2023/02/15

「没後30年 松本清張はよみがえる」第36回「天城越え」

 西日本新聞の連載「松本清張はよみがえる」第36回(2023年2月15日)は、松本清張が川端康成の名作を念頭に置き、スリリングな推理小説に仕上げた初期の名短編「天城越え」について論じています。担当デスクが付けた表題は「ブラック清張の名作 川端の代表作に対抗」です。毎回、9×9文字で担当デスクに上手いタイトルを付けて頂いています。『海炭市叙景』や『そこのみにて光輝く』などの作品で、地方に住む若者たちの「青春の影」を描いた佐藤泰志とのmatch-upです。

 天城越えとは、伊豆半島の中央を南北に縦断する「下田街道」を通り、三島と下田の間にある難所「天城峠」を越える旅路です。伊豆が温泉地であることから、そこには甘美な旅情が宿ります。1904年に日本初の石造道路トンネル「天城山隧道(ずいどう)」が開通し、1927年刊行の川端康成の「伊豆の踊子」で取り上げられ、知名度を高めました。川端の「伊豆の踊子」は伊豆旅行を象徴する作品として繰り返し映画化され、松本清張の「天城越え」は1983年に渡瀬恒彦、田中裕子、樹木希林の出演で映画化されています。

「伊豆の踊子」の「私」が下田街道の途中で旅芸人一座の踊子に惹かれたように、本作の「私」も派手な着物をまとう娼婦に惹かれ、心細い道行きを共にします。川端が子供のように純真な少女を描いたのに対して、清張が粗暴さで知られる若い女を描いている点に、社会の下層を生きる人々を知る清張らしさが垣間見えます。

 川端康成の「伊豆の踊子」の瑞々しさとは正反対のどろどろした読後感に「ブラック清張」らしさを感じる作品です。踊り子の少女に純粋さを見出す川端の筆致とは異なって、世間ずれした女に、過去に目撃した「母親の不貞」を見出している点が、本作の「暗い魅力」と言えると思います。川端は私も好きな作家で、後期の『山の音』『みづうみ』『眠れる美女』あたりの、戦後日本の退廃と「魔界」を接続している凄みのある作品が好みです。

https://www.nishinippon.co.jp/item/n/1054159/

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 Super Bowl LVII、素晴らしい試合でした。怪我した足に容赦のないタックルを食らい、片足を引き摺っていたMahomes君が、35-35で迎えた4Q残り2分から、30ヤード走って試合を決めるという(LBもDBも完全に予想外という感じ)、実にエモーショナルな試合でした。敗れたHurts君も素晴らしく、オープニングのChris Stapleton(グラミー賞8回、苦労人)のNational Anthemが良すぎて、Eagles HCのNick Sirianniが早々に泣いてしまった点に、敗因があったと思います。Hurts君のような超優良QBが育つと、HCの年俸として20億円×10年=200億円ぐらいは保証されるので、涙する気持ちは良く分かりますが、まさか試合前に泣くとは。

Chris Stapleton Sings the National Anthem at Super Bowl LVII

https://www.youtube.com/watch?v=WFKXJ091Ed4

NFL Super Bowl LVII Mic'd Up, "we have to put up 7"

https://www.youtube.com/watch?v=r0sl7jsbWUc

2023/02/10

「没後30年 松本清張はよみがえる」第35回『歪んだ複写』

  西日本新聞の連載「松本清張はよみがえる」第35回(2023年2月10日)は、朝日新聞に20年間務めた松本清張らしく、警察や探偵ではなく、新聞記者が殺人事件の謎を解明していく『歪んだ複写』について論じています。担当デスクが付けた表題は「税務署員の贈賄暴く 記者たちの粘り強さ」です。毎回、9×9文字で担当デスクに上手いタイトルを付けて頂いています。元新聞記者の主人公が、人気ゲームを開発した女性の失踪事件を解明していく塩田武士の『朱色の化身』とのmatch-upです。

