載「松本清張はよみがえる」第17回(2022年11月1日)は、松本清張が小倉で遭遇した「米兵の集団脱走事件」を描いた『黒地の絵』について論じています。担当デスクが付けた表題は「惨劇に潜む差別に光 事件描く文体を模索」です。毎回、9×9文字で担当デスクに上手いタイトルを付けて頂いています。『取り替え子 チェンジリング』などで米兵の暴行を描いた大江健三郎さんとのmatch-upです。

 朝鮮戦争の最中の1950年7月11日に北九州・小倉で起きた米軍陸軍兵士の脱走・暴行事件を描いた作品です。当時、松本清張はこの事件が発生した「キャンプ城野」の近くに住んでおり、この事件がGHQの情報統制で詳細が報道されなかったことに、強い疑念を抱いています。「私は何も知らなかったのである。昨夜、すぐ近くのキャンプから黒人兵が集団脱走し、この住宅を初め近在の民家に押し入り暴行を働いたというのだ」と、清張は『半生の記』の締め括りにこの日の思い出を記しています。

「黒地の絵」について、批評家の評価は芳しくありませんでした。例えば江藤淳は、本作を「巧妙な推理小説的話術で書かれた好読物」と評価しつつ「黒人兵の死体の毒々しい鷲の入墨を切り裂く復讐のドギツい横顔を描いて能事足れりとしている」と評しています。この時点の松本清張はノンフィクションとフィクションが入り混じった文体を試しており、身近で起きた事件の重さを、文学的にどのように表現していいか戸惑っていたように思えます。ただ本作は『日本の黒い霧』に繋がる作品として重要な「習作」だと私は考えています。

 今週は連載は1本の掲載で、次週は4本の掲載予定です。今月は松本清張連載の他、文芸誌に原稿を1本と、英字論文が1本、新聞のコメント記事2本が掲載予定です。年末年始の休暇まで、体調に配慮しつつ、地道に、快活に仕事をして行きたいと思います。

https://www.nishinippon.co.jp/item/n/1008740/

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 海外の直販サイトやebayなどのオークションサイトを使って日本で流通していない小物を船便で買うのが趣味なのですが、円高を実感しています。愛用しているPortlandのPowell’s Booksのpint glassが割れたので、買い足しましたが、前回の購入時のほぼ1.5倍の値段。NFLのマイナーな選手のTシャツも、ユニクロのTシャツと比べると恐ろしく高価(同じMade in Chinaなのに。。トランプ政権の時は、アメリカで売られる中国製品に税金が上乗せされ、UPSの配達員に「抗議することも可能です」と説明されましたが、まだその頃の方がトータルで安かった)。もちろん過去に購入したもので円安も手伝って高価になっているものも一部あり、例えばカズオ・イシグロの最初期の短編(イースト・アングリアの大学院時代に書いたもの)が掲載された書籍は、ノーベル賞の受賞で20倍以上の値段になりましたし、研究室に貼っているアメリカやヨーロッパの映画館で使われていた黒澤明や成瀬巳喜男の海外版のポスターも、いい値段になっていると思います。スポーツ関係だとオバマとイチローが会談した時のサイン入りの写真やジョー・ネイマスのサイン本も、まあまあ高いはず。ただこういう類のものは売ることはないので、円安の意味はなく、物価高に耐えながら、地道に仕事に励むより他ないですね。船便だと忘れた頃に商品が届くのがのんびりしていて良いです。

2022/10/26

「没後30年 松本清張はよみがえる」第16回『眼の壁』

 西日本新聞の連載「松本清張はよみがえる」第16回(2022年10月26日)は、長編ミステリの代表作の一つ『眼の壁』について論じています。担当デスクが付けた表題は「村上春樹作品と共通 多種多様な「仕掛け」」です。毎回、9×9文字で担当デスクに上手いタイトルを付けて頂いています。「保守党の派閥」を仕切る児玉誉士夫のような「右翼の大物」との対決を描いた『羊をめぐる冒険』を記した村上春樹さんとのmatch-upです。

 松本清張のミステリ作家としての「引き出しの多さ」を感じさせる代表作の一つです。素人の会社員と新聞記者が物語を牽引するため、冒頭はサラリーマン小説のようですが、やがて詐欺事件に新興右翼や政治家が関わっていることが明らかになり、大掛かりな物語となります。

