2020/07/07

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第115回 三浦しをん『まほろ駅前番外地』

西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」(第115回 2020年7月5日)は、三浦しをんの町田を舞台にしたハードボイルド小説『まほろ駅前番外地』を取り上げています。表題は「世代を超える「闇市の記憶」」です。写真は戦後の闇市から発展した歴史を持ち、アメ横やハーモニカ横丁と共に「三大闇市商店街」とも言われる「町田仲見世商店街」です。

ハードボイルド小説の体裁を採りながら、かつて闇市が立ち並んだ「まほろ市」の集合的記憶の暗部に果敢に踏み込んでいく展開が面白い作品です。町田市は東京の郊外の中でもマイルド・ヤンキーが多いと言われ、旧来のヤンキーほど反社会的ではないが、地元志向が強く、内向的な若者たちが多いとされます。この小説で描かれる多田と行天も、マイルド・ヤンキーの典型といえる人物です。

二人はレイモンド・チャンドラーが描いた私立探偵・フィリップ・マーローのように、犯罪と紙一重の「警察沙汰にできない事件」を扱うことは少ないですが、表ざたにできないような「小事件」の数々を通して、依頼主たちの人生に深く関与していきます。



三浦しをん『まほろ駅前番外地』あらすじ
東京都町田市を想起させる「まほろ市」を舞台に、金銭的な事情で、きな臭い依頼を引き受ける「便利屋」を描く。便利屋を営む多田と行天の二人は、地元から出ることを嫌い、上昇志向にも乏しい。彼らは些細なことで仲違いをしながらも、日々の仕事をこなし、「まほろ市」の様々な人々と交流を深めていく。

2020/07/02

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第114回 西加奈子『通天閣』

西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」(第114回 2020年6月28日)は、西加奈子の織田作之助賞受賞作『通天閣』を取り上げています。表題は「人間臭い大阪人の成長物語」です。

「明かりをつけたそれと、消えているそれとがあれほどまでに違う建物を、俺は見たことがない」という一節に象徴されるように、大阪の町に住む登場人物たちの青春の明暗を描いた作品です。
 家族を持つことや結婚をすること、仕事にやりがいを見出すことなど、普遍的な生活者としての人間の悩みが、西加奈子らしいユーモラスな文章を通して表現されています。
 登場人物たちの暗雲が立ち込める日常を、矜持やこだわりを持って大阪の街を生きる人々の中で浮き彫りにする内容で、大阪育ちの作者らしいユーモラスな文体が生きています。


西加奈子『通天閣』あらすじ
 観光地・大阪ミナミを生きる訳ありの人々の生活を、奇妙な縁を持つ「俺」と「私」の二人の視点から描いた作品。「こんな私を、誰か愛してくれるのだろうか」といった切実な悩みが綴られる。大阪の街の暗部を、西加奈子らしい現代的な筆致でユーモラスに描いた作品。第24回織田作之助賞を受賞。


2020/06/26

電通・中村正樹さんのゲスト講義

今週は、長崎の幼稚園と高校の同期生で、電通のグローバル・ビジネスセンターでプロデューサーをやっている中村正樹さんに、明治大学の国際日本学部らしく英語で講義を行ってもらいました。私が担当している「日本のマス・メディアA」で、明治大学が提供しているMicrosoft Teamsを使った、オンラインのリアルタイムのゲスト講義でした。

100枚を超えるパワポ資料を用意して頂いたので、情報量豊富な授業でした。日本の広告業界の現状から、国際的な広告や日本文化の発信の事例、宇宙開発と関わる未来志向のプロジェクトなど、広告代理店のグローバル・ビジネスの現場の話が聞けて、非常に贅沢な内容だったと思います。学生たちの広告業界への関心も高く、「海外赴任はどれくらいの確率でできますか?」など、具体的で生々しい質疑が出ていました。


2020/06/23

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第113回 西加奈子『漁港の肉子ちゃん』

西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」(第113回 2020年6月21日)は、西加奈子の代表作『漁港の肉子ちゃん』を取り上げています。表題は「港町で明るく生きる逞しさ」です。震災前の石巻や女川をモデルにした作品で、食欲旺盛で涙もろい肉子ちゃんの生き生きとした言動が面白く、プロレス好きで「キン肉マン」を愛する西加奈子らしい「超人的な肉子の存在」の表現が光る内容です。

テヘランで生まれ、カイロと大阪で育った西加奈子は、様々な土地に根差した作品を記しています。作者の多文化的な経験を反映してか、この作品で描かれる肉子ちゃんも、大阪、名古屋、横浜、東京、石巻をモデルにした港町を渡り歩いています。西加奈子にしか書きえない、土地に根を張り、明るく生きる人間存在の逞しさを捉えた「ポスト震災文学」だと思います。