 日中戦争が勃発した1937年、朝日新聞社は大陸の動向を知るための「前線基地」として小倉市に九州支社の新社屋を建設しました。松本清張が朝日新聞社で働き始めたのはこの年です。新婚だった清張は家族を支えるべく、高等小学校卒の履歴書を面識のない支社長に送り、仕事を得ました。同僚だった岡本健資は「こんな入社の仕方をした男は、東西の朝日新聞社員の中でも、おそらく彼一人ではないだろうか」と述べています。清張は亡くなるまで製図台の上で原稿を書いていましたが、この執筆スタイルは新聞社で広告の版下を描いていた頃に身に着けたものです。

 1960年に所得額で作家部門1位になった清張の「高額納税者らしい怒り」が伝わってくる内容です。当時、一部の税務署員は、金品を贈与されたり、接待を受ける見返りに、税金を減額したり、納税期日を遅らせたり、差し押さえの物件の便宜を図るなど、様々な汚職に手を染めていました。本作は税務署員の悪行を「社会派ミステリ」として暴いた内容で、松本清張らしく同時代の社会の腐敗を告発した「問題作」と言えます。

 連載35回を迎え、松本清張の代表作を大よそ網羅してきました。高度経済成長期の作品が多めですが、晩年の秀作も厳選して取り上げていきます。映画・ドラマ化された「忘れられた名作」も取り上げていきます(個人的に昭和の日本映画が好きなので、中古で収集したマニアックな映像作品にも言及しつつ、メディア史的な文脈も織り込んでいきます)。骨折の影響で終盤の進行が遅れ気味ですが、松本清張が残した仕事(清張山脈)の大きさに、日々、勇気付けられています。

https://www.nishinippon.co.jp/item/n/1052085/

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 今週末のSuper Bowl@Phoenix, Arizonaは、初のアフリカ系QBの対決(Patrick MahomesとJalen Hurts)で、二人のQBの平均年齢がこれまでで最も若いカードとなりました。多彩なパスとランで「新時代」を感じさせる第1シード対決で、誰もが納得の好カード。「新時代」のSuper Bowlとしては、スーパーマーケットのバイトを辞めてプロになったKurt Warnarと、ドラフト6巡199番目、4番手のQBから這い上がった若きTom Bradyが対戦した、同時多発テロ直後の2002年のSBを思い出します。SBは世界で最も視聴者数の多いメディア・イベントということもあり、ハーフタイムショーやCM、街の中継も含め、楽しみにしています。college footballのGame Dayも含め、アメリカらしい「地域行事」で「グローバル・イベント」と言えます。

Kansas City Chiefs vs. Philadelphia Eagles | 2023 Super Bowl Game Preview

2023/02/07

「没後30年 松本清張はよみがえる」第34回「菊枕」

  西日本新聞の連載「松本清張はよみがえる」第34回(2023年2月7日)は、高浜虚子を師と仰ぎ、女性俳人として活動した杉田久女をモデルとした最初期の短編「菊枕」について論じています。担当デスクが付けた表題は「杉田久女をモデルに 行動的な女性像示す」です。毎回、9×9文字で担当デスクに上手いタイトルを付けて頂いています。『赤朽葉家の伝説』で故郷の山陰地方を舞台に、製鉄業を支える女性たちの姿を描いた桜庭一樹とのmatch-upです。

 杉田久女をモデルに、華麗、奔放と称される俳句の才能を持ちながら、師の虚子やその弟子たちと折り合いが付かず、小倉で不遇の人生を送った久女を想起させる「ぬい」の生涯を描いた作品です。前年に書かれた「或る「小倉日記」伝」の女性版という趣きの作品で、癇癪を起こしやすく、不器用な「ぬい」が、中央で評価されず、「ホトトギス」を連想させる雑誌「コスモス」の同人として除名されるに至る経緯をひも解きます。