 時刻表トリックや死体輸送のトリック、自殺偽装のトリックなど、推理小説らしい様々な仕掛けが散りばめられており、特に濃クローム硫酸風呂が登場するラストシーンは、犯罪ミステリの枠を超えて、ハリウッド映画のようです。皮革工場で使われる劇薬を、白骨化した死体が登場する作品の重要な小道具にしている点が、小倉の工業地帯で育った松本清張らしい。

 戦前に軍部の機密費を財源としていた右翼が、戦後に資金に窮して非合法的な活動に手を染めてきたという描写は、戦後日本の闇を活写した「日本の黒い霧」を想起させます。政治信条の上で、松本清張は右翼でも左翼でもなく、貧しい人々の生活に寄り添う作家だったと私は考えています。ただ「節操も主義もないアプレ右翼は、恐喝、詐欺、横領などを働く」といった言葉には、庶民を食い物にして来た「アプレ右翼」への怒りが感じられます。


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 秋学期に入り、書籍をご恵投頂いた諸先生方に御礼申し上げます。立教大学の福嶋亮大先生より『書物というウイルス』(blueprint)を、慶應義塾大学の山腰修三先生より『ニュースの政治社会学』(勁草書房)を、與那覇潤氏より『帝国の残影』(文春学藝ライブラリー)を、平山周吉氏より『戦争について』(小林秀雄、中公文庫)を、国際日本文化研究センター・信州大学の呉座勇一先生より『武士とは何か』(新潮選書)を、立命館大学の福間良明先生より『司馬遼太郎の時代』(中公新書)を、立命館大学の飯田豊先生より『ビデオのメディア論』(青弓社)を、福岡市の書肆侃侃房の田島安江社長よりアン・カーソン『赤の自伝』、黄順元『木々、坂に立つ』他多数の新刊本をご恵投頂きました。日々、皆様のお仕事に励まされております。ご厚誼を賜り、心より感謝申し上げます。

2022/10/25

「没後30年 松本清張はよみがえる」第15回「父系の指」

 西日本新聞の連載「松本清張はよみがえる」第15回(2022年10月25日)は、清張の純文学系の名作「父系の指」について論じています。担当デスクが付けた表題は「積年の怒りあらわに 私怨晴らした私小説」です。毎回、9×9文字で担当デスクに目を引くタイトルを付けて頂いています。『枯木灘』などの作品で、父系の親族に対する愛憎半ばする複雑な感情を描いた中上健次とのmatch-upです。

 松本清張の作品としては珍しく、純文学色が強い「私小説」です。生まれ育った家の貧しさを赤裸々に記し、高等小学校卒の経歴で、半生を無名で生きてきたことへの「行き場のない怒り」を露わにした異色の「血縁小説」でもあります。朝日新聞東京本社に勤めていた1955年に、文芸誌「新潮」に発表された最初期の短編の一つで、不遇でお人よしだった父親の人生を、自らの半生をひも解きながら描いています。

 清張は「週刊朝日」の懸賞小説「西郷札」でデビューし、三田文学に掲載された「或る『小倉日記』伝」で芥川賞を獲得して注目を集めました。ただ文芸誌での本格的なデビュー作は、「私小説」として完成度の高い本作だったと私は考えています。この小説は表題の通り、父系の「長い指」をめぐる物語で、鳥取県の山村・矢戸で裕福な地主の長男として生れながら、貧しい農家に里子に出された、父親の不遇の物語です。矢戸を含む奥出雲は「砂の器」がベストセラーになったことで、東北弁と似た訛りの方言を話すことでも知られています。

https://www.nishinippon.co.jp/item/n/1005568/

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 NBCのSaturday Night Liveのシーズン 48が始まりました(Huluで観てるため数週間遅れの話題)。Kate McKinnonがキャストから外れたのが非常に残念でしたが、Miles Tellerがホストで音楽ゲストがKendrick Lamarという、世代交代を印象付けるゲストで、上々の滑り出しだったと思います。オープニングがManning兄弟のMNFのぬるい解説のパロディと、Trump絡みのジョークで(NFLの開幕と中間選挙に合わせた視聴率狙いのネタだと思いますが)、Colin JostとMichael CheのWeekend Updateは変わらずで、ひと安心。Kendrickの地上波向けの歌詞や、Bowen Yangの害虫ネタ、MacDonaldのグリマスのパロディもベタに笑いました。今シーズンからKateのJustin Bieberネタが見れないのは残念ですが、若手の新キャストに期待してます。