西加奈子『漁港の肉子ちゃん』あらすじ
男にだまされ続ける「肉子」と彼女を母に持つ小学生の喜久子を描いた作品。母の恋人だった「自称小説家男」が残したサリンジャーなどの小説を読んで育った、早熟な小学生の喜久子の視点から、北陸の漁港の焼き肉屋の裏に住む母娘の日常が綴られる。母親に遠慮する娘の描写が愛らしい、西加奈子の代表作の一つ。





2020/06/16

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第112回 矢作俊彦『神様のピンチヒッター』

西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」(第112回 2020年6月14日)は、矢作俊彦の最初期の短編集『神様のピンチヒッター』を取り上げています。表題は「大人の会話挟み『横浜』描く」です。現在も「ハードボイルド」な雰囲気が感じられる山下公園の写真を掲載頂きました。

米軍の影と、日本の政治家の陰謀、ヤクザの利権争いなど、日本の東西を代表する港町を舞台にしたハードボイルドな物語が、重層的な時間描写の中で展開されています。「崎陽軒の焼売弁当ならまだしも、牛の顔だか猫の尻尾だか判らない肉をデトロイト製の工作機械で成形したハンバーガァなんかで我慢する必要はさらさないんだ」といった一見するとユーモラスな台詞の中に、横浜の土地に根差した著者らしい、戦後日本に対する感情が垣間見えます。

表題作「神様のピンチヒッター」は、矢作俊彦の監督・脚本、江口洋介の主演で映画されています。DVD化されていない作品ですが、横浜スタジアム近辺の旧市街の雰囲気が、小説の世界とシームレスに溶け込んでいて味わいがあります。

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矢作俊彦『神様のピンチヒッター』あらすじ
横浜と神戸を舞台にして、殺し屋の翎と華僑の娘・由子を中心に、複雑な利害が入り組む事件を描いた短編集。生粋の横浜っ子である著者の最初期の作品を収録。日活のギャング映画ようようでありながら、ハードボイルド小説らしく、政治とヤクザと警察が織りなす複雑な秩序を炙り出す。



2020/06/09

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第111回 川上弘美『センセイの鞄』

西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」(第111回 2020年6月7日)は、川上弘美の谷崎潤一郎賞受賞作『センセイの鞄』を取り上げています。表題は「円環的な自由恋愛描く」です。

本作が国際的な評価が高いのは、ツキコとセンセイの恋愛が、親子ほどの年齢差がありながら、内的な描写が深く、「時空間」を超える闊達さを有しているからだと思います。40歳を前にして結婚に向かないと感じた女性と、15年ほど前に妻に逃げられた過去を持つ訳ありの老人との、互いの人生に深く干渉しない、ほどよい距離のある恋愛を描いた作品です。

この作品は2003年には久世光彦の演出、小泉今日子の主演でドラマ化されました。ツキコとセンセイが住む場所のロケ地として国立市が選ばれ、小説の雰囲気を上手く捉えていて味わいがあります。



あらすじ
 地元の駅前の一杯飲み屋で偶然隣り合わせたツキコとセンセイの短くも、内的なつながりの深い、大人の恋愛を描いた作品。共に酒を飲むことを好み、キノコ狩り、花見、遊山、美術鑑賞など、季節感のある時間を共にする。第37回谷崎潤一郎賞を受賞。

2020/06/03

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第110回 西村賢太『苦役列車』

西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」(第110回 2020年5月31日)は、西村賢太の芥川賞受賞作『苦役列車』を取り上げています。表題は「負け犬として気高く生きる」です。

かつて言文一致に貢献した二葉亭四迷は、坪内逍遥の名を借りて「浮雲」を刊行した自分自身を「くたばってしめえ」と卑下するところから、文学者としての歩みをはじめました。英国留学中に「夏目発狂」の噂を流され、東京帝大の難解な講義で不評を買った夏目漱石は、神経衰弱の治療の一環として「吾輩は猫である」を書き始め、小説に人生の活路を求めました。

西村賢太も切実に文学を必要とした読者であり、作家です。彼は運送業を営む、相応に裕福な両親の下で育ちましたが、作中でも記さている通り、小学校高学年の時に父親が逮捕され、不登校となり、高校に進学しないまま、東京湾岸で冷凍のイカやタコを運ぶ港湾荷役などの仕事に就きながら、作家たちの破天荒な人生に惹かれ、小説を書くに至ります。
「苦役列車」は、著者が港湾荷役の仕事に就いていた19歳の頃の話です。