 同系統の短編は他にも幾つかあり、論争的な性格で、不遇のまま34歳で亡くなった考古学者・木村卓治の人生を描いた「断碑」や、福岡県の田舎の中学教師・畑岡謙造が、史跡調査に来た帝大教授に才能を見出され、不倫によって身を持ち崩す「笛壺」などが評価が高いです。これらの作品は、叩き上げの登場人物たちが地道な努力をして、新しい成果を上げながら「感情の訛り」が災いして、失脚するという共通した物語構造を持ちます。

 本作では「ぬい」が自己の人生を卑下してヒステリーを起こしたり、梅堂に常軌を逸した内容の手紙を大量に書き、亡くなるに至る「悲劇的な姿」が強調されています。ただ「ぬい」が「無気力な貧乏教師の妻」という引け目を乗り越え、先駆的な女性俳人として中央の俳壇に切り込んでいく姿には、41歳でデビューした松本清張自身の姿が重なって見えます。

https://www.nishinippon.co.jp/item/n/1050619/

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 45歳のTom Bradyがついに引退し、FOXの解説で10年$375 millionの契約(1年あたり約50億)。2年前に42歳で引退したDrew Breesと共に、四半世紀近くリーグを盛り上げてくれました。BradyとBreesはミシガン大学とパデュー大学時代のライバルで、ドラフト時に評価の低かった2人が、20年以上も活躍し、QBの歴代記録を塗り替えていく姿を観れたのが、同年代の人間として嬉しかったです。

Tom Brady & Drew Brees talk after their last time facing each other | "It was fun" - Drew Brees

https://www.youtube.com/watch?v=yc9Rqvb9gcA

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 膝蓋骨骨折のリハビリは、日々、痛みとの闘いですが、何とか手術後のひと月を乗り切ることができました。世の中には思いの外、足を悪くしている方々が多くいて、ちょっとした段差が危なかったりするので、バリアフリー(心のバリアフリーも含む)が大事なことに、実地で気付かされています。

2023/02/06

「没後30年 松本清張はよみがえる」第33回『波の塔』

 西日本新聞の連載「松本清張はよみがえる」第33回(2023年2月6日)は、夫婦とは何かを考えさせる人気作『波の塔』について論じています。担当デスクが付けた表題は「時間の重み共有する 大人の黒い恋愛小説」です。毎回、9×9文字で担当デスクに上手いタイトルを付けて頂いています。信仰に近い愛情を抱く「私」の際どい日常を描いた江國香織の代表作『神様のボート』とのmatch-upです。

 この小説が刊行された1960年、松本清張は『日本の黒い霧』などの大ヒット作に恵まれ、所得額で作家部門の1位となります。翌年、52歳の清張は、東京都杉並区上高井戸(現・高井戸東)に約600坪の自宅を新築し、82歳で亡くなるまでこの地に居を構えることになります。高井戸の新居は井の頭線の線路沿いの広大な三角地にあり、線路沿いの三角の庭に胸を張って立つ清張の有名な写真は、電車の騒音をものともしない作家の「図太さ」を雄弁に物語っています。

「波の塔」は松本清張の長編としては珍しく、人が殺される場面のない作品で、「女性自身」に連載された小説らしく、自由恋愛に殉じていく「精神的に自立した女性」を描いています。訳ありの過去を持つ美女が、一人で富士の樹海に入り、自死を遂げるラストは、「ゼロの焦点」の「山版」と言えるの内容で、本作は「自殺の名所」として青木ヶ原の名を世に知らしめました。

「どこにも出られない道って、あるのよ、小野木さん……」と小説の序盤で頼子が口にするセリフが、読後の印象に強く残ります。青木ヶ原の樹海を暗示する「どこにも出られない道」という表現が、戦中・戦後の困難な時代に生まれ育った小野木と頼子の「暗い青春」を象徴的に物語り、「時間の重み」を感じさせます。



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 LGBTQ+αの方々の人権について、以前に監訳を担当した日本の現代文化を「L」の視点から批評したBBCの番組が、参考映像としてお勧めできます。Sue Perkins(スー・パーキンス)は、英語圏では「L」であることをカムアウトしている有名人の一人です。BBCらしいアングルですが、スーの視点からは、日本の文化では海女や女子相撲への評価が高く、芸妓や巡礼文化はニュートラル、労働環境やKawaii文化への評価が低いです。日本語訳する上でも、このニュアンスはそのまま残しました。