 授業でもたまに取り上げていますが、SNLではLGBTQやマイノリティの出演者がカジュアルにカムアウトし、自らのアイデンティティをごく普通にネタに織り込んでいます。この点はNYらしく、この番組の大きな魅力になっています(例えばKateはL、BowenはG、SNL版のグリマスはB、Kendrickはanti-cancel culture advocateであることを、自らのアイデンティティとしてユーモラスに、誇り高く示しています)。

https://www.youtube.com/watch?v=x1ursSZ0NCw

https://www.youtube.com/watch?v=04qA4krEub8

2022/10/18

「没後30年 松本清張はよみがえる」第14回『顔』

 西日本新聞の連載「松本清張はよみがえる」第14回(2022年10月17日)は、『顔』について論じています。担当デスクが付けた表題は「サスペンスの粋凝縮 国民作家に至る原点」です。毎回、9×9文字で担当デスクに上手いタイトルを付けて頂いています。ベストセラーとなった『贖罪』などの作品で、顔をキーとしたミステリを展開している湊かなえさんとのmatch-upです。連載の隣には先日、長崎県美術館で実施した「九州芸術祭文学カフェ」の取材記事をご掲載頂いています。

 様々な芸能人に「顔真似」をされるほど、松本清張は戦後日本の作家の中でも圧倒的に「顔」の売れた作家でした。清張作品の多くが映画やドラマになった大きな理由は、清張が「顔」が売れた作家であり、出演する役者たちの「顔」を巧みに映えさせる作家だったからだと思います。この意味で「顔」は国民作家・松本清張の原点となる短編の一つだと私は考えています。

 この作品は1956年に発表された松本清張にとって初めての「推理小説短編集」の表題作です。翌年に大木実と岡田茉莉子の主演で、清張の作品として初めて映画化され、人気を博しました。清張は1952年に「或る「小倉日記」伝」で芥川賞を受賞しましたが、この当時、芥川賞は現代ほど注目を集める賞ではありませんでした。「多人数の家族を抱えていると、不安定な収入生活に飛び込んでいく勇気がなかった」と回想しているように、彼はデビューした後も6年ほど朝日新聞社で働きながら、小説を書いていました。清張が朝日新聞社を退社し、専業作家となるのは、この「顔」を発表する直前でした。

https://www.nishinippon.co.jp/item/n/1002471/


風土の記憶を継承する現代文学の可能性/九州芸術祭文学カフェin長崎

2022/10/13

「没後30年 松本清張はよみがえる」第13回『小説帝銀事件』

 西日本新聞の連載「松本清張はよみがえる」第13回(2022年10月13日)は、『小説帝銀事件』について論じています。担当デスクが付けた表題は「『社会派』小説の原型 世論を変える影響力」です。直木賞候補作『インビジブル』などで知られる坂上泉さんとのmatch-upです。

 1948年にGHQ占領下の日本で起きた帝銀事件を題材にした小説です。ベストセラーとなった「日本の黒い霧」の前年に書かれた本作は、松本清張のノンフィクション小説の原型となりました。帝銀事件は、東京都豊島区の帝国銀行椎名町支店で都の衛生課員を名乗る人物が、湯飲み茶わんに赤痢の薬と称して青酸カリを入れて16人の銀行員に飲ませ、12人を殺害したことで知られます。

 最終的に犯人として逮捕された画家の平沢貞通は、1955年に最高裁で死刑判決を受けた後も無実を主張し続けて、95歳まで生きました。本作は「日本の黒い霧」がベストセラーになったことも手伝って、平沢が無罪であるとする世論形成に大きな影響を与えたと考えられます。GHQの参謀第二部(G2)の情報将校・ジャック・キャノンを想起させる人物の関与や、毒物の扱いに慣れていた七三一部隊や陸軍中野学校の関係者を真犯人だと示唆する本作の内容が、帝銀事件をめぐる世論を変えたわけです。

