2018/06/17

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第12回 青来有一『爆心』

西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」の第12回(2018年6月17日)は、谷崎潤一郎賞と伊藤整文学賞を同時受賞した青来有一の代表作『爆心』について論じています。表題は「爆心地の普通の日々描く」です。
現在、先々の仕事のフィールドワークでUtah州の Salt Lake Cityに滞在していますが、「現代ブンガク風土記」は平常運転で続きます。

タイトルは「原爆文学」を想起させる重々しいものですが、ユーモラスで軽やかな筆致で書かれた作品で、爆心地で生活してきた人々に、ごく普通の青春があったことを物語っています。

例えば「石」では作業所で「ちゃんぽんセット」の箱折をしている「修ちゃん」が、入院している母親に「いっしょに神さまのところに行こうか」と心中を仄めかされて、同級生の政治家「九ちゃん」に相談に行く姿が描かれています。
「虫」では被爆した女性が、青春時代を回顧しながら、健康的な「憧れの佐々木さん」との一晩の情事について回想しながら、佐々木さんと結婚した同じ職場の女性に、歳をとっても嫉妬をし続ける姿が描かれています。

何れの作品も、被爆者を聖人のように描く従来の「原爆文学」と比べると、際どい表現に満ちていますが、読みやすく、面白い小説です。

爆心地の日常の中で、キリスト教徒の多い浦上地区に原爆が落とされたことを問いかける描写にも深みがあります。例えば「蜜」に登場する老人は「あの時に、主はこの空にいなかったのだろうな」、「主は人が愚かしい真似をしようとする時、ブレーキを踏んでくれるはずなんだが」と振り返っていますが、こういう書き方そのものが新鮮です。

手にとって読んでもらえれば、こういう小説を、現職の長崎原爆資料館の館長が記していることに、「原爆文学」の「現代文学らしい深化」を感じることができると思います。



2018/06/10

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第11回 青来有一『聖水』

西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」の第11回(2018年6月10日)は、第124回芥川賞受賞作、青来有一の『聖水』について論じています。表題は「土俗的信仰の忘却 告発」です。

青来氏は長崎市の職員から作家となった方で、長崎の爆心地近辺で育った経験から、長崎を題材とした作品を多く記しています。2010年から長崎原爆資料館の館長を務められています。

経歴から判断して「お堅い作風」と思われるかも知れませんが、「聖水」は自然食品店やリサイクルショップを経営する潜伏キリシタンの末裔が、「聖水」を独自のルートで販売しながら、土着的な信仰のあり方を問い返すという、刺激的で、面白い作品です。「オラショ(ラテン語で祈祷文の意味)」を唱える土俗的なキリスト教信仰を、実に上手く、現代小説として描いています。

先日、UNESCOの諮問機関のICOMOSが「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」について、世界文化遺産として「登録が妥当」との勧告を行いました。事実上の世界文化遺産としての決定です。ただこのリストには、長崎の原爆災害の象徴であり、多くのキリスト教徒の努力で再建された、浦上天主堂は含まれていません。

潜伏キリシタンの史跡が世界文化遺産に登録されたことは素晴らしいことだと個人的には感じていますが、原爆災害の象徴である浦上天主堂がそのリストから外れたことについては、思うことが色々とあります。機会があれば、長崎のキリスト教の文学史も踏まえて、原稿としてまとめたいと考えています。

「聖水」は、浦上の近くのキリスト教徒の内部の加害・被害関係を描いた、論争的な作品です。「潜伏キリシタン」や長崎・浦上のキリスト教徒の信仰を巡る、複雑な歴史について、現代文学として正面から向き合った作品で、長崎の近現代史に少しでも関心の向く方には、ぜひ手にとってほしい小説です。


2018/06/05

秋学期は3つの大学でゼミを担当します

今年の秋学期は、文教大学のゼミと卒業研究以外に、2つの大学でゼミを担当することになりました。

一つ目は、立教大学社会学部メディア社会学科の3年生向けの「専門演習2」です。この授業は黄盛彬先生の代講です。黄先生には、日本マス・コミュニケーション学会の国際委員会や英文ジャーナルの編集委員会でお世話になっています。