BBC スー・パーキンスとさぐる現代日本の多様な文化 [Japan With Sue Perkins] 
(教育機関や図書館向けのDVD。サンプル映像あり)

 昨年刊行した『現代文学風土記』でも『最後の息子』『きらきらひかる』『生のみ生のままで』など、LGBTQ+αの登場人物たちの心情を描いた作品を取り上げています。現代小説を通して、外見ではなく内面から、非日常ではなく日常の視点から、現実感を拡げる意味は大きいと思います。直木賞候補の一穂ミチさんの『光のとこにいてね』も、「L」の恋愛小説として優れた作品なので、本屋大賞を獲得することを願っています。

2023/02/02

「没後30年 松本清張はよみがえる」第32回『連環』

 西日本新聞の連載「松本清張はよみがえる」第32回(2023年2月2日)は、松本清張が画工として九州北部の印刷所で下積みしていた頃の経験を踏まえて書いた『連環』について論じています。担当デスクが付けた表題は「印刷所時代に培った 面白さ追う職人気質」です。毎回、9×9文字で担当デスクに上手いタイトルを付けて頂いています。編集者の女性と高校教師の父親とのやり取りを通して、文芸出版の舞台裏を描いた北村薫の『中野のお父さん』とのmatch-upです。

 松本清張が14歳で初めて就職した川北電気・小倉出張所は、昭和恐慌の影響で閉鎖の憂き目にあいます。当時、清張は仕事の合間に文芸書を読みながら働く「気の利かない給仕」だったため、最初の人員整理で「お払箱」になりました。失業者した彼は「画工見習募集」の貼り紙を見て、19歳から見習いとして小倉市の高崎印刷所で働くことになります。九州北部の印刷所で働き、神田の出版社の社長となる主人公・笹井誠一の物語は、高崎印刷所で働き、日本を代表する作家となった松本清張の人生と部分的に重なって見えます。

 40歳を超えて作家としてデビューするまで、彼が「画工職人」として働いていたことを考えれば、「西郷札」が週刊朝日の「百万人の小説」に入選しなければ、松本清張は生涯を一職人として終えていた可能性が高いと思います。小説の面白味を追及する「職人」のような気質は、清張が画工時代に培ったものです。

 松本清張は貧しい家庭で生まれ育ち、文学を愛しながら、家族を養うために画工として腕を磨きました。彼は作家として世に出たのちも「職人」としての矜持を持ち、「物語の面白さを追求した作品」を次々と世に送り出すことで、「高度経済成長期」を代表する作家になったのです。

 今週は2本の掲載でしたが、次週は3本の掲載予定です。寒い中でのリハビリは文字通り「骨が折れます」ね(骨が折れてるわけですが)。

https://www.nishinippon.co.jp/item/n/1048552/

2023/02/01

「没後30年 松本清張はよみがえる」第31回『影の車』

  西日本新聞の連載「松本清張はよみがえる」第29回(2023年2月1日)は、「万葉翡翠」や「潜在光景」などの短編を収録した松本清張の代表作の一つ『影の車』について論じています。担当デスクが付けた表題は「時代の変化に戸惑い 「人間の業」強く肯定」です。毎回、9×9文字で担当デスクに上手いタイトルを付けて頂いています。『ラブレス』などで、北海道の開拓地を生きる人々が、戦前・戦後の時代に経験してきた生活や価値観の変化を描いた桜木志乃さんとのmatch-upです。

 松本清張は戦争を挟んで変化した人々の「生活に根差した心情」を描くのが上手い作家です。食うや食わずの時代を生き延びた自身の経験を踏まえ、真犯人を含む登場人物たちが経験してきた人生の大きな変化を、背後から抱擁するように肯定してみせます。