 物的証拠が少なく、あやふやな自白が犯人を特定する上で重視されたのも、帝銀事件が「未解決事件」とされる大きな要因です。帝銀事件の捜査で、日本の犯罪史上初めてモンタージュ写真が作られましたが、人相をもとにした犯人特定は怪しいもので、毒殺を免れた行員の証言もあやふやなものでした。

 次週は第14回のみの掲載予定です。有名な作品を多く取り上げてきましたが、現時点で私的な「松本清張ベスト5」に入る作品は、まだまだ1作です。

https://www.nishinippon.co.jp/item/n/1000303/

2022/10/12

「没後30年 松本清張はよみがえる」第12回『日本の黒い霧 追放とレッド・パージ』

 西日本新聞の連載「松本清張はよみがえる」第12回(2022年10月12日)は、『日本の黒い霧』より「追放とレッド・パージ」について論じています。担当デスクが付けた表題は「GHQの暗部に迫る 小説と評論の中間物」です。文芸評論家で、早稲田大学の国際教養学部で教鞭を執られていた加藤典洋さんとのmatch-upです。

 日本は昭和20年の敗戦から昭和26年のサンフランシスコ講和条約の調印まで、実質的に主権を失い、GHQ(連合軍総司令部)に支配され、この時代に本作で取り上げられている下山事件や松川事件など「未解決事件」を経験してきました。

「日本の黒い霧」で一貫して清張が指摘しているのは、GHQは下山事件からレッド・パージまで一枚岩ではなく、将来のソビエトとの戦いを見据えて、ニューディーラーが多かったGS(民政局)と、保守勢力と協調していたG2(参謀第二部)の対立があったという事実です。

 敗戦後日本では「パージ(追放)」は二度行われています。一度目は、敗戦直後から軍部の台頭と超国家主義の復活を防ぐために、戦犯や翼賛体制に寄与した政治家や財界人などを対象としました。追放者の三親等までが公職に就くことを禁止され、密告や投書によって追放の可否が決まり、GHQへの懇願や裏取引によって追放を免れたと言いますから、当時の混乱が推測できます。

 二度目は1950年の朝鮮戦争に前後して、いわゆる「赤狩り(レッド・パージ)」として行われています。注目するべきは、一度目の保守勢力の追放が解除され、敗戦後に追放されていた元特高警察官も、諜報活動を担うG2に雇用され、「レッド・パージ」に加担したという事実です。つまり戦前から共産主義者の調査に関して豊富な経験を持つ特高が、GHQの下で対ソ戦のために再組織化されたわけです。

 本作は、清張らしい生活者の視点から、レッド・パージによって締め出された人々に、左右のイデオロギーを超えて寄り添った「社会批評」と言えます。

https://www.nishinippon.co.jp/item/n/999866/

2022/10/06

「カドブン」(KADOKAWA文芸WEBマガジン)に吉田修一著『逃亡小説集』の文庫解説が掲載されました

 カドブン(KADOKAWA文芸WEBマガジン)に吉田修一著『逃亡小説集』の文庫解説「不器用な「悪人」たちの「逃亡文学」」が掲載されました。累計20万部超えの人気シリーズの文庫解説です。吉田修一さんのTwitterでもご紹介を頂き、ありがとうございます。長崎南高校の先輩と仕事をご一緒できまして、西九州新幹線の開通のお祝いという感じがしました。映画化にも期待しています!

https://kadobun.jp/reviews/bunko/entry-46808.html


2022/10/04

「没後30年 松本清張はよみがえる」第11回『日本の黒い霧 下山国鉄総裁謀殺論』

 西日本新聞の連載「松本清張はよみがえる」第11回(2022年10月4日)は、『日本の黒い霧』より「下山国鉄総裁謀殺論」について論じています。担当デスクが付けた表題は「未解決事件を題材に GHQ内の対立描く」です。『日本の黒い霧』からは、もう一作、取り上げます。「A」「A2」『放送禁止歌』『下山事件』などの作品で知られる森達也さんとのmatch-upです。森達也さんには、15年ほど前に『平成人(フラット・アダルト)』(文春新書)の解説を「本の話」(文藝春秋)にご寄稿頂きました。