西村賢太『苦役列車』あらすじ
19歳の北町貫多は日雇いの港湾労働に従事しながら、友達や恋人もなく、孤独な生活を送っている。酒癖も悪く、激情型の性格で、何かとトラブルを起こす。私小説に惹かれるに至った生活を描いた、著者の私小説の原点に迫った作品。第144回芥川賞受賞作。



2020/05/27

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第109回 西村賢太『けがれなき酒のへど』

西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」(第109回 2020年5月24日)は、芥川賞作家・西村賢太の同人誌時代の初期作品2作が収録された『けがれなき酒のへど』を取り上げています。表題は「肉感的に物語る狭小な浮世」です。

私小説は日常に宿る喜怒哀楽を、虚実や誇張を含めて分かち合い、生活への認識を深めるために必要とされてきたのだと思います。日本の近代文学は、長らく既存の社会秩序や教育システムから逸脱する人々によって担われてきました。西村賢太はこのような意味で伝統的な私小説の継承者だと思います。現代では珍しい、自己の現在を虚実や誇張を交えて切り売りすることができる稀な作家とも言えます。

特に初期の2作は、千葉市で2007年まで発行されていた同人誌「煉瓦」に掲載され、文學界の同人誌月評で何れも「ベスト5」に入ったもので、叩き上げの私小説の作家らしい作品です。10年ぐらい前に「文學界」に書評を書いて以来、久しぶりに西村賢太の作品を読み返しましたが、この作家は普遍的なものごとを捉えていると改めて感じました。



西村賢太『けがれなき酒のへど』あらすじ
中卒で世に出て社会の厳しさを知り、女性とも思うような関係が築けない「北町貫多の修業時代」を描いた私小説。藤澤清造をはじめとする作家たちへの偏執的な愛情が、不器用で、繊細な自意識を通して、目くるめく展開される。同人誌「煉瓦」に発表した最初期の2作品を収録。

2020/05/19

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第108回 江國香織『きらきらひかる』

西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」(第108回 2020年5月17日)は、江國香織の才気あふれる長編デビュー作『きらきらひかる』を取り上げています。表題は「距離感許容する求めない夫婦」です。江國香織が描く孤独であるがゆえに、他人との繋がりを求める奔放な男女の姿は、都市生活者らしく自由であり、結婚というイエ社会の制度と折り合いが付かず、不自由にも見えます。

荻窪駅前のカプセルホテルの描写があることから、中央線沿線にある東京郊外の町を舞台にした作品だと推測できます。1992年制作の松岡錠司監督の映画版では、井の頭公園や中央大学の多摩キャンパスがロケ地となりました。この映画を上京する前に見たせいか、大学と言えば、中央大学多摩キャンパスというイメージが強くあります。薬師丸ひろ子と豊川悦司、筒井道隆の演技が、東京郊外の無機質な風景と対照的に、人間臭く映えて、映画版も味わい深いです。


江國香織『きらきらひかる』あらすじ
アルコール中毒の笑子と同性愛者の睦月の風変わりな結婚生活を描いた作品。互いに同意して始まった結婚生活だったが、複雑な感情が交錯する。睦月の同僚で同性愛者でもある柿井たちとの「奇妙にあかるく、陽気で居心地がよかった」ホームパーティーなど、新しい感覚に満ちた人間関係が魅力。



2020/05/14

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第107回 三崎亜記『失われた町』

西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」(第107回 2020年5月10日)は、三崎亜記の『失われた町』を取り上げています。表題は「消滅する「町」不気味な居留地」です。この作品は直木賞の候補作となり、林真理子や北方謙三に高く評価されましたが、企みの深い複雑な物語設定が賛否を呼びました。

日本地図に次々と空白地が生まれる世界観は、福島第一原発事故によって「帰還困難区域」が生まれた状況と重なりますし、新型コロナウィルスでロンドンやマドリード、ローマなど世界の主要都市で「都市封鎖(ロックダウン)」が行われている現在の状況とも重なります。もし福島第一原発事故後や新型コロナウィルスが蔓延する時代を経た後に発表されていたなら、選考委員の理解も得やすく、その評価も大きく変わっていたかも知れません。

オンライン授業もだいぶ慣れてきた感じで、5月中の授業の準備と録画を終えたところです。学生の皆さんの「自宅学習」の意欲を喚起できるような授業を心がけています。


三崎亜記『失われた町』あらすじ
およそ30年に一度、何の前触れも因果関係もなく、数万人単位の「町」の住民が姿を消し、多くの命が失われる。「失われた町」の記憶や痕跡が、汚染を引き起こし、次なる町の消滅をもたらす。このような負の連鎖に立ち向かう、桂子さんと由佳という世代の異なる二人の女性を中心に描いた長編小説。第136回直木賞候補作。