 本作の代表作といえる「万葉翡翠」は、万葉集の歌「渟名河(ぬなかは)の 底なる玉 求めて 得まし玉かも 拾ひて 得まし玉かも 惜(あたら)しき君が 老ゆらく惜しも」をめぐる、大学の考古学研究室を舞台にしたミステリです。長らく日本で産出しないと考えられてきた翡翠が、1935年に糸魚川で「再発見」され、考古学上の大発見となったことを、学生の失踪事件と絡めて、巧みに小説の題材としています。「万葉考古学」を好んだ松本清張らしい切り口で、フォッサマグナによって生み出された翡翠が、縄文時代から奈良時代までこの地域で産出されてきた「壮大な史実」がひも解かれていきます。

https://www.nishinippon.co.jp/item/n/1047975/

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 Super BowlはMahomes君のKansas CityとHurts君のPhiladelphiaの好カードとなり、楽しみです。骨折のリハビリ中ということもあり、片足を引き摺りながらchampionshipを勝ち上がったMahomes君を応援しています。お父さんが横浜ベイスターズのピッチャーだったので、日本に滞在していた点でも親近感が持てます。父親譲りのサイドスローやアンダースローなど多彩な投球が面白いです。一年で60億円近い年俸で、KCの街の魅力を高めたリーグを代表する選手です。

Next Gen Stats: Patrick Mahomes' 10 Most Improbable Completions Going into Super Bowl LVII(*パスの成功確率はAmazonのAWSが機械学習で計算した予測モデルの数値)

 バルバドス出身のRihannaのハーフタイムショーにも期待しています。女性の単独では、トランプ当選直後に「分断」と「融和」を表現した2017年のLady Gaga(*LGBTQのBであることをカムアウトしているので厳密には女性ではない)@Houston以来。2年前のShakira & J. Loが攻めた演出で高視聴率だったこともあり、Katy Perryの時みたく3DCGで生中継するような新しいテクノロジーを使った演出に期待しています。マイノリティの立場から社会問題に関してどのような表現をするのかという点にも注目しています(Lady GagaやKendrick Lamerのように、スーパーボウルのハーフタイムショーでは、音楽を通して社会問題と対峙するミュージシャンが多いです)。
 個人的に女性ミュージシャン単独のハーフタイムショーで評価が高いのは、2013年のBeyonce@New Orleansです。ハリケーンからの復興イベントでしたが、後半に停電したのはBeyonceが電気使い過ぎたせいと噂されたものです。

Beyoncé - Super Bowl 

2023/01/27

「没後30年 松本清張はよみがえる」第30回『花実のない森』

 西日本新聞の連載「松本清張はよみがえる」は30回の節目を迎えました。第30回(2023年1月27日)は、万葉集の歌の解釈をめぐるミステリ小説『花実のない森』について論じています。全集未収録のややマニアックな作品です。担当デスクが付けた表題は「万葉と古代の恋情 ユニークな貴族小説」です。毎回、9×9文字で担当デスクに上手いタイトルを付けて頂いています。皇室に親しみを抱き、裏切られる福島の出稼ぎ労働者の半生を描き、全米図書賞(翻訳部門)を獲得した柳美里の『JR上野駅公園口』とのmatch-upです。

 松本清張は「万葉集」を通して古代の人々の生活や心情を知ることを趣味の一つとしていました。「万葉集」は、8世紀前後に編纂された約4500首を集めた日本最古の歌集で、九州から東北まで様々な土地を舞台に、天皇から農民まで様々な階層の人々の歌を収録し、当時の人々の「感情」を総体として記録しました。「万葉集」を題材とした清張作品は、本作に限らず「万葉翡翠」や「たづたづし」などがあり、清張は古代史への興味の延長で「万葉集」に文学的な関心を抱いていました。

 白壁の町並みで知られる山口県の柳井市の描写も本作の大きな魅力の一つです。そこは「佐伯祐三描くところのパリの裏町風景」にたとえられています。柳井市を含む旧周防国(長州藩)は、伊藤博文をはじめとして明治維新の立役者を数多く輩出したため、華族に連なる名家を抱えてきた歴史を持ちます。