 松本清張の代表作として広く知られる「日本の黒い霧」は、1960年1月から12月にかけて月刊「文藝春秋」に連載されたノンフィクション小説です。この年は新安保条約が強行採決され、反対派の大規模なデモが起こり、岸信介内閣を総辞職に追い込んだ社会党委員長の浅沼稲次郎が、日比谷公会堂で刺殺されるなど、様々な事件が起きました。このような時代を背景として、本作は戦後日本で起きた複雑怪奇な未解決事件の真相に迫り、「GHQ(連合国軍総司令部)」の暗部を浮き彫りにしています。

 現代から見てもこの作品は、未解決事件を通してGHQの内部抗争を描いた点が新鮮です。特に日本の反共化を重視するG2(参謀第二部)と民主化を重視するGS(民政局)の対立が、日本の戦後史に与えた影響について生々しく描かれています。池田勇人内閣が「所得倍増計画」を打ち出した時代に、戦後日本でタブーとされてきた「GHQの闇」に切り込んだ点に、松本清張らしい反骨精神が感じられます。本作は1960年という戦後日本の分岐点と言える年を象徴する作品となり、官庁や警察発表をもとにした新聞報道とは一線を画す「文春ジャーナリズム」を確立しました。論壇と文壇を架橋する筆致に学ぶことが多いです。

https://www.nishinippon.co.jp/item/n/996513/

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 先週は「九州芸術祭文学カフェ@長崎県美術館」と明治大学図書館の「書評の書き方講座」がどちらも盛況で、ひと仕事終えた感じがしました。
 九州芸術祭文学カフェについては後日、取材記事が出るかと思います。長崎で家族と良い時間を過ごすことができました。西九州新幹線は洗練されたデザインが素晴らしく、子供たちも喜んでいました。
 先週、英字論文の査読も無事通り、今年のニュースの解析・分析の研究成果の公表もひと段落という感じです。出稿時で17ページほど、大学からの外国語学術論文校閲料の助成も得られました。
 今月は、先週、試写を観た映画の長めの批評と、松本清張連載の後半の作業に取り組んでいます。村上春樹さんがノーベル文学賞を獲得した場合のみ掲載される原稿もありますが、数年塩漬けになっていますので、今年もどうでしょう。

2022/10/03

「没後30年 松本清張はよみがえる」第10回『昭和史発掘 三・一五共産党検挙』

  西日本新聞の連載「松本清張はよみがえる」第10回(2022年10月3日)は、『昭和史発掘』より「三・一五共産党検挙」について論じています。担当デスクが付けた表題は「拷問の経験も下地 思想弾圧の内情描く」です。『昭和史発掘』については社会史から、「2.26事件」や「スパイ"M"の謀略」も検討しましたが、昭和維新期のことは『神々の乱心』と被るのと、スパイM(三船留吉)が暗躍した時期の日本共産党は、福本和夫や佐野・鍋山がおらず、思想史的にはあまり考えるべきことがないため、「三・一五共産党検挙」を選びました。大森銀行ギャング事件などを活写した『日本共産党の研究』などの著作で知られる立花隆とのmatch-upです

 松本清張は1929年(昭和4年)に小倉警察署で「思想犯」として拘留され、特高に竹刀で拷問をされた経験を持ちます。八幡製鉄所で働いていた文学仲間が、非合法に出版されていた「戦旗」を読んでいたことから、同じグループだと見なされたわけです。「戦旗」は1928年(昭和3年)の三・一五共産党検挙の直後に、文学面での共産主義者の機関誌として発行された文芸誌で、小林多喜二が「蟹工船」を発表したことで広く知られています。

 ただ当時19歳だった松本清張は、共産主義への関心は全く持っておらず、印刷所の見習工として必死で図案の勉強していました。彼は家が貧しいため中学校に通うことができず、借金取りに追われる父を見ながら「文学などやっていられない、早く生活を安定させなければ、一家が路頭に迷う」(「半生の記」)と考えていました。