黄先生のご専門は、トランス・ナショナル化するメディアと世論やアイデンティティの形成に関する研究で、授業ではエドワード・サイードの『イスラム報道』やローリー・アン・フリーマンの『記者クラブ 情報カルテル』などの文献購読を行っておられますので、秋学期もこの内容を引き継いだゼミを行います。黄先生は物腰柔らかで、丁重なコミュニケーションをとられる方ですので、学生にも、そのようなコミュニケーション能力を身に付けてもらえるように、研究・発表の内容だけではなく、コミュニケーションの方法論にも着目した指導を行いたいと考えています。

二つ目は、武蔵大学社会学部メディア社会学科の4年生向けの「メディア社会学専門ゼミ4」と、4年生向けの「卒業論文・卒業制作」です。このゼミは、ワシントンD.C.にサバティカルに行かれる奥村信幸先生の代講です。奥村先生とは2016年のIAMCR@Lesterでカンファレンスや市内散策をご一緒し、その後、ロンドンでバーに行ったり、文教大学のメディア論でゲスト講義をお引き受け頂きました。

奥村先生のご専門は、ニュースとジャーナリズムやマルチメディアとジャーナリズムに関する研究で、私も授業でよく参照するビル・コヴァッチとトム・ローゼンスティールの著書も翻訳されています(『インテリジェンス・ジャーナリズム』)。奥村先生は行動力のあるアクティブな方で、英語圏のメディアの動向に非常に造形が深いので、学生にも、そのような国際教養を身に付けてもらえるように、英語圏のメディア分析やメディア社会学に関する理論に基づいた指導を行いたいと考えています。

何れのゼミのテーマも興味深く、大学教員としてよい教育機会となりそうです。
本務校の文教大学の学生にも刺激となるように、3大学のゼミで合同の研究発表会や、交流会も企画したいと考えています。

文教大学酒井信ゼミナール 卒業研究一覧



2018/06/03

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第10回 角田光代『空中庭園』

西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」の第10回(2018年6月3日)は、角田光代の『空中庭園』について論じています。表題は「『効率的な現代家族』先取り」です。

この小説は、多摩ニュータウンを想起させる東京郊外を舞台とした作品で、デフレと円高のお陰で建築資材が安価になり、公共投資が推進された平成期に浸透した、人工的な住空間=空中庭園に住む家族の姿を描いています。ショッピング・モールを中心とした住環境が全国に拡がり、家族と一緒に居ながらも、スマートフォンを通して別の人とコミュニケーションをとることが出来る、現代的な現実感を先取った作品といえると思います。
様々な嘘や隠し事を黙認した上で、「家族」と一緒に居た方が、効率的かつ快適に生きることができる、という内面の描写は、現代文学らしい表現だと思います。

この連載では、私が撮影した写真も多く掲載を頂いています。今回は映画版の「空中庭園」(豊田利晃監督)の舞台になったセンター北の駅前の写真を採用頂きました。

今回で「現代ブンガク風土記」は10回の節目を迎え、九州から北海道、東京郊外を舞台にした作品を取り上げてきました。
まだまだ「地方」を舞台にした多くの優れた現代小説は多く発表されていますので、拙文にご関心を頂ければ幸いです。


2018/05/28

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第九回 矢作俊彦『ロング・グッドバイ THE WRONG GOODBYE』

西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」第九回(2018年5月27日)では、矢作俊彦の『ロング・グッドバイ THE WRONG GOODBYE』について論じています。この作品は発表時にさほど話題になりませんでしたが、戦後の日米関係のあり方を問い返すような深みのある内容で、現代日本を代表するハードボイルド小説だと思っています。表題は「皮肉と愛情で軍港描く」です。

内容は、米軍の利権が複雑に入り組んだ横浜〜横須賀の「闇」を、複雑なアイデンティティを持つ「アメリカの友人」の姿を通して、アメリカと日本の双方と距離を置いた視点から巧みに描いたものです。愛情と皮肉の双方がたっぷりと織り込まれた横浜と横須賀の描写は、レイモンド・チャンドラーが『ロング・グッドバイ』で描いたロサンゼルスと同様に、非常に魅力的で、異彩を放っています。若い映画監督を起用して、新しいテイストで映画化してほしい作品です。