 本作は「婦人画報」に1962年から63年まで連載された小説です。59年に行われた皇太子明仁親王と正田美智子の成婚パレードに象徴される「ミッチー・ブーム」を下地にした作品だと私は考えています。後に平成天皇となる明仁親王は、特定の旧華族から妃を迎える皇室の慣習を破り、平民の妃・美智子を娶る決断をしたことで、元皇族や旧華族から「貴賤結婚」だと批判されましたが、国民からは喝采を浴びました。

『花実のない森』は、高度経済成長期の日本を舞台に、旧華族の血を引く女性の奔放な姿を描いた点がユニークで、一般にタブー視されてきた「皇室内の対立」を描いた『神々の乱心』に繋がる松本清張らしい「貴族小説」だと思います。

 次週は3回掲載予定です。松本清張の作品の分析を通して、現代日本の(無意識的な)「文化的な価値の形態」のルーツに迫るような総合的な批評を展開できればと考えています。1月は骨折・脱臼の療養とリハビリで時間と体力を失っていたので、2月は集中力を高めて挽回していきたいと思います。

https://www.nishinippon.co.jp/item/n/1045928/

2023/01/18

第168回直木賞を展望(西田藍さんとの対談)

 西日本新聞朝刊(2023年1月18日)に、第168回直木賞について、文芸アイドルで書評家の西田藍さんと対談した記事が掲載されました。前回の対談では、同じ歳の永井紗耶子さんの『女人入眼』を推し、惜しくも決選投票で過半数に届きませんでしたが、初候補としては大健闘でした。

 今回私が推した2作品についての対談用のメモは下記です(対談の内容とは異なります)。西田藍さんと同じ作品の予想になりました。今回は力のある候補作が多く、全体として読み応えがありました。

第168回直木賞を展望 酒井信さんと西田藍さんが候補5作を語る

https://www.nishinippon.co.jp/item/n/1041833/


一穂ミチ『光のところにいてね』

・登場人物は少ないが、心情を掘り下げる深度が深く、儚い生を全うする現代人の感情の源泉に迫っている。女性二人の強いきずなを描く。

・ヤングケアラーと言える女性・果遠が経験してきた人生の浮き沈みと、母が逃げ、祖母に虐待されてきたことへの愛憎入り混じる複雑な感情を、オリジナリティの高い文章で浮き彫りにしている。

・前回の候補作『スモールワールド』と比較しても、文学的な感覚が洗練され、長編小説として完成された印象。

・「光のところにいてね」など、物語の核となる文章の使い方が上手く、芥川賞の受賞作と比べても遜色ない、高い文学性を感じる。

・和歌山県串本町という本州最南端の土地を舞台にした情景の描き方も上手く、視覚的な風景描写も巧み。終盤の雨の中のドライブと晴れの中のドライブが、鮮烈な印象を残す。

・LGBTQの「L」のカップルを描いた優れた作品として、綿矢りさの『生のみ生のままで』が思い浮かぶが、この作品と比較しても全く見劣りしない。

・本屋大賞向きの作品でもあり、映画化にも期待してしまう。


小川哲『地図と拳』

・満州の架空の町・仙桃城を舞台に、未知の土地を夢想する人類の欲望に迫った大作。

・石原莞爾と近い関係にある満鉄の細川が、仙桃城を「虹色の都市」にするという構想が敗れていく姿を描く。

・虹色の7色とは、満州民族、漢民族、日本人、ロシア人、朝鮮人、モンゴル人、死者。

・2022年の出生数が80万人を割り込む現状では、ドイツやオランダ、イギリスなど他の先進国と同様に移民の受け入れは不可避。日本国内に「虹色の都市」を築けるかという問いは、日本の未来に向けた問いでもある。

・「未来を予測することは、過去を知ることの鏡なのではないか」という問いは、日中戦争の時代と同様に、エネルギー自給率の低い現代日本にも通じる問い。日本が豊かな国であり続けられる条件とは何か、という問いでもある。

・人類の無力さに起因する、限られた居住可能な土地をめぐる争いは、現代世界でも進行している。「国家とは地図である」という身も蓋もない事実を、身近な史実として実感させる「時代小説」。松本清張が名作『球形の荒野』で描いた「中立国を介した終戦工作」に繋がるリアリティがある。

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 Tom Bradyのシーズンが終わり、NFLは若いQBのPlayoffになりましたが、今年FAということもあり、Bradyの移籍先をめぐる報道が次々と出ていて、楽しみです(NY JetsかLas Vegas Raidersに期待)。今シーズンは45歳ということもあり、勝率はワーストでしたが、地区優勝を決めた最終戦が鮮烈な印象を残しました。EvansへのCollege FootballのようなTD3つと、頭から突っ込んで1ヤードを獲りに行ったQB Sneakは、さすがGOATという内容。

Tom Brady's 3 Most Improbable Completions to Mike Evans vs. Panthers

https://www.youtube.com/watch?v=T7MD4KQhaA4

Tom Brady's 4th quarter QB Sneak in win 

https://www.youtube.com/watch?v=rwCzBKWMwRU

 2023年のSuper BowlのハーフタイムショーはPepsiからAppleにスポンサーが変わり、バルバドス出身のリアーナとか。昨年のギャングスタ・ラップの毒気が強かったので、Shakira & J. Loのマイノリティ路線に戻った印象。

Rihanna Is Back | Apple Music Super Bowl LVII Halftime Show

https://www.youtube.com/watch?v=0zHjohM7Obk

 SBのハーフタイムショーについては、授業でこれまでの歴史や開催都市、ミュージシャンの出自、歌詞の意味を踏まえて、解説をしていますが(アメリカの歴代視聴率の上位をSBが独占しているため、現代のメディア史を考える上で重要)、リーマンショック直後のBruce Springsteen(当時、60歳)のパフォーマンス@Raymond James Stadium, Floridaが近年ではベストです。Working on a dreamで、アラスカと思しき北国で働く労働者について歌った後に、名曲Glory DaysをFootball用に歌詞を変え、「プロになれなかった人々」を称えながら、コメディ調で〆るあたりが、彼が全米一のパフォーマーと言われる所以だと思います。ステージにスポンサーを付けることを拒み、高齢化するEストリートバンドを雇用し続け、新型コロナ禍でも新譜を出して、今年も世界ツアーを組んでいます。村上春樹が批評文を書く気持ちが良く分かります。

Bruce Springsteen - Superbowl Halftime Show HD 2009 XLIII NFL

https://www.youtube.com/watch?v=i4-0nbHFi4o

 2009年はBruce Springsteenの当たり年で、アカデミー賞候補になったThe Wrestlerのテーマや@Hyde Parkのライブが素晴らしかったです。「アメリカの脇の下」と呼ばれるニュージャージー出身らしい汗臭く、カロリーの高いパフォーマンスと、ボブ・ディランの後継者と言われ、レイモンド・カーヴァーを彷彿させる物語性のある歌詞が良いです。

No Surrender (London Calling: Live In Hyde Park, 2009)

https://www.youtube.com/watch?v=LXwJMXo2mXc

2023/01/10

「没後30年 松本清張はよみがえる」第29回『北の詩人』

 西日本新聞の連載「松本清張はよみがえる」第29回(2022年1月10日)は、松本清張と一歳違いのプロレタリア詩人・林和(イム・ファ)が、朝鮮半島で経験した「孤独な闘争」を描いた『北の詩人』について論じています。担当デスクが付けた表題は「南北朝鮮に消された 悲劇の文学者の生涯」です。毎回、9×9文字で担当デスクに上手いタイトルを付けて頂いています。元プロボクサーで朝鮮総連の筋金入りの活動員だった父親の「転向」を描いた金城一紀の『GO』とのmatch-upです。

 林和は、戦前に朝鮮プロレタリア芸術同盟(KAPF)の中央委員や書記長を務めましたが、日本の警察の弾圧が強まり、KAPFを解散することを余儀なくされた経験を持ちます。戦後は「朝鮮文学」の復興を目指して協議会を組織しましたが、南朝鮮を統治していたアメリカ軍政庁と関係を深め、北朝鮮に追われた後、「アメリカのスパイ」として1953年に処刑されてしまいます。

 林和は日本に短期留学をした経験があり、この経験を踏まえて、1929年に中野重治の「雨の降る品川駅」に応答した詩「雨傘さす横浜の埠頭」を書いたことで知られます。名作「雨の降る品川駅」は、プロレタリア文学運動に関わっていた中野重治が、朝鮮半島に送還される人々との別れを描いた詩で、共産主義の本質が、インターナショナル(国際的な連帯)にあったことを文学的に物語る作品です。

 松本清張は戦時中に京城(ソウル)近郊の竜山に滞在した経験があるため、同じ時代を身近な場所で生き、数奇な運命を辿った文学者・林和に「隣人」として関心を抱いたのだと思います。この作品は「日本の黒い霧」の朝鮮半島版としても読むことができる興味深い作品です。

https://www.nishinippon.co.jp/item/n/1038468/

2023/01/07

膝蓋骨骨折と肩の脱臼

  新年早々、スロープ歩行時に縁石に足が引っ掛かり、勢いよく宙に投げ出されて転倒してしまい、膝蓋骨骨折(複雑骨折)と肩の脱臼という診断を受け、手術入院しました。骨折も脱臼もはじめてで、手術前の2日と手術後の1日は滅茶苦茶痛かったですが、骨は折れても心は折れず。経験したことのない怪我とリハビリを実地で学ぶよい機会になったとポジティブに考えています。理学療法士と二人三脚で日常の動きを取り戻していく時間は得がたいもので、療養とリハビリを支えてくれる家族にも多謝です。

 手術は無事に終わり、写真のとおり左膝に金属2本とワイヤーが入った状態で、一年ほどは空港の保安検査場で音がなると思いますが、快調です。膝の皿が割れた時の音と振動は未だによく覚えていますが、頭を庇って肩から落ちることができたのが不幸中の幸いでした。手術後2日半後から、ようやく松葉杖をついての歩行と、短い距離の二足歩行ができるようになりました。これから1~2か月かけて、松葉杖なしの歩行と階段の上り下りに向けた訓練をしていきます。

 過去に2度、今回よりヘビーな怪我で救急搬送された経験(footballでの怪我とバイク事故)があるため、何とかなるだろうと前向きに考えています。救急外来を受け入れている病院ということもあり、オペ室も最新で安心感があり、半身麻酔のため、前半はBluetoothで音楽を聴きながら、後半は執刀医以外の医師の皆さんと、(左ひざがぱかっと空いた状態で)同級生の外科医の話や脱臼のリハビリについて雑談をしながら、リラックスして手術を終えることができました。複数のモニターに重要な情報が次々と表示され、執刀医以外に3人の医師で確認していて、私もライブで説明を受けることができ、さすが地域拠点病院と思いました。新型コロナ禍で内科が混雑する中、外科の医療スタッフの皆さんに支えて頂き、心より感謝申し上げます。

 これからのリハビリを通して、子供たちに、困難な状況下でも、前向きな気持ちで出来る限りの努力をする大切さを伝え、怪我をした学生や、身体に不自由を抱える学生たちの心の支えになれるような経験を積めればと考えています。西日本新聞の連載「松本清張はよみがえる」は1月10日より、予定通りの再開です(病院でも平常通りゲラを戻し、先の原稿の準備をしています)。

膝のレントゲン写真です。2本の金属とワイヤーで割れた膝蓋骨を束ね、リハビリをしながら修復を待ちます。

ややグロい写真ですが、手術から二日半後の患部です。ひざ下をスマイルマーク状に切って膝蓋骨を補強しています。ペイントのようなものは手術時に使用したマーカーです。

手術から2日半後、右肩も脱臼しましたが往診中なので包帯は取っています。この日から固定具を付けて歩けるようになりました。