 小林多喜二は個人的に好きな作家で(全集も所有していますが)、「蟹工船」も良いですが、「党生活者」が瑞々しい筆致で、素晴らしいです。

 昭和維新期の左右のイデオロギーについては、下の「実録・共産党 日本暗殺秘録 解説」に記しています。個人的には、戦前の共産党では三・一五検挙の後、出所して、柳田国男に私淑し、『日本ルネッサンス史論』や『日本捕鯨史話』を記した、福本和夫に関心があり、いつか何か書くつもりでいます。

https://makotsky.blogspot.com/2009/10/blog-post.html

【昭和史発掘 三・一五共産党検挙】拷問の経験も下地 思想弾圧の内情描く

没後30年 松本清張はよみがえる(10)

https://www.nishinippon.co.jp/item/n/996038/

2022/09/27

「没後30年 松本清張はよみがえる」第9回『神々の乱心』

  西日本新聞の連載「松本清張はよみがえる」第9回(2022年9月26日)は、清張の未完の遺作『神々の乱心』について論じています。担当デスクが付けた表題は「新興宗教通して描く 見えざる宮中の暗部」です。新興宗教との関連で、担当デスクに前倒しのリクエストで(苦労して)書いた原稿で、「日本暗殺秘録」「昭和の天皇」(未映画化)「仁義なき戦い」などの脚本家・笠原和夫とのmatch-upです。文庫の上下で千ページ近いこの作品について4枚弱で論じるのはなかなか大変でした。

 満州事変が起きた2年後の1933年の日本を舞台に、新興宗教・月辰会研究所と宮内省の女官たちの関係を創作的にひも解いた作品で、一部の識者には高く評価されていますが(原武史先生の歴史的な文脈を補足した見事な批評がありますが)、普通に小説として読むと評価が分かれる作品だと思います(82歳の作家の作品としては間違いなく凄いです)。1960年代に発表された作品のように、めくるめく事件が引き起こされるスリリングな小説ではないですが、新興宗教を通して昭和維新期の不穏な空気を巧みにとらえています。

 神器を用いた「シャーマニズムの信仰」の根源に迫る内容で、大正天皇の妃である貞明皇后と、昭和天皇の妃である香淳皇后の対立を創作的に織り込むなど、一般にタブー視されてきた大正~昭和初期の「皇室内の対立」について、切り込んでいます。「昭和史発掘」と同じく週刊文春の連載で、週刊誌の連載を執筆しながら82歳の生涯を閉じた点に、松本清張の物書きとしての気魄が感じられます。

 時代は軍人や超国家主義者や宗教家などが国家改造を目指した昭和維新の最中で、前年の1932年には血盟団事件が起き、井上準之助前蔵相や三井財閥を率いる団琢磨が暗殺され、その後、五・一五事件が起き、犬養毅首相が暗殺され、政党政治が終わりを迎えていた頃です。原稿を書きながら、みすず書房の『現代史資料』を毎週1巻ずつ読んでレジュメを書いていた院生時代のことを思い出し、新興宗教と近現代日本の関係について、改めて考えさせられました。

https://www.nishinippon.co.jp/item/n/993266/

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 所属学会(IAMCR International Association for Media and Communication Research)がすべての会員を対象に下のようなメンタル・ヘルスに関する調査をアナウンスしていて興味深かったです。LMU München(ミュンヘン大学)とAarhus University(オーフス大学)のチームが進めているサーベイで、調査対象はポスドク研究者だけではなく、すべての年齢のテニュア教員を含む「Faculty members and PhD students around the world」です。回答してみたところ、質問そのものは目新しいものではなく、臨床心理学で一般的な量的調査でしたが、複数の国際学会で実施しており、大規模なデータが出ると思うので、調査結果を参考にしたいと思います。

 国際的にはメディア研究は心理学と近いので、よいサポートだと思いました。考えてみれば、ほぼ毎年参加していたIAMCRで、相当な時間をコミュニケーションやネットワーキングに費やしていた訳で、「mental health issues, including anxiety, depression, and burnout」が生じているという記載も、理解できます。新型コロナ禍で、国際共同研究や役職等での手伝いも、ストレス軽減のため断らざるを得ず、こういう調査に至る状況はどの国も同じだと実感しました。

https://iamcr.org/news/mental-health-survey

Mapping the State of Mental Health of Media and Communication Scholars

Dear members of IAMCR,

Recent evidence on the state of mental health among academics suggests that we need to be concerned. Faculty members and PhD students around the world run a considerable risk of developing mental health issues, including anxiety, depression, and burnout, at some point in their career. The structural conditions of academic work, such as high publication pressure, fierce competition, and a culture of constant evaluation, may well contribute to the problem; and the pandemic has clearly intensified it.

As an association of scholars, IAMCR wants to take these concerns seriously. In order to identify adequate responses to the problem, however, we first need to get a sense of the scale of the problem in our field...