「現代ブンガク風土記」も次回で10回目です。しばらくは東京近郊の「郊外と一括りにされる異なる場所」を舞台にした現代小説を取り上げていく予定です。


2018/05/25

ノーベル平和センター(オスロ)のICANの展示

オスロにあるノーベル平和センターで、昨年にノーベル平和賞を受賞した核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)の展示を見学してきました。

ノーベル賞はスウェーデンで授与式が行われますが、平和賞だけは、隣国との平和を記念して、オスロ市庁舎で授与式が行われます。ノーベル平和賞は論争的な賞で、ガンジーが受賞に至らなかったり、強硬的な外交で日米開戦のきっかけを作ったコーデル・ハルが1945年に受賞するなど、問題点は様々あります。個人的には、佐藤栄作の受賞やヘンリー・キッシンジャーやIAEAの受賞もどうかと思っています。

ただ国際的な平和維持活動に関する実績は豊富で、1917年の赤十字への授与以来、様々な団体に授与し、その知名度の向上に大きな貢献を果たしてきたことは間違いありません。ノーベル平和賞は、依然として現代社会に必要であり、各国のメディアが取り上げるべき意味のある賞だと思います。昨年のサーロー節子さんの授賞式での演説も記憶に新しく、感動的でした。

ノーベル平和センターの展示そのものは、厳選されたシンプルなもので、予想していたよりは広島・長崎に関する展示が少なく、残念に思いましたが、Bang the Bombという原水爆実験を間近で体感させる展示や、長崎の原爆投下直後の「焼き場に立つ少年」の写真など、注目すべき重要な展示もありました。

ICANがノーベル平和賞を受賞した意味については、日本で十分に認知されているとは思えないので、日本でも繰り返し、メディアで特集を組んだり、巡回展示や講演会を行ってほしいです。

広島と長崎の原爆災害については、ここ数年、実地調査を重ねており、6月下旬のIAMCR(International Association for Media and Communication Research オレゴン大学)では、広島と長崎の原爆災害を中心とした集合的記憶の伝承と展示のあり方について「Comparative Research on Archive and Exhibition Design and Production with Respect to Nuclear Disasters as Media for Communicating Historical Facts」という研究発表を予定しています。西日本新聞の「現代ブンガク風土記」でも、原爆災害を描いた現代文学について、近々、取り上げる予定です。






2018/05/20

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第八回 桜木紫乃『ラブレス』

西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」第八回(2018年5月20日)では、桜木紫乃の『ラブレス』について論じています。現代の文学作品で、個人的に最も好きな作品の一つです。『ラブレス』で女性の視点から描かれる開拓地の標茶や弟子屈の生活の描写は、重厚で、ユーモラスでありながら、実に味わい深く、港町・釧路の盛衰を、釧路で生まれ育った作家らしい独自の視点から丁寧に描いています。表題は「『開拓者の末裔』自負と愛憎」です。

この作品は開拓地・標茶で生まれ育ち、歌の才能に恵まれた一人の女性の物語です。四世代にわたる女性たちの視点から、開拓地の厳しい生活や、弟子屈の温泉旅館の賑わいや、釧路の夜の街の輝きが描かれます。

大学の仕事で以前に釧路を訪れたとき、北大通り商店街にシャッターが降りて久しいことを、押し潰されたシャッターの軋みと錆びを通して実感しました。ただ弟子屈から標茶を通り、釧路から太平洋に注ぐ「釧路川沿いの街の往時の風景」は、桜木紫乃の重厚な作品を通して記憶されていくのだと思います。
素晴らしい作品ですので、ぜひご一読下さい。

7回目の佐藤泰志を含めて、北海道を舞台にした作品を取り上げました。長崎を起点にはじまった「現代ブンガク風土記」も8回目で釧路まで北上してきました。次回から関東に戻り、しばらく東京近郊の「郊外と一括りにされる異なる場所」を舞台にした作品を取り上げる予定です。


2018/05/13

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第七回 佐藤泰志「海炭市叙景」

西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」第七回(2018年5月13日)では、佐藤泰志の『海炭市叙景』について論じています。佐藤泰志は発表する作品の多くが文学賞にノミネートされた作家ですが(芥川賞5回、三島賞1回)、バブル経済の只中の1990年に、妻子を残し、41歳で自殺しています。文芸誌の新人賞出身ではないため、存命時には作品そのものが中央の文芸誌にあまり掲載されていませんでした。

ただ『海炭市叙景』は、現代文学を代表する水準の作品です。この作品は「函館」をモデルにした海炭市を生きる人々の描写が実に鮮やかで、彼らの地に足の着いた生活の描写が味わい深い優れた作品です。表題は「地方の閉塞 先取りし描く」です。

近年、佐藤泰志の作品は、再評価が進み、死後、絶版になっていた作品が復刊したり、「海炭市叙景」を含む3作品が映画化されています。以前に函館市文学館を訪れた時にも、特設コーナーが設けられていて、角張った癖の強い、佐藤泰志らしい原稿が飾られていました。その文字にも彼の不器用な正確が滲み出ていて、涙が出ました。

今年、私は佐藤泰志が亡くなった41歳になります。彼が当時、どのようなことを考えていたのか、彼の晩年の作品に、文学的な表現として良い意味での「閉塞感」が感じられることは確かです。ただ『海炭市叙景』は、彩り鮮やかに人々の人生の陰影を暖かく照らし出した作品で、この作家の資質の高さと将来性を感じさせる作品だったと思います。
もっと多くの人に読まれてほしい作品ですので、少しでもご関心が向くようでしたら、ぜひご一読下さい。


2018/05/06

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第六回 三浦しをん「まほろ駅前多田便利軒」

西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」第六回(2018年5月6日)では、三浦しをんの「まほろ駅前多田便利軒」について、ハードボイルド小説の歴史を踏まえながら論じています。「まほろ駅前多田便利軒」は2006年の直木賞受賞作で、史上4人目の20代での直木賞の受賞となった三浦しをんの出世作です。表題は「きな臭くも多彩な『郊外』」です。

一見すると、三浦しをんの「まほろ駅前多田便利軒」はハードボイルド小説には見えません。しかし主人公の便利屋・多田啓介は、「地元密着型」のやくざや、駅裏で売春をしている「自称コロンビア人」たちと深い繋がりをもち、様々なきな臭い事件に関わっていきます。この小説で描かれるまほろ市は、次第にレイモンド・チャンドラーのハードボイルド小説で描かれるロサンゼルスと類似した雰囲気を帯びていきます。

本文でも書きましたが、三浦しをんは町田にある高原書店で二〇〇一年までアルバイトをしていたそうです。たまたま私はその時、慶應の湘南藤沢キャンパスの大学院生だったこともあり、小田急線沿いに住んでおり、高原書店に頻繁に通っていました。

この作品を読むと、三浦しをんのその時代の町田への愛憎入り交じる両義的な感情が、ユーモラスに伝わってきます。ユーモラスで両義的な表現を通して、人々の日常に根を張った「街」を描ける点が、三浦しをんの作家としての最大の資質だと思います。

「現代ブンガク風土記」では、現在進行形の「郊外」を舞台にした作品についても、それぞれの街が持つ、細かな特性や差異に着目しながら、論じていきます。



2018/05/05

産経新聞「平成30年史」にコメントが掲載されました

5月4日の産経新聞朝刊の特集記事「平成30年史 デジタルが変えた文化(1)」にコメントが掲載されました。文芸関係の仕事が続いていたので、昨年の毎日新聞の「Web上のトランプの選挙マーケティング」に関するコメント以来、メディア論関係は久しぶりです。

スマートフォンが一般化したことで生じるWeb上のコミュニケーションの変化について、メディア社会学の知見を元に、短いコメントをしています。授業でよく言及するドイツのメディア研究者、ノルベルト・ボルツの理論を踏まえたものです。
東洋大学の三宅和子先生と博報堂ブランドデザイン若者研究所リーダーの原田曜平氏のコメントの間に掲載されています。

この特集記事は一面掲載で識者のコメント数も多く、社運を賭けている感じがしています。平成を語るのに不可欠なメディア史の切り口があるのが面白いです。

産経新聞「平成30年史 デジタルが変えた文化(1)」
https://www.sankei.com/life/news/180504/lif1805040015-n